第9話 理論的には

翌日。

僕は白無の家のインターホンを鳴らしていた。


無論、昨日貰ったお裾分けのタッパーを返すためである。そうでもなければこんな危険なミッションは放棄しているだろうよ。


お礼とはいえ、貰ったのは事実。当然の事ながらタッパーは綺麗に洗ってある。ピカピカ、もはや鏡のように磨いた。

特に意味はない。考え事をしていたら洗い過ぎていたなんて事は絶対にないのだ。


誰にしているのかも分からない言い訳をし終えると、計らったかのように玄関の扉が開く。


「こんにちわ。千堂さん」

「ああ、昨日はありがとう。これを返しに来た」


磨いたタッパーを渡し、そこで気付いたが今の白無は私服である。我ながら下らないことに気付いたと思うがよく考えれば部屋着なので私服ではない。


「それで.....お味の方は如何でしたか?」


相変わらずの無表情で白無は味の如何を尋ねてきた。


「感想で良いなら、美味かった。文句のつけようがないくらいには」


........褒めたはずなのだが、白無は顔を俯かせる。

何か不味い事を言ったか?僕にデリカシーを求められても困るのだ。ノンデリと言われるほどではないが、僕に気遣いはない。


「まあ、それだけだ。じゃあな」

「あ、待って下さい。これどうぞ」


そう言って白無が僕の無防備な手に乗せて来たのは既視感のある物体......というかタッパーである。


昨日のとはフタの色が違い、緑ではなく青だ。

何てことはどうでもいいんだよ!


「なんだ、これは」

「今日の分のお裾分けです。どうぞ」


昨日のように暖かくはなく、作ってから結構経っているのか冷たくすらある。


「ちょっと待て。これは何だ?」

「ですからお裾分けです」

「そうじゃない。何のためのお裾分けなんだ」


毒でも入っているのか。そんな劇物に見えて来た。


「お礼の続きですよ。昨日も渡しましたよね?」

「いや、そうだが.....」


続き!?

あれで終わり、そこそこの距離感でめでたしめでたしじゃなかったのか!?

お裾分けに続きがあるとは....いや、お裾分けは本来隣家の人に作り過ぎた料理を差し入れるというものか。


なら間違ってはいない.....?のか。


だとしても、だ。

続きというのに気を取られて動揺したが、もう充分お礼としては貰っている。これ以上は借りになりかねない。


「あのな、これで僕が勘違いでもしたらどうするんだ?もしかしたら白無さんは自分の事が好きなのかもしれない....!とかな」


高校生なんぞそんなものだろう。直ぐに勘違いするのも学生の特権だ。それが白無のような美人ともなれば確率はグッと上がる。

中には悪質なのもいるはずだ。学生だから、という言い訳で済まされないような者もいるかもしれない。


料理を分けるなんてその中でも上位に位置する勘違いさせムーブに規定される(僕基準)。消しゴムを拾われただけでそうなる人間も世にはいるのだ。

その気持ちはまったくもって分からないけどな。


「それを私に忠告している時点で貴方にその気は無いのでは?」


確かにそうだ。確かにそうだが——


「警戒をしろという話だよ。僕にその気がなくともな」


僕が白無にうつつを抜かす?

ふっ、有り得ない。鼻で笑えるくらいには自制心に自信がある。というかそれ以前に彼女に劣情を抱いたことなどない。

友人になりたいとも、恋人になりたいとも、になりたいとも思った事はないのだ。今の所は。


未来の事は分からないので今の所は、だ。

もしかしたら天変地異か起きて僕の記憶がなくなり偶々隣に住んでいた白無に一目惚れをするという世界線があるかもしれない。

そういう保険だ。


「警戒ならしていますよ。前看病してもらった後も貴方の事は疑っていました」

「........ならなんで、僕にお裾分けなんてした?」


放っておけば良かったんだ。礼を言ったのだかはそれ以上はしない、それでも何も問題はなかった。


「私の気が済まなかったからです。それに、貴方に邪な心が無いということは分かりましたから」


何か白無にした思い出は無いんだが、どうやってそれを判断したのか。

それに気が済まなかったって.....律儀だな。僕だったら礼で済ませていた。


というか——僕が口出しするような事でもなかったよなぁ、これ。

ついつい口に出してしまったが、お節介にも程がある。「何コイツ、うざっ」と白無に思われている可能性もミジンコくらいはあるかもしれない。


「はぁ.....分かったよ。貰えばいいんだろ。ありがとう」


揺らぎそうにない眼差しで見つめられれば、さしもの僕だろうと意思を折らざるを得なかった。

何のつもりでこんな事をしているのやら。


「はい。どうぞ召し上がって下さい。それではまた明日」


そう言って白無は微笑む。

一瞬の不意打ちが、僕の急所を突いたようだ。不覚にも今——可愛いという感想を抱いてしまった。


これだから美人は。


白無が自分の家の扉を閉めるのを見届け、僕も家へと戻る。鍵をかけるだけではなくチェーンまで閉めていた所を見ると、防犯意識も僕と違って高いらしい。

女子だから、というより彼女だからだろう。例の男子に対するツンケンした態度しかり、彼女は自分の容姿が美しいことを自覚している。自覚していないよりはマシだ。

僕的にだが。


それから思ったが、このお裾分けとやらはいつまで続くのだろうか。それも聞いておけば良かった。


貰ったお裾分けに関しては、「美味かった」とだけ伝えさせて貰おう。


今回の件で決意した。僕は絶対に白無に何かを返す。このお裾分けとやらのお礼にな。

この調子で続けるのなら——理論的には延々とお礼合戦が起こりそうだ。

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