第9話 狂咲
その流星群は、学園から少し離れた位置に落ちた。
全ての花人が否が応でも異常を察知させられた時、軍勢は既に動いていた。学園をすっかり照準圏内に納め、一糸乱れぬ隊列で進軍する剪定者の群れ。堅牢な装甲と巨大な武装で全身を鎧う様は、通過点に雑草の一本も残さない冷酷かつ徹底的な破壊の意思を宿している。
芽の季が終わり、次の節――蕾の季へ移行しようとしている。
小鳥が囀り、綿毛の飛び交う、穏やかな昼下がりだった。
✿✿✿
軍勢の先頭に立つ少女――のように見えるもの――は、高く聳える巨木の化石を見上げた。そこで咲く色とりどりの花々、建築物、花人たちが寄り添い生きる場所を見て、ぽつりと、
「醜いな」
見るに堪えないモノが目の前にいる。
目も眩むような色彩。統一された被服。一人一人がヒトの形をして、その手に真似事の武器を携えている。自分達の生活圏を、健気にも守ろうとしているのか。これ以上進行させる気は無いといわんばかりだ。
毒々しく、無様だ。
「ごきげんよう、失敗作諸君」
傲岸に言い放ち、少女は事務手続きのように淡々と述べた。
「僕の
先頭集団が動いた。五人。刀が二振り、槍が二本、後詰めに戦槌。まるで一つの生き物であるかのような有機的で無駄のない連携。軌道に花の色の残影すら見える速度。彼らは学園の常駐組、有事の際に真っ先に戦う「防衛班」であり、その練度もかなり高い。誰もが剪定者の大群を前にして、一歩も退かない強靭な戦意を滾らせていた。
ああ――と、クストスは目を細め、
「くだらない」
身の丈ほどもある大鋏が翻る。無造作な動きと、鋭利な金属が空を走る音、ただそれだけでまず五人が斬られた。
アザミが散る。ロベリアが裂ける。クロユリが両断され、ホオズキが分割され、オトギリソウが細切れになる。防刃素材の外套も、剪定者の素材からなる武器も関係なかった。花弁が舞う中を無関心に歩き、続いてクストスはコマンドを飛ばした。
隊列を組む剪定者が一斉に反応した。
戦線を敷く花人たちも、咆哮と共に突撃した。
激突が始まる。最初に斬られた花々は吹き飛び、穏やかだった学園前の森はたちまち戦闘の坩堝に呑み込まれる。
そんな中、クストスはこの場の小競り合いになど関心が無かった。十重二十重に繰り出される攻撃を煩わしそうに避け、何かを探す。あちらだろうか。それとも、こちらか。もっと奥にいかないと駄目かな――
直後、一陣の風が吹く。
「!」
クストスは咄嗟に反応する。失敗作どもの児戯に興味が無い彼女にも、数秒注意を払わねばならないレベルの脅威。「それ」はこちらの頭を吹き飛ばす軌道と速度で迫り、大鋏の持ち手で防御されることで止まった。
分析する。脚。装甲で覆われている。何らかの特殊な機関が内蔵されている。
返す刀でまず脚一本を切り飛ばそうとすると、襲撃者は獣のように飛び退いて距離を取る。
「――これはこれは。そちらにも、我々に似た姿の個体がいるのでありますか!!」
大柄なヒマワリだ。失敗作にしては造りがいい。そいつは目を丸くして、こちらの姿を無遠慮に観察した。
「ハカセに提出すれば、より研究が捗りそうでありますな!! ――もっとも、その前に無力化せねばならぬようでありますが!!」
「ひとつ訂正がある。僕が君たちに似ているのではない。君たちが僕に似ているんだ」
「それは失礼!! であれば、手始めに相互理解と参りましょうか!!!」
クストスはまるで耳を貸さず、
「先生はどこにいる」
「『先生』――であれば、あの音声通信の発信源はやはりあなただったのですな」
ヒマワリが不敵に笑った。
研究班はその音声を受信してから、万が一に備えて準備を進めていた。武器の整備と点検、一部の花人が使用する専用武装の封印解除、学園長ら上層部への報告など。突然の襲撃にもかかわらず立ち上がりが早かったのは、ひとえに研究班の動きがあってこそだ。
「質問に答えないのならば、邪魔をするな」
だが、花人がどう動こうがクストスにはどうでも良かった。ただ機械的に目の前の「障害物」を分析する。
ヒマワリの両脚、膝から下が堅牢な装甲兼推進装置に覆われている。前面から吸い込んだ空気が後方や側面の排気口から吐き出される形だろう。圧縮された風の立てる音は、獣の遠吠えにも似ていた。
「高純度古代兵装、Ⅳ式風圧機動突撃足甲【フライバック】!!
