掌編「芽の季恒例ポムポム鬼ごっこ」
今日もいい天気である。『プラント』は毎日だいたいいい天気だ。
自室で目覚めたハルは大きく伸びをして、手帳に今日の天気と起床時刻と、「目覚めて」から何日が経過したのかを書き記す。
今日は確か、昼過ぎから研究室で仕事がある。遺跡から回収した大型の作業用アームの調整だ。逆に言えばそれだけで、朝方はヒマだった。
あくびを噛み殺しながら回廊を下り、ハルはひとまず『月の花園』に向かうとする。誰に言われるでもなく、ハルの中でそれは朝一の習慣となっていた。
外へと通ずる扉を開けると、やはりいた。桜の花弁をはらはらと散らしながら、何食わぬ顔で花々の世話をしている彼。
ハルはいつものように声をかけようとして、
「アルファ。おは――」
ぽふん。ぽふん。
「頭になんか生えてる!!!!」
一気にそっちに意識を持っていかれた。
アルファの頭のてっぺんから、ポフポフしている何かが一本にょっきり生えていた。
花のようなキノコのような、握りこぶし大のものだった。色は乳白色。動きに合わせてふわふわ揺れる様は野に咲くタンポポを思わせる。ところが当のアルファは意に介していないようで、「なんだ朝っぱらからうるさいな」と迷惑そうな顔をするばかり。
「生えてるよ!? 大丈夫なのそれ!? 病気!?」
「知ってる。別になんてことない」
なんてことなくはないだろう。生えてるんだから。
触ってみると柔らかくてお日様の匂いがした。触感としては綿毛に似ているが、何かもっと小さなものの集合体のようにも思える。もしかして一種の寄生植物? 何か吸われていないか? と心配になるものの、当のアルファは平然としているので、本当に影響は無いのかもしれない。
「……大丈夫? ほんとに? すんごい生えてるけど」
「うるさいなもう。余計なことを気にするな。こんなのいつものことだ」
初耳である。花人の生態は未知でいっぱいだ。
だとすればいよいよ何のためにどうやって生えたブツなのか謎が深まり、いざ落ち着いてみれば今度は知的好奇心が鎌首をもたげた。
「抜いてみていい?」
「抜くな」
「いいじゃんちょっとだけ! 研究班に持ってって分析してもらうから!!」
「駄目だ。やめろ。これは、なんというか――」
アルファは一瞬、言いよどむ。「話せば長い」と言いたげだが、それも面倒臭いようで、ざっくり一言こう釘を刺す。
「『使う』んだ。……これから」
✿
学園全体が、どことなくそわそわしていた。
この日は探索に出る者も巡回を行う者もおらず、研究班も急遽機材の回転を止め、みな一様に何かを待っているかのようだった。
そんな浮ついた空気を、ピリッと引き締める声明があった。
『おはよう、諸君。知っていると思うが、またポムポムの季節が来た』
伝声茎を通して、学園全域に届く声。学園長ナガツキ直々の通達である。
ポムポムとは通称で、まさにアルファの頭から生えたブツのことを指す。正確には「芽の季」に限り不定期に起こる花人の生理現象のことで、アルファ一人だけに限った話ではない。今回は、たまたま最初が彼だったというだけで、花人である以上は誰しもに起こりうることだった。
研究によるとこれは『プラント』をうっすら舞う花粉、キノコの胞子、あるいは微細な綿毛などが集まった結晶体であるとされている。それらが風に乗って回遊し、これまた風の働きで花人の頭上に集まって、風のなんやかんやで固まって定着するのだ。だから正確には「生えている」のではなく「乗っている」と言うべきだろう。
重要なのは、花人がこの現象をどう受け止めているかだ。
