3-CHAPTER3

 洞窟はもう見えなくなって、獣道はいつの間にか少しずつ険しくなった。出会った時より会話が増えたとは言うものの、道中はやはり静かである。

 ミルフィはまた、ヴァルダスが無口だったのを思い出した。何を考えているのか、見上げたヴァルダスの顔には、何の感情も見られない。


 仕方なく、ミルフィは何か使えるものがないか辺りを見回したが、先ほどと同じ草花しか見当たらなかった。

 手元には此処に来た時から持っていた薬があるから、直ぐに不足することはないだろう。けれどヴァルダスに告げたように、薬はいつどこで必要になるか分からないので、無駄には出来ない。素材はあればあるだけ良いのだ。

 ミルフィが考えていると、ヴァルダスが静かに声を掛けた。


「ミルフィ」


 どくり。また動悸がする。何故このひとに名前を呼ばれるだけで、心臓が過剰に反応してしまうのか自分でも分からない。


「どうしましたか」


 さらりと答えたが、硬い口調になってしまった。ヴァルダスはそれに気付いているのかいないのか、続けた。


「朝から何も喰っていないな」


 ヴァルダスが考えていたのはこのことだったのか。  

 ミルフィの顔がほころんだ。


「そう言えばそうでした」


 急に空腹を感じる。それはきっとヴァルダスも同じなのだろう。前方を指差した。


「此処からは分かり辛いが、この先に大きな果実がみのる樹がある」

「そこに向かう」


 分かりました、とミルフィは返事をする。


 幾許かそちらに進んだところで、ヴァルダスが何かに気付いたように足を止めた。瞳が尖り、耳が動く。ミルフィがヴァルダスに初めて会った時の目をしていた。


「兵士だ」

「へいし、ですか」


 ミルフィは今までそのような者に出会ったことがなかったので、きょとんとした。

 ヴァルダスは厳しい顔のままで続けた。視線はそれらが近付いて来ると思われる方に向けられている。


「屈んで身を隠せ」

「此処から必ず動くな」


 ミルフィは返事する間もなくしゃがみ込んだ。ヴァルダスの左腕がミルフィの顔の前に来て、動きを制したからだ。幸い辺りの草はミルフィが屈むと、その身体をほぼ隠してくれる程の高さであった。


 ヴァルダスは悠々と歩いてゆく。背中の剣を鞘から引き抜いて、右手に下ろしたのが見えた。遠くなるヴァルダスの背中に、ミルフィは不安になった。このまま置いてゆかれたらどうしよう。自分が既にヴァルダスの存在にどれほど頼っていたか痛感する。

 しかし動くものか。動くな、とヴァルダスさんはそう言った。必ず守る、必ず、と思ったところ、ヴァルダスが進んでいった先で何か、わあわあと声がする。そろりと一歩だけすすみ、ほんの少し草をかき分け、そちらを見た。


 何の色か、朱色、赤、とにかく暖色の布を腰に縛った男たちがヴァルダスと対峙していた。ヴァルダスと同じように、鎧を纏っている。


「よくもまあそれ程集まったものだな」

「ひとりで俺と向き合えるやつは誰もいないのか」


 ヴァルダスの声だ。ミルフィはそわそわした。


「黙れ、このオオカミ野郎が」


 兵士と思われる男の声がする。待て、という別の兵士の声と金属音が重なり、ジャキン、と聞こえて来た。

 ヴァルダスは最初に声を発した兵士が振りかぶった長剣を自分の大剣で受け止めた。そして腕の力だけで相手の剣ごと弾き返したので、その兵士はよろけ、しかし咄嗟にそのまま反転した。重心を失った兵士は思った以上の衝撃だったのだろう、重たい鎧の音が響いた。

 しかし直ぐに体勢を直すと、地面に手を着き振り返る。そしていやらしい声で言った。


「これで挟まれたなあ」

「向こうにも俺の仲間がいるんだぜ」


 ヴァルダスは、立ち上がって改めて剣を構えたその兵士を見下ろしている。何も言わない。

 ヴァルダスの背面に立っていた兵士たちが、体制を崩さないまま、今だ! と向かってゆく。その声の数からして、数名いるようだ。

 ミルフィは思わず、かき分けた両脇の草を握りしめてしまう。


「挟まれたとは笑わせる」

「此処にいるのはお前だけだ」


 兵士が目を見開いた瞬間、その兵士から血飛沫が飛んで、ミルフィは思わず叫びかけたが、両手で慌てて自分の口を押さえた。

 その兵士は大の字になった。

 背中からヴァルダスに向かっていた残りの兵士たちは一瞬足を止めたが、再度ヴァルダスに向かって走り込んで来る。長剣と、更に盾を持った者たちのふたつの部隊が、振り返ったヴァルダスの前に出た。

 剣のみを構えた兵士たちが、まずヴァルダスに翻弄された。異なる方向から自分に向けられていた長剣を、ヴァルダスは目にも止まらぬ速さで駆け廻りながら受け流した後、自分の剣を左右に振る。

 ヴァルダスの大剣が、その重さに反して素早く相手を立ち斬るのは、腕の力だけなのであろうか。

 裏拳や蹴りなどの体術も使うので、兵士は尻餅をついたり、お互い足を絡ませたりして、戦うどころではない。そしてそのまま、斬られる。

 剣を手にしていた兵士たちが地面に倒れ込んで動かなくなると、次に盾を装備した男たちが何か叫びながらヴァルダスに向かってゆく。

 ヴァルダスは姿勢を低くすると、剣を真横に構えた。それに倣って、マントがふわりとゆれた。

 兵士が目の前に駆け寄ると同時にヴァルダスは地面を蹴り、その勢いのまま正面にいたひとりの男の盾を真横から蹴り上げた。マントが翻る。盾は衝撃でぐらつくどころか兵士の腕から振り落とされてしまった。そしてヴァルダスが目の前に着地したので、ミルフィがあっと思った瞬間、その兵士は瞬時に斬り払われた。


 目の前の出来事に数名の兵士たちは何も言えなくなって後退りをしたが、残りの兵士は尚も盾を構えた。

 するとひとりの兵士が水平にした長剣でそれを制止した。隊長なのかもしれない。

 彼らはついにヴァルダスに背中を向けると、どこかに走り去ってしまった。

 隊長らしき者はしばらくヴァルダスを見ていたが、漆黒色の馬に跨ると、直ぐに見えなくなった。

 ヴァルダスはゆっくり立ち上がると、自分の剣を静かに鞘に収めた。


 ミルフィは絶句していた。戦闘中のヴァルダスの動きは初めて見たので比べることは出来ないが、瞳だけは明らかに異なっていた。

 初めて出会った時とは比べ物にならないほど、そこにはいつもの色ではなくて、濁んで冷たいばかりのグリーンに見えた。それは光すら映してはいないようだった。そしてあの動き。左右に駆けたかと思えば、宙を舞う。

 今までどれほどのんびり動いていたのかが分かった。

 ヴァルダスが身体の砂利や何やらを払ってから、こちらに戻って来る。

 ミルフィは思わず身体を硬くした。

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