9-CHAPTER2

「おい、待て」

「待ちません」

 

 ヴァルダスの声を背中に聞きながら即答し、ミルフィは元来た柵の方へ早足で向かった。たとえ狭くとも墓地の側であろうとも、先ほどの小屋で雨が止むのを待つほうがずっと良い。

 

 するとそのときだった。

 

 わあん、と泣き声が聴こえた。

 ヴァルダスもミルフィも即座にそちらを見た。その声の主は霧がかった屋敷の入り口にぼんやりと立っているようだ。

 ミルフィはヴァルダスの傍に駆け戻ると、ヴァルダスのマントを全力で引っ張った。

 

「絶対に幽霊ですよ、早く戻りましょう」

「まあ待て」

 

 一瞬風が吹き、霧のなかにその姿がゆっくりと現れたので、ヴァルダスはいつの間にか持って来ていたらしいランタンで目の前を照らした。

 ミルフィは恐怖のあまり、目をつぶってしまった。そしてヴァルダスの背中からそろそろと確認すると、その少年にはしっかりと足があり、小さな鞄を背負っていたので、ミルフィはやっと顔を上げた。

 

 そこには長いこと泣いていたのだろう、金色の髪をした少年が赤い目をして立っていた。ミルフィは心から安心した。

 

「お前、そこで何をしている」

 

 ヴァルダスが訝しげに訊いた。ミルフィとは反して、ヴァルダスがその少年を警戒しているのが分かる。実に鋭く低い声だった。


「おい、ミル」

 

 ミルフィはヴァルダスの声を無視して、扉の脇に立っていたその少年に駆け寄り、目の前にしゃがみ込んだ。

 

「どうしましたか、迷子になったのですか」

 

 ふるふる、その金髪の少年は頭を振ると、小さな声で言った。

 

「友だちを待ってるの」

「なかに入ったっきり戻って来ないんだ」

 

 少年はそう言いながら鼻をすすった。

 

「ぼく、はぐれちゃって出てきたの」

「さがそうと思ったんだけど、ひとりでまたなかに入るのこわくて」

 

 その言葉にヴァルダスは鼻を鳴らした。

 

「お前の街か村かは知らないが」

「とっとと戻って大人を連れてくるんだな」

 

 ヴァルダスの言葉に少年がより瞳を潤ませた。ミルフィが声を上げた。

 

「ヴァルさん!」

「この子はあの墓地を抜けてひとりで戻るのが恐ろしいのですよ」

「それにわたしたちだって大人です、そうでしょう」

 

 ヴァルダスが目を細めた。

 

「お前、ずいぶんと優しいな」

「ならば俺は此処にいるから、お前たちだけでその友人とやらを探して来い」

 

「あ、雨はまだ止みそうにありませんよ」

「雨宿りをすると言ったのはヴァルさんじゃないですか」

「さあ、ヴァルさんも来るのです」

 

 ミルフィは強い口調で言ったが、目の前にすると屋敷は先ほどの小屋から見た時より大きく、恐ろしかった。

 ヴァルダスはやれやれ、と首を振ると、ランタンを持ったままふたりの元へやって来た。その様子に少年はぱっと明るい表情になり、頬を伝う涙をぬぐった。

 

「ありがとう、おねえちゃん」

「おおかみのおじさん」

「おじさんだと」

「だって大きいんだもん」

「ちがったの?」

 

 そう言うと、少年はミルフィの背中に隠れた。ミルフィは思わずくすくす笑ったが、ヴァルダスは半目のまま何も言わずにミルフィにランタンを渡すと、入口の扉に手を掛けた。

 

 ぎぎい、と重たい音がして、それはゆっくりと開いた。長いこと開かれることはなかったのだろう、ちりや埃が舞い、千切れた蜘蛛の巣が目の前に落ちてくる。

 この雨天の弱い光ではあったが背後からそれが届いたことにより、目の前には小さなエントランスホールが広がっていて、その対象に二階へと続く階段があるのがうっすらと見える。そして中央には、何かを模した白い像があるようだ。