ポムポムは花人たちにとって縁起物とされている。プラントの風が形になり、花人にもたらされた祝福であると。それを宿した花人はいわば福の神、いやさ福の花と言うことができよう。
どういうわけだかポムポムは一度に一人の花人にしか定着しない。では、そんな縁起物が現れた場合、学園はどうするか。
『今回のファーストポムポムは、アルファだ。本日予定していた全ての作業は休止とし、ただいまをもって、ポムポム鬼ごっこを開始する。――皆の健闘を祈る』
ポムポム鬼ごっこのルールは以下の通り。
ひとつ、逃げるのは頭にポムポムが生えた花人、通称ポムポムホルダー。鬼はそれ以外の全員。
ひとつ、会場は学園の敷地全般。時間は日が暮れるまで。ポムポムホルダーは大量の花人からひたすら逃げ続ける必要がある。
ひとつ、ポムポムを奪った鬼が次のポムポムホルダーとなる。そうして目まぐるしくポムポムホルダーが入れ代わってゆき、最後までポムポムを保有していた者が優勝者となる。
ひとつ、武器の使用は厳禁。武器無しなら何をしてもよし(学内設備の利用含む)。
ひとつ、優勝したら、うれしい。
大多数の花人は基本、楽観的でユルく、楽しいことが好きな傾向にある。
緊急時でもない時には大抵暇潰しを探しており、その辺で好き勝手に遊んでいたり、新しい遊びを考案しては花粉をぶわーっと撒き散らして楽しんでいたりする。特にここ最近のように穏やかな日々が続く場合は、暇を持て余してうずうずする花人も少なくない。
そんな折に、ちょうど学園全員で鬼ごっこをする機会などに恵まれれば、お察しである。
「うおおおおおおおーーーーーーーーーーーっ!!!!」
始まるなりえらいことになった。『月の花園』に数多の花人が押しかけ、猛烈な勢いでアルファ一人に殺到したのだ(ちゃんと花を踏まないように気を付けながら)。
「これ持ってろ」
「あ、はい」
アルファは手に持っていたじょうろをハルに託し、次の瞬間姿を消した。
「待てこらーーーーっ!!」
「ポムポムよこせーーーーっ!!」
「下克上おおおーーーーーーーーっ!!!」
下克上だけ目的が違う気がする。
ふわりと、水面を滑る花弁のような淀みない動作で、手すりの上に立つアルファ。平静そのものといった表情には強者の余裕を感じるが頭にはポムポムが生えている。
とん、と後ろに跳躍。『月の花園』は巨木の化石の半ばほどにあり、手すりを飛び越えれば何十メートルも下に地面があるばかりだが、花人はその程度の高さはものともしない。
どどどどどどどどどどどどどどどど!!!!
追随する追っ手たちはまるで花色の瀑布のようである。それらが花園を飛び出し、遥か下へと一斉に落ちていく。空中でやり合い、着地後も地上でやり合い、始まったばかりの鬼ごっこは早くも怒涛の勢いとなっていた。
残るはハル一人と、風と、多種多様な花の香りと、耳に尾を引く壮絶な喧騒のみ。
ぽかん。
じょうろを両手に抱えたまま、ハルはただ茫然としていた。
✿
そこからがまた酷かった。
場所を庭から演習場、正面入り口から学内に突入して鬼ごっこは続く。先頭を走るのは常にアルファだ。多数の花人に狙われているというのにそのペースにはいささかの翳りも見られず、時にフェイント、時に拳でもって追いかける鬼たちを引き離していく。武器を使わなければ何をしてもいいのだ。
「あわわわわわ……!!」
ハルはといえば、そんな様子を固唾を飲んで見守っているしかない。
追いかけっこの激しさは想像を絶していた。まるで追い付ける気がしない。騒ぎを聞きつけたころには先頭集団は遥か彼方、ドアを開けたら目の前を通り過ぎる大群、時にはノリで自分まで追いかけられて死ぬ気で逃げ回ったりもした。
どんがらがっしゃーーん!!
