10-CHAPTER5
ヴァルダスは今すぐにでもリンに飛びかかろうとしたが、一旦止まった。リンの足元にはミルフィがいるし、今はナイフも剣も手にしていない。ナイフは突き返されたとき、そのままシートに置いてきてしまった。
ぎぎ、という弓の音に我に返ると、いつの間にか、リンはこちらに弓矢を引いていた。この距離で矢がそれこそ自分の顔面を突けば、傷が深くなるどころではない。そしてこやつの腕は馬鹿には出来ない。先ほどの出来事でそれはよく分かっている。
「……何の真似だ」
ぎり、と睨んだヴァルダスを前にして、リンはにや、と笑った。
「見たまんまだよ」
「俺がこの森を出る時が来たと思ったんだよ」
ざああ、と風が吹いた。
ヴァルダスはしばらく何かを考えていたようだったが、飛びかかろうと低くしていた体勢を直すと、穏やかに言った。
「お前、やはり相方が欲しかったのだな」
「それならそうと、早く言えばよい」
「さあ、ミルフィを連れてゆけ」
リンはその答えに目を見張った。
「俺は何もしない」
「ひとり旅でも平気だからな」
ヴァルダスはその場から一歩も動かない。
「なんだと」
「お前、何いってんだよ」
「大切な相方じゃねえのか」
リンは弓を引いた体勢を崩すことはなかったが、明らかに動揺している。
「早くしろ」
「また先ほどのような〝大物〟が来たら厄介だぞ」
そう言いながらヴァルダスは、冷えてしまった手元の肉をその場で噛み取った。そして屈むと、リンが放っていたたくさんの串を拾い出した。今しがた食べ切った肉のものも加えた。
リンはヴァルダスの行動が読めず、呆然とした。
すると突然、ヴァルダスが集めた串を束にしてその場に突き刺した。もちろんそこには何もない。
そのときだった。リンの足の甲に激痛が走った。見ると、いつの間にかマントから顔を出していたミルフィがおり、その手には、リンが最初に打った矢があった。ミルフィはヴァルダスの合図に合わせて、それをリンの足の甲に強く刺したのだった。リンの放った矢はその衝撃にあらぬ方向へ飛んでいってしまった。
「いてえ!」
「何てことをしやがるんだよ!」
リンが咄嗟に両手で足を抑えたので、その瞬間リンの元に駆け寄ったヴァルダスは、足元に落ちた弓矢を手にした。
そしてリンの頭を思い切り殴った。
「この卑怯者め」
足の甲と頭の痛みでリンは思わず屈み込み、
「ほんとうに冗談の通じない狼だな」
と憎々しげに言った。
ヴァルダスは鼻を鳴らした。
「どこまでが冗談だったんだか」
「動きによってはお前、命はなかったのだぞ」
「あの状態でおめえに何が出来たんだよ」
まだ足を抑えているリンに、ヴァルダスは続けた。
「ミルフィは武器を持っている」
「それでお前の腱を切り払うことも出来た」
「……」
「それはやめてくれ」
それから、ミルフィは自分が作った塗り薬をリンに塗った。リンは顔をしかめた。
「染みるなあ」
「ごめんなさい」
「けれど痛みには直ぐに効きますから、我慢してください」
「傷口は動くと広がります。しばらく安静にしていてくださいね」
ミルフィは残った薬を鞄に仕舞って、言った。
ヴァルダスはその様子を横目で見ながら、
「こやつ、木に縛り付けておくか」
と言ったが、困った顔をしたミルフィが止めた。
「この足では動けないでしょう」
「わたし、思い切り刺しましたもの」
ヴァルダスは少しだけミルフィのことが恐ろしくなったが、分かった、とだけ静かに言った。
「ほら、肉が焼けたぞ」
「お前も喰うとよい」
ミルフィは頷くと、ふた串食べた。久しぶりの肉は、身体にすとんと落ちて心地よい満腹感を与えてくれた。
リンはそんなふたりを見、相方ってこう言うものだったのか、と分からなくなった。想像していたものとだいぶんと違ったからだ。
リンにはふたりが切磋琢磨すると言うより、互いにおいて平和な世界を、ただ漠然と歩いているだけに見えた。
「おめえたち、ほんとうに変なやつらだな」
「相方なんか要らねえ」
「こんなやつらが隣にいるんじゃあ、落ち着くもんも落ち着かねえ」
「おれはひとりで此処にいたほうがましだ」
ミルフィは自分が食べたあとの串を紙の上に乗せながら、リンに微笑んだ。
「相方ではなくとも、また遊びに来ますから」
「また一緒にお茶を飲みましょう」
思わぬところで自分に向けられた笑顔にリンは明らかに動揺し、おう、と乱暴に言ってミルフィから顔を逸らした。そのふたりの様子にヴァルダスは若干苛つき、持っていたままの串を手のなかで何本も折ってしまった。
辺りを全て片付け、ヴァルダスとミルフィは立ち上がった。
「足の怪我、ほんとうにごめんなさい」
「ミル、謝らなくてよい」
「こやつの行動は到底許されるものではないだろう」
ヴァルダスを無視してリンはミルフィに近付くと、気にすんな、と言って八重歯を見せ、やっとにかっと笑った。
そしてヴァルダスを睨み付けた。
「おめえ次に此処に来た時また変なことしたら、今度こそ許さねえからな」
「足がまだずきずきする」
「どっちが変なことをしたんだか」
ヴァルダスは呆れた。
「肉は置いていくから、きちんと喰うのだぞ」
薪も残しておいたから、しばらくは困らない筈だ。リンはへいへい、とそっぽを向いて返事をした。
ミルフィたちはリンと別れ、また森の獣道を歩き始めた。
「まさかお前が獲物になるとはな」
「少し面白かったです」
「お前なあ」
するとミルフィがヴァルダスを見上げて不安そうに言った。
「あの、さっきの言葉なのですが」
ヴァルダスはミルフィを見下ろした。
「何のことだ」
「先ほどわたしがリンさんに矢を刺したときですよ」
ああ、とヴァルダスは思い出したように返事をした。
「嘘ですよね」
「何が」
「わたしを置いていってもいいっていう、俺はひとりでも平気だっていう言葉です」
「冗談に決まっているだろう」
「あいつの気を逸らせたかっただけだ」
良かった、と嬉しそうに前を向いたミルフィに、ヴァルダスは再度着けていたマントの下で、ぱたぱた尾を振った。そして、ミルフィを困らせるような冗談には、これから気を付けようと思って、ヴァルダスも前を向いた。
辺りはまだきらきらと木漏れ日に溢れ、ふたりの影に光が落ちた。
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