 

「ずいぶんとしっかりした造りだな」

 

 ヴァルダスが驚いたように言った。

 確かにそこは、外装から想像していたよりずっと広いようだ。ヴァルダスが扉を閉めようとすると、ランタンで照らした範囲を中心に、辺りの様子は、ぼんやりとしか分からなくなった。ミルフィは慌てた。

 

「扉を開いたままにしておいたらどうでしょうか」

 

 その言葉にヴァルダスは腕で支えていた扉の側で、ミルフィに手招きをした。不思議に思いミルフィは少年にランタンを手渡し、扉の元に来た。

 すると、ヴァルダスがさっと扉から退いた。閉まり始める扉をミルフィは慌てて両手で支えようとしたが、意に返すことなく扉は閉まってゆき、そしてミルフィのブーツは後退してゆく。その様子にヴァルダスが扉に再度手を伸ばして、ミルフィを助けた。

 

「これでも開いたままに出来ると思うか」

 

 肩で息をしたミルフィは、いいえ、と首を振った。

 

「諦めろ」

 

 ヴァルダスの声と同時についに扉は閉められ、三人の背後でどおん、と重たい音がした。よどんだ空気特有の重たいにおいが急に感じられる。


「それで」

 

 ヴァルダスが少年を見下ろした。

 

「お前の友人とはどこではぐれたのだ」

 

 ううん、と少年はランタンをヴァルダスに手渡しながら、言葉に詰まった。

 

「よく分からないの、気がついたらいなくなってて」

 

 そして少し怒ったように続けた。

 

「ぼく、止めたんだよ」

「なのに、ここきっとお化けやしきだよ、入ろうってひとりで行っちゃって」

「それは勇敢なことだな」

 

 そう言いながら、ヴァルダスはランタンで改めて目の前を照らす。

 

「こんなに広いんじゃ、どこから探せば良いか分かりませんね」

 

 ランタンに近寄るようにして、ミルフィが言った。そして先ほどのように少年の前にかがみ込んだ。

 

「わたしはミルフィと言います、あなたは?」

「ぼくはフレイア、友だちの名前はマックス」

 

 少年はそう言ってヴァルダスを見上げたので、ヴァルダスは不機嫌そうに、ヴァルダスだ、と答えた。

 

 しかしミルフィの言う通り、どこに向かえば良いのか見当が付かない。

 

「仕方がない、まずは一階から探してみるか」

「案外近くに隠れているかも知れぬぞ」

 

 ふたりは頷くと、ランタンを掲げるヴァルダスのあとに続いた。白い像から階段の目の前を通り、そこから続いている右手の廊下に進む。

 コツ、コツ、と冷たい大理石の音が足元から響いて、ミルフィは此処に入ったことをもう後悔した。しかし自分の腰のベルトを一生懸命に掴んで歩いている少年の頭を見て、わたしがこんなことではいけない、と決意を新たにした。


「そういえば、お友だちはどのようなひとなのですか」

 

 問うと、フレイアは答えた。

 

「ふわふわした黒い毛でね、赤い服を着てるの」

「とてもおてんばで、ぼくはいつもついて行くのがやっとなんだ」

 

 黒髪か、とヴァルダスは言った。

 

「この闇のなかでは特に見つけづらいな」

 

 ふたりは黙ってしまった。するとヴァルダスが口を開いた。

 

「ミルお前、隠れるのが得意であろう」

 

 得意? とミルフィがヴァルダスを見た。

 

「兵士の拠点の横を抜けたときだ」

「かくれんぼが得意だと言っていたではないか」

「お前なら子どもが隠れそうな場所が分かるのではないかと思ってな」

「おねえちゃん、ほんとう?」

 

 フレイヤが目を輝かせて訊くと、ああ、とミルフィは目を泳がせた。

 

「あれはほら、あくまで明るい場所での話ですから……」

 

 今度は全員が黙った。

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