第3話 森は怖くないよ



幽肢馬カシバへの乗り方を覚えました!

 コツは「匂い」で、この馬は花人の匂いに反応して走ったり止まったりを判断するそうです。

 あたしは花人ではないので、そこらへんの制御はできません。最初に振り落とされたのもそれが理由みたいです。

 なので、「花人の匂い」を出すための道具をスメラヤに作ってもらいました。ちっちゃなサシェみたいなやつで、小袋の口を開いたり閉じたりすることで匂いを制御します。これを使うことで、なんとか加速・減速・方向転換くらいのことはできるようになりました。

 とはいえ、まだ上手とは言えません。アルファくらいになるにはもっとずっと時間がかかると思います。でも完璧に乗りこなせるようになったら、探索だってぐっと楽になるはずです。

 他にも色んなことを勉強しました。アルファの足を引っ張りたくないし、これならきっと一緒に』



「駄目だ」


「なんでえーーーーーーーーーーーーっ!!?」


「うるっっさ……当たり前だ。そうほいほいどこにでも行けるわけないだろ」


 馬に乗れるようになったから一緒に外に行こう。

 の、「馬に乗」まで言ったところで切り捨てられた。

 アルファの態度はまったくいつも通りで、ハルが馬に乗ろうが熊に乗ろうが知るかと言いたげだ。この分だと、スメラヤ謹製の匂い袋片手に振り落とされること数時間の激闘はハナから興味が無いらしい。


「でも! あたしだって外のどこにどんなのがあるのか知っとかないとだし!」


「でももだっても無い。お前、剪定者を見て何も感じなかったのか? ああいうのがうろつく森によく行こうだなんて言えるな」


「そっ……それは、そうかもしれないけど。でも危ない時は、」


「『わたしが守ってやる』とでも? 嫌だね。いちいちそんなことしてられるか」


 こうまで取り付く島が無いと、もう交渉するしないの段階ですらない。確かにアルファへの甘えはあるかもしれない。けれど、だからといっておんぶに抱っことはいかないつもりだった。幽肢馬の乗り方も覚えた。学園周辺の地形や重要ポイントだって教えてもらった。人間が使える装備や簡単な護身具の使い方も覚えたし、実は今背負っているリュックにそれらがぎっちり詰まっている。ついでに食堂のニハチがお弁当まで持たせてくれた。

 それらに懸けても、ハルが引き下がるわけにはいかなかった。


「――どこかに、人間がいるかもしれないじゃん!!」


 ぴくり、とアルファの手が止まる。ただしそれは一瞬で、すぐに呆れたような溜め息に変わる。


「妙なのが見つかったら探索班の誰かが報告を上げてる。わざわざお前が出歩く必要は無いだろ」


「かもしれないけど! もしかしたら、まだ見つけられないだけで……!」


 もしかしたら、を毎日考える。

 もしかしたら、どこかに別の人間がいるかも。

 もしかしたら、今まさに森の奥で目覚めているかも。

 もしかしたら、自分のように記憶を失くしているかも。何もわからないまま放り出され、鬱蒼とした森を彷徨っているのかも。

 その「もしかしたら」は、アルファに発見してもらえなかった自分の姿でもある。


「もし人間と会うことができたら、あたしの記憶だってちょっとは戻るかもしれないでしょ!」


「それが、例の『約束をした相手』かもしれないって?」


 その話をしたのは、アルファとナガツキにだけだ。

 保護されたばかりのハルは、最初学長室に通され、様々な質問を受けた。

 わかったのは「何もわからない」こと。ハルが自らに関する記憶を失っていること。

 ただし全て忘れているわけではないこと。薄ぼんやりと覚えているものもある、ということ。



 ――ずっと前に、誰かと大切なことを約束し合ったような気がする。



 具体的なことは不明瞭なため、曖昧な夢と大して変わらない。

 けれど、他のことを差し置いても、これだけは忘れ得ぬ大切な記憶だったとは言えないだろうか。それに「どこかに人間がいるかもしれない」という希望には繋がる。少なくとも実際にハルという人間がいた以上、そうではないという保証などどこにも無いのだ。


