第13話 それは苦くて甘いもの

13-CHAPTER1

 よく寝たなあ、とヴァルダスはベッドの上で伸びをした。腹も膨れ、辺りを警戒することもなく、やわらかな布団の中、寝巻きを着てねむる。いつ以来だったろうか、とぼんやりした頭で考えていると、シャンがふたりを呼ぶ声がする。

 どうやらミルフィも今まで眠っていたようだ。はあい、と気だるそうな声がして、ヴァルダスは目を細めた。


「あんたたち、夜ふかしするから朝寝坊なんだよ」

「夜ふかしは別に構わないけど、朝はちゃんと起きないと駄目だろ」

「今夜はもう少し早く寝な」

 寝癖を立てたままのヴァルダスとミルフィは、揃ってシャンに叱られていた。まあまあ、とルーが止めるようにシャンの肩に手を乗せた。

「良いじゃないか、ふたりは今までたくさん歩いて来たんだ」

「夜ふかししたって、朝寝坊したって、良いんだよ」

 その言葉にミルフィはありがたい、という目でルーを見て、ヴァルダスはすまぬ、と小声を出した。

「ほらほら、朝ごはんだよ」

 気を取り直したように、シャンがふたりの前に大きな皿を出した。そこには柔らかいレタスの上にスクランブルエッグがたっぷりと乗せられており、その隣にはまるいパンが幾つもあった。つやつやとしたフルーツもある。

 ミルフィは瞳を輝かせた。ヴァルダスは旨そうだが肉がないな、と思った。においはするのだが、ふたりだけで食べてしまったのかも知れない。ヴァルダスの耳が垂れた。

 その様子に気付いたのか、シャンが立ち上がった。

「ああ、これを出すのを忘れていたよ」

 ほら、とそこにあったのはカットされた分厚いハムだった。ルーがにやにやした。

「シャン、忘れたなんて言っておいて」

「さっきから用意していたじゃないか」

 うるさいよ、と言うふたりの会話は、かりかりに焦げ目のついたハムに視線を奪われていたヴァルダスには全く聞こえておらず、ミルフィはその様子に笑ってしまった。

「その怪我はもう平気なのかい」

 心配そうなルーの言葉に、ふたりはしっかり頷いた。

「なら、今日はどうするんだい」

 優しくふたりを見つめながら、改めて訊いた。ふたりは顔を向き合い、うーんと黙った。何も考えていない。

 

 今後の道を決めた今、直ぐに旅立っても良かった。しかしにこにこしたルーの前で、いきなり出立を宣言するのも気が引けたし、数日世話になりたいと昨日伝えたばかりだ。そして何よりもう少しのんびり過ごしたいというのがヴァルダスの本音でもあった。ミルフィはわくわくした顔で、

「どうしますか」

 と訊く。ミルフィの頭に今日出てゆくと言う考えはなさそうだ。同じ考えのようでヴァルダスは安心した。

 ヴァルダスはハムを自分の皿に乗せながら、

「今日はミルの薬になる素材を採るか」

 と言った。

 考えてみれば、本腰を入れて材料を集めたことはなかった。その場の草花をミルフィが少しだけ集め、それを保存するやり方で今まで来た。

 

 ああそれなら、とシャンが口を開いた。

「うちの庭の先に、雑木林がある」

「あそこはいろんな植物があると思うよ」

 ルーもそれが良い、と頷いた。

 ふたりは頷いて、用意された朝食をもりもりと食べ、直ぐに完食した。ミルフィはヴァルダスにハムを多く取り分けた。ヴァルダスは普段のように無表情であったが、尾は激しく振られていた。

 

「それでは支度をしよう」

 ヴァルダスの言葉にミルフィが立ち上がり、空になった皿に手を取ると、シャンは良いんだ、と右手を左右に振った。

「あんたたちは材料を集めることも仕事なんだろ」

「早く準備してきな」

 すみません、とミルフィは頭を下げ、ふたりは一緒に部屋に戻った。


 防具一式ではなく、腕輪とポーチだけ装着して廊下に出ると、軽装に着替えてはいたが、ヴァルダスが耳と尾を垂らして立ち尽くしている。

「どうしたのですか」

 ミルフィが驚いて声をかけると、剣とマントを持ち上げた。

「自分でやっておきながら何だが」

「これでは使いものにならないな」

 ほらごらんなさい、とミルフィは眉を下げた。


 いつまでも廊下に立ったまま出掛けない様子のふたりにルーが、

「どうしたんだい、やはり傷が痛むのかい」

 と心配そうに声をかけた。

 

 ヴァルダスは黙ったままルーの傍までゆき、そのふたつを掲げた。

 ルーは目を丸くすると、

「こりゃひどいな」

 と呟いてから顔を上げて、

「ずいぶんと大変な戦いをしてきたんだね」

 と言った。

「ん、しかし昨日うちに来た時はこんな状態ではなかった気がするよ」

 ルーが首を傾げたので、ヴァルダスは大きくかぶりを振り、小声で言った。

「いや、これは昨晩自分で傷付けたのだ」

 その言葉にルーは何だって! と大きな声を出した。

「何だってそんなことをしたんだい」

 ミルフィは慌てて、

「わたしのせいなんです」

「わたしが浜辺で逸れた敵と遭遇して、ヴァルさんに無理をしてもらったんです」

 と言った。もちろん嘘だ。

 良いのだ、いいえ良くないです、とふたりが押し問答をしていると、ルーが口を開いた。

「理由はどうであれ、これじゃあ駄目だ」

「使えるようにする必要がある」

 と言い立ち上がると、二階に上がって行ってしまった。取り残されたふたりは、じゃあじゃあ皿を洗うシャンの背中を見ているしかなかったが、ルーは直ぐに降りてきた。

「しばらく使わなかったからどうかな」

「それよりわしが出来るかどうか」

 ルーの手にあったのは裁縫箱と道具箱だった。どちらも結構な大きさだ。

 両腕でそれぞれを持ってきたルーの杖は腕のあいだに何とか挟まれていたので、ヴァルダスはルーの肩を直ぐに抑え、ミルフィはすぐさまふたつの箱を受け取った。


「ルー、これは何だ」

 此処に来た時のように出入り口前の階段に座ったルーを、ふたりは見下ろした。その蓋を何とかこじ開けながら、ルーが見上げて言った。

「わしが魚を獲っていた話はしたね」

 ふたりは頷く。ルーは、

「そのマントを貸してごらん」

「ああ、剣はここに置いて」

 とヴァルダスに指示をした。ヴァルダスはその通りにして、ルーを改めて見た。

「網をちょくちょく修繕していたこともあって、手先は器用でね」

「シャンの服だってわしが直すんだよ」

 わあ、とミルフィが感心したように明るい声を出した。

「それからね、魚を獲るのにモリを使ってもいたから」

「良く削ったり磨いたりしていたんだよ」

「剣もあれのように出来るんだったら、元のようにしてあげられるんじゃないかと思ってね」

 ヴァルダスはおお、と声を上げた。

「まあ、期待はしないでおくれ」

「わしももう、しばらくやっていなかったからね」

 この状態より良くなるのなら、とヴァルダスはルーの両手を握った。

「是非頼む、礼は必ずする」

 ルーは顔の前で手を振った。

「言っただろう、確証は出来ないよ」

「まあやってみるから、行っておいで」

 嬉しそうに尾を上げたヴァルダスにミルフィは微笑んで、じゃあ向かいましょう、と言った。

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