10-CHAPTER2

 ミルフィは目の前で起きたことを咄嗟に理解出来ず、固まっていた。その様子を心配したヴァルダスがミルフィの顔を覗き込んだ。

「おい、どうした」

 ミルフィはやっと我に返って、ヴァルさんは、と声を絞り出した。

「杖も使わず、呪文も唱えず」

「指先だけで光を操ることが出来るのですか」

 ヴァルダスは怪訝そうな顔をした。

「お前が言っていることはよく分からないが、今までも俺はこうして来たぞ」

 ヴァルダスの特別な力なのだろうか。こういう形で目の前に現れる光を、ミルフィは今まで見たことがなかった。

「お前まさか出来ぬのか」

「そんなことはないだろう、ほら、指を鳴らしてみろ」

 ミルフィは黙ってグローブを外したままの指を鳴らした。ぱすん、と音を立てただけでもちろん何も起こらない。今度はヴァルダスが驚いた。

「何故何も起こらぬ」

「お前の鳴らし方が下手だからではないのか」

 ミルフィは不満げに目を細めた。確かにミルフィは満足に音を鳴らしたことはないが、そういうことでは断じてない。

「ヴァルさん、呪文師ではないんですよね」

「前も言ったろう、呪文は使えない」

「ではそれはどういうことです」

「俺に言われても困る」

 

 ふたりとも黙ったので、焚き木が燃える音だけがぱちぱち、と聴こえて来る。火は上手く点いたようだ。

「まあ、良いです」

「お茶を淹れますね」

 ヴァルダスはミルフィの言い方に釈然としないまま、自分の指先を見た。何の変哲もない自分の手のひら、そして指だ。当然ながら人間よりもつるつるはしていないし、爪も長く鋭利だが、ほかにも違いがあるのだろうか。

 

 そう言えばディルムもこれに驚いていた。あいつは呪文師だが、この指先の光は知らないと言った。あいつも狼であるのに、何故だ。一体、何が違うと言うのか。

 

 いつから使えるようになったのだろう。自分でも覚えがない。しかしそれが旅に出てからであることは確かだ。自分の鞄には最初から、火を起こすための道具は何も入っていない。歩き始めてから、今まで。

 

 ううん、とヴァルダスが考えていると、ミルフィが茶を差し出した。

「今度はちゃんと甘くしてありますよ」

 それは焚き火で温められた金属ポットの湯を使い淹れられたようだ。先日の湯より熱いのか、茶の香りが強い気がする。

 熱湯を使ったにもかかわらず、猫舌なので適度に冷ましてからヴァルダスは茶を飲んだ。前回はあまりの苦味にうずくまってしまったが、今回のものはミルフィの言った通り甘く、非常に美味であった。思わず尾が左右にゆれる。

 道中、水しか口にしなかった自分が、茶など、それもこのような森の真ん中で飲んでいるのは不思議だった。


 茶を飲み切ったミルフィがのんびりした声で言った。

「平和ですねえ」

 そうだなあ、とヴァルダスが二杯目の茶を飲もうとしたときだった。

 ヴァルダスは急に立ち上がると、上腕を上げ、咄嗟に何かを弾いた。ヴァルダスの防具に当たり、がちん、というその音にミルフィが驚いて弾かれたものを見ると、それは一本の矢であった。

 えっ、と思った瞬間、またも飛んできた。ヴァルダスは今度はそれを左手首で強く払い、傍に置いていた剣を手に取ると、矢が飛んできた方向へ走っていってしまった。

 

 残されたミルフィは何が起きたのか分からなかったが、落ちている矢を改めて確認すると、その先端にある金属部分は細く尖り、ぎらりと光っている。このようなものが身体に突き刺さったらどうなってしまうのだろうと、ミルフィはぞっとした。


 ヴァルダスはどこまで行ってしまったのか、しばらくしても戻らなかった。それきり矢が飛んでくることはなかったが、ヴァルダスのことが心配だ。

 どうしたものか二の足を踏んでいると、

「おい!」

 と声がして、ミルフィは驚いてそちらを見た。

 大きな弓と矢筒を背負い、革のようなもので出来た服を身に付けた細身の男が、ヴァルダスと並んで歩いて来た。ヴァルダスほどではないが、背が高い。

「この狼を何とかしろ」

「おめえ、こいつの相方なんだろ」

 ヴァルダスはその男を睨み付けた。

「お前、ミルフィにその言い方は何だ」

「うるせえ、おめえの方が無礼だったじゃねえか」

「無礼も何も、お前が先に攻撃して来たろう」

 ふたりは睨み合いながらも、シートに並んで座った。

 ミルフィはどうしたら良いか分からなかったので、とりあえずその男にポットに残っていた茶を差し出した。

 男はそれに目を落とし、それからミルフィを見てから、ぐいぐい飲んだ。それから乱雑に口をぬぐった。

「フン、悪くない」

「だから、その言い方は何だ」

 ヴァルダスの声が普段より低い。今にも殴り合いが始まりそうで、ミルフィは座ったまま、ゆっくり後退りした。

「ミル、こやつには気を付けろ」

「俺が此処まで連れて来たのはこやつの顔を覚えてもらうためだ」

 てめえ、と横の男がヴァルダスを睨んだ。

「何言ってる、おれがこの獣の相方を自分の目で確かめに来たんだ」

 男は、黒い髪を高い位置でひとつに結っていた。足はこれもまた革で出来た、つっかけを履いている。つっかけといっても、それは革紐で足首までしっかりと固定されていて、この深い森のなかでは動きやすそうだ。