猛々しい咆哮と共に、ヒマワリが地面を蹴る。
クストスは大鋏を逆手に構え直し、ただ決定事項のみを告げた。
「刈る」
✿✿✿
ナガツキは長い回廊を突き抜け、自らの学長室へと急いだ。
外からは既に激しい戦闘の音が聞こえてきている。回廊を歩きながら、窓の外を見たくなる欲求を押し殺した。
「始まったか」
「か、可能な限り、時間を稼いでほしいとお願いしました。クドリャフカくんでしたら、頑張ってくれると思います。で、ですが……」
「敵機多数。これまでに無い規模です。正直、戦闘がどう推移するか私にもまったく予測がつきません。それに――」
「それに?」
歩きながら目をやると、フライデーもスメラヤも困惑半分といった顔をしていた。昔に起こった大規模襲撃のことなら記録に残っている。彼らが困惑しているのは、単純な敵の数にではない。
「先頭に立っている一体が、私たちと似たような姿をしています。しかも、言葉を解するようです」
「人に似ているのか? 花人に似ているのか?」
「……わかりません。形は似ているのに、どちらとも言えないような姿です。戦闘力が特に高く……」
フライデーは一瞬言葉に詰まる。しかしすぐに決心して、
「防衛班のメンバーが数名、やられたとの報告が上がっています。おそらく以前に交戦した隊長機の、更に上位に属する存在と思われます」
ナガツキは揺るがない。散っていった花々に対し、口の中で小さく「すまない」と呟くに留め、学長室の扉を開いた。
「スメラヤ。私の武器とのリンクは可能かな」
「は、はい。機能上は問題ないかと。……し、しかし、いいのでしょうか? あれはその、負担が大きすぎるといいますか、100%の使用は前例が無く……」
「私のことなら心配いらない。今は何よりも優先するべきことがある。観測を頼む」
かつての大規模襲撃を受けて用意した「最後の備え」がある。
学園周辺が戦場となった時に初めて起動する、ナガツキの切り札である。今の今までそんな機会が無かったため、宝の持ち腐れであることを望んでいたが、そうもいかないようだ。
ハルはもちろんのこと、アルファも不在なことをナガツキは幸運だったと思う。
彼がいたら、戦ってしまうから。
学園を、『月の花園』を守るために。
「学園内部には立ち入らせない。特に『月の花園』は最も重要な防衛地点だ。みんなが戦ってくれている間に、私が奴らを抑え込む。――始めようか」
目を閉じ、学長室の中心に立つ。
コマンド。同時に、部屋の中心に置かれたベッドが動いた。
無数の彼岸花が蠢き、ベッドごと左右に展開し、遺跡の一角にも似た機械的な部分を露出させる。
「高純度古代兵装――Ⅴ式広域浸食結界【ムーンフェイズ】、最大展開」
中心にナガツキが触れると共に、部屋全体が重々しく振動する。
揺れは学長室から回廊に波及し、回廊から幹に伝播し、巨木の化石全域からついに周辺の地面にまで伝わった。
これが彼の高純度古代兵装。
学長室を中心として、学園とその周辺に効果を及ぼす巨大な装置だ。
「狂え。甘い毒を含んで」
ナガツキという名は、自分が自分に付けた。
意味は、「消え失せていくものたちの囁き」である。
そして、彼岸花が咲いた。
❀❀❀
これほど長い数十秒を、クドリャフカはかつて経験したことがなかった。
フライバックは既に半壊に追い込まれている。研究班の技術の粋を尽くした装備が砕かれ、装甲をスライスされ、推進機能の七割以上が失われていた。鋭利な刃に身体を分割されないよう立ち回るだけで精一杯だ。
大鋏の先端が半円を描き、ぴたりとこちらに向けられる。数メートルの距離を隔てていても、クドリャフカは迂闊に動くことができなかった。
