第2話

人間腸詰 江戸川乱歩


これは塩田五郎が書生時代に体験した話だ。五郎の夢は通訳になることだが、彼が住む地方には高等学校もなければ、東京へ出て勉強させてもらえるほど、家が豊かではなかったので、上京をして苦学をしようと考えていた。そんなある日、下校中の五郎は、田舎道の草むらで、蹲る男の姿を見つけた。

「大丈夫ですか?」と、声をかけると、男は弱々しく振り向いた。

すると五郎は、声にならない声で驚いた。

男は、白髪白皙で、白髪交じりの不精髭を貯えた老人だった。

「あっあの、どうかなさいました?」

「いや今しがた、大きな蛙が、私の前に現れて、驚いた拍子に足をくじいてしまったのですよ」

「それは大変ですね。僕が家まで肩を貸しますよ」

「ありがたい。これから、人と逢う約束をしているので、そこまで頼みます」

「わかりました」と、云うと、老人の腕を、自分の肩に回して、ゆっくりと立ち上がった。すると、五郎はまた驚いた。

五郎の身長は一七六センチと高身長なのに、老人と五郎の身長差がほぼ、なかったからだ。

五郎に凝視された老人は「どうしましたか?」と、訪ねる。

「イヤ、すみません。何でもありません」

五郎は気を取り直して、老人の小幅に合わせて、歩き始めた。

「帰宅中に、すみません。遅くなったら、家の方が心配しますね」と、申し訳なさげに云った。

「大丈夫です。僕はもう十五歳ですから」

「それはそれは立派な大人です」

年長者から大人だと認められた嬉しさに、五郎の頬が綻んだ。

「お名前を訊いても?」

「はい、僕は塩田五郎と云います」

「良いお名前ですね。私は鷲津友助です。東京から長旅をしています」

「お一人で?」

「いや、友人たちと一緒です。今から行く場所に友人たちがいます。若い頃は、我武者羅に働いていましたので、余生は、日本一周を夢見て旅しております」

「凄いですね」

「五郎くんの夢はありますか?」

「僕の夢は、通訳になることです」

「通訳ですか?」

「はい。僕が六歳の頃、川で溺れていた所を、金髪の外人が助けてくれました。泣きじゃくる僕に向かって、笑顔で何かを云っていたのですが、言葉が分からず、ちゃんと御礼も云えませんでした。その事がきっかけで、語学の勉強をして、色んな国の人と会話して、あの頃の僕みたいに、言葉が分からない人の助けになる職業につきたいと思っています」

「それは素晴らしい。君なら、偉い通訳者になりますよ」

「ありがとうございます」

「そろそろ、友人たちがいる場所に着きます」

「あっはい……エッ森?こんな所に、お友達がいらっしゃるのですか?」

「ええ、居ますとも」

五郎は、会話に夢中で、何処をどう歩いて、森に入ってきたのか覚えていなかった。

「ほら、見えてきましたよ」

と、鷲津が指を指す先に、木々の隙間から琥珀色の大きな天幕が見えた。

「ちょっと待ってください。なんですか、これは?」

「見ての通り、見世物小屋だよ」

と、云って【見世物】と書かれた旗を見せた。

「お一人様五百円ですが、助けてくれた御礼です。どうぞ見学していってください」

「いや、結構です。僕、もう帰ります」

五郎は、鷲津の腕を振り払って、帰ろうとした。だが、両肩を捕らえられた。

「帰り方、わかるのですか?それより、君の知らない世界を少し覗いてみては如何ですか?世界に旅立つ前に、母国の事を知っておいた方が、恥をかかなくてすみますよ。さあ、どうします?」

まるで悪魔の囁きかのように、五郎の聴覚に響き渡る。そして(確かに僕は、まだ知らないことが多すぎる。無料で見せてくれるなら、今後の為に見学するのもいいかもしれない)と、思うようになっていた。

