10-CHAPTER3
「熊の脂肪は剣を通しにくい」
「顔、目と鼻を狙え」
そう言うと、リンは側の木の枝に跳び乗った。
「分かっている」
ヴァルダスは熊の爪を避けながら答える。
こやつ、巨体にしては素早いな。後ろに横に回避して攻撃の隙を窺うが、なかなか剣が振れない。
熊の爪が辺りの木の皮を削ぎ、足元の木の葉は土煙と共に激しく舞い上がった。
「おめえ、さっさとやれよ」
リンの声が頭上から聞こえて来る。
「お前こそ、節穴でないことを証明しろ」
依然暴れ狂う熊から目を離さないまま、ヴァルダスが答えた。
「ほんとうに腹立つやつだな」
「この距離で失うかよ」
リンが弓矢を弾く、ぎぎ、という音が聞こえたのと同時に、すぱん、と熊に矢が刺さる。しかし熊の動きが余りにも速いので、数発射ったが背中や肩には刺さるものの顔にはゆかず、それらは脂肪を纏った上皮を軽く削ぐだけだった。
「お前、真面目にやっているのか」
右左交互に目の前に来る熊の爪を素早く回避しながら、ヴァルダスが大きな声を出した。
「うるせえ」
再度弓が引かれた。今度は目を射抜くかと思ったがそれは鼻先をかすり、熊はより怒りをあらわにした。
「きちんとやれ!」
「お前こそ早く斬り付けろよ!」
すると熊が一瞬身体を屈めたので、ヴァルダスは目に斬りかかろうとした。すると熊はまた立ち上がり両手を掲げ、その後振り下ろされた片腕の爪にヴァルダスのマントが引っ掛かりかけた。咄嗟にヴァルダスは後方に回転した。マント越しに背中の小枝が折れる音がする。
しかし、熊が屈んだ瞬間にリンは弓矢を引いていたのか、矢が片目を勢い良く貫き、熊は咆哮しながら仰け反った。
おお、とヴァルダスは思わず声を出したが、熊は体勢を戻すと尚もヴァルダスに向かって来る。
またも回避する羽目になった。辺りの枝や葉が熊の手足とヴァルダスのマントに払われることで、乾いた土が姿を現し出す。
「おい、目を狙えば良いのではなかったか」
ヴァルダスは大声を出した。
「これで駄目ならもう片方をやるしかねえ」
「おめえがやれ!」
「こっちからはほぼ背中になってて見えねえんだ」
リンの言葉を聞くと、ヴァルダスは熊を改めて見据えた。素早いが徐々に相手の動きに慣れて来た。
すると熊はその大きな、さらに片目が見えない筈のその身体からは到底想像もつかない脚力で駆け出し、ヴァルダスに向かって来る。予想外のその動きに、ヴァルダスは流石に驚いてしまった。リンは変わらず弓を弾き加勢してくれているのだが、熊は物ともしない。
ついに目の前に来た熊が、ヴァルダスを押し倒そうとした。そこにはぎらぎらとした牙しかない。咄嗟に大剣を平行に構えて向けられたそれを抑えたが、熊がそのまま食らいつこうとする力があまりにも強い。
ヴァルダスは片足で熊の胸を蹴り上げるようにして動きを遮り大剣を投げ出すと、腿に装着していたナイフを抜き、その体勢のまま矢の刺さっていないほうの目に力を込めて、突き刺した。そして手首を思い切りひねった。押し倒される寸前だったので、ナイフは熊の勢いと重さに、より目に深く食い込んだ。
熊はグオオオ、と声を上げてどすんと横転した。ヴァルダスは体勢を直ぐさま立て直し、側にあった大剣を改めて手に取ると大きく構えて、両手で力の限り熊の眉間に突き立てた。
熊はやっと、大人しくなった。
返り血を浴びたヴァルダスは肩で息をした。リンを警戒して外さなかったナイフをよもやこのような形で使うことになるとは。
「警戒心はやはり大切だな」
ヴァルダスは独りごちた。
リンは木から飛び降りて右肩を回しながらやって来て、熊の顔を覗き込んだ。ヴァルダスと一緒で汗だくだ。矢筒に残っていた矢はあと数本しかなかった。
「やれやれ、終わったな」
リンがふう、と息をついた。
「それにしても、でっけえやつだなあ」
「無駄に駆け回るしよ」
「こんなのに噛まれたらひとたまりもねえな」
ヴァルダスは額の血をぬぐった。
「同感だ」
はあはあ言いながらふたりで熊を見下ろしていると、ヴァルダスを呼ぶ声がした。ミルフィだった。
「おふたりとも無事でほんとうに良かったです」
「あんな大きくて強い熊がいるなんて恐ろしかったです」
ミルフィは若干泣き出しそうな顔になっていた。
「でも、見事な連携でしたね」
連携なあ、とリンは何とも言えない顔をして、ヴァルダスは目を丸くした。
「お前、俺たちが見える距離にいたのか」
「なるだけ遠くへゆけと言ったろう」
ミルフィは慌てて目の前で手を振った。
「違いますよ、逃げた先から見えたのです」
リンが吹き出した。
「おめえどんだけ目が良いんだよ」
直ぐに嘘がばれたので、ミルフィは恥ずかしくなった。
焚き火の前まで行ったヴァルダスは、意外にも火がその勢いを弱めていなかったので、リンに訊いた。
「おい、熊は喰えるものなのか」
リンは驚いた顔をした。
「おめえ旅人なのに何も知らねえんだな」
「熊の肉は絶品だぜ」
一瞬目を輝かせたヴァルダスは、熊から抜いたばかりの自分のナイフをリンに差し出した。
「な、なんだよ」
たじろいだリンにヴァルダスは続けた。
「熊は喰えるのだろう」
「勝利の宴をしよう」
明るい顔になったリンはナイフを受け取ると、しゃがみ込んで皮を剥ぎ始めた。
「おお、このナイフ、でかくて肉を分けるのにぴったりだな」
「おれにくれよ」
「やる訳ないだろう」
「早く終わらせろ」
何だよ偉そうに、とリンはぶつぶつ文句を言いながら熊を捌いた。血抜きをし、ばらばらになってゆく熊の肉を見て、ミルフィは気分が悪くなって来た。
「ミル、大丈夫か」
ヴァルダスが青くなったミルフィの顔を覗き込んだ。リンが顔を上げた。
「ミルフィみたいな嬢ちゃんにこの場はきついかも知れねえな」
「そこの布に寝転がってろよ」
リンは先ほど茶を飲んでいたシートをナイフで指した。すみません、と小さく言って、ミルフィはシートに向かった。
肩を支えながら、ヴァルダスが言った。
「ミルお前、兵士の血には平然としていたではないか」
ふらふらとした足取りでミルフィは答えた。
「あれは倒れただけの鎧に見えていましたし、今のように
確かにそうだ。ヴァルダスは自分のマントを外すと、血が付いていないのを確認してから横になったミルフィにそっと掛けた。
「おめえ意外にずいぶんと優しいんだな」
「黙れ」
ふたりの声を聞きながら、ミルフィは目を閉じた。
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