第10話 これはおれの獲物だ

10-CHAPTER1

 ふたりは光の差す森を歩いていた。

 あの謎の声が追いかけて来やしないかと、ふたりはしばらく早足で歩き続けていたが、流石に此処まで来ることはないだろう。辺りは陽でさんさんとし、あの暗闇とは対極な場所だからだ。いや、そう願っていたというほうが正しい。

 

 ヴァルダスはまだ落ち着かなかった。尾はびんとしたまま、目だけで辺りをうかがっていた。ミルフィはヴァルダスに倣い後ろを見たが、安心したようにヴァルダスを見上げた。鹿や兎が平和に辺りを闊歩している。

「ヴァルさん、お茶にしませんか」

 ヴァルダスはミルフィの言葉が聞こえていないのかまだ耳を動かしている。ミルフィが鞄のベルトの紐を軽く引くと、おお、と声を出して背中で尾が上に跳ね返ったのが見えた。

「ヴァルさん、わたしより怖がりさんですね」

「もう大丈夫だと思いますよ」

 屋敷での態度も忘れ、ミルフィはくすくす笑った。     

 ヴァルダスは恥ずかしくなったのか、

「ただ辺りを見ていただけだ」

 と不機嫌そうに返した。

「それで、何だったか」

「お茶にしませんか、と言ったんです」

 ヴァルダスは一瞬黙ったが、そうしよう、と言いふたりは木陰に移動した。その場に置いた鞄からシートを広げる。ヴァルダスにとってその流れはもう当たり前になっていた。

「ああ、お湯がないのでしたね」

 ミルフィはシートに座りかけ、残念そうに言った。水でも淹れられる茶葉は買っておいたかな、と自分の鞄をあさっていると、ヴァルダスが立ち上がった。

「少し待っていてくれ」

 はい、と返事をして頷いた。用を出しにでも行ったのだろう。

 ミルフィは鞄から手を抜いて、木々を見上げた。木漏れ日が手元にまで落ちている。

 

 ヴァルダスに初めて出会ったあの晩のように手のひらを裏表に返して、自分の手首にある腕輪を見た。ワンピースの袖口にあてられた、紋章の彫られた銀は光を反射して、いわゆる急所を護ってくれている。これは此処に来るときから着けているものだ。

 

 グローブを外して、それにかちかちと爪を立てて音を立ててみた。護ってくれてはいるが、角度によっては手首をうまく動かせなくなるので、ミルフィはこれが苦手だった。身体を纏う他の金属もそうだ。着心地に慣れて来たとはいえども、とにかくにも重い。

 

 ワンピースに着替えてから身体はだいぶんと軽くはなったが、これらの防具全てを外して此処をうろつくことが危険なのは分かっている。

 

 自分のものですらこうなのだから、ヴァルさんが着けている鎧はより重く、硬いのだろうなあ。


 そんなことを考えていると、がらがらがら、と背中から音がしたのでミルフィは驚いた。振り返るとヴァルダスが両手に枝を抱えており、それが幾つか落ちてしまったようだ。

「戻ったぞ」

「ヴァルさん、それは何ですか」

「薪だ」

 用を足しに行っていたわけではなかったらしい。ヴァルダスが枝を拾ってきたことを不思議に思いながらもミルフィは立ち上がり、落ちてしまった枝を拾った。それは太く、重い。

「茶を淹れるのにどれくらい必要か分からなかったのでな」

「とりあえずこれだけ持って来た」

 ミルフィはヴァルダスの言葉にも行動にも困惑したが、ではそこに置いてください、と言った。ヴァルダスは言われた通り、ミルフィが示した場所に置こうと屈んだ。

「ああ、これは焚き火をするのに使うのですね」

 ミルフィはやっと理解して、その言葉にヴァルダスはもちろんだ、と答えた。

「適当に割って来たから、火も点くだろう」


 その薪を見て、ミルフィはぱっと明るい顔になったが、直ぐにしょんぼりした。

 薪を置いたヴァルダスが顔を上げると、頬に手のひらを当てて、困った顔をしている。雨の洞窟で見た顔だな、とヴァルダスが思っていると、ミルフィは続けた。

「ヴァルさん、火をつける道具はお持ちじゃないですよね」

 あの雨音を思い出しながら、やはりな、とヴァルダスは頷いた。


 前回茶を淹れた際はヴァルダスから湯を貰ったが、今は水筒の水を飲むことしか出来ない。せっかく薪があるのに。

 此処の水は美味しい。しかし今は茶を飲みたかった。まあ、ないものは仕方がない。ミルフィは気を取り直した。ただのんびりするのも良いだろう。

 

 ヴァルダスにそう伝えようとした時、ミルフィはあの晩の焚き火をふと思い出した。

「ヴァルさん」

「何だ」

 屈んだままミルフィを見ていたヴァルダスは直ぐに返事をした。

「ヴァルさんが洞窟で温めていたというお湯は」

「あの晩、わたしに用意してくださった焚き火を使ったのですよね」

「そうだ」

 ヴァルダスは頷いた。

「ええと、それは火打ち石とか、呪文の力を込めた石とかそういうものを使ったんですか」

「何?」

「石です」

「お屋敷で使ったランタンも、同じように火をつけたのですよね」

 ミルフィは両手をぶつけるような仕草をした。すると、ヴァルダスは怪訝そうな顔をした。

「そのようなもの、使い方も分からぬぞ」

 えっ、とミルフィはヴァルダスを見た。

「ではどうやって火を起こしたのですか」

 ヴァルダスは目を丸くした。

「お前、何を言っているのだ」

「こうに決まっているだろう」

 ヴァルダスは右手のグローブを外して、指をぱちん、と鳴らした。すると、指先に小さな光が灯り、薪はそれにより煙をあげ始めた。

 

 石をぶつける仕草の体勢のまま、ミルフィは声を失った。

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