12-CHAPTER2
ミルフィは部屋に入ってから直ぐ、ベッドが窓際に大きく動かされているのに気が付いた。この部屋に着いた時、此処から聞こえた音はこれを動かす時に出たのだろう。
ミルフィはベッドを指差した。
「これはどうしたのですか」
ああ、とヴァルダスは目を逸らした。
「とりあえず座ってくれ」
ミルフィは言われるままその場に鞄を置くと、あぐらをかいたヴァルダスの向かいに座った。お互いの身体がまだほかほかしているので、ふたりの間の空気は温まっている。
「それで、そのことなのだが」
ええ、とミルフィは前屈みになって、ヴァルダスを見つめた。
「俺は此処に来た時、今後はひとりで進もうか迷っていてな」
「その際はあの窓から密かに抜けようと思い、ベッドを念のため窓の直ぐ側にずらしておいたのだ」
何ですって! とミルフィは口に手を当てた。
「どうしてそう思ったのですか」
「これからの道が、お前には危険すぎると思ったからだ」
頭を拭いていた布を側に置くと、ヴァルダスは呟き、軽く俯いた。
「それで浜辺でそれを伝えようとした」
「お前に遮られたがな」
ミルフィは申し訳なさそうな顔をした。するとヴァルダスは顔を上げた。
「お前、何か言いたいことがあるのではないか」
ミルフィは目を大きく見開いた。
「どうしてそう思うのですか」
「その顔を見れば分かる」
「言うのならば今言ってくれ」
黙っていると、急かすように尾を床に叩くのが背中に見えたので、ミルフィは少しだけ焦って、口を開いた。
「今、大切な目的があります」
「それは旅を始めた時にはなかったもので、諦めることなど出来ない、いいえ、してはならないことです」
ミルフィは膝の上に両手を重ねた。浜辺で震えていた時とは違って、それにはしっかりと力が込められている。
「倒れていたあいだ、信じられないかも知れませんがわたしは、ある決意をする時間を与えられました」
「それは浜辺でヴァルさんがわたしに告げた、狼が月詠みに殺された、という話にも関係しています」
何も言わず自分の手元に視線を落としたヴァルダスに、ミルフィは悲しそうに続ける。
「実は、月詠みが狼一族を狙う理由はわたしにも分かりません」
「そうなのか」
顔を上げ驚いた声を出したヴァルダスに、ええ、とミルフィは静かに頷いた。
「卑怯な物言いかも知れませんが、わたしはヴァルさんがツクヨミという言葉を口にするまで、自分が月詠みだという記憶がありませんでした」
「そしてヴァルさんからご家族のお話を聴いて初めて、その月詠みがこの世界で狼一族、そして恐らく他の方々をも殺めていると知ったのです」
ヴァルダスは静かに言った。
「だからあの時、『誰も殺したくない』と言ったのだな」
ええ、とミルフィは静かに頷いた。
「わたしは何故、月詠みが皆の命を奪う原因になったのか知りたい、いいえ知らねばなりません」
「そしてわたしは、それを止めたい」
ミルフィは顔を上げた。強くも悲しい瞳だった。
「だから、ヴァルさんとはもう、共に旅をすることは出来ないかも知れません」
「何故」
ヴァルダスは直ぐに訊いた。ミルフィは小さな声で言った。
「ご迷惑をかけるからです」
「ヴァルさんがおひとりで旅をされるのなら、そちらのほうがきっと良いのです」
ヴァルダスは先ほどの告白を後悔した。
「今後何が起こるか、何が襲ってくるか分かりません」
「わたしにも分からないのですから、それと対峙することは困難を極めるでしょうし、何より危険です」
「何がものごとをよりひどい状態に招くか分からないことが、わたしは恐ろしいのです」
ミルフィは顔を上げて、懇願するように言った。
「ヴァルさんの旅はヴァルさんのもの」
「大切にしてください」
そしてミルフィがヴァルダスの返事も待たず、鞄の中にあるのであろう、薬箱に手を掛けようとすると、ヴァルダスはそんなミルフィの横顔を見下ろして、ゆっくり口を開いた。ずらされたベッドが目の端で異様に歪んでみえる。
「ミルフィお前は、俺を襲う〝危険〟というものが俺にとって迷惑だと思ったのか」
「俺がそう思うと、考えたのか」
ミルフィの悲しそうな顔がふいと解け、目を大きく開いたのが分かった。ヴァルダスはミルフィが手を差し入れようとしていた鞄を引ったくるように取り、手が届かないように自分の背中に置いてしまった。
そしてヴァルダスはミルフィを軽く睨んだ。
「お前は、俺の気持ちを置いてきぼりにするのか」
ミルフィはヴァルダスの言葉と視線に焦ってしまって、ええと、と曖昧な声を出した。
「お前にはいつも話を遮られている気がする」
ミルフィは何も言えなかった。
「良いか、今度こそ俺の番だ」
ヴァルダスは少し息を吸い、意を決したように話しだした。
「聞いてくれ」
「俺は仇を探すために、より遠くにゆくつもりだった」
「無慈悲な兵士たちの戦場を幾つも超えて、辺りのどのような敵も蹴散らす思いで」
瞳を尖らせたままヴァルダスは続けた。
「あの兵士たちはな、仇を探すこととはまた別に、存在自体が俺にとって実に厄介だ」
「あいつらは俺ら狼を殺せと言われているらしいのだ」
えっ、とミルフィは顔を上げた。脳裏に初めてヴァルダスが戦ったあの兵士たちが浮かぶ。彼らははじめから、ヴァルダスの命を狙おうとしていたのか。そう言えば、ルークビルの夜、ディルムもそのようなことを言っていた。
困惑した様子のミルフィを見ることもなく、ヴァルダスは続ける。
「それゆえ、今後の道はより厳しくなる筈だ」
「今まで戦い歩いて来たが、
「出会ったとして、相手もそれだけ手強いと思ったほうが良いだろう」
ミルフィは目を伏せると、静かに頷いた。
「だから先ほど言ったように、今後のお前との旅はより厳しいものになると伝えたかった」
「お前が共にゆけぬと言うのなら、それも仕方ないと考えた」
「そう思いながらも答えを待たず、あのようなことをしたわけだが」
ヴァルダスは動かされたベッドに目をやる。
だがな、とミルフィを見、あぐらをかいた膝の上で両手を組むと前屈みになった。ミルフィを見続けたまま言う。
「俺もお前の気持ちを考えていなかったのかも知れない」
「実行するつもりだった」
「此処を直ぐに出ることも、あの時お前を貫くことも」
ミルフィは大剣にみえた月光を思い出す。
「だが、どうしても出来なかった」
ヴァルダスは一度自分の両手に目を落としたが、改めて真っ直ぐにミルフィを見つめた。
「お前に流れる血は、確かに仇である月詠みかも知れない」
「警備隊のなんたら、というものがいずれ追って来るのも分かっている」
「しかし、俺の旅はお前と続くものだと今は思っている」
ヴァルダスは両手でミルフィの手を取り、自分の膝の上に乗せた。あたたかい。
「迷惑など思うわけがないであろう」
「お前が月詠みだから何だと言うのだ」
「俺だってお前を危険に晒す狼だ」
「お前が月詠みだということも、俺が狼なのも、変わることはない事実だ」
ミルフィは真っ直ぐに立ち上がったヴァルダスの両耳を見上げた。しとりとしてもなお、つやつやしている。
ヴァルダスの両手に力が込められた。
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