周囲で激戦が繰り広げられている。そちらに気を配る余裕は無かった。クドリャフカは死力を尽くしてクストスを食い止め、クストスはごく機械的な優先順位によりクドリャフカを照準している。果たしてまともな戦闘になっていたかは疑問だが、クストスただ一体の妨害と生存を念頭に起き、スメラヤのリクエストである「時間稼ぎ」に徹した。
しかし、そろそろ限界のようだ。これ以上の速度を出すことが、クドリャフカにはできない。
「――目的は、一体何なのでありますか?」
なので、ここからは方法を変える。油断なく相手の動向を伺いながら、クドリャフカは頭の中で秒数を数えだす。
「実のところ、自分もかなり驚いておりまして。なにしろ
「雑音を聞かせるな」
「そう言わず。あなたの目的の内容によっては、我々が協力して共に果たして差し上げることもできますぞ」
クストスは、まとわりつく蟲が喋ったとでも言うように、表情の無い顔をわずかに傾ける。
「果たせばその後に刈る。でなければ刈った後に果たす。失敗作は種類の区別なく全て伐採する」
「……それは、残念でありますなぁ」
一秒でも一瞬でも稼げればいい。激しい闘争により過熱したクドリャフカの頭脳は、しかし普段の態度に反してきわめて冷静に回転している。
たとえば次の瞬間、大鋏がこの体を分割したとしても、相手にその数秒を浪費させられればいい。
自身さえも天秤にかける論理的な思考回路こそ、クドリャフカが研究班の一員であり、スメラヤの直属の部下であることを証明している。
クストスは標的にもはや戦闘能力が残されていないことを把握し、つまらない作業を続けるべく鋏を構え直す。
「!」
同時に、ず、と地面が震動し。
間に合った、と確信した。
「――総攻撃ッッ!!!」
声を絞り、クドリャフカが絶叫する。
次の瞬間、戦域が一面「赤」に覆い尽くされた。
彼岸花。それも幾千、幾万もの。
花人が持ち得ぬ「血」のような真紅を滲ませながら、一輪一輪が風もなく揺れる。根から茎、茎から葉、葉から花弁へと不気味で毒々しい力を伝播させ、「ばちり」と音を立てた。
『;&`ギ』
すると、剪定者の動きが突然鈍った。
まず鋭敏なセンサーを持つ小型機から、続いて小隊を率いる隊長機から、そして花人と刃を交える通常機まで。まったく予期せぬ信号をぶち込まれ、その機体が彼ら自身の論理にもよらぬ不随意な動きを見せる。彼岸花が揺れ、ざわめき、妖しい光を放つのとほぼ同時だった。
その花は、一本一本に毒を持っている。
ただの毒ではない。長年の研究によって剪定者の構造と行動パターンを分析し、彼らにだけ効くよう調整した対機械の光学神経毒。すなわち一種のジャミング装置である。
最古の花人ナガツキが、長い時間と己が力の大半を注ぎ込んだ結晶。自らの体にすら改造を施し作り上げ、日々の大半を眠っていなければ維持できないほど巨大な絶対防衛圏。
いわば「学園長」という存在そのものが、剪定者に対する罠であり――今、極限の戦線において炸裂する、カウンターだった。
クドリャフカの号令で、生き残りの花人が一斉に躍りかかる。
波が一気に傾いた。統制の崩れた剪定者が決死の攻撃を受け次々と撃破されていく。
激しい戦闘の余波で赤い領域が荒れ狂う。散る端から新たな彼岸花が生まれる。全てナガツキの力によるものである。細切れの赤が雨となり、豪風と火花の死線を毒々しく彩った。
いける。
このまま畳みかければ、確実な勝利を掴み取れるはずだ。
誰もがそう思っていた。花人たちも、クドリャフカも、ナガツキも。
――いない、か。
煩わしいノイズをキャンセルし、クストスは他の個体とのシステムリンクを一時全てカットする。指揮を捨てたスタンドアローン状態で動きながら、無残に破壊されていく部下に目もくれない。極論、機械仕掛けの庭師がどれだけ動こうが止まろうがどうでもいいのだ。
