3-CHAPTER4
ヴァルダスがついに目の前に現れた。ミルフィはしゃがみ込んだまま顔を上げない。いや、上げることが出来