第37話
薄ぼんやりとした灯りに照らされて、両手をぶらりと下げた上に、イスに足を投げ出すという、いつもよりももっとひどくだらしない格好で、寛いでいると、不意に部屋のドアのノックする音でボクは我に返った。
ここを訪ねて来る人間なんておおよそ限られている。
鍵は掛かってないから入って来て構わないよ、大声で返事をすると、ドタドタと足音を立てて、予想通りに金髪碧眼の美少女が部屋へと上がり込んできた。
ボクの横に立つと、ユリスはおもむろにボクの両頬を引っ張った。
「ええぃ。この口かこの口が白々しい芝居をするから、私、お父様にお小言をくらってしまったじゃないの!」
口調はいくらか激しいけれどもどこかしら目は笑っている。ボクは頬を引っ張られたまま言う。
「この口が、君に言われた通りに芝居をしたから、話がちゃんとまとまったんじゃないか。一緒にいたいと素直に言えばそれで良かったんだ。ユリスは素直にそう言ってくれれば、あんな白々しい芝居をしなくても済んだのに」
そう言い返す。
「そんな……、言えるわけないじゃないの……」
言っているのも同じなんだけど、とボクは思った。
「それで話はまとまったんだろう、ユリス?」
逆にボクが問い返す。
「ええ、お父様は、納得してくださったわ。スミタマにはくれぐれも感謝の気持ちを伝えるようにって言われんだけれども……。なんだがお父様も見抜いていたみたいで、私だけがひとり勝手に得意になってたような気がする。何か釈然としないんだけれど、気のせいかしら?」
依然と両手は頬を引っ張ったままだ。
感謝される対象が、なんで憎まれ口を叩かれながら、頬を引っ張られ続けているのか、話が上手く運んだのならそれでいいと思われるのだが……。
「で、引っ越しはいつになるんだい。見ての通り、ひとり暮らしのボクは、持ち物などほとんどないし、ここの大家にはすでに引っ越しをすると伝えてあるからいつでも構わないよ」
先程の大家との話をユリスに伝える。それでもまだ手を離してくれないユリス。
「いろいろありがとう、スミタマ。そしてごめんなさい。もうひとつだけ条件が増えちゃったのよ……」
ユリスの話は、聞くともっともだと思えるものだった。
ユリスは皇家の第四位継承者でもあるし、父親は第二位継承者、しかも廷臣の中でも重鎮の部類に入る重要人物だ。そのオルガス家に士爵位のボクが入るとなると、臣従という形にならざるを得ないらしい。
「というわけで、スミタマは私の臣下にはなるんだけれど、それはあくまで形だけの話なの、許してもらえるかしら。屋敷では、扱いは私と同等ではあるんだけれど……」
そんな単純な内容なら問題ない。
「全く問題ないよ。今までと同じ友達なのは違いないじゃないか。ユリスの母親違いの妹になり済ませとか、実は小さい頃に行方不明になったお母様の遠縁の娘だったとか、そんな嘘を付くわけじゃないんだもの。士爵位しかないボクが君の家に居候するんだから、ある意味当然だろうね」
ほっとしたのかようやく、手を頬から離すとユリスは言った。
「で、引っ越しなんだけど、こちらもいつでも構わないんだけれど、同じ建物に住むのがいやならば、別棟を建てさせてもいいとお父様はおっしゃったんだけれども、どうする、スミタマ?」
新しい家をボクのために建てる?
「冗談はよしてくれよユリス。いちおうオルガス家には家賃を払うけれども、この下宿と同じ家賃なんだよ。新しい家なんか建てられたら、いったいいつまで家賃を払い続けなきゃいけなくなるんだよ。別に新しい棟なんて必要ないから。雨露さえしのげればそれで充分だからね」
それじゃあ話は早いわね。そうユリスは言う。
「今度、学院が休みの日に引っ越しにしましょう。だから、明後日ね。それまでにある程度準備はしておいて。運び出しは家の者にやらせるから。スミタマは見ているだけでいいからね」
ユリスはやけに早口でしゃべる。
馬車を待たせてあるのだろう。過ぎ去る台風のように慌ただしくユリスは帰っていった。
あの猿芝居もしばらくすれば笑い話のいいネタになるのだろうな、きっと、などと思いつつ、さて引っ越しの準備でもするかとボクは部屋を見回す。
しかし、持ち物といっても大したものはない。
振り返れば二年とちょっと、この部屋で過ごしたわけで、特に何もなかった――実際にはあった――けれども離れるとなるとなんだか、名残惜しい気もしてくる。
そう言えば士爵に俸給が付いてくるとオルガスは言っていた。ここの家賃を払いながら、隠れ家的に使ってもいいな、とも一瞬思った。場末に拠点があるのも悪くはないからだ。だが、ボクはその思いをふりはらう。何か思い残しているように感じたからだ。それなら、ここじゃなくても構わないわけで、それは追々考えて行けばいい。実際の俸給の額すら分からない。ボクは頭を一振りして、この部屋は思い出になった。
引っ越しは、大げさなイベントになってしまった。
ユリスの屋敷から、幌付きの二頭立ての馬車がやってきたのだ。周囲の家々は、小さな路地に停められた立派な馬車にざわめきたった。すでに近くに寄ってきては、一体、何が始まるのかと尋ねる子供たちもいる。
宰領をするのはもちろんユリスだ。街角の騒ぎには全く気を向けず、数人の従者を従えて、どやどやと部屋に入り込んできたのだった。
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。ちょっと堅めだけど、こういう小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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