クストスはずっと、誰かの気配を探していた。
はらはらと舞う紋様蝶は、下界の惨状など知ったことではないと言うように翅を光らせている。
彼らは中立。あくまでも機能だ。生き物というより、プラントを維持するシステムの一部に近い。
――どこかへ行ったか。隠れているか。
蝶をトレースし、量子暗号通信のやりとりにただ乗りしていたが、気になる部分は無い。自分以外にあの蝶に干渉できる何者かの気配はゼロ。信号に何の揺らぎも見られない以上、周辺にはいないと見るべきだ。
――なら、別にいいか。
ここまでしておきながら、クストスはまだ遠慮をしていた。
あまりにも乱暴な手段を取って、彼女が怪我をしてはいけないから。変に散らかした結果、見つけにくくなっても面倒だから。
だがいないならもういい。ここはただ、醜悪な失敗作を無節操に積み重ねた瓦礫の塔に過ぎない。燃やし尽くすに何ら惜しいことはなかった。
「【connect/《管理権限によるアクセス》/カタパルト射出システム/
天空の紋様蝶が青く光る。コマンドを正常に受理。プラント各所の蝶を経由し、中央システムに接続する。
「【弾道演算/緊急射出態勢/――/……/条件クリア/安全装置
時間は数秒にも満たない。クストスは目線を動かし、巨木の化石の中腹、真ん中よりやや上を見た。狙いは、そこだ。
「【射出】」
彼方の『世界樹』が、頂点をちかりと一度、光らせた。
地にへばりつく哀れなイキモノたちは、普段それを「播種」と呼んでいるのだけれど。
✿✿✿
「学園長……! こ、これ以上の稼働は、か、体の方が……!」
「…………問題ない」
ナガツキは、学園のほぼ全域を掌握していた。
彼岸花の結界に存在する、全ての剪定者を侵食。動きを止め、狂わせ、一体残らず機能を蝕む。
たった一人で戦局を左右する力は当然、自身にも想像を絶する負担を強いた。
己の中の何かが急激に萎れていくのを感じる。それでも、一秒でも止めるという選択肢は無かった。このために磨き上げた力だ。たとえ自分がどうなろうとも、学園が、花人が勝利すればよい。
「……状、況は」
「せ、剪定者を多数撃破。総数は既に私たちの方が上です」
「……! や、やった……!」
会心の呟きを漏らすスメラヤだったが、まだ気が早い。肝心の「人のようなモノ」がどうなっているのかわからない。最後の一体を撃滅するまで、止まるわけにはいかなかった。
「……すま、ないが……。もう少しだけ、付き合って、くれないか。何がなんでも……こ、この場所に入られるわけには、いか、ない。――私が、どうなっても。……たの、む」
途切れ途切れの願いに、二人も覚悟を決めた。フライデーは戦況の報告を、スメラヤはナガツキの体と【ムーンフェイズ】の稼働状況をモニタリングしてサポート。波はこちらに傾いている。最後まで押し込めば、勝つことができるはずだ。
学園。
教室。
図書館。
研究室。食堂。演習場。馬屋。居住区――『月の花園』。
長い長い時をかけて作り上げた、花人たちの安息の地。数多くの仲間が息衝き、そして眠る場所。
「……ル、ファ。ベルタ。――私が……」
私が、守る、と。
呟きは声でなく、掠れた吐息として漏れる。鮮やかな真紅の髪が端から乾き、褪せていく。もう少しだ。もう少しだけ耐え抜けば。下で戦っている仲間を信じ抜けば。
その時、空の彼方で何かが光った。
学長室は見晴らしのいい高さにある。正面の窓からは広大な樹海と、悠々と聳える世界樹まで眺められる。特に今は天気がよく、夕刻が近付いて朱みがかった空の下で森も世界樹もくっきりと見えた。
