11-CHAPTER4

「足元に気を付けるのだぞ」

 ヴァルダスの声に、はい、と返事をして石段を降りる。最後の段から降ろした足が、さくっという柔らかな砂に触れたのが分かる。

「きちんと歩けるか」

 ヴァルダスは心配そうに声を掛けたが、ミルフィはゆっくり、だが真っ直ぐに進んでゆけた。

「ええ、全然暗くないです」

「あの月のおかげかも知れませんね」

 歩きながらミルフィは夜空を見上げ、ヴァルダスもつられて上を見た。星が霞むほどに明るい月が、ふたりを照らしている。ヴァルダスは思わず目を細めた。

 

 ヴァルさん、と呼ばれてミルフィを見ると、何かを指差している。近付くと、それは流木だった。

「此処に座れますよ」

 確かにそれはふたりともゆうに座ることが出来る大きさだったので、並んで腰掛けた。

 波音は絶えず続いていたが、ヴァルダスがこれから話すらしい内容のことばかり考えていたミルフィの耳には、ほとんど届いていなかった。

 

 落ち着かないし、不安だった。何せ、ミルフィの勘は当たるのだ。ミルフィはすぐさま立ち上がってどこかに逃げ出したくなったが、前を向いて足を伸ばし、落ち着いたヴァルダスの様子に、静かに並んで座ることしか出来なかった。

 

 ミルフィは気を紛らわせるようにブーツを脱いだ。足の裏を包む、砂の感触だけに集中しようとした。砂はさらさらしていたのに、指の間まで砂がまとわりつくのが分かる。それは足の裏までじんわりとにじむ、汗のせいだろう。


 ミル、というヴァルダスの声に我に返った。

「大丈夫か」

 ええ、とミルフィは慌てて答えた。

 ならばよい、と言い、ヴァルダスは前を向いた。

「ミル、俺はな」

 びくりとしてしまう。

「此処に来たのはそれほど昔のことではないのだ」

「とある出来事があってな」

 ミルフィのその様子を気にすることもなく、静かな声でおもむろにそう話し始めたヴァルダスは、普段持っている大剣を目の前の砂にざくり、と刺した。ミルフィはヴァルダスが剣を背負っていたことに全く気が付いていなかったので、大変驚いた。

 

 ミルフィはヴァルダスに倣うように、ベルトに装着していたダガーに密かに手を添えた。ひとのことは言えない。ミルフィもダガーを持って来ていた。

 いつも甘えていてはいけない。何かが目の前に現れたら、ヴァルダスと一緒に戦うべきだと思っていた。


 ミルフィが意識を改めていると、ヴァルダスが剣の持ち手に両手を添えた。

「これは、兄貴が使っていた剣だ」

「お兄さまですか」

 頷くと、ヴァルダスは続けた。

「俺たち狼の多くは、狼島、という国で生まれる」

「おおかみじま……」

 そうだ、とヴァルダスは頷き、続けた。

「狼島は、小さな島が幾つも連なった国でな」

「俺たち一族、家族は皆、そこで暮らしていた」

「それが続くものだと俺は漠然と思っていたのだ」

「兄貴が旅立つまでは」

 

「とある目的があったのだが、当時俺は何も知らなかった」

「俺と兄貴は歳が離れていたから、兄貴が旅立った日も、その様子も良く覚えていない」

「しかし」

 とヴァルダスは剣に視線を落とした。

「ある日、この剣が箱に入れられて、我が家に届けられた」

「血まみれだった」

「!」

 息を呑んだミルフィに意を返さず、ヴァルダスは続ける。

「親父は、ああ、とだけ言ってその剣を受け取り、納屋だと言われていた奥の部屋に消えた」

「そしてそこから戻ると、俺に言った」

「良いかヴァルダス、決してあの部屋に入ってはならないぞ、とな」

 ヴァルダスは改めて夜空を見上げた。

「あの日、母は何も言わなかったが、泣いているように見えた」

「兄貴の死を理解したのは、俺が成人してからだ」

「親父は、兄貴の旅の目的、そして兄貴の死について」

「幾ら訊ねても答えることはなかった」

 

 ヴァルダスは視線を海へ戻した。

「だから俺は、旅に出ることを決めたのだ」

「兄貴と同じように国を出たらば、兄貴のことが何か分かるかも知れないと思ってな」

 

