第一章 First step/君彦2
来週日曜日が真綾の家に行く日だ。その前日、駿河と共にデパートに探しに行くことになった。
休日に真綾以外と二人きりで会うというのは初めてだ。外出はまだ慣れない。大学に通い始めた頃は、陽気で眩しい生徒たちに揉まれていると、波に飲まれそうな、そんな恐怖を感じることもあった。人の顔を極力見ないよう、伏目がちに歩き、窓側の席に座って外を見ていた。変えたのは、真綾だった。真綾はどんな相手にも目を合わせて話す。俺が教室に忘れてしまったペンケースを渡してくれたあの日もそうだった。澱みのない澄んだ瞳が俺を映していた。
外出することもそうだが、苦手なことを克服していくのが当分の目標だ。「知らない」「嫌いだ」と思うことを一つでも消去していく。真綾を守り、隣に立っていても恥ずかしくない人間になるためにも、自分の目で、耳で、手で、身体、五感全てで体験していこうと心に決めた。
車を降り、一人で駿河の待つ場所へと歩きだす。
人の多さは似たようなものだが、先日訪れた京都とは雰囲気が全く違う。京都は賑やかさの中に歴史を感じさせる建物が並び、どこか緩やかな空間だった。しかし、こちらは現代を象徴するような高層ビルもあり、人にも車にも、自転車やベビーカーを押す速度にもせわしなさがあるように感じる。これも土地や人の生活の違い、味というものなのだろうか。
「待ち合わせ場所は大阪阿部野橋駅側のバス停あたりで」と駿河から提案された。運転手は「こちらで降りていただいて、まっすぐ歩くとバス停がありますよ」と教えてくれた。確かにバス停が並んでいる。
この辺りだと思うのだが。周囲を見渡していると、
「神楽小路くん、こちらです!」
建物の壁に背中を預けて立っていた駿河が手を振る。
細身の黒ズボンと同じ色のスニーカー、ダークグレーのダウンコート。表面上は暗色でまとめているが、ダウンの下のレンガ色スウェットがほどよく差し色となっている。
他人の服装を観察するのは面白い。例えば俺も駿河も襟のついたシャツをよく着る。俺は、上下揃いのスーツに合わせるが、彼はカーディガンやスウェットなどカジュアルな品々に合わせて着こなすことが多い。
真綾もどちらかというと可愛らしさを兼ね備えた、動きやすい服装を好む。隣に俺のようなスーツを着た男が並ぶのは少し堅苦しすぎるかもしれない。そう感じた俺は身近な駿河を参考に、通販サイトで良さそうな服を探しては購入している。真綾とデートに行った時の服もだが、一昨日は黒の編み上げセーター、ウール製のストレートパンツを買ってみた。ずっとファッションデザイナーの母が手掛けるブランドの服ばかりだったが、こうして未体験の服に挑戦するのも、今の楽しみだ。まあ、駿河本人に伝えるのは気恥ずかしいから、黙っておくが。
「お車で来られると思ったのでバス停付近を指定したのですが、わかりにくかったですか?」
「いや」
「それならよかったです。今日はよろしくお願いします」
「何を言う。俺の方こそ世話になる」
「任せてください。早速ですが、以前話したデパートの地下食料品売り場に向かいましょう」
駿河の背中を見失わないよう歩き、食品売り場のあるデパート地下入口より中に入った。
「やはり土曜日は人が多いですね」
「……」
「神楽小路くん?」
「今日は特別な催事でも行われているのか?」
「いえ、このフロアではやってないですね」
「では、なんだ、この人だかりは」
天井が高く開放感があり、明るい店内には、人が四方八方に大勢歩いている。以前、真綾と行ったスーパーマーケットの比ではない。店の看板は上部に掲げられていて見えるが、ショーケースは近づかないと人が横切り、見えそうにない。
「咲さん曰く、デパ地下にしかない店舗も多いらしいのでそれを目当てに皆さんこうしてやってくるようですよ」
「なるほど」
と相打ちをしたものの、人々が欲しいお菓子一つを買いに集まるものなのかと驚きを隠せない。インターネットが発達し、家にいても世界の商品が手に入る時代にわざわざ出向くとは。
「あ、そうだ。少しだけ咲さんにもおススメのお店を聞いてきました。といっても、咲さんは和菓子があまり得意ではないので、洋菓子が主になりますが」
そう言いながらスマートフォンを取り出した。
「あ、神楽小路くんがお菓子を買うためだということは伏せてますので安心してください。とにかく移動中ははぐれないよう気をつけてくださいね」
「わかった」
人をかき分け、ガラスケースを覗いていく。ケーキや大福といった生菓子、クッキーや煎餅の焼き菓子。同じ固形チョコレートであっても、店によって色も形も違う。包装の箱も袋も個性が光る。真綾が来たらさぞ喜ぶ空間だ。
「これでフロア一周しましたが、どうでしたか?」
入り口に戻って来た。邪魔にならないように端に寄る。
「そうだな……」
「どの商品にしようか悩まれてます?」
「ああ。フィナンシェと、先ほど試食したチョコレートだ」
フィナンシェは、桂が勧めてくれた店舗の一つに売っていた商品だ。長方形の、真ん中がふっくらと盛り上がっているシルエットには見覚えがあり、試食しなくとも味を舌が覚えているほどだ。しっとりとして、バター風味だがしつこくなく、茶請け菓子としてコーヒーや紅茶との相性が良い。詰め合わせのバリエーションも多く、マドレーヌやクッキーが入ったものは見栄えも良く、贈答用にはぴったりだ。
一方、チョコレートは、イベントスペースの一角の店舗にあった。横に向いたボブヘアの少女が大きないちごにキスしているロゴが可愛らしく、多くの女性客が列をなしていた。ショーケースを人と人の間から覗いていると、店員が「試食です、どうぞ」といちごミルク味のチョコレートをひと欠片くれた。チョコレートのはずなのだが、クッキーのようにサクサクとしている不思議な食感。スッと口の中で溶け、いちごの甘酸っぱさとまろやかなミルクの風味が一気に突き抜けてくる。
きっと真綾ならばどちらでも喜ぶだろう。だが、今回はご家族にも喜んでもらうものでないと……。
「すまない。選ぶのに少し時間がかかるかもしれない」
「こんなにお店もお菓子の種類も多いのですから、仕方ないですよ。僕だってこれは悩んでしまいます」
「俺が悩むだけ駿河の時間を無駄に使わせてしまう。それに俺は話すのが苦手だ。沈黙ばかりで退屈だろう」
「そんなことないです。今日は神楽小路くんと良い手土産探して、一緒に悩むために来たんですから。それに、僕も将来、突然手土産持って行かないといけない場面が来るかもしれません。その時の予習にもなってます」
「それならばよかった」
「もう一周してみましょうか。もしかしたら見落としもあるかもですし」
「ああ」
駿河はこのあとも嫌な顔一つせず、俺に付き合ってくれた。一緒に試食し、自分のことのように悩んでくれている。真綾と接している時とはまた違う。同性だからこそ共有できる、言葉には出来ない精神的な繋がりは、共に行動していて心地よささえ感じる。これが友人というものなのだろうか。
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