その世界樹が、何かを放ち。
幾らもしないうちに、室内に大きな影が差す。
「逃げろ!!!」
ナガツキは、咄嗟にスメラヤとフライデーを突き飛ばした。
直後、学長室に鋼鉄製のポッドが直撃した。
✿✿✿
その地獄は、濃厚で多種多様な花の香りがした。
クストスは回廊を歩く。不快な彼岸花が消え去ってから、逆転はあっという間だった。
道中、間合いに入ったモノを両断していく。無造作に。区別なく。作業的に。
学園が燃えている。学園内部に乗り込むクストスの、無表情な横顔が炎に照らされていた。
向かう先は学長室。撃ち込まれたポッドの中身は、入る限りのガラクタを一杯に詰め込んだだけの、いわば即席の砲弾である。差し当たり質量兵器としては申し分ないが、爆発も燃焼もしないため、あれだけで致命打になったとは思っていない。
「『学園長』、だったか」
空々しい役職名を呟き、クストスは無表情のまま小首を傾げる。誰かが断末魔でそう叫んでいた。
「ごっこ遊びだ。見るに堪えない。早く、先生を助け出してあげないと……」
狭い箱庭の役割分担になど興味は無いが、そいつがリーダーらしいことは察している。ならば情報も持っているだろう。
進む足取りに淀みは無い。立ち込める香りの中で、彼女だけが無臭だ。
✿✿✿
馬を駆り、ハルとアルファが到着する頃には、空に星が輝き始めていた。
けれど周辺は明るかった。各所で上がる火の手が、学園を赤く染め上げていたのだ。
「――なんだ、これは」
呆然と呟くアルファ。
「そんな……!? どうして学園が燃えてるの? 何があったの!?」
あちこちで響く激しい金属音は、花人と剪定者が戦っている時に特有のものだ。
アルファが口元の覆いを外し、同族の匂いを探る。とはいえそれは神経を尖らせるまでもなく、人間であるハルの鼻にすら届いてきている。
濃い花の匂い。
感情と生存本能の爆発。擦り潰された体組織から溢れ出るもの。
場の異様さにそぐわぬ
「……行くぞ! わたしから離れるなよ!!」
「う、うん!」
量産型の斬甲刀を携え、アルファが先導する。赤い光が影を生じさせ、煙の向こうに異形の輪郭を浮き上がらせた。
剪定者だ。
切り裂く。蹴り潰す。吹き飛ばし、内部器官を抉り、アイセンサーを貫通して頭部を貫く。
立ちはだかる敵を、アルファは次々と斬り伏せて進んだ。火は学内にまで燃え広がっており、剪定者はあちこちに潜んでいた。
それらは機体の一部が欠けていたり半壊状態だったり、動きが著しく鈍っていたりした。傷付いた敵の姿が、死闘の長さと苛烈さを如実に物語っていた。
そして、何より。
あちこちに散らばる、小さな小さな残骸が。
砕かれた武器、ぼろぼろになった衣服。傍に落ちた、冗談みたいに鮮やかな花弁。
「くそっ――」
アルファは落ちる花々の種類と場所を全て記憶する。後で余さず回収しなくてはならない。しかし、この場を切り抜けなければそもそも「後」があるかも怪しい。刀は連戦に次ぐ連戦でとっくに刃こぼれしていて、折れる寸前だった。
「……! 蝶があちこち飛んでる! あたしが読んでみれば、何かわかるかも!」
「頼んだ! けど遅れずについて来いよ!」
ハルがそちらに集中すると、天井付近や窓の外を飛んでいた紋様蝶が明滅する。読み取りにくいが何かの信号をやり取りした形跡があり、どうやら上に繋がっているようだ。
突如、回廊の壁がぶち抜かれた。
ハルとアルファのすぐ後ろ。半壊した剪定者が一体、壁の穴から飛び出して、既にハルを見ている。
「しまっ……!?」
反応が遅れた。床を蹴り反転するアルファ。だが敵が一歩早く、武器を持たぬ手をハルに向けて、
「ッッどぉらァッ!!」