「親父に旅に出ることを告げると、激しい剣幕で止められた」

「親父は普段穏やかな男であったから、俺は面食らった」

「しかしそれほど強く止める理由が何かあるのだろうと思い、俺はある晩、兄貴の剣が収められたあの部屋に入った」

「鍵は親父が本棚の奥に隠していたことを知っていたからな、容易かった」

 ヴァルダスは瞳を伏せ、静かに呟いた。

「そこには、大きな狼の毛皮が貼り付けられていた」

「兄貴の剣のとなりで、壁一面に広げられて」

「俺が言葉を失っていると、いつの間にか背後に立っていた親父が言った」

『これは俺の父、つまりお前の祖父だ』

『そしてこれは分かるな、お前の兄、ザックスの剣だ』

『ふたりとも月詠みにやられた』

「ツクヨミ……」

 どくり、ミルフィの鼓動が激しくなった。

「そうだ」

 反芻したミルフィにヴァルダスは頷くと、続けた。

「親父の話によると、月詠みには警備隊のようなものがいてな」

「祖父はそいつらにやられたそうだ」

「そいつらがいたとされる場所に武装した皆で向かったらしいのだが、何も残っていなかった」

「血溜まりの中の、毛皮以外はな」


 ミルフィは小刻みに、足先まで震えているようにも見えた。

「親父はそれを見て、怒りで頭が狂いそうになったと言った」

「その警備隊だか何だかを見つけて復讐を果たしたかったのだ」

「当然であろう」

「しかしお袋がそれを止めた」

「親父が国を出てもきっと何も変わらない、ならば此処にいてくれと懇願したらしい」

「それで俺ら兄弟は生まれたわけだ」

 ミルフィは始終俯いていた。両膝の上で拳を握っている。

「しかし兄貴はやはり許せなかったのだろう」

「親父がお袋に止められたように、俺が親父に止められたように、兄貴も国を出ることは出来なかった」

「ところがある新月の晩に、姿を消してしまった」

「祖父が使っていた剣と一緒に」

「誰もが兄貴を探した」

「しかし手掛かりは何ひとつ得られなかった」

「そして届けられたのがこの剣だ」

「誰が届けたのかは、今も分からない」

「恐らくいやらしいその月詠みたちだろうさ。祖父と同じように兄貴を殺した」

 ヴァルダスの瞳が細く棘を持つ。

「あの剣を部屋で見たとき、俺は戦いを挑まれたのだと思った」

「これを俺たちの元に届けたやつらからの」


 ミルフィはしばらく何も言わず、波音を聴いていた。

 そしてゆっくりと、訊ねた。もう震えてはいなかった。

「ヴァルさん、月詠みが一体何なのか分かりますか」

 いいや、とヴァルダスは首を振った。

 

「ただ分かっているのは、祖父と兄貴を殺したやつで」

「俺たち狼の、永遠の仇だと言うことだ」

 剣の上で重ねられたヴァルダスの手に力が込められた。

「だから俺は国を出た」

「兄貴の剣と、祖父の革で出来たマントを羽織って」

「それゆえにミル、これからはな——」

 ミルフィは顔を上げて静かに立ち上がると、ヴァルダスの言葉を遮り、目の前に立った。

「どうした」

 剣に手をかけたままヴァルダスが見上げると、そこに表情はなかった。このように何も映さない瞳を、ヴァルダスはミルフィに出会ってから一度も見たことがない。


 ミルフィは、いつも着けているベルトのポケットから、小さな袋を取り出した。ふわり、花々が香る。傍にいる時の、いつものミルフィのにおいだ。

 そっと広げると、中にはポプリの他に、紙切れが入っていた。ミルフィはそれを取り出した。

「読んでみてください」

 ヴァルダスは言われるがままに受け取ると、目を通した。

 そこにはこう書いてあった。


『ツクヨミという言葉を聞いたら、直ぐにおゆきなさい。あなただけではなく、隣の者と共に。』


「何……?」

 ミルフィがすう、と息を吸ったのが分かった。海風にミルフィの髪が舞う。

「お祖父さまは夜明けを待たぬ川べりで、お祖父さまを囲んだ影詠みたちの前に倒れられました」

 ヴァルダスは、がっ、と目を見開いた。

「お兄さまは深い森の中、影詠みの隊長に卑怯にも背中から狙われました」

 ミルフィの表情は変わらない。瞳にも、光はない。

「お前」

「お前なにものだ」

 ヴァルダスの瞳孔が細くなり、ぎらり、月夜に照らされて鋭く光った。

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