「わかりました。少しだけ見学していきます。ですが、僕が帰りたいと言ったら帰してくれますか?」

「勿論ですよ。無理強いは致しません。では、どうぞ」

と、云って、人ひとり入れるか入れないかの小さな入り口へ招き入れた。

天幕の中に入ると、小さな舞台の周りに、二~三〇人の客が座って、見世物が始まるのを待っていた。綺麗に着飾った大人たちしかいない事に気付いた五郎は、場違いな場所に来てしまったんだと、後悔して「やはり帰ります」と、云って、踵を返す。

すると突然、照明が落ちて辺りが真っ暗になった。

「皆様。大変、長らくお待たせ致しました」

舞台中心のスポットライトの下で司会を始めたのは鷲津だった。

そして鷲津が「本日の英雄・塩田五郎くんをお連れしました!」と、云うと、スポットライトが五郎を照らした。

「眩しい!」

「足を痛めた私を、ここまで連れて来てくれたのです。是非、彼に大きな拍手を!」

すると割れんばかりの拍手が、五郎を迎え入れる。

「さあ、五郎くん、こっちへ。君の席は用意してありますよ」

鷲津が呼び掛けても、沢山の大人たちの視線に恐怖を覚えた五郎は、キョロキョロとするばかりで動けなかった。

「緊張してしまったかな?では私が迎えにいきましょう」

と、云うと、ぴょいと舞台から飛び降りて、五郎の元に向かった。

「エエッあぁし…あし…あし…」

呪文のように呟きながら、元気に歩いてくる鷲津の足を凝視する。

鷲津は、何も云わず五郎の手を引っ張って、真ん中の一番前の席に座らせた。

「では、始める前に…」と、云うと、マイクを舞台に置いた。

そして徐に、首から皮膚を剥がしだした。

ピリピリピリと、皮膚を剥ぐ音が、静寂に包まれた会場に響き渡る。

皆、笑顔でその様子を静かに見守る。だが五郎だけは、開いた口が塞がらない。

鷲津の髭、口、鼻、目、眉が、どんどん剥けていくと、素顔が露となかった。

白髪白皙で不精髭の老人の正体は、二十代半ばの美青年だった。

黄色い声援が沸き上がるなか、五郎だけは頭を抱えていた。

「塩田五郎くん、騙してごめんね」

鷲津は、硬直した五郎の頬に軽くキスをした。そして、軽快な足取りで舞台に戻った。

「さあー、枕は終わりだよ!これからが、本番さ!泣くのも喚くのも好きなだけ騒いで!ただ吐く時は外で宜しくね。では、始めに紹介するのは、多毛症の突然変異で全身毛に覆われた熊女・ヨネ!そして、イボを発生させるウイルスに対抗でない体で生まれて、皮膚が樹木のように固まった樹木男・トミオ!」

と、紹介すると、熊のような剛毛な毛が全身に生えたヨネと、顔の一部と手足が珪化木のように固まったトミオが登場した。

客先から驚きの声が聴こえるが、まだまだ序の口といった雰囲気が漂う。

するとヨネとトミオは、舞台を半周すると、客席に下りて、客を襲う真似をした。

会場は、一気に客の悲鳴で溢れた。

「アハハハハ、皆様、とても良い声ですね。次は、可愛い小人症のミキちゃん!マチちゃん!マチちゃんは悪戯っ子なので、男性の方は気をつけてください」

と、云うと、ピエロの格好をしたミキが、トコトコと登場した。

「アレ?マチちゃんは何処へいったのかな?」と、ミキに尋ねるが、ミキは首を傾げる。

「すみませんが、皆様もマチちゃんを探してもらえませんか?」

と、声をかけると、客たちは素直に座ってる席の下や周りを探しだした。

すると、未だこの状況についていけてない五郎の席の下からマチが飛び出してきた。

「バアー!」

五郎は、体をのけ反り悲鳴を上げる。

マチは大笑いしながら、次の男性客に絡みに行った。ミキも客席に下りて、女性客に押し花の栞をプレゼントして回った。

栞を配り終わったミキは舞台上に戻るが、マチはまだ男性客に悪戯をしている。

鷲津は笑顔で「カツさんー、お願いします」

と、呼ぶ。すると、身長が二メートルのカツが、マチの首根っこを掴んで舞台に戻した。

「ありがとう、カツさん。ご覧の通り、カツさんは巨人症で、怖く見えるかもしれませんが、とても優しい巨人です。さあ、お次は、蛇を愛して、愛しすぎて食べてしまう女・アキ!」