「おわーっ!?」
吹き抜けの大階段、目の前に落ちてきた花人がもんどりうって二回転して立ち上がった。
「くそっ、やられた! オレのポムポムは!? アルファどこ行った!?」
「ウォルク!? 大丈夫なの!?」
ウォルクは何故か逆さまのバケツを被っており、笑っていいのやら取ってやればいいのやらだが本人はまるで気にしていないらしい。
「おっハルか! 大丈夫だ! つーかそれよりアルファだ! 相手があいつだろうが、絶対ポムポムを取ってやる!!」
「あのごめんちょっと聞きたいんだけど、ポムポムってそんなに大事なの? なんで?」
「なんでってお前、かっこいいからに決まってんだろ!」
「…………なるほど!!」
モチベーションは
「てことでオレは行くぞ! あ、ネーベル見つけたら無理すんなって言っといてくれ。あいつこういうの弱いからな!」
「わかった、くれぐれも気を付けて!」
どひゅんと飛んでいくウォルク。
ちなみにネーベルは割とすぐ見つかった。ポムポムを取り合う以前に追跡集団の猛烈な波にもみくちゃにされた様子で、どこですかーウォルクどこですかーとふらつきながら二、三歩歩いて儚く倒れた。慌てて介抱した。
鬼ごっこは続く。普通、開始から三十分もすればポムポムホルダーは四回から五回は交代するものだが、今のところ一時間ぶっ続けでアルファが独走している。
アルファは手加減なしだった。とにかく襲い掛かる大量の花人を次から次へと千切っては投げる投げる投げる、隙を見て逃げる逃げる逃げる、グーも出るし足も出る、ジャイアントスイングを喰らった花人は文字通りの壁の花となった。
そんな大乱闘の坩堝と化した、学園一階の大広間。力強く飛び出した背の高い花人の姿がある。
「アルファ殿ーーーッ!!! そのポムポム、頂戴いたしますぞーーーーーーッ!!!!」
クドリャフカだ。
「ふん」
「ぶほぅぇ!?」
蹴り一発。クドリャフカは空飛ぶ向日葵となった。だが、その隙を突いた花人が一名――
「く、クドリャフカくん、よく頑張りましたっ! つつつ次はボクがいきます~~~~っ……!!」
「あん?」
「ごめんなさいなんでもないです許してくださいボク帰りますお疲れ様でしたあ!!」
ガン付け一発。スメラヤは土下座のまま後退するという器用なムーブで戦線を離脱した。
開始から何度目かになる乱闘が終わり、生き残っているのはただ一人だった。
花人たちの屍の山にあぐらをかき、アルファは色とりどりの「鬼」たちを睥睨する。
「――どうした? この程度で終わりか?」
「くっ……流石はアルファ殿であります。これほどの数が束になっても敵わぬとは……!」
思っていたのの十倍はバイオレンスなことになっている。
「仕方ありませんな……ここは出直すのであります! 総員、撤退! 撤退ーっ!!」
「む」
ふわっと跳躍するアルファ。こてんぱんにやられた鬼たちがもぞもぞ立ち上がり、潮が引くように潔く撤退していく。熱血直情型に見えるクドリャフカではあったが、こういう時の判断と統率力はきわめて的確だった。
アルファは追わない。自分が追われる側であるため、壊走していく鬼たちを追う理由がそもそも無い。大広間はあっという間に静かになり、一人勝ちしたアルファと、ただただ観戦していたハルだけが残った。
「……なんだ、いたのかお前。花に水、やったか?」
「まあ、一応」
「ふん。ならいい」
「てか、ずーっと追っかけられてるけど大丈夫? このまま最後までいけるの?」
「誰に物を言ってる。そんなのは、お前が心配することじゃない」
あ、ちょっとドヤ顔だな。
ということが微妙な表情の変化でわかるようにはなっていた。
アルファは次の追っ手に備え、さっさと立ち去る。その足取りは、最初から今に至るまでまったく淀みが無い。
「……あ、スメラヤだ」
「ひええーっ!?」
いないと思ったら、一人だけ水を抜いた大甕の中で震えていた。
ついでに一応確認しておくことにした。
「今日って研究室の仕事いいんだっけ?」
「ははははい今日はおしごと全部お休みですあわわわわわわわ」
どうやらさっきのでよほどビビったらしい。これ以上は、そっとしておいた方がいいような気がする。
✿
