6-CHAPTER2
その姿勢のまま、ひとつめの草藪を目指す。幸いそこまでは距離がない。あっさり到着する。
しかしそれからが難しい。草藪の間隔が徐々に長くなり、途中の岩までが半分という所か。とりあえずあの岩まで目指そう。
ミルフィは思い起こす。サイドテーブルから廊下の先の扉に向かうのと同じだ。あとは扉の裏に隠れて人影が移動したら、そこからまた廊下に出る。あの岩は大きなテーブルだと思おう。無骨だけれども。
ああ、あの時はこんな刃物など、手にしなくても済んでいたのに。エナメルの靴を脱ぎたかったのは事実だが、こう言う形で叶えられることになるとは、誰が予想出来ただろう。
よし。拠点を抜けたらローズおばあさまの温室に続くと思おう。それならまだ士気が高まる。
ミルフィはふたつめの藪に移動した。あとひとつの藪を抜けたら、大きなテーブルに着く。それからは直ぐだ。更に草藪をさらにひとつ抜けたら、あの男の横にある樽まで行ける。そうして向きを変えれば、温室に向かうことが出来る。
ミルフィが岩の前の藪に着き、さあ岩に目指そうとしたところで、例の男が、ん? と声を出した。目の端にミルフィが見えたのだろうか。ミルフィの汗が更に流れる。
とうとうその時が来たか、とダガーを握りしめた途端、男は「気のせいか」と呟いて、また壁に背をもたれかけた。なるほど、ヴァルダスがだらけた男だと言ったわけが分かる。視線が定まらないその男は、眠気があるのかぼんやりした表情で、武器も手にしていないようだ。岩に移動し、男の横の樽にそろりと近づく。あとは角度を変えて、此処を後にするだけだ。
その時だった。眠気に負けて、こくり、と頭を前に倒した男はバランスを崩し、ミルフィが隠れている樽によろけた。収納されていた幾つかの剣が音を立て、男ははっと目を開けた。そして樽を見た。そこに隠れているミルフィも一緒に。
「だ、誰がいるぞ!」
こういうやつは、たいてい声だけは大きいものだ。目の前で大声を出した男にミルフィは動揺した。その声を聞いた何名かが、こちらに向かって駆けて来るのがどたどたとした足音で分かる。瞬時にダガーをより握りしめた。ヴァルダスが言ったように目の前の兵士の首には、網目の緩んだチェーンメイルしかあてられていなかった。刺せる、これなら。
ミルフィの目が少し鋭くなり、次に大きく開かれた時には男の首元にダガーの先が触れていた。
しかしその時向こうから、ガシャーンと何かが倒れる音がして、こちらに向かっていたと思われる数名の足音は踵を返したのか、遠くなった。この男の声を聞いたヴァルダスが、兵士たちの気を引いてくれたのだろう。
ミルフィは、汗だくで腰を抜かしている目の前の男を見下ろした。ダガーの先端が刺さったせいで、一筋の血が流れ、男はその部分を手のひらで押さえている。これを、わたしがやったのか。
その男をしばらく見ていたミルフィだったが、はっとして、男に背を向けて駆け出した。手にしているダガーが重たく感じる。刃物など持っていたら、きっとローズおばあさまは驚くだろうな。
温室にはきっと、もう行けない。
ヴァルダスは結局、兵士たちと戦闘になったのだろう、彼の大剣が振られているのが見える。
申し訳ない気持ちになりながら、前に向かって必死に走り続けていると、何とヴァルダスが追い付いてきた。
「向こうだ」
ヴァルダスは息も切らさず右前方を指差し、ふたりはそこを目がけて走り、そのまま突き進んだ。まだ騒がしい拠点は徐々に遠くなり、ヴァルダスとミルフィはやっと足を止めた。辺りは伸び放題の草で荒れていたが、何とか獣道らしい場所であった。
ミルフィはもうどうしようもなく息が苦しく、頭はぐるぐるとしていた。激しい呼吸がなかなかおさまらないミルフィが心配になったのか、ヴァルダスが腰を曲げて顔を覗いた。
「平気か」
そしてたまたま足元にあった、でこぼこした岩を指差す。
「ひとまず座れ」
ミルフィは大きく頷くと、しばらく荒い息をしていたが、何とか声を絞り出した。
「すみません」
「音、立てちゃって」
ヴァルダスはミルフィを見下ろしたまま、表情を崩さずに言った。
「あれはあの男のせいだろう」
「あやつが身体を傾けたせいだな」
えっ、とミルフィが声を出すと、ヴァルダスはもう見えなくなった拠点の方に目をやった。
「言ったろう、俺は耳が良いのだ」
呼吸が少しずつ落ち着いて、ミルフィはやっとダガーを鞄に仕舞い、それと同時に自分のハンカチを取り出すと、汗だくの顔にあてた。
「後ろから見ていたが」
「お前ほんとうに隠れて進むのが得意だな」
「今まで何かしていたのか」
感心したようにヴァルダスが言った。
「いえ、何も」
「かくれんぼが少し得意なだけですよ」
その表情はハンカチでよく見えなかったが、声のトーンからして楽しい話ではなさそうだったので、ヴァルダスはそれ以上聞かなかった。
やっと、ミルフィの息が落ち着いた。
「もう大丈夫か」
ええ、とミルフィは微笑んだ。
「わたしはちゃんと、実践出来たでしょうか」
恐る恐る尋ねたミルフィに、勿論だ、とヴァルダスは明るい顔をした。
「更に攻撃まで出来るとはな」
「えっ」
「お前が先ほど仕舞ったダガーの先端に血のあとがあった」
「あれからしてちょいと触れただけであろうが」
「まったく、初戦とは思えぬな」
「流石、何でも分かるんですね」
ミルフィは舌を巻いた。
「まあ、戦うことしか俺にはないからな」
ヴァルダスは側に置いてある、既に鞘に収納された自分の大剣を見た。
「そんな」
ミルフィは首を振る。
「わたし、ヴァルダスさんにほんとうに助けられていますよ」
「それは戦う力だけではありません」
そんなミルフィをちらり、と見て、ヴァルダスが言った。
「ミルフィ、提案があるのだが」
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