第12話 戦士と薬
12-CHAPTER1
ミルフィは両手に自分のブーツを持ち、ヴァルダスは傷だらけの剣と、よれよれになったマントを手にして小屋に戻ろうとした。
夜明けはまだ先だ。扉を開けて、足を踏み入れた瞬間だった。
「あんたたち!」
大声を聞いてふたりとも飛び上がった。見るとランタンを持ったシャンであった。
「あたしはね、いま用を足しに起きたんだけどね」
「いや、そんなことはどうでも良い」
「何であんたたちはそんなに血まみれなんだい!」
ミルフィははたとした。驚かせても仕方がない。自分の手首と、同じように両手のひらに赤く染まった布を巻いたヴァルダスがふたり並んで立っていたのだから。
「あ、いやこれは――」
ヴァルダスの言葉を待たずに、シャンは廊下の奥を指差した。
「それとね、あんたたち生臭いよ!」
「今すぐ風呂に入ってきな」
な、なまぐさい……ミルフィがショックを隠しきれないでいると、ヴァルダスが言った。
「いや、狼は普段からこのようなものだから」
そう言うことじゃない! とまたシャンは声を張り上げた。早く行きな、とランタンを持っていないほうの左手を上下に強く振った。ふたりが大きく頷くと、シャンは部屋に戻っていった。
ふたりは廊下に立って、黙った。
「ヴァルさんからどうぞ」
「いやお前から入れ」
ふたりはまた口をつぐんだが、ヴァルダスが言った。
「なるだけ早く、その傷口をきちんと洗ったほうが良い」
「見たところ意外と切り口の幅は大きくなかったから」
「強くこすらなければ、ひとまず周りの汚れは落とせる」
ミルフィは自分の手首に目を落とした。
「早くしろ、俺は部屋に戻る」
「これを置かねばならぬしな」
これとは、へたったマントと、光を失った剣のことである。
「すみません、直ぐ終わらせますから」
ミルフィはそう言うと、風呂場の扉を開けた。そこにはランタンがあって、側には火を点けるための呪文石もあった。ミルフィはそっとそれを手にしてランタンを灯した。置いてあるかごの隣にベルトやらブーツを並べ、かごには腕輪と防具、ワンピース、と静かに脱いでいった。
あのふたりのどちらかは炎の呪文が使えるのだろうか。恐る恐る蛇口をひねると、ほんとうに湯が出てきた。さらに風呂桶の中にはほわほわと湯気を立てた湯があった。
ミルフィは嬉しくなって、砂まみれになっていた足を洗ってから、ゆっくりと身体を沈めた。左手首だけを持ち上げた、奇妙な姿勢ではあったが、実に心地良い。
湯に浸かっているうちに、心がほぐれてきた。ヴァルダスに抱きしめてもらったことが思い出されて、それが未だに信じられなかった。ヴァルダスの胸はとても大きく、温かかった。嬉しかった。
そして、あの怒りに満ちた顔も忘れられなかった。月詠みは、影詠みを呼び、この地を荒らしていたのだろうか。いつから、何故。
ミルフィはそのようなことは、一切知らなかった。ローズは敢えてミルフィには教えなかったのかも知れない。
しかし自分は半分の血とは言え、月詠み。ゆえに此処に血を流していた者たちが確かにいたということを、忘れてはいけない。そしてこれからそのようなことが繰り返されないように歩かなければいけない。その責任がある。決して忘れない。
ミルフィはそのようなことを考えながら、身体から汚れと血を洗い流した。手首に巻かれた布をこわごわ取り外したが、そこはもうほぼ乾いており、傷口も薄くなっていて驚いた。そろそろと周りを洗う。引っ張られるような痛みはあったものの、あらたな出血はなかった。長くなってしまって申し訳ないなあ、と、思いながら髪もゆすいだ。とてもさっぱりした。
汚れてしまった湯を風呂桶から抜くために栓を引いた。ごぼごぼとそれは流れてゆく。それと共に、今までの自分が去ってゆく気がした。
それからミルフィは風呂桶を流し、改めて湯を張った。そして、置かれていた布を身体に巻いた。
そのときだった。ノックの音がした。
「ミル、ちゃんと生きているか」
心配そうなヴァルダスの声がした。ミルフィは吹き出しそうになって、生きてますよ、と返事をして何も考えずに扉を開けた。
布一枚のミルフィに驚いたのか、ヴァルダスは咄嗟に目を背けた。はっとして、ミルフィは固まった。
「す、すみません、替えとか諸々部屋に置いてきたままでした」
ミルフィはそのことをすっかり忘れていた。そしてまさか部屋に戻る前に、ヴァルダスが此処に来るとは思っていなかった。恥ずかしさなのか湯のせいなのか分からなかったが顔が火照り、自分でも赤くなってゆくのが分かる。
すまぬ、と一言だけ残して、ヴァルダスは自室に駆け込んでいった。
ミルフィは慌てて自分が脱いだものを全て手にして、部屋に戻った。寝巻きはシャンが用意してくれていた。
ミルフィはそれを着て、ヴァルダスの部屋をノックした。
「ゔ、ヴァルさん、もう良いですよ」
「お風呂用意できていますからね」
おお、と中から小さい声が聞こえたので、ミルフィは部屋に戻った。
持ち上げたベルトのポーチからポプリの袋が落ちた。手紙を抜いたので、中の花が少し減っていた。手紙はどうなっただろう。浜辺の風に飛んでいったのかな。
「ローズおばあさま、あれはもう必要ないですね」
ミルフィは静かにそう言った。いつものブラウンの瞳で。
風呂場からはじゃあじゃあ、と派手な水音がして、ミルフィは思わず扉越しにそちらを見た。ヴァルダスは身体が大きいから、必要な湯もそれだけ多いのだろう。しかし、あの手のひらでは湯は染みそうだ。ミルフィはまた眉を下げた。
しばらくして、ぱたん、と隣で音がした。ヴァルダスが湯から上がったようだ。
ミルフィは悩んだが、鞄を持ち上げるとヴァルダスの部屋の前に行った。
静かにノックをする。
「ヴァルさん」
声をかけると、おお、と明らかに慌てた声がした。そのあと頭を布でがしがししながらヴァルダスが出て来た。
寝巻きの裾が短く、いやヴァルダスが大きく、手も足も丈が足りないのを見て、ミルフィは笑ってしまいそうになった。
「どうした」
ミルフィは我に返った。そしてヴァルダスの目の前に鞄を両手で差し出した。
「ヴァルさんの傷口にお薬を塗りに来ました」
そう言うと、ヴァルダスは中に入れ、というように扉の脇に立った。
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