ポムポム鬼ごっこの真っ最中でも、図書館だけは静かだ。
それはここがいわゆる中立地帯になっているからで、フライデーをはじめとする資料班は審判および記録役として開始時から図書館に控えている。
なので、学園内でも唯一静かなこの場所に多くの花人たちが避難している。こっぴどくやられた鬼たちがあちこちに転がる様には、なにやら壮絶な野戦病院めいた趣があった。とはいえ怪我をしているわけではなく、みんなしてダラダラ休憩しているだけなので大して悲壮感は無い。気力を充填したらまた出ていくことだろう。
「おおおお、おそろしいものを見てしまいました……」
ぐったりするスメラヤの周りにも、同じように心折れた花人は少なくなかった。ああまで見事に返り討ちにされたら仕方ないのかもしれないが。
「うぅ……」
「あいつヤバすぎる……」
「しかもめちゃめちゃノリノリだ……」
「――皆さん、今回は苦戦していますね」
フライデーは、偵察していた資料班の報告を取りまとめ(そういえば遠巻きに様子を見ている奴が何人かいた)、鬼ごっこの推移を記録に起こしている。ハルもまた、休憩がてら図書館を訪れ、資料班のそんな作業を見守っていた。
「ハル、あなたもアルファの逃げっぷりは見ていたでしょう? よければ記録の作成に協力していただけませんか? あなたから見て、鬼ごっこはどんな様子ですか?」
「あ~~~…………アルファがエグいくらい強かった」
「……まあ、そうとしか言えないでしょうね。困りました。このままでは一日中アルファの大暴れっぷりを追うだけの回になってしまいます」
ふと遠くから「うぎゃーっ!!」という声が聞こえてきて、フライデーが記録帳に「また一人脱落」と書き記す。ほどなくして、あえなく玉砕した花人たちが肩を支え合って転がり込んでくる。入れ違いに今度こそやったると腕まくりをした者が出ていき、図書館の出入りはいつもより激しい。
「やあ、諸君。楽しんでいるかな」
そこに、赤く長い癖毛を揺らしながら、ナガツキが入ってきた。一礼するフライデーら資料班、「お~……」と力なく拳を上げる花人たち。そんな彼らに満足げに頷き返し、ナガツキはハルに視線を留める。
「こんにちは、学園長」
「こんにちは、ハル。君はポムポム鬼ごっこは初めてだったね。まあ、面食らったかもしれないが、おおむねこのようなイベントだ。気楽に楽しんでくれたまえ」
「あはは……ぶっちゃけ、ついてくだけで精一杯ですけど」
「今日のは特に激しいが、まあ大体いつもこんなものだ。君もすぐに慣れるさ。頭を空にして学園中を走り回るのも、あれはあれで楽しいものだよ」
「そういえば、学園長にもポムポム生えたことってあるんです?」
「ある。ポムポムは花人を区別しないものだ。私は皆をまとめる立場だから、基本的に参加しないのだが、やむをえずファーストポムポムを担当したことも片手に余る回数はあるよ」
ナガツキが全力で逃げたり追ったりすることもあったのだろうか。想像ができない。押されたらぽっきりイってしまうような印象しかない。
「なに。やりようはあるさ」
にっこりと穏やかな笑顔には、なにやら得体の知れない凄味があった。
「――そういえば、君は参加しないのかい? 意外だな。喜び勇んで飛び込むものと思っていたが」
「あたしが? 無理無理無理! 命がいくつあっても足りませんて!」
面白そうだなと思ったこともあるがそれは最序盤、のっけからの壮絶極まる超高速鬼ごっこを見るなりもう物理的に無理なことはわかりきっていた。第一、人間の脚ではいくら走ろうが追い付くこともできないし、どうやら花人たちは匂いでアルファの位置を察知しているらしい。こちとらそんな能力は無く、体だって健康優良貧弱人間のそれに過ぎないのだ。
しかしながら、ナガツキはあくまでも泰然として、当然のことのように続ける。
「言っただろう? やりようはあるさ。なにも真っ向勝負で追いかけるだけが鬼ごっこではない」
「やりよう、ったって……」
――――。
その言に、ハルの中で何かのピースがはまる感じがした。
「あ」
「おや。何か思い付いたのかね」
「あ~いや、まだ何かってほどじゃ……ん? あれをああやって……てことは、こうでこうでこうで……それがいいなら……」