追ってきた花人の、トドメの打撃を喰らった。
剪定者はものの一撃で吹き飛ばされ、反対側の壁に激突。そのままめり込み、もう二度と動かない。
現れたのは白いライラック。体中が煤けて汚れ、あちこち傷付いているが、爛々と光る双眸にはまだ力が宿っている。
「ウォルク!」
彼が握っているのは大きな鉄槌だ。Ⅰ式打甲鎚【Pd-03】。一度破損したものを修復し、もう一回り大型化させたカスタムモデル。ウォルクはその柄と自身の手をぐるぐるに縛り付けている。決して離すことのないように。
「――おう、間に合ったか。お前らも無事だったんだな」
「こっちの台詞だよ! 大丈夫なの、ウォルク!? 何があったの!?」
駆け寄り、彼の傷の状態を確かめる。かなり酷い。応急処置こそ施されているものの、動けているのが不思議な状況だ。
「……見ての通り、剪定者が攻めてきた。物凄い量だ。オレたちはもしもの時のために中で待機してたが、外は……酷かった。妙な奴も、いる」
「『妙な奴』……だって?」
怪訝そうな顔をするアルファ。ウォルクはより詳しい説明をしようとしたが、諦めて首を振る。「それ」を言い表すのに、どうしても言葉が出てこないようだ。言えることといえば、一つ。
「……アイツは……バケモンみたいな奴だ。みんなやられた。クドリャフカもどうなったかわかんねー。学園長のいるとこに向かったのを見たヤツがいるけど、そこから先は……」
不意に、横からアルファに何かを差し出す者がいた。
見るとそれは、鉄茨で厳重に封印されたとある武器だ。元々研究室に保管していたもので、用が無ければ手に取ることはもう無いと思っていた。それこそ、こんなことでも無ければ。
「……もしもの、本当にもしもの時のために。これを研究室から持ち出すよう、研究班長に頼まれてました」
ネーベルだ。少し遅れてやってきた彼も、やはりぼろぼろになっていた。激戦の中で荷物を庇い続けてきたのだろう、もう片方の手に持つ刀は根元から断ち折れて久しい。
「頼む」
ウォルクの声は震えている。
「あんたは、もう戦っちゃいけないって聞いた。……けどもう、あんたしかいないんだ。『月の花園』は、多分まだ大丈夫だ。あそこにはみんながいる……キウが……だから……」
「わかった」
アルファの反応は手短だった。刃こぼれした刀を投げ捨て、荷物を受け取る。その手は力強く、回廊の先を見据える目に迷いは無い。
届け物を無事終えたウォルクとネーベルは、可哀想なほどに弱々しく見えた。
「二人とも、どこかに隠れてて。後はあたしたちに任せて……!」
「お願いします。けど……隠れるのは、まだです。やることがありますから」
言ってネーベルが一瞥するのは、嵐が過ぎ去った回廊。床にも階段にもあちこちの部屋にも、おびただしい数の花々が散らばっている。
「彼らを、拾ってあげないと。燃えちゃったら、大変です」
「……わかった。けど、無理しないでね」
「そっちもな」
行く先は違う。ハルとアルファは紋様蝶の信号を辿り、上へ。ウォルクとネーベルは戦いを避けながら回収作業を。目配せを最後に、踵を返す。
「なんとか、しなくちゃ――」
言い残したウォルクの言葉が、耳に残る。
「みんな、安心して咲いてられないからな」
✿✿✿
紋様蝶の反応に、変化が見られた。
今までは一方的にハルが読み取るだけだったが、向こうから干渉してくる何かの気配があったのだ。
双方向通信。
声がする。誰の声かはわからない。何かを探し求め、呼んでいるような気配がある。
位置の特定は用意だった。ハルとアルファは一直線にそちらへ向かう。歩き慣れた筈の、しかしすっかり様変わりした通路を進み、何度となく開いた扉をまた開いて。
月の花園へ。
