第2話 フレンチハイボール

「お店、どのくらいやってるんですか?」

 俺はまだ学生だったからずけずけと質問した。

「25年くらいかなぁ・・・。35の時に始めて、もう60だから」

「えー。すごいですね。ずっと一人で?」

「ううん。昔は女の子二人くらいいたんだけど・・・。今、お客さんもあんまり来ないから」


 前は結構流行ってたんだろう。カウンターしかないから、かなり窮屈だけど、それでも客が来てたんだなと思う。


「今はこんな感じ。ガラガラ」

「でも、今日は二人で?」

「え?私一人だよ」

「さっき、髪の長い女の人がいましたよ」

 ママは噴き出した。

「やめてよ!あんたが帰ったら、私一人なんだから」

「あ、すいません・・・」

 さっきの女の人は俺の見間違いかなと思った。気が付いたらいなくなっていたからだ。きっと俺の頭がおかしいんだ。そう思った。

「いつも何時からやってるんですか?」

「6時半から。でも、うちはお年寄りが来るから昼からやってる時もあるの・・・」

「大変ですね」

「あんたは?」

「4時からです。開店前の準備もあるんで」

「ふうん。じゃあ、今度休みの時に酒飲みにいらっしゃい。ボトル処分するから」

「え、いいんですか?じゃあ、お言葉に甘えて」


 俺にははっきり言って休みがなかった。空いてる日はバイトを入れていた。たまたま大学の講義が休講になってバイトもない時に、スナックに立ち寄った。はっきり言って、やっているか心配だった。廊下からも中が見えないから。

 でも、ドアを開けると、ちゃんと店はやっていた。

 オレンジ色の光の中にママは立っていた。また、カウンターに一人。

 俺はほっとした。


 一応、手土産として、人からもらった梨を持って行った。俺は何でも食うけど、洋ナシだけは嫌いだった。紙袋に入れた梨を差し出した。

「あら、ありがとう。お客に出そうかな」

 彼女は笑った。そして、サントリーのVSOPをサイダー割にして注いでくれた。誰が入れたボトルだろうか。

「はい。フレンチハイボール。お酒弱いんでしょ」

「え、何でわかるんですか?」

「なんとなく・・・」

 俺はその甘ったるい酒を飲みながら、スナックのママってお母さんみたいだなと思った。俺の母親は俺のことを嫌っていて、愛されたことなんか一度もなかった。だから、そういう中年の人に惹かれるのかもしれない。


 いいなぁ。こんな人がお母さんだったら。俺は無意識にそう思ってたんじゃないかな。


「どこの出身?」ママは尋ねた。

「〇〇です」

「あ~。あっちの方なんだ。ちょっと訛りがあるよね」

「そうですか・・・いやだなぁ」

「でも、いいんじゃない?私は北海道の北見」

「へぇ」

 ママは自分の生い立ちについて話し始めた。

「田舎が嫌でね・・・北見ってすごいのよ。寒くて。寝てると布団の上に霜が降りてるんだから。子どもの頃からすごい貧乏でね。男と駆け落ちして東京に出てきたけど、結局別れちゃった。お金がない人だったから、全然生活できなくて。一人の方がましだなと思って。子どもができたけど、育てるのが大変でね・・・それで水商売始めたの」

「子ども何人ですか?」

「三人もいたの。馬鹿でしょ」

「いいえ。兄弟はいた方がいいですよ」俺は適当に言っておいた。本心ではない。

「男の子二人と女の子一人」

「今、いくつくらいですか?」

「一番上が、38。下が35」

「みんな年が近いんですね」

「うん。でも、下の子は今どうしてるかわからなくて。女の子なんだけど10代で家出してそのまんま」

「えー!」俺はびっくりした。きっとヤンキーなんだと思った。偏見だけど、親がお水だと、子どももぐれてしまうもんか。

「元気でいてほしいけど」

「なんで家出したんですか?」

「不倫してて」

 俺はこの間見た女の人が娘さんなんじゃないかと思った。

「すごいですね」

「10代で不倫ってなかなかないよね」

「好きだったんですね。その人のこと」

「そうでしょ。でも、相手の人が既婚者だと籍を入れられないじゃない?どうしたのかなぁって思ってるの。だから、テレビで身元不明の死体があったりすると、うちの子じゃないかなってずっと心配で。どこかで殺されてたりするんじゃないかって」

「結局、帰って来てないんですか?」

「うん。あ、そいうえば・・・相手の人だけ帰って来たの。娘はどうしたの?って聞いたら、けんかして別れたって言うんだけど、どこで別れたか言わないの。そいつ。警察に相談に言ったけど、何もしてくれなかった」

「ひどいですね」

「どこにいたかは、その人しか知らないから、結局見つからなくて・・・テレビ公開捜査に出ようかなと思ったけど、採用されなかった。子どもに見せられないからね。不倫して行方不明なんて。私、ずっと待ってるんだけどね。この店も家もそのままで・・・同じ家にず~っと住んでるの。平屋でもうボロボロなんだけどね。いつか帰って来るんじゃないかと思って。この店もそのままやってるんだけど・・・高校生の時、ちょっと手伝わせたの。悪い親でしょ」


「いいえ・・・」

 親の飲食店を手伝うっていうのはよく聞く話だ。俺は迷ったけど、この間見た女の人のことを話した。

「この間、カウンターの中に、髪の長い女の人が立ってましたよ。茶髪で。ホステスさんぽい髪型してる人で。黄色い花柄のワンピース着てました。年は28歳くらいに見えたけど・・・」

「え?本当?」

「はい」

「ママにちょっと似てて・・・あ、今日は二人でやってるんだって思ったんですけど、ママが一人だって言ってて」

「あ、あの日?あ、あの時、私の誕生日だったんだ」

 ママはびっくりしていた。

 俺はちょっと悲しくなった。

 亡くなった娘さんが、お母さんの誕生日を祝いに来てたのかなって。

「本当ですよ。カウンターに女の人がいたの」

 ママはため息をついてそのまま喋らなくなった。


「うちのお客だったの。その不倫相手。・・・ここはそういうお店」

 ママは娘に店を手伝わせたことを、死ぬほど後悔しただろうと思う。

 結局、その日は一人も客が来なかった。


 俺はしばらくその店に通っていて、社会人になってからも行ったけど、気が付いたら閉店していた。ママは、もう待てない状況になったってことだ。


 俺もまたママに会いたい。

 でも、あれからもう30年近くたってるから、もうこの世の人ではないだろう。

 

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スナックのママ 連喜 @toushikibu

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