視える人々②

 山城大河は少し頭が良い平凡な大学生である。勤勉な性格で、平和に暮らしている。髪は黒色で、いつも眠そうな目をしていた。

 そんなどこにでもいる普通の存在だが、少し変わっているとすれば、父親が小説家であることだった。実家には巨大な本棚にぎっしりと物語がつまっていた。父親は本を読むことを強制しなかったし、自分のしたいことをいつも優先してくれた。しかし、本の魔力に逆らうことはできず、気づけば活字に熱中していた。そんな家庭で育った山城が、古典文学や小説以外の実用書にも手を出し、知識や見聞を深めていくのは当然のことだった。

 そんな本が好きなだけの大学生に、いや本が好きだったからなのか。電車内で出会った魅力的な女性がいきなり勧誘してくるなんて出来事は、彼を混乱させた。

 女性は、文庫本を閉じ、名刺を取りだした。光沢のある紙面には「地球読書クラブ」と書かれており、その下に「知を獲得し、豊かな地に還元する」と添えられていた。山城はその怪しすぎる名刺を受け取り、「はぁ」とため息混じりの返答をした。

「おっと、危ない危ない」

 彼女は裏面にボールペンで何かを書き、山城に渡した。

 裏面を見てみると、「明日十四時、新宿駅西口改札前で」と添え書きがあった。

「では期待しているよ」

 そう言って彼女は新宿で降りていった。

 乗り換えで降りる渋谷駅に到着するまでの間、山城はぼぉっと名刺を眺めては先程目にした不可解な文字のことを思い出していた。あの不思議な本はなんだったのだろうか。気になってしょうがない、脳はすでに知的好奇心に満ち溢れていた。

 時間はあっという間に経過し、渋谷に到着する。

 渋谷駅から、地下鉄に乗り換え二十分程度の場所に、山城が通う大学はある。

 いつもの通学路を辿り学校に着くと、講義が行われる教室に向かって、淡々と歩き始めた。昨年、改修工事が行われた校舎は綺麗で清潔感がある。しかし、山城は校舎には目もくれず、下を向いて歩いていると、誰かが山城の肩をぽんぽんとたたいた。

「やほー」

 気の抜けた声で、そう話しかけるのはこの学校で一人しかいない、葉山美帆だ。美帆は山城と同じ文学部に属しており、一年の頃から仲が良かった。お互いに読書好きであったが、彼女とは趣味嗜好はあまりあわなかった。

「何思い詰めちゃって、大河が悩み事なんて珍しいじゃん」

「そう見える? まぁいろいろあって」

彼女は下を俯いて、心配そうにこちらを見つめる。

「何か困ったことがあればなんでも言ってね、四限まで校舎にいるからさ」

 山城は「ありがとう」と呟いた。静寂が訪れ、こちらが別の話題を切り出そうか悩んでいると、美帆は沈黙を破った。

「学内で小説のコンテストやるみたいなんだけど、大河は興味ないんだっけ?」

 文学が好きな人間は、誰しも一度は小説を書いてみたいと考える。山城も同様で読書をすればするほど、執筆してみたいと感じていた。父親の背中を追うように、小説家への道へ進もうと思っていた。

 しかし、山城は小説が書けなかった。なにか物語を紡いでしまうことに、一定の壁を感じていて、怖かった。だからあと一歩のところで勇気が出なかった。自分は物語を楽しむことができれば良い、そういう結論に達した。

「書くのは興味ないかな」

 冷たくそういうと、美帆は予想に反した返答を行なった。

「私は参加しようと思ってるの」

「美帆は創作者とか、表現者とかそういった類の人間じゃなかったよね? どういう心境の変化があったの?」

 美帆は目を輝かせて、大きな声で山城に告げる。

「何か、新しいことを初めてみたいと思ったんだよね」

 彼女は「じゃあ授業あるから」と言って別校舎へ向かった。山城は校舎の窓の外を眺める。見えるのは暗い空であったが、少し明るく感じた。

 電車で出会った女性の声が響く、どうしても本の内容が知りたい、自分の中にある好奇心はその答えを欲している。

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地球読書クラブ 五十嵐文人 @ayato98

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