一人、見たこともない少女が立っていた。
花園は荒らされておらず、空には月が高く昇っていた。朱に染まる外に反して、蒼い月光溜まりができた花園は異様に静謐に思える。
少女――クストスは、空を見上げていた目をこちらへ向ける。その所作に合わせて、辺りを漂っていた紋様蝶がまた光を放つ。
ハルは絶句していた。間違いない。信号を介して干渉してきたのはこいつで、おそらくウォルクが言っていた「バケモンみたいな奴」もこいつだ。
花人ではない。かといって人間でもない。姿かたちだけハルと同年代の少女のようで、他の全てが異物感の塊だった。
その、異物が、ハルを見る。
ハルを見て、これまでぴくりとも動かなかった仮面が歪む。
「――ああ、やっぱり。ここで待っていれば来ると思ったんです」
親しげな声。笑顔。その意味がわからない。
それよりもまず、ハルは彼女の足元で横たわる赤に目を奪われた。
「学園長……!!」
「ああ、こいつですか。あんまりしぶといんでそろそろ刈ろうと思ってたんです。でも、ここに連れてきたら反応が変わったから。じゃあこの汚い墓場が一番大事なとこかなって」
言動の冷酷さと裏腹に、声色はあからさまに弾んでいる。彼女は自らが「汚い墓場」と切って捨てる花園に一切の執着を持ち合わせず、ただ目の前のハルにしか興味が無い。
「……あ、あなた、誰? あたしを知ってるの? なんでこんな……」
「そんなことは後でいいじゃないですか。それより早く行きましょう。ほら――」
「…………げ、ろ」
絞り出すような声が横入りする。
ナガツキだ。彼は倒れ伏したままこちらを振り返り、必死の形相で訴えかける。
「逃げろ……! こいつは、剪定者の、長だ。危険すぎる……早く――」
「うるさいな」
彼の背に刃が突き立てられる。
「っ……やめて! 学園長を離してよ!」
鉄色の顔が、ナガツキからハルへとスイッチが切り替わるように一瞬で変化する。笑顔。
「どうしてです? ここが不完全なことは見ればわかるでしょ? 次善策はとどのつまり失敗だったってことですよ。今まで放っておいたのが良くなかったんだ」
言っていることが、一つも理解できない。
理解してはいけないような気さえした。彼女の放つ言葉はその一つ一つが冷たい。ハルに対してだけ親しげで楽しそうなのが余計に不気味さを際立たせていた。
「まあいいや。もうここは用済みです。さっさと帰るべきですけど――」
言って、クストスはハルの隣に目をやる。
「――お前は、どうしてそのひとの隣にいる?」
アルファは、凝視していた。
クストスが握る大鋏。ナガツキの背に突き刺さった、その鋭利な刃を。
とうに気付いていたのだ。これまで見てきた
布も鉄も花も、一様に両断された鮮やかすぎる切れ口。他のどの破壊痕とも違う、美しくさえある断面。
――剪定者の武器ではない。
遠いあの日、切り刻まれた相棒の装備を見て、当時の研究班長はそう言った。
踏み込む。
桜の花弁と、瞬時に解き放たれた鉄茨の拘束。それらが地に落ちる前に二人は切り結んでいた。
ナガツキから引き抜いた鋏が、大斧の斬撃を容易く受け止めた。視線がかち合う。片や、焦げ付くような激烈な情動を秘めた目。片や、何の感情も宿っていない冷たい目。
「ベルタという花人を知っているか?」
「何の話だ」
「お前が殺した蒼い花の名前だ。今日ここで、他の奴らにもしたように……!」
思考は一瞬。すぐに切り捨て、クストスは小首を傾げる。
「雑草をいちいち覚える奴はいない」
「!!!」
そこから先の動きは、人間の目には見えなかった。
いいや、他の誰がいても視認できなかったに違いない。