ナガツキのヒント、学園の構造、各施設、アルファの動きと花人たちの追跡。頭の中で要素がぱちぱちと組み上がり、たちまち立体感を持っていく。虚空を見ながら作戦の筋道を立て始めたハルの耳には、もうナガツキらの声は届いていない。
「……集中していますね」
「いいことだ」
ナガツキとフライデーが見守ること、ものの数分。
「――そっかあ! いける! いけますよあたし! フライデー、記録見せてくれる!?」
「構いませんよ。どうぞ」
鬼ごっこが始まってから数時間、トップ集団の動向を正確に書き記した記録である。ハルはそれらを貪り読み、丸呑みでもするような早さで頭に入れて、やる気満々で立ち上がった。
「思い付いた! あたし行きます! ありがとうございました、学園長!」
「ああ。健闘を祈る」
ひとたび筋道が立てば、やる気の炎はあっという間に燃え上がった。
そもそも思い付いたアイデアは試さずにいられない性分だ。それに、あのアルファに挑戦してみるほど面白そうなこともない。
それに、ハルとて客人ではなく、今や学園の一員なのだ。
ナガツキにお墨付きをもらったような気がして、ハルは力強く図書館を飛び出した。
✿
回廊から教室へ、教室から地上の正面広場へ、螺旋を描いて吹き荒れる極彩色の旋風があった。
ハルは巨木の幹を巡る外廊下から、身を乗り出してその様を見ている。途切れ途切れに「覚悟ーっ!」「ぐえー!」「ぎゃー!」などと花人たちの叫びが漏れ聞こえる。
「ひゃ~……相変わらず何やってんのか全然わかんないや」
しかし、とりあえずはそれでもいい。まずは言うべきことがある。
ハルは大きく息を吸い込み――
「アルファーーーーーっ!!!」
「!!」
あらん限りの叫びに、アルファのみならず追っ手たちも反応した。
ちょうどいい。束の間の沈黙に、宣戦布告を捻じ込むとしよう。
「あたしも今から参加するから!! そこんとこ、よーろーしーーくーーーっ!!」
言い終えて息を整えると、桜色の旋風が吹いた。
音もなく、目の前の欄干にアルファが降り立つ。ついさっきまで広場にいたのに。
「今なんだって?」
「なに、聞こえなかった? あたしがあんたを捕まえるっつったの」
ふん――アルファは鼻で笑う。
「わたしに勝てると思ってるのか? 甘く見られたもんだな」
「言ってなよ。今にその鼻明かしてやるから」
やってみろよ。と、相手の目が言っていた。そうかと思えばまたも視界から消え、振り向くと猛烈な勢いで外廊下を駆け抜けていく。取り残されたハルの更に後ろから、アルファを追う怒涛の鬼の群れ。
「よっし。んじゃ始めますか……!」
ハルは敢えて鬼の集団に合流せず、まったく別のルートに駆け込む。
まず、学園の構造はすっかり記憶している。それと先ほど見た記録を合わせれば、見えてくるものがあった。
縦横無尽に逃げ回り、追っ手を次々と蹴散らしているように見えるアルファだが、その行動には法則性があるということだ。
彼は、逃走コースを学園中層~下層に限定している。
あまりにも速すぎるため誰も気にしている暇が無いが、確実だ。理由は明白だった。中層には『月の花園』が存在する。そこより上の階層だと、ひょんなことから花園に飛び込んだり、脱落した花人が墜落してしまうかもしれない。アルファは鬼ごっこのどさくさで花園が荒れてしまう可能性を恐れ、万が一にもそこが戦場にならないよう立ち回っているのだ。
そこから中層以下の構造を考え直すと、駆け抜けやすい通路、大立ち回りができる広間、使いやすい抜け道は自ずと限定されてくる。ならば、先回りも容易だ。
「ほいっ!」
整備用の管理通路を抜け、先ほどの大広間に飛び込む。
「!」
一秒遅れて駆け込んできたアルファが、つんのめるように足を止めた。
しかしその程度だ。アルファはにやりと笑い、目にも止まらぬ速さでハルのすぐ横をすり抜けていった。わざと指先が触れるか触れないかの距離で、つまり挑発だ。振り返るともういない。
「んにゃろう、やってくれんじゃん……!」
ハルは踵を返し、後続の花人の大群に呑み込まれないよう、別ルートを選ぶ。まだまだ始まったばかりだ。
「よっ!」
外階段へ続く非常扉から、