純白な長襦袢を着たアキは、橙と黒模様の蛇を、腕に巻き付けて登場した。

絹のような美しさに男性客のみならず、女性客も息を呑む。

舌を出し入れする蛇と口付けをすると、目、頭、体に唇を押してる。そしてアキも舌を出して、蛇の体を舐め回し始めた。

段々と興奮しだしたアキは、長襦袢から大きくて柔らかいおっぱいを出して蛇を巻き付けた。蛇の尾が乳頭に触れる度にアキは蛇の首を咥えながら喘いだ。

まるで、人間の男性と性行為をしているかのように愛撫ていた。アキの興奮がピークに達すると、蛇の頭と体を引っ張って、ピンと張った胴体に食らい付いた。

犬歯で、肉と骨を千切ると、絵の具のような鮮血が垂れ流れる。尾っぽから搾るように血液を出すと、喉を鳴らしながら吸い付いた。そして、蛇の生肉をクチャクチャと食べ始めた。

悲鳴と共に、目を覆い隠す者、外に飛び出して嘔吐する者が出てきた。

特等席でアキの行為を見ていた五郎は、股間を抑えて固まっている。

その様子を見ていた鷲津は、ニヤリとほくそ笑んだ。

「アキちゃん、後は裏で愛し合ってね」

と、伝えると、アキは頭を下げて捌けていった。

「皆様、大丈夫でしょうか?次が最後ですよ。大トリを飾るのはユキちゃんです。登場する前に、まずは彼女の生い立ちを御説明致します。ユキの母親は体を売って生活をしている売春婦でした。ある日、腹痛が母を襲います。激痛で意識が朦朧とするなか、産まれたのがユキでした。母は妊娠していた事に気付かなかった為、父親が誰なのかも分かりません。突然、産まれたユキを愛する事が出来ずに、何度も捨てようとしました。ですが、良心が咎めて捨てる事が出来ません。そこで母は、八つ当たりの道具として育てる事にしました。嫌なことがあると、ユキに暴力を振るいました。それでもユキは愛されたい一心で母の暴力に耐えます。ですが七歳になったある日、ユキはとても怖い夢をみました。まだ幼いユキは、そっと母の布団に潜り込みます。ですが、目を覚ました母は、激怒してユキを追い出しました。ユキは泣きながら【今のままでは、愛してもらえない。新しく生まれ変われば、私を愛してくれるはず】だと……」

鷲津は、後ろに隠していた包丁を振り上げると、何かを切り裂くような真似をした。

「ユキは、こうやって寝ている母の腹を切り開きました。皆さん、何故だか、分かりますか?私には彼女の気持ちが痛いほど分かります。ユキは、胎児に戻って母の温もりを感じたかったのです。そして、新しく産まれた自分なら愛してもらえると思ったのです。可哀想なユキ……エッ?腹を切り開いて、どうしたのかが知りたいですって?それは勿論、ユキは胎児になったのです。体を縮こまらせて、母の腹の中で、母の温もりを感じたのです。そして、今では……」

と、云うと、鷲津を照らしていた照明が、舞台の下手を照らした。

暖色のスポットライトは、猿ぐつわを付けた牛に当たる。

茶褐色の牛は、客席にお尻を向ける形で固定されていた。

「さあユキちゃん、お休みの時間だよー」

鷲津の声に吸い寄せられるように、ユキが登場した。客席にいる男性陣は自然と、前のめりになる。二十代前半のユキは素っ裸で登場

したからだ。

虚ろな目をしたユキは、無表情のまま牛に近付くと、尾っぽを引っ張り上げた。そして、鷲津から手渡された潤滑油を、牛の肛門に塗りだした。そして、残りの潤滑油を頭から被った。