普段は穏やかな『月の花園』の、その只中で荒れ狂う烈風は、この日行われたどんな戦闘よりも激しく、速く、恐ろしかった。
そして唐突に始まった嵐は、終わる時もやはり唐突だ。
戦闘は数分で決着した。
数分で、アルファが負けた。
ハルは動くことができない。
弾き飛ばされ、転がる大斧。倒れ伏した桜の花。
くるくると大鋏を弄び、機械仕掛けの少女は「ぱっ」と気を取り直す。
こちらを振り返る顔は、今度こそ満面の笑顔だった。心から嬉しそうな。長い願いがやっと成就したような。
彼女は、軽い足取りでこちらに駆け寄る。
「待たせちゃいましたね」
満面の笑みで、
「さあ、ほら。一緒に行きましょう」
手を差し伸べ、
「約束、しましたもんね――『先生』」
――ずっと昔。誰かと、約束をしたような気が、
「待て」
静かな声が被さる。
アルファが、立っていた。
傷付いた全身。今にも千切れそうな体。大斧を持ち直す姿はあまりに痛々しく、「辛うじて繋がっている」としか言いようのない満身創痍の体は、しかし空気を歪めんばかりの気迫に満ちている。それだけを、彼は支えとしている。
「……伐採が甘かったみたいだ。わかった。今度こそ細切れにして丁寧に潰してやろう」
「アル、」
「大丈夫だ」
ハルの悲痛な声を、アルファが制する。
「何も、痛くないよ」
返す言葉は、不思議なほどに穏やかで。
アルファは、今の今まで着ていた外套を一気に脱ぎ捨てた。
「…………!!! ア、ル……ファ……!」
動けずにいたナガツキが、掠れた声で呻いた。
風に舞って飛び去る外套は、その端から端まで紋章めいたものが刻まれている。それらは特殊な染料から成るもので、ある種の毒蜜と碧晄流体を混ぜ合わせることで、着装者の力を一定以下に抑え込む効果を発揮する。
「やめ、ろ……それだけはやめるんだ……!!」
今、彼を縛るものが、全て消え去った。
流体制御式抑制外套【フルハンター】除去。
高純度古代兵装、全拘束解除。
Ⅳ式火焔加速型断甲斧【トゥールビヨン】、【爛開】形態へ移行。
ぎゅるっ――と、空気が逆巻くような音がして。
アルファが、体ごとクストスに突撃を仕掛けていた。
誰にも反応できなかった。当のクストスにさえも。目が眩むような閃光が炸裂したかと思えば、二人は遥か先にいた。
花園の外周。柵をぶち抜き、夜の虚空へ。
「アルファ!!」
叫び、炎の残光を追おうとするが、できない。柵の外はつまり巨木の化石の外で、出れば最後、何十メートルも下の地面に落ちるしかない。アルファは敢えてそうしたのだ。花園に、ナガツキに、ハルに被害を出さないために。
組み合ったまま、真っ逆さまに落ちていく。
「お前……!」
クストスが花人を見る目に、初めて感情が籠もった。敵意の視線を受けてアルファは笑う。
――ようやくこっちを見たな。
彼の体は大きく変化している。炎を宿した瞳は強く輝き、その体表にまで紋章めいた桜の形が浮き上がる。ほどけた髪から数え切れぬほどの花弁が散り、螺旋を描いて二人に追随した。
そして右腕は、半ば【トゥールビヨン】と一体化していた。
樹木と化した腕部が柄に絡む様は、もはやそれ自体が一塊の巨大な斧。赤熱化する刃の滾りを受け、脈動する異形は端々にまで闘志を漲らせていた。
それはあたかも、燃え盛る桜の化身。
花弁の一つ一つが輝き、燃え、凄まじいまでの推進力となる。束ねる火焔は、翼にも似ていた。
「最後まで、付き合ってもらうぞ」
戦いは収束へ向かい、何もかもが終わろうとしていた。
だがこの夜、たった今から、最も烈しい炎が燃えるだろう。
魂を燃料とした、ある花の劫火が。
つづく
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