第11話 浜辺のふたり

11-CHAPTER1

 森を抜けると、小さな村が見えて来た。

 海が近い。特有のしとりとした風が流れ、波の音が重なって聴こえてくる。

 ヴァルダスの視線を追うと、わああ、とミルフィは声を上げた。

 村は丘の上にあり、そこへ向かう道の右手から水平線が見える。ミルフィはそこから、ずっと青いその先に目をやった。

「おい、落ちるのではないぞ」

 髪をゆらしたまま、ミルフィが何も言わないので、ヴァルダスはその場に荷物を置こうと思ったが、くるりとヴァルダスを見た。そして丘の下を指差した。

「あちらの浜辺には降りられるのでしょうか」

「どうであろうな、村の者に訊ねてみよう」

 はい、とミルフィは微笑み、村に向かって歩き始めた。


 到着すると、その村だと思っていた場所にあったのは一軒の山小屋で、宿のみ経営しているようだった。訪れる旅人も少ないのだろう、二部屋使うことが出来るようだ。もっともそう言っても、ここには元から客人用の部屋はそれだけしかないようだが。

「良かったな、今度は二部屋だぞ」

 横目で自分を見たヴァルダスに、ミルフィは俯いて鞄を握りしめた。先日酔っ払って記憶をなくしたのはヴァルダスの方だったのに、ミルフィはとても恥ずかしくなった。

 そして気付いたように顔を上げた。

「どうして鍵がないのですか」

「小さい宿だし、強盗の心配もないのだろう」

 ミルフィはそのようなことで良いのかなあ、と不安になった。


 ヴァルダスと別れて部屋に入ると、小さなベッドに、これもまた小さな蝋燭が置かれただけの机がある。荷物はひとり部屋にしてはルークビルの宿と同様、奥行きがなかったので、荷物は床に置くことになった。

 天井に近い高さに、少し手前に開かれた窓があり、そこから波の音が聴こえる。

 

 ベッドに腰掛け、ほうっと、ひと息つきながらミルフィがその音を聴いていると、どたばた隣の部屋から何か音がする。がしゃりというのは剣を下ろした音だろうが、そのあと、ぎぎ、と何かを押すような音だ。

 ミルフィは首を傾げた。

 

 そっと扉を開けてから、首だけでヴァルダスの部屋の方を見ると、その音は止まった。

 とたん、扉を勢いよく開けて隣からヴァルダスが出て来たので、ミルフィはヴァルダスにぶつかりそうになってしまって、冷や汗をかいた。

「何をしている」

 驚いたようにヴァルダスが言うので、ミルフィは咄嗟に答えられず、

「まあ此処はわたしの部屋ですからね」

「顔を出すもの自由というわけです」

 と言った。まあそうだな、とヴァルダスは不思議そうな顔をして、キッチンに向かっていった。

 此処は老夫婦が営む宿屋ではあるが、小さいがゆえに借りる部屋はふたりの家の中にあった。ミルフィはその後ろ姿を確認しながら、先ほどの自分のめちゃくちゃな台詞に、なんだか恥ずかしくなってしまった。


 何となくヴァルダスについて行くと、キッチンには白髪のてっぺんを団子にして結った小柄な老婆がおり、振り返るとふたりに気付いてにこりと笑った。だいだい色の水玉の前掛けを着けている。

「部屋は気に入ったかい」

「あたしはシャンだよ」

「何かあったら、なんでも言っておくれ」

 ふたりはシャンに倣って自己紹介をすると、並んで宿の出入り口に向かう。辺りを見てみるか、というヴァルダスにミルフィはついてゆくことにしたのだ。

「やあやあ、旅人さん、どこから来たのかね」

 宿を出ると小屋の前の段差に座り、くるくるとした癖毛の、やはり白髪の老人が木製の杖を手にし、こちらをにこにこと見ていた。

「うちはどうかな」

「海辺なのもあってね、ぼろぼろで済まないね」

 シャンの旦那なのだろう。ミルフィは、

「窓から聴こえる波の音がとても素敵ですね」

 と微笑んだ。

「俺たちはルークビル近くの森を抜けて来たのだ」

 先日の屋敷の方向を指差す。

「まあ、特にこれから行く場所が決まっているわけでもない」

「二、三日、此処にいても良いだろうか」

 おお、と老人は杖の持ち手を軽く持ち上げ、とても喜んだ。

「寂しい思いをすることが多いんだ」

「ぜひ好きなだけいておくれ」

 いつものようにひと晩だけで通りすぎるのだと思っていたミルフィは驚いて、思わずヴァルダスを見上げた。

 此処なら街よりも喧騒がないから、足を止めてのんびり過ごしたい気持ちがあったのかも知れない。

「助かる」

「俺はヴァルダス、こっちはミルフィだ」

 ミルフィは老人に向かって、よろしくお願いします、とお辞儀をした。

「そうかそうか」

「わしはルー、シャンはわしの妻さ」

 ルーはしわしわの顔をほころばせた。

「戦いを辞めてからは魚を獲って売りに出たりもしていたが」

「今じゃ庭の剪定がわしの仕事さ」

 ルーは杖を置くと、両手でハサミを動かす仕草をしてみせた。

 

 ミルフィはふふっと笑っていたが、気付いたように言った。

「ルーさん、あちらの浜辺に降りることは出来ますか」

 ルーは目をやると、ゆっくり頷いた。

「うちの庭の先に、魚を獲っていたころ使っていた小さな階段があるよ」

「そこを降りていくと浜辺まで出られる」

 わあ、というミルフィの歓喜の声を聴きながら、ヴァルダスは浜辺から繋がる水平線を見た。

 何も言わなかった。

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