「どりゃ!」
乱雑に積み上げられた資材の隙間から、
「うっしゃああーッ!!」
この間研究班の実験失敗で開通してしまった壁の大穴から。
とにもかくにも、ひたすら意表を突く。捕まえられるとは思っていない。アルファのスピードはそんなものではない。
重要なのは、「先回りされている」と相手に印象付けることだ。
アルファの追っ手はハル一人ではない。迫り来る鬼どもをばかすか吹っ飛ばす傍ら、ハルの怪しい動きに気を配ることは楽ではないはずだ。もちろん他の花人とて馬鹿ではなく、アルファの動きが鈍りつつあることも、それがハルへの警戒ゆえなことにも気付いていた。
隙が増えてきた。そろそろ「いける」かもしれない。鬼たちがそう思うのも当然のことではある。
そして、何度目かになるハルの奇襲を振り切った時、アルファの動きが目に見えて揺らいだ。
「ふはははっ!! アルファ殿ともあろうものがっ!! 隙だらけでありますなぁぁーーーーーーッッ!!!」
先頭集団のクドリャフカ(ずっと先頭にいる)が見逃すはずもない。角度に速度、タイミングまで完璧なドロップキックは、誰もが決着を確信する素晴らしいものだった。
だが――
「――上等だよ」
がしっ。
「ぬ!?」
アルファは、振り返りもせぬまま、クドリャフカの脚を掴んで止める。
しかも、それだけでは終わらなかった。
「こうなったら、とことんまで相手してやる……!」
「んぬぉおっ!!?」
なんと、アルファは逆走を始めた。向かう先は大挙して押し寄せる花人たち。そこに、真っ向切って突っ込んだのだ。
クドリャフカを持ったまま。
「うぼぁーーーーーーっ!!? あがががががががががががががが!!!」
一陣の桜風に合わせ、向日葵色の竜巻が起こる。何やらえらいことになっている悲鳴に「ぐわーっ!」「ほぎゃーっ!」「あばばーっ!」と唱和する花人たち。犠牲者をひとたまりもなく四方八方に吹き飛ばし壁や床や天井に突き刺す威力ときたら、先ほどまでのステゴロの比ではない。
「マジでぇ!?」
これにはハルも驚いた。武器の使用は厳禁とあるが、花人の使用は禁じられていない。誰も気付きもしなかったルールの穴だ。穴といったら穴だ。しかも向日葵はでかくて頑丈なため足を引っ掴んで振り回すのにこれほど都合のいい花人はいない。ちなみにクドリャフカは頑丈なので無事である。
戦慄した。アルファは今の今まで、手加減をしていたのだ。それが今、「全員ノックアウトする」方向に完全に舵を切った。
「くっそ、そこまでやるか! 早く捕まえないと……!!」
大急ぎで次の地点に向かうハル。とにかく、何がなんでも見失うわけにはいかないのだ。
図書館送りとなった花人、流石に諦めた花人、その場でふて寝した花人などで死屍累々の中、どれほどの時間が経っただろう。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
一直線の廊下の只中で、ハルとアルファが対峙している。
必死の誘導を繰り返したハルは壮絶に息を切らしているが、アルファはけろっとしたものだった。クドリャフカはその辺で解放したらしく、手ぶらだ。
「お前も懲りない奴だな。あんまりしつこいと気絶のひとつやふたつはしてもらうことになるぞ」
「はぁ、はぁ……ふぅ。お優しいことで。そっちこそ、あたしのこと甘く見てんじゃないの?」
と、強気な言葉を返してやるが、客観的に見て甘く見るも何もあったものじゃない。今に至るまでハルはアルファに指一本触れられていない。先回りの奇襲もどんどん読まれてしまい、最終的にはこっちが遊ばれているようにすらなっていた。
上出来だった。
ルートの限定と、それとない誘導こそがハルの目的だからだ。
「そこ、通してもらうぞ。嫌って言っても通るけどな」
「『やだ』」
「どうも」
とん――ほぼ無音の、風のような踏み込み。十メートルはあった距離が一瞬で縮まる。無論ハルには指一本触れられず、アルファはすぐ真横を易々とすり抜け、まんまと逃げおおせてしまうことだろう。これまでのように。
これまで通りの条件であれば、だが。
「『command:rev.117:intercept/緊急起動』!」
ばごんっ!!
