12-CHAPTER3

「一族の仇だと言い、それこそお前を狙う狼もいるだろう」

「そしてお前が心配したように、俺の命が脅かされることがあるかも知れぬ」

「俺がミルにとって危険な存在だと、お前を追うやつらは誰もが思うだろう」

「何せ傍にいる一番の障害が、月詠みをもっとも厭悪えんおする狼なのだからな」


 ヴァルダスはミルフィを見たまま言った。

「しかし、だから何だと言うのだ」

 お前は、とヴァルダスはミルフィの手を握ったまま、言った。

「俺が狼だから、傍を離れるのか」

「そう、願っているのか」

 ミルフィは瞳をつむり、首を振った。それにより湿った空気がふたりのあいだを包む。

「それなら、俺の気持ちが分かる筈だ」

「俺の旅を大切にしろと言ったではないか」

 閉じた瞳のうえから、ヴァルダスの静かな声がする。

「それぞれの目的に共に向かうことは出来ないのか」

 ヴァルダスの両手は相変わらずミルフィの手を強く握っている。

 ミルフィは瞳を開き、ヴァルダスの大きな手のひらを見つめながら、考えていた。

 

 自分はローズが言った、傍にいる信じるべきひとから離れようとしているのだろうか。これはもちろん自分の願いではない。願いである筈がない。

 

 しかしこの道を押し付けたくない。それは事実だ。

 わたしは彼を護ることが出来たと言えるのだろうか。彼から離れるという選択肢を選ぶことで。分からない。


 ミルフィは何も答えなかった。言葉が返ってこないので、ヴァルダスは鼻を鳴らした。

「それならば言わせてもらうぞ」

「並び歩むことが出来ないというのなら、お前はお前が思うように進め」

「迷惑だか危険だか何だか知らんが、また妙なことを考えているのならもうどうしようもないがな」

 

「俺が求める旅は、それだけだ」

「それでもお前が俺と離れると言うのなら、俺はもう何も言わぬ」

「お前の旅の邪魔はしないと誓おう」

 

「そしてお前が望む大切な俺の旅とやらを、俺は続けよう」

「遠くへ、またひとりで」

 

 それから手をそっと離した。しかしその柔らかな力に反して、強くいつもの美しい瞳でミルフィを見た。

 

「だがお前が月詠みで俺が狼、というだけの理由でこの旅をやめるというのなら」

「俺は許さない」

 

 ミルフィは息を呑んで、もう何も言えなくなった。何なのだろう。何なのだろう、このひとは。胸が痛い。

「どうしてひとの決意を覆すのです」

「共にゆきたいその思いはずっと、ずっと変わらなかったから」

「だからこそ、離れようとしたのに」

「たくさん考えて決めたことなのに」

 泣きそうな、苦しそうな顔でミルフィは涙を浮かべ、笑った。

「でもそんなの、はじめから無理だったんですね」

「だってまた会えてしまったから」

 そう言いながら、ミルフィは思わずヴァルダスに体重を思い切り預け抱きしめようとしたが、そのまま押し倒してしまった。

 突然のことにヴァルダスは勢いよく後方に倒れた。そして何の話か分からず返事に窮し、後頭部への衝撃も忘れた。

 

 ミルフィは息をすう、と吸った。月詠みとして口を開いた時ではない息の吸い方だった。涙こそ浮かんでいたが、強い瞳だった。

 そしてヴァルダスをしっかり見つめた。

「わたしも共にゆきます、今までと同じように」

「やれることを、やれるだけやってみます」

「以前とはまた違うご迷惑をおかけするかも知れませんが――」

 言い終わる前に、ミルフィの背中に手が回され、それに力が込められた。

「お前、俺をこうしたかっただけか」

 ミルフィの顔が一気に赤くなり、ヴァルダスの腕の中で浜辺でやったように暴れ、そして起き上がろうとした。

 どうどう、と抑えるように優しい声で言う。

「つまりは何も変わらないわけだな」

「共にいる理由が増えただけだ」

 ミルフィは自分がヴァルダスを押し倒してしまったことを後悔した。自分の鼓動でヴァルダスの声が聞き取りづらい気がする。

「しかし俺には決めたことがあるぞ」

 ミルフィの下敷きになりながら、ヴァルダスが楽しそうに言った。

「な、何です」

「俺は二度とお前に剣を向けることはしないと誓ったが」

「お前に武器を向けるやつが目の前に来たら、相手が狼だろうと何だろうと」

「そやつには迷わず剣を取る」

 

「今よりも強くなっていってやろう」

「お前が死んでも護りたかったもののためにもだ」

 ヴァルダスはミルフィの背中を、温かい手で優しく叩いた。

「俺の戦いぶりに腰を抜かすでないぞ」

 ミルフィはヴァルダスの胸に顔を埋めた。呼吸がしづらい。視界がぬくもりと水滴でゆれる。

「ヴァルさんは酷いですね」

 酷いという言葉に動揺して、ヴァルダスの耳が跳ねた。

「いやまあ、あのぼろぼろな装備で戦えるのかと言ったら何も言えないが」

「そうじゃありません!」

 とミルフィが大きな声を上げたので、今度は両足のあいだから見えていた尾が跳ねた。

「そう言われたら」

「わたしは心に決めたことを、自分が果たすべきことを忘れてしまいそうで恐ろしいです」

「傍にいるだけで嬉しくなってしまうから」

 ヴァルダスは目を大きくした。そして思わずミルフィの背中に当てた手のひらに力を込めてしまった。

 それに気付かずミルフィはまた、瞳をぬぐった。今度は布を巻いたままの左手も使った。そして泣き笑いをした。

 

「ヴァルさん専用の甘いお薬をたくさん、たくさん作ります」

「ヴァルさんが思い切り剣を振ることが出来るように」

「これからもずっと」

 ヴァルダスは目を細め、また背中をとんとんした。

「戦士に薬は必須だからな」

 ミルフィは鼻をすすりながら頷き、くぐもった声で続けた。

「ええ、そうですとも」


 ふたりで戦おう。

 互いを護り、そして皆を護ろう。


 ふたりは静かに起き上がった。いっときの間があり、ヴァルダスがミルフィに顔をゆっくり近付けようとすると、ミルフィもふわりとヴァルダスを見上げたが、ミルフィがあっ! と言ったのでまた尾がびくりとなった。

「ベッドの位置を直さないと、シャンさんに怒られますよ」

「そ、それじゃあ!」

 

 ミルフィは鞄も持たずに部屋を飛び出してしまった。

 ヴァルダスは耳と尾をたらし、床に落ちたままであった布をまた手にし、もうほぼ乾いていた頭を再度がしがしした。

 そして放り投げられた鞄から飛び出ていた薬を静かに仕舞い、ミルフィのぬくもりだけが残る自分の手のひらで、その小さな鞄をそっと撫でた。

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