11-CHAPTER3

「分かりました」

「わたし、先にお部屋に戻りますね」

「ヴァルさんはゆっくりしていてください」

 ミルフィは立ち上がると、半ば駆け出すように小屋へと戻った。

「おや、ヴァルダスくんと一緒ではないのかな」

 相変わらず出入り口の階段に座っていたルーが、ミルフィを見上げた。ええ、と曖昧に笑って、ミルフィは自室に入った。

 

 ベッドに腰掛けて、何とはなしに部屋の窓を見上げた。話って何だろう。ヴァルダスの表情を見るに、楽しい内容ではなさそうだった。ミルフィは動悸がしてきて、思わず俯いた。自分の重ねた指先に目を落とす。

 

 わたしが此処までこうして歩いて来ることが出来たのはヴァルさんのおかげだ。それを忘れたことは一度だってない。けれど。忘れたことはないけれど、知らないことはたくさん、ある。たくさん。

 でもきっとそれは、お互い様なのだ。


 そのようなことを考え始めると、ミルフィはいても立ってもいられなくて、すっくと立ち上がると部屋を出た。扉の音にシャンが振り返って、どうしたんだい、と驚いたように言った。

「先に風呂に入るかい」

 シャンの言葉に、此処にはお風呂があるのか! とミルフィはとても嬉しくなったが、首を振って落ち着きを取り戻すと、

「シャンさん、お水をください」

 とだけ言った。

 

 大きめのグラスに注がれた水を口にしながら、キッチンのテーブルでどこか落ち着かないミルフィの向かいに、シャンが座った。ミルフィの様子を意に返さずに、楽しそうに口を開く。それともあえてそうしているのだろうか。

「旅人さんが来るのはほんとうに久しぶりでね」

「夕食はお前さんたちがいる間は腕を振うよ」

「普段は素食だからね、ルーも喜ぶだろ」

 ミルフィは胸元で両手を振る。

「お気遣いなさらないでください」

「お世話になるだけでありがたいのですから」

 良いんだ、とミルフィの言葉に笑ってから、シャンは首を傾げた。

「そういや、あんたたちはどれくらい此処にいるんだい」

「いや、勘違いはしないでくれね」

「あたしたちはさ、どれだけいてくれても全く良いんだ」

「ただ」

 ただ? とミルフィがシャンを見ると言った。

「あの子、ヴァルダス」

「なんだか、悲しそうな瞳をしてたから、心配になってさ」

「何か理由があって、しばらく此処にいるのかと思ってね」

 ミルフィは更に不安になり何も言えなくなって、グラスに添えている指に力を込めてしまった。

 

 すると、そこにヴァルダスが丘から戻ってきた。

 シャンは、ヴァルダスおかえり、とだけ優しく言って立ち上がると、ヴァルダスの言葉も待たずに、キッチンの向こうにもう一部屋あるのか、そちらに行ってしまった。ヴァルダスはそんなシャンを不思議そうに見た。

「おや」

 視線を戻したヴァルダスの声にミルフィがびくりとすると、

「俺も水を貰いたかったのだがな」

 と言ったので、ミルフィが自分のグラスを差し出すと、それをぐびぐび飲んだ。

 ミルフィの視線に気が付くと、ヴァルダスが、

「ああ、つい飲みきってしまった」

 と空のグラスを見て呟いたので、

「そんなこと、全然気にしないですよ」

 と笑った。

 そのまま流し台にある水道から水を注げば良かったのだが、ふたりともそのことに考えが及ばなかった。

「俺は部屋に戻るから、お前もゆっくりするとよい」

「夕食の時間になったら、ルーが呼んでくれるそうだ」

 ミルフィが頷くと、ヴァルダスは部屋に入ってしまったので、ミルフィはグラスを流しでゆすぎ、そのあと自分の部屋に戻った。


 そう言えば、わたしが旅をすることになってから、ヴァルダスさんと離れて過ごすのは初めてだ。離れたと言っても、壁一枚ではあるが。

 不思議な感じもしたが、本来は始めからひとりで歩く必要があったのかも知れない。

 

 きっとわたしは、彼に甘えすぎている。

 全てが始まった時から。


 机で薬のレシピや素材を確認していると、ヴァルダスの声がした。

「ミル、夕食だそうだ」

 はい、と返事をしてダイニングテーブルに向かうと、既に三人が席についていた。椅子がヴァルダスには小さいのか、少しぐらぐらしているのが面白かった。

「いやあ、こんな食卓は久しぶりだなあ」

 ルーが心から嬉しそうに言って、シャンもそうだねえ、と頷いた。

 赤いテーブルクロスの上には赤ワインときつね色に焼けたミートパイ、小魚のマリネ、ポテトサラダ、そしてスープが乗っていた。

「シャンのミートパイはいつ以来かな」

「もう作り方を忘れたのかと思っていたよ」

 意地悪そうに笑うルーに、シャンが肘鉄をした。

 ミルフィはきちんと正面を向いていたから、ヴァルダスの表情は良く見えなかったが、椅子の背から出ていた尾が目の端で楽しそうに揺れていたので、ミルフィは安心した。

「ふたりとも、いくらでも食べとくれ」

「パイは焼いたその日が一番旨いんだからね」

 ミルフィが席に着くと、シャンが楽しそうに言った。 

 ふたりはワインを勧められたが、ルークビルの酒場の件もあり、ミルフィだけが少し飲んだ。となりでヴァルダスはひとくちずつ、口が大きいのでそのひとくちは小さくはなかったが、静かにパイをかじっていた。

 あまり意識しても余計に不安になるだけなので、ミルフィは煮込んだ玉ねぎがたくさん入ったスープを、やたらと飲んでしまった。

 

「ミートパイ、美味しかったですね」

 パイより飲みものでお腹がたぷたぷしているな、とミルフィは思いながらも言った。不安はまだ続いている。

 ふたりは並んで、庭の入り口に座っていた。

「ああ、旨かった」

「羊の肉を使っているそうだ」

 そう答えたヴァルダスのブーツは階段の一番下まで届いて、砂利に音を立てた。

 

 すると、寝巻き姿のシャンが歩いてきた。

「あんたたち、夜更かしだね」

 ふたりを見て、にやりとした。

「あたしたちはもう寝るけど、出入り口の鍵は開いてるから」

「戻ったらそのまま部屋に向かうんだよ」

 ふたりが頷くと、シャンは小屋に戻っていった。シャンにふたりはどう映っているのだろうか。

 

 今まで並んで話していたのを忘れたようにふたりはしばらく黙っていたが、ヴァルダスが言った。

「ミル、浜辺に降りてみるか」

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