途端に、真横の壁が吹き飛んだ。
「!?」
壁を突き抜けたのは、先日遺跡より回収した、大型の作業用アームだ。
紋様蝶とのリンクは済んでいた。後は精密作業ができるよう調整するだけだったが、ハルのコマンドであれば、諸々の手順を吹っ飛ばして強引に動かすことができた。
アルファの反射能力をもってしても完全に予想外の奇襲だった。横殴りに飛び出してきたそれは力強くも精妙に駆動し、アルファの体をがっちりホールドしてしまう。
最初にして最後のチャンス。ハルはアルファに飛び込み、その頭に手を伸ばす。
「お、お前っ……!?」
「もらった!!」
ポムポムを両手で掴んで引っ張ると、驚くほどあっさりと抜き取れた。
白くていい匂いのする粉末がぽわっと散り、揺らすと水風船のように揺れる。それは確かに、ハルの手の中にあった。
「――と、取れた……! やったーーーーっ!!」
いてもたってもいられなくなり、その場で飛び跳ねて快哉を上げる。ルールによれば、学内設備の利用はセーフ。定められた条件の中でアルファを出し抜いたのだ。
「はぁ……」
アルファはアームに掴まれたまま、軽くため息をつく。「そこまでやるか」という呆れ混じりではあったが、同時に何やら清々しい気配もあった。
「わかったよ。わたしの負けだ。まったく、こんなものまで使うかね……」
「へへーん。こんくらいしなきゃ絶対追い付けないもんね。ま、今回はあたしの作戦勝ちってことで」
「そうなるんだろうな。――じゃ、交代だ。せいぜい逃げろよ」
「えっ」
見れば通路の奥から、騒ぎに追い付いた花人の集団があり。
彼らが一人残らず鬼だということは、何ひとつ変わってはおらず。
「あ」
じり……じり……。
徐々に間合いが詰まっていく。相手はあのアルファを出し抜いた新ポムポムホルダーである。今ハルを睨む花人たちには、最大限の警戒とワクワクがバキバキに漲っていた。
実際のところ、ポムポムを手にしてどうするかなど、びたいち考えていなかった。
では、いざ交代してしまった後はといえば。
「覚悟ぉぉぉーーーーーーっ!!!!」
「いやーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
ポムポム鬼ごっこ、ポムポムホルダー更新。以下にホルダーの保持時間を記録する。
アルファ:四時間六分十三秒(歴代最長)
ハル:五秒(歴代最短)
ポムポムは他の花人に移った。鬼ごっこは日が暮れるまで続く――
✿
閉会のアナウンスが行われ、一日限りの狂騒は終わりを告げた。
「今回の鬼ごっこは波乱の展開だった。いやはや、見ていて飽きなかったな」
「……ふぁい」
ナガツキは学長室の窓から、未だ興奮冷めやらぬ中庭の様子を見下ろしている。
「特に前半の展開は語り草となるだろう。君の番狂わせも実に面白い。私はこの日を忘れないだろうな」
「……ありがとうございます」
外からは「優勝でありまーーーす!! 見ておられましたかハカセーーーー!!!!」という雄叫びと共に優勝者のパレードが開かれている。鬼ごっここそ決着を迎えたが、ドンチャン騒ぎは朝まで続くだろう。
ナガツキは室内を振り返り、微笑んだ。
「そろそろ反省したかね?」
「すいませんでした。もうしません……」
ハルは今、「私は研究室の壁を破壊しました」という札を首から提げ、ナガツキの前に正座している。
資料に曰く「太古から伝わる反省の儀式」のようで、この手法は今日においても何かやらかした花人への罰として採用されている。
「まあ、君は今回が初参加だ。何かと加減のわからないこともあるだろうし、きちんと教えなかった私にも責任はある。そろそろいいだろう、立ちたまえ」
「そ、それじゃあ失礼し……あッ!! あっ足ッあしがーッ!」
痺れた足で柱に手をつき、どうにか立ち上がる姿は生まれたての幽肢馬のようだ。
「で、どうだった? ポムポム鬼ごっこは楽しかったかね?」
「すっごく楽しかったです! まさかあんなに凄いことになるなんて思いませんでした」
「今回は最初から大きな壁が立ちはだかっていたからね。皆の張り切りようも相当のものだっただろう。アルファもそれに応えた形になる」
「アルファ、凄かったですね……」
今でもあの大立ち回りが頭に残っている。ポムポムを奪えたのは油断を突いた上でなお奇跡的だと思う。
「あいつなりに楽しんでいたのさ。特に今年はファーストポムポムだったからね。嬉しそうに暴れていただろう?」
「嬉し……あれで!?」
ナガツキはにこりと笑う。
「まあ、ああいう奴だ。学園のみんなと触れ合えるいい口実と思っているのかもしれない。君も実に素晴らしい活躍を見せてくれたね。次回を楽しみにしているよ、ハル。きっとアルファも同じ気持ちでいるだろう」
確かにアルファはいつもよりかなりアグレッシブではあった。
それにハルは聞いたのだ。鬼ごっこの全行程が終了した後、淡々と花園に戻りながら、アルファがぼそりとこう呟くのを。
「次のポムポムはまだかな……」
~おわり~
プラントピア 九岡 望/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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