「そもそも、おめえがおれの縄張りでうろうろしてたのが悪いんじゃねえか」

「黒いしでかいし、そりゃ熊だとも思うさ」

 ヴァルダスが男を冷たい目で見下ろした。

「お前、良くそれで狩人が務まるな」

「そんな節穴で」

 何だと、と男が立ち上がり、自分が羽織っていた袖なしの上着を見せびらかすように前に引っ張った。

「おめえだっておれの服に大きな爪痕を残したくせに」

「盗賊みたいなやつらと狩人との違いもわからねえのかよ」

「これはおれの一張羅なんだぞ」

「知るか」

「俺たちに矢を飛ばしてきたやつの服など、どうでもよい」

「この野郎」

「何だ」

「もう、何なのですか」

「ふたりとも落ち着いてください」

 ミルフィの言葉に、ふたりは目を逸らし、男は再度座った。

「ええと、あなたのお名前は何と言うのですか」

「わたしは――」

 口を開いたミルフィの顔の前にヴァルダスが手のひらを突き出してそれを遮った。

「こんな危険なやつに、名前など伝えてはならぬ」

 ミルフィが目を丸くすると、男がまた立ち上がった。

「おめえ、ほんと何なんだよ」

「無礼が狼という形になって歩いてんのか」

「何?」

「おれはリン、狩人をしてる」

「おめえは?」

 リンと名乗った男は、睨みを効かせているヴァルダスを無視してミルフィに話しかけた。

「あっ、ええと」

 ヴァルダスを見ると仕方ない、というように首を軽く振る。

「おい、名乗るのもいちいちこいつに訊かないといけねえのか」

「おめえ、それで旅人と言えるのかよ」

 呆れたような顔をしてミルフィを見たリンに、あ、いえ、とミルフィが慌てると、ヴァルダスは勢い良く立ち上がった。

「黙れ、相手がお前だからだ」

「今直ぐお前の足をへし折ることも出来るのだぞ」

「だから何だってんだよ」

「おれのすばしっこさを舐めるなよ」

「ミルフィです!」

 ふたりの声を遮るようにミルフィは大声で名乗った。

 リンはミルフィの前にあぐらをかくと、

「ああそういや、さっきこいつがミルフィっつってたな」

 と言った。ヴァルダスの目がまた鋭くなった。

「お前わざと訊いたのか」

「ちげえよ、ほんとうに忘れてたんだ」

 

 リンが背負っていた弓を置いたので、ヴァルダスもフン、と言いながら座り、剣を下ろした。しかし腿に着けているナイフは外さなかった。


 さっきからふたりが目の前で立ったり座っているので、ミルフィは笑ってしまいそうになっていたが我慢し、何とか口を開く。

「ええと、リンさんはこの森で狩りをしているのですね」 

「そうだ」

 リンは頷いた。そして親指でやってきた方向を指す。

「あっちに住処があってな」

「そこを中心に鹿や猪を狩ってる」

 ああ、とリンはヴァルダスに目をやり、嘆くように言った。

「こいつが熊だったらなあ」

「久々に大物だと思ったのによ」

 ヴァルダスは鼻を鳴らす。

「お前のようなやつが熊などに敵うものか」


 何だと、とまたリンが返そうとした時だった。木々を分け開くようにして、こちらにやって来る何かがいる。ごき、ばき、という音が徐々に近付いて来る。

「おい、待て待て」

 そちらに視線をやると、リンが片足を立てた。

「ミル」

 ヴァルダスの言葉に、はい、とミルフィは直ぐに答えた。

「走れ、とにかく此処から出来るだけ遠くへゆけ」

「えっ」

 ヴァルダスはもうこちらを見ていなかった。大剣を構えている。それはリンも同じだった。弓を持ち、矢筒に手を掛けている。

 ふたりが見据えていたものがミルフィからも見えた。

 それは巨大な、熊だった。


 あまりにも突然のことで、ミルフィは慌てて立ち上がるとブーツを履いた。

 そしてヴァルダスが言った通りしばらく真っ直ぐに走ったが、振り返るとふたりが見える木に急いで足を掛けた。

 あの熊がこの真下に来たらひとたまりもないし、せっかくのヴァルダスの忠告を無視したことになる。しかし、ヴァルダスの傍を離れるわけにはいかない。いや、離れたくなかった。

 

 ついに熊がふたりの前に現れた。想像以上に大きい。そして両手を上げ、咆哮した。

「良かったなあ、大物だぞ」

 ヴァルダスが言うと、リンはチッと舌打ちした。

「狼も熊も全く」

「冗談が効かねえな」

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