「皆様、これからユキちゃんは寝る準備に入りますので、静かに見守っていて下さい」

ユキは、牛の肛門の周りを時計回りで撫でると、一気に肩まで右腕を直腸に捩じ込んだ。

牛は逃げようと、もがくが固定されているうえに猿ぐつわもつけられている為、叫ぶ事も出来ない。

ユキはお構い無しに、直腸に入れた腕をグルグルと動かした。すると、牛の肛門から

ぶっおおぉ、ぶっお、ぶっぶふぶぶっ

と、糞が飛び出た。

最前列に座っていた客の顔や服にまで糞が飛び散った。客たちは、甲高い悲鳴を上げて逃げ惑う。だか、五郎だけは微動だにせず、ユキの行動を見つめている。

腕の刺激で、糞尿が全て排泄されると、辺り一面、鼻を覆うように臭いに包まれた。

そして力尽きた牛は、ドスンと倒れた。

ユキは倒れた牛の肛門に、片足づつ入れていく。ゆっくりゆっくり、ユキの体は牛の体に埋まっていく。

強烈な臭いと、人間が肛門に入っていく姿に、客たちはその場で嘔吐していたが、五郎だけは、最後まで目を放さず、ユキの頭まですっぽりと入っていくのを見届けた。

「はい、ユキちゃんが永遠の眠りについたところで、本日は終了です。最後までご観覧していただき、ありがとうございました」

と、挨拶をするをすると、鷲津は、五郎の側に近づいた。

「五郎くん…どうしました?そんなに恐怖を感じてしまいましたか?」

五郎は、ユキが挿入された牛から視線を反らさずに涙かを流していた。

「僕は幸せなのかもしれません…」

「何がです?」

「僕には五人の兄弟がいます。そして末っ子です。僕は、いつも使い古したお下がりばっかりで、新しい物は何も買ってもらえず、長男ばっかり母の愛情を受けていました。だから、ユキさんの淋しい気持ちが分かります」

「なるほど。それで、君は【僕の方が幸せなのかも】と…」

「はい…」

「塩田五郎くん。君は夢を持って前に進んでいる。それだけで、君は十分、幸せ者だよ。ユキは、母の愛情を受けられず、夢も希望も何も持てない【無】なんだよ。こういう人間もいる事を忘れないでほしい。最後まで見学してくれて、感謝するよ。では、お別れだ」

と、云うと、黒い布を被せた。

そして五郎の視界から全てが消え去った。



「えっ!なんだこれは…?」

人間腸詰を読了した率直な感想だ。

これは本当に江戸川乱歩が書いた作品なのか?

あまりにも陳腐

あまりにも表現が乏しい

あまりにも…あまりにも…あまりにも……

言いたいことは山ほどある。

だが、展示された原稿の文字とこの原稿の文字は瓜二…っ!!!

「えっ!!文字が、、ない!!なんで、どうして、どういうこと?」

私は、パニックで頭の中が真っ白になった。

「嘘だ…今まで読んでいた話しは……そうだ!平井さん!平井さんに…」

するとタイミングよく部屋の扉が開いたので、私は「平井さん!」と、言って、駆け寄った。

だか、そこに居たのは平井さんではなかった。

「君は誰だね?なんで、こんな所にいるんだ?」

「あっ…あの、平井健太さんに…」

「平井健太?そんな人は知らぬよ。君は誰だ?勝手に入って来たのか?!」

「えっ…いや……あの…すみませんでした!」

私は怖くなって、原稿用紙だった紙を握り締めたまま、逃げたした。

そして無我夢中で、帰路についたが、どのうように帰って来たのか、ポッカリと記憶が消えてしまっていた。

「何処からが夢で、何処からが現実だったのだろうか…」

私は自室で横になりながら、原稿用紙だった紙を眺めて自問を繰り返していた。

すると一階から母の声がした。

「ご飯できたわよ。早く降りてらっしゃい。今日は貴方の好きなオムライスよ」

私は暑さと疲労から食欲がなく、朦朧としながらも「いらない」と、力なく答えた。そして、いつしか眠りについていた。

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