「……うん。そうだったらいいな、とは思ってる」


 出す当てのない手紙も、それなりの数になってきた。自分が知る限りの「プラント」のことを書き溜めた記録は、行き場が無いままハルの部屋の机に積み重なっている。

 アルファの反応は、しかし、あくまで冷ややかだった。


「じゃあお前、相手の顔がわかるのか? 見てすぐわかるのか? いつ、誰とどんな約束をした?」


 流石に言葉に詰まった。

 その沈黙を答えと見て、アルファはばっさり会話を打ち切る。


「思い出せないなら、その程度ってことだろ。気にしてると身が持たないぞ」


 その程度。

 

 ――ぷちんっ。


「………あーーそーーーですかそんなに嫌ですか! よーくわかったよあんたの考えはっ!!」


「む……」


「よーするにアルファを巻き込まなきゃいいんでしょ!? そりゃすいませんねご迷惑かけちゃって! こっちはこっちで勝手にやるからお花の世話でもなんでも好きにすれば!?」


 流石にアルファも圧倒されたらしい。とはいえ売り言葉には買い言葉である。すぐに「むっ」と顔をしかめ、棘のたっぷりついた声色で皮肉に笑ってみせる。


「……はっ。ようやくわかったか! 何度も言うけどな、わたしはお前なんかに構ってる時間は無いんだよ!」


「そりゃそーだ忙しいんだもんね! でしょーよ! んじゃ金輪際あたしのことなんか気にしないでいいですよもう! 短い間お世話になりましたー! アルファのばーか!!」


 ――ば、


「馬鹿って言う方が馬鹿だろうが!」


「あーあー聞こえませーん! ばーかばーか! あほー! ガンコ頭! えーとえーっと、桜! 無駄に綺麗! ばいばーーい!!」


「あっ、この……! おい! 言っとくが、危ないことは――」


 もういない。

 嵐のように去っていったハルを、アルファは追おうともしなかった。

 声を荒げたのなんていつぶりだろうか。深く深くため息をつき、冷静さを取り戻す。『月の花園』は何ひとつ変化が無く、まるで騒いだこっちが馬鹿みたいだ。


「くそっ……」


 危ないことをするな、と自分は言おうとしたのか。この期に及んで。

 アルファは思考からあのうるさい人間を強引に締め出し、自分の務めに集中しようとする。この花園を管理する『花守』は、アルファだけに任せられる仕事だ。蔑ろにはできない。

 ふと思い立って、蝶を呼び出す。

 匂いに釣られて、どこからともなく一匹の紋様蝶がやって来た。指先に留まり、仄かに発光する翅の色は、白。それを見ながら、改めて嘆息する。


「…………本当に、仕方のない奴だ」


 誰かが見ていたら、お互い様だと笑うかもしれない。

 けれどここには、今や自分一人だ。



   ✿✿✿



 ハルは大股でずんずん歩く。目指すは学長室だ。

 アルファの「世話役」の任を解いてもらうためだ。

 上等だ。こっちだって願い下げだ。他にもっと馬の合う奴だっているだろう。何もあんな協調性ゼロの皮肉ばっかり吐いてる奴なんかを押し付けられるいわれは無いはずだ。

 途中すれ違う花人は皆、ハルの顔を見て「ぎょっ」としていた。道を譲る者もいた。もしかしたら自分は今凄い顔をしているかもという考えもよぎるが、気にする余裕は無かった。

 目的地に辿り着く。ぴっちり閉ざされた学長室の扉に手をかけ、


「学園、ちょ――」


 開かない。

 見ればドアノブに木の札がぶら下がっているが、ハルに読める文字ではなかった。


「ナガツキ学園長にご用ですか?」


 横から声がかかる。見ると一人の花人が、紙の本を積み上げたカートを押しているところだった。

 花の色は黄色がかったオレンジ。ほんのり甘い香りが鼻をくすぐり、それで少し落ち着いた。


「ええと――委員長? だよね?」


「そう呼ばれています。まあ、あだ名みたいなものですが」


 覚えている。彼は金木犀の花人で、フライデーという。名前の意味は「戒めを解き放つもの」。

 フライデーは学園内の図書館ライブラリーを根城とする「資料班」のリーダーだ。ナガツキが動けない時は彼の代わりに花人たちの行動方針を決定する役割を持ち、同族からは「委員長」のあだ名でもって親しまれている。

 フライデーは怜悧な目を凝らし、ハルの興奮がまだ冷めやらぬ様子と、背負ったリュックが道具でぱんぱんに膨れ上がっていることを見て取った。


「……それとも、これから外出ですか?」


「ああ、いや。そうしたかったけど、今はまだっていうか、その前にっていうか……学園長は?」


「学園長でしたら、おねむですよ」


「おねむ」


「ええ、おねむ。今回はおそらく三日は目覚めないと思います」


「み、三日も!? その間ずっと寝てるの!?」


「学園とその周辺の維持管理のためです。よほどのことが無い限りは起きません。緊急の用があるのなら、私が聞きますが……」


「ええと。実は――」


 その場で事の次第を説明するハル。言っているうちにまたぞろ腹が立ってきたが、そこはそれだ。出鼻を挫かれた形になったからか、さっきよりは冷静になっている。

 フライデーは口を挟むこともなく聞いて、ハルが言葉を切ったあたりで「ふむ」と呟いた。


「そうですか。彼がそんなことを」


「……どう思う? アルファは、あたしを学園ここに閉じ込めておきたいのかな」


「そこまで極端ではないと思いますが。……しかし、彼が何を考えているのかは、なんとも言い難いですね。何につけても、あまり多くを語らない花人ひとなので」


「みんなに対してもそうなの?」


「ええ。日頃も私たちと距離を置いています」


 フライデーは一拍置き、


「いずれにせよ、あなたが学外の探索に加わるという提案については、慎重に検討しなければならないと思います」


「う……そ、そう?」


「間違いなく安全と言えるならば――というのが大前提にあります。我々にできることが、人間あなたにはできないことをお忘れなく。手放しには賛同できかねますが……」


 立て板に水を流すような口調をぴたりと止め、フライデーはハルの後ろに目をやった。


「どう思いますか、キウ」


「えっ」


 振り返ると、廊下の角に「さっ」と引っ込む影が複数あった。


「丸見えでしたが。キウ、ウォルク、ネーベル。さっきから聞いていましたよね」


 黄色いチューリップの花人、キウがひょっこり顔を出した。


「キウ! いつからいたの!?」


「最初から! 新入りがすげー顔してたから、なんかあったのかと思ってついて来た!」


「ぶっちゃけ声かけづらかっただけだけどな」


「どうも……です」


 探索班「キウ班」のメンバー。花人たちの戦闘を初めて目の当たりにした、あの時の三人だ。


「新入りが外に出るには、誰かがなんかしなきゃいけないって話だろ? で、どうすんだっけ!?」


「何はともあれ安全の確保が必要です。本来ならば学園長の指示を仰ぐのが最善ではあります」


 やっぱり、すぐには無理かもしれない。

 さっきまであんなに膨れ上がっていた冒険心が、ハルの中でしおしおと萎んでいくのを感じる。アルファの世話役の解消、探索の許可。なにも今日全部決めることではなかったのかも。


「――あの、やっぱりいいよ。学園長は待ってれば起きるんでしょ? その時に改めて……」


「よしわかった! んじゃアタシが連れてく!」


「ちゃんと話をすれば……って、え? なんて?」


「アタシが新入りを連れてく。ちょうど今から北西んとこをざっと回る予定だったしな。そのルートだったらなんてことないだろ、な、ウォルク! ネーベル!」


 キウはやる気まんまんだった。応じるウォルクとネーベルも、リーダーの提案に難色は示さなかった。


「いんじゃね。あそこらへん何も出ないし、散歩くらいのもんだわ」


「大丈夫、かもです。なんとかなると思います」


「え、でも……いいの? 足手まといになるかもよ? うっかり馬から落ちるかもしれないし、もしはぐれたりしたら……」


「いーのいーの! なんとかなるなる!! アタシに任せろっつーの!!」


 これには一瞬ぽかんとした。いくら押しても駄目だった扉が、引いてみたらあっさり開いたような気分だ。


「……ふむ。探索エリアと巡回のコースを鑑みれば――」


「なあなあいいだろ委員長なあなあなあなあ! いいだろ大丈夫だって絶対いけるいけるいける!!」


「揺らさないでくれますか思考がまとまりませんやめなさいおいこら」


 ぴたり。

 フライデーは一歩下がって襟元を整えた。


「――――まず綿密な探索計画の提出を。観測班、斥候班とも充分に相談の上、安全なルートを選ぶこと。であれば、悪いことにはならないでしょう」


 ハルはキウと目を見合わせ、おそるおそるといった感じで、


「…………つまり?」


「つまり!?」


 対するフライデーは、こほんと咳ばらいをひとつ。


「許可します。学園長には、後ほど報告します」



   ✿✿✿



「――おーい新入りー! いけそうかー!?」


「うん! なんとかなりそう……!」


 蒼い陽光。草花が強い日差しに炙られる前の、涼気を孕んだ風。まだ鳥や獣が目覚めていない独特の静けさ。

 ハルは満載のリュックを背負い、幽肢馬の上で揺られていた。

 散々練習に付き合ってもらった馬だ。そのおかげか、馬は驚くほど落ち着いて、ハルの導きのままに足を進めている。

 出発は早朝だった。前日のうちにコースの確認は済ませた。まず学園北、回帰の森を抜け、北西方面にぐるりと回って帰る。経由する遺跡は「シェルター」と呼ばれる小さいものが二、三。他、あちこちに設置した野営地の点検が主な目的だ。途中で一晩過ごし、翌日の日暮れまでに帰還する。

 今度こそ初めて、自分の目と足で『プラント』を進む。

 ここがどのような世界で、森がどのように広がり、皆どのように生きているのか。その一旦を知ることができるのだ。ぶるる、と快い震えが背筋から足先まで伝わるのを感じた。


「おし、じゃ行くぞ! ウォルクもネーベルも、アタシに続けー!」


「はいはい。あんま張り切りすぎんなよーリーダーさーん」


「出発ですね。よろしく、です」


 キウ班の三人が先導する。追って、ハルも馬を加速させた。


「よしっ……!」


 幽肢馬はハルの思うままに動いてくれた。獣の力強い躍動が体に伝わり、地面を強く蹴る四つ脚の頼もしさを感じた。会心の感覚に思わず笑いが漏れる。

 ふと、背後の学園を仰ぎ見る。

 高く聳える「巨木の化石」は、周囲の木々と比べて不思議な質感だ。東から昇り来る陽光に照らされて見惚れるほど白く、一種独特な神秘性がある。半ばから二つに枝分かれし、片側が共用施設、もう片側が生活区画となっている。

 そのちょうど「又」のあたりに、『月の花園』はある。

 アルファは、今もあそこにいるだろうか。

 自分がこうして出発することに、気付いているだろうか。

 ――いやいや。

 余計な考えを打ち切り、三人に追いつくべく更に加速。体にぶつかる風が涼しく、心地いい。

 遥か頭上でその日最初の鳥が鳴き、進行方向を導くように飛んでいった。



「シェルター」は、構造としては洞窟に近い。しかし、遠目にも明らかに異彩を放っていた。


 硬質な鋼材による、何らかの建築物。岩壁を繰り抜いて作られ、そして今となっては誰もいない、放逐された廃墟だ。


「足元気を付けろよ。ぼーっとしてたらガラクタで転んじゃうぞ」


「うん。大丈夫だと思う」


 白いライラックの花人、ウォルクの手を借り、侵入する。


「ありがとう。ウォルク、だよね?」


「ん。お前はハルでいいんだっけ? まあ、ぼちぼちやってこーや」


 中は暗い。花人の手によるマーカーらしきものが等間隔に配置されていて、キウとネーベルはそれらを辿って先に進んでいる。三人とも外套の口元を開いているから、おそらくまた香りを有効活用したものだろう。

 ハルの方はといえば、手元のランタンだけが頼りだった。中には火啖ひくらいと呼ばれる大型の蛍が数匹いて、オレンジ色の灯りを闇に投じている。おそるおそる、足を進める。


「ここで何するの?」


「使えそうなもんが無いかどうか漁ったり。あとは剪定者とかヘンなのが住み着いてないか見回ったり。まーここには何度か来てるから、拾えるモンは無いと思うけど」


 とすれば主目的は後者か。「ヘンなの」が何かにもよるが、多少の危険は覚悟すべきだろう。

 あるいは、迷い込んだ人間が息を潜めているかもしれない。そうだったらいいと、頭の隅で思う。

 埃っぽい闇の中には、かすかなカビや錆の匂いが漂っている。そこに確かに混ざる花の香りが一種異様だった。奥からどちゃがちゃ何かを漁る音とともに、状況報告が飛んでくる。


「こっちなんもなーし!!」


「こっちも異常なし、です」


 な? ――という顔を、ウォルクがした。良かったとするべきか、残念と思うべきか。

 と。


「……あれ?」


「ん? どした?」


「こっち。何か光ってる」


 積み重なるガラクタの隙間から、光が漏れ出ていた。

 なんだろう。ウォルクは「あー」という顔をして、止めようともしなかった。ハルは好奇心を抑えきれず、ガラクタをどかしてみた。

 ――瞬間、激しい光が、


「わああっ!?」


 ぶわっ!! ――と広がったかと思ったら、信じられない勢いで拡散。そうかと思う間もなく、遺跡の出口目掛けて一斉に飛び去っていく。

 たまらずひっくり返った。開いた口が塞がらない。今のは何だ。いや、光がいきなりどこかへ行くなんてことがありえるのだろうか?

 呆然とするハルを見て、たまらずウォルクが吹き出した。


「――ぷ、あははっ! だよな! 知らなきゃそうなるか!」


「え! え!? 何今の!? 何がどうなったの!?」


「おうおうおうどうしたどうしたーっ!」


「今の、紋様蝶ですか。そんなとこに隠れてたんですね」


 声を聞きつけて、キウとネーベルが戻ってくる。

 紋様蝶。

 スメラヤの研究室で聞いたことがある。


「あれ全部、蝶だよ。あーやって光ってるんだ。遺跡の暗いとこが好きで、よくいる」


「そ、そうだったんだ……って! 早く言ってよそういうのは!」


「ははは! ごめんってば! ちょっとびっくりさせたかったんだよ」


「ウォルクも最初ん時はめちゃくちゃビビってたもんな!!」


「ちょっ……おい! バラすなよ!」


 光の塊のような蟲達は、外の光と混ざってもうどこに行ったかもわからない。

 ――けど、あの蝶が広がった瞬間、

 ――何か見えたような、気がする。

 息を整えるハルに、ネーベルが手を差し伸べた。


「大丈夫、ですか? ええと……新入り、さん」


「あ、ありがとう」


 握り返して、そういえばちゃんと言ってないなと思い直す。


「あたし、ハル。よろしくね――ネーベル、だっけ?」


「はい。よろしくです、ハルさん」


 シクラメンの花人、ネーベルは、ふにゃりと懐っこい笑みを返した。

 結局のところ、最初の遺跡は何ひとつ異常なしという結論が出た。


遺跡歩きゴーストが迷い込んできたりとか、しないですかね?」


「ないだろ。そいつらに憑くような紋様蝶やつらは今みんな飛んでったし。ここは空っぽだぜ」


 あれこれ話し合うのを聞きながら、ハルはまだ胸の高鳴りを抑えきれないでいた。

 最初は驚きによるものだった。だが出る頃には、その高鳴りはすっかり違った意味を持っている。

 わくわくしている。見たことの無いものが、本当に山ほどあるという確信。

 ――アルファがいたら、なんと言うだろう。

 呆れるだろうか。皮肉の一つも吐くだろう。けどやっぱり、手を差し伸べてくれるかもしれない。アルファが一緒にいたら――

 とまで思ったところで、慌てて首を振る。どうしても彼のことを意識してしまう。だがここに、アルファはいないのだ。



   ✿✿✿



 ウォルクという名前の意味は「とても大きな傘」。

 ネーベルは「無いようで傍にあるもの」だという。


「名前は、仲間の誰かにつけてもらうんだ。気に入った言葉だったらなんでもよくてさ。アタシは学園長につけてもらった!」


 夜の野営地。たき火をかき混ぜながら、嬉しそうにキウは言う。

 今日はここで一夜を過ごす。太陽光を主な活力源とする花人は、一部の夜型の個体を除き、おおむね「日が昇って落ちるまで」を活動時間とする。

 紡の二刻。とっぷり日も暮れ、天高く月が昇る時間。一巡の境目を「卵の刻」とし、仔、繭、翅、紡と区切られた四つの刻のうち最後の時間だ。

 探索の結果、まだ使えそうなパーツが幾つか見つかり、予備のリュックが一つ埋まるくらいにはなった。それから森の中で、頑健な繊維として利用できる麻が数束、蟲寄せに使える蜜が小瓶に数個。狩りをすることもあるが、今回は身軽なまま進みたいので控えるらしい。それでも、集めたものを並べるとなかなか壮観に思えた。

 その日の成果物を確かめながら、いつしか花人たちの命名法則の話題になっていた。


「そっか。あたしも学園長にハルってつけてもらったから、お揃いだね」


「おう! 学園長は凄くてな、色んな奴らに名前をつけてやってるんだぞ!」


「ウォルクとネーベルって名前も、学園長が?」


 ぬ。

 と、何故かウォルクが、麻を縛る手を止めた。微妙にばつが悪そうな顔をしている。ネーベルは変わらずのほほんとしているが、何かまずいことを言っただろうか。

 少し黙っていたウォルクだが、やがて観念したようにキウを指差す。


「…………こいつ」


「アタシだ!!」


「えっ!?」


 思わぬところに名付け親がいた。キウはさっきにも増してニッコニコだ。


「私の名前も、キウに付けてもらったんです」


「まあそりゃそうなんだけどさー。この話するたびに自慢そうな顔するんだこいつ。うざってー」


「へへー。いいじゃん別に! いい名前だろ、な、ウォルク! ウォールーク! ネーベルぅー!」


「呼ぶな呼ぶな何度も! わかったから!」


「はい、ネーベルですよ、キウ。どうもです」


 花人の名付け親は花人で。付けられた名前には、固有の意味があって。

 きっとそれぞれ、その名前を大事にしている。キウたちを見ていると、そう思えた。


「うん。すごくいい名前だと思う、みんな」


「だろー?」


「まあ、呼びやすいんじゃないか、とりあえずは」


「はい。私は私の名前が好きですよ」


 と、気になることが浮かんだ。ハルは思ったままを口にする。


「――でもさ。たくさん花人がいて、みんなに名前を付けてるんでしょ? そういうのに使う言葉ってどこで知ってるの?」


「ああ、それだったら図書館にたくさんあるぞ。委員長とかが管理してるあそこな」


 図書館。媒体問わずありとあらゆる記録や資料を保管する、学園でも有数の大規模施設だ。

 ハルはまだ行ったことがない。間違いなく迷子になると思ったからだ。傍から見ていたところ多くの花人が出入りしているようで、よく調べものや勉強をしているようだった。


「アタシらは古代文字とか全然読めねーけど、委員長たちはわかるからさ。『言葉』っての、色々教えてもらってるんだよな!」


「で、意味が気に入ったりとか、響きが気に入ったりとか。そーゆーのをそのまんま使ったりしてる。蟲ののたくったようにしか見えない字でも、音で聞くと案外良かったりすんだよな」


 面白いことだ。ハルは、素直にそう思った。

 言葉には意味がある。花人たちの操る「言葉」は、必ずしも本来の意味と合致しないかもしれない。けれど彼らにとってそれは真実で、大切なものだ。山積する資料から拾い上げた言葉の一つ一つに、意味を見出し、口に出して、時には自らの名前にする。「ハル」もまた、そうして拾い上げられた言葉の切れ端だ。

 ハル。本当の意味は、なんだっただろうか。あるいは――


「『アルファ』も、誰かに名付けてもらったのかな」


 ほぼ無意識にこぼすと、はた、と視線がハルに集まった。


「え? な、なに急にこっち見て」


「アルファって、花守のアルファだよな。『月の花園』から絶対出てこないあいつ」


「ちょっと怖いひと、ですよね」


 怖いかどうかは――いや、怖いか。いつも仏頂面だし。


「そうそうアイツだアイツ! アイツの話聞きたかったんだアタシ! アイツっていつもどんな話してるんだ!? そういやなんでオマエ一緒にいるんだ!? なんでなんでなんで!?」


「近っ! 近い近い倒れる倒れる!」


 目を輝かせてぐいぐい来るキウを、ウォルクとネーベルはのんびり見守るばかり。


「キウとか、見つけたらすげー話しかけようとすんだけどな。いつも秒で逃げられる」


「全然捕まんねーの! 速すぎるマジで!!」


「お話が苦手なひとなのかな。ハルが来る前は、ちょっとだけ学園長と一緒にいたりとか、それくらいだったと思うです」


 そういえば――

 他の花人からアルファの話を聞いたことは、あまり無かった。先日クドリャフカから、出発前にフライデーからちらりと言及されたくらいがせいぜいだ。他の花人から距離を置いているというのは、なるほど本当のことのようだ。


「――悪い奴ではないと思うけどなぁ。あたしのこと助けてくれたし」


「おお!」


「やたら頑固だけど」


「おおう」


「あと口悪いし、話しかけても三回に一回は無視するけど」


「おおー……」


「……まあでも、あたしも『バカ』は言い過ぎだった気がする」


「お前バカって言ったの? アルファに? あの花守に? こわ」


「無事で済んだですか?」


「あいつそのレベルで怖がられてるの!?」


 孤立していると変なイメージが独り歩きするのかもしれない。もっともアルファの場合は、自ら進んでその立場に甘んじている節があるのだが。そう考えると、少しもどかしいような気分になる。

 楽しそうに話を聞いていたキウが、「ぱっ」と笑みを深めた。


「でも良かったな、オマエがいて」


「え?」


「だってそうだろ? 一人だけでいるより、相棒がいた方がいいじゃんか!」


「!」


 その考えに至ることが無かった。自分がいることで、アルファにとって何か良かった部分はあるのだろうか。ほんの短い間でも、迷惑そうな顔しか覚えていない。怒らせてばかりだった気がする。


「……そう? ほんとに、良かったのかな?」


「アタシからは逃げるけど、オマエからは逃げないもん。嫌ってこたないだろ!」


 それはナガツキに言われたからで――とも思ったが、アルファの性格なら、絶対に嫌なら姿すら見せないような気もする。

 本人が実際にどう思っているかはわからない。けれど、無邪気にそう言ってくれるキウには、どこか救われたような気がした。

 うん、と頷く。

 探索の傍らで考えていたことがある。それを今、決めた。


「……あたしやっぱり、帰ったらアルファに謝ってみる。それで、もう一回ちゃんと話してみるよ」


「そか! いいじゃん! なんかあったらアタシらに言えな!」


「まあ、オレたちに何ができるかわかんねーけど、やれることならするわ」


「がんばれ、です」


 もう一度、深く頷いた。何か喉の奥のつかえが取れたような気がした。



   ✿✿✿



 ――――けて。


 妙な音で目が覚めた。

 寝袋から身を起こすと、焚火はもう消えかけている。周囲は真っ暗だ。梢の隙間から、白い月光が糸のように垂れ落ちていた。


 ―――すけて。


 もう一度。


「……何?」


 ハルは耳を凝らした。

 風に紛れて消えそうな、か細い音だった。草木のざわめき、夜の蟲や鳥の鳴き声とは違う、何かこちらに訴えかけるような――



 ――たすけて。



「!!」


 はっきり聞こえた。明らかに、言葉だ。

 間違いなくこちらに呼びかけていた。


「聞こえたか?」


 気付いてびっくりした。いつの間にか三人も目覚めて、音のする方を見つめていたのだ。ウォルクの呼びかけに、キウが応じる。


「聞こえたぞ。アタシらの花人なかまかな?」


「こっち側には、私たち以外にはどの班も来てないです。探索計画的にも、あんなところに誰かいるはずがない……です」


「でも」ハルは緊張に息を呑んで、「今――『助けて』って」



 ――――助けて。



 更にもう一度。今度はより鮮明に。

 恐怖に引き攣り、哀れなほど震えた、消え入りそうな声だ。


「聞いたことない声だ。何かあったのか? ――何が?」


「でも、じゃあ、あれって誰ですか? 花人じゃないし、私たちも知らない誰かだとしたら」


 全員の頭に、ある単語が浮かぶ。

 花人ではない、言葉を喋る、いきなり森に放り出されて助けを求めているかもしれない誰か。

 キウとウォルクとネーベルの声が、自然に揃った。


「――にんげ、」


 いてもたってもいられなかった。

 言い終わる前に、ハルは駆け出していた。


「あっ、おい! ハル!」


 走りざまにランタンを拾い上げると、中の蛍が驚いてぱちぱち光り出した。一気に視界が明るくなり、ハルは一目散に声のする方へと走る。三人が慌ててこっちを追いかける気配がする。しかし今のハルには後ろを気にしている余裕などまるで無かった。


 助けて。助けて。


 声は絶え間なく、助けを求め続けている。

 ずっと予期していた「もしかしたら」が来たのだ。

 早く、早く助けないと。何かに襲われているかも。自分以外の人間。手紙。アルファ。ほら、人間はやっぱりいたんだよ。――頭の中がごちゃついてまとまらない。嬉しいのかどうかすら考える間も無いまま、光に向かう蟲のようにただ、走った。



 助けて。

 たすけて。


 たす、けて。


 たあ、すけえ、てええ。



 ――――?

 声に、何か変化があった。

 近付くにつれて大きくなっている。音は揺らぎ、繰り返される感覚は短くなり、やがて何度も何度も間断なく、喉を枯らして叫び続ける大声となっていった。




 たすけてえええ。たあああすけてえええええええ。たす、けてえええ。た#§け××ぇええええ。たすたtたtt‰すk※すgギ∴@がガ*〟〒∵ザザザザザザザザザザザ!!




「え――」


 声のする場所に辿り着いて、ハルは唖然とした。

 一ヶ所だけ木々の開けた空間には、人間はおろか蟲の一匹もいはしなかった。

 助けて。たすけて。タスケテ。異様なノイズすら混じった絶叫の源は、果たして、人間ではなく。


「…………スピー、カー?」


 機械的な、拡声器に似た何かが、ぽつんと月光に照らされている。

 もはや耳を聾するほどになった騒音は、ハルが来た途端に「ぶつん」と途切れた。


 いきなり耳が痛くなるほどの静寂が戻る。夜の森のあまりに濃い闇の向こうには、赤く光る機械仕掛けの、目、目、目。

 剪定者。

 もう、完全に囲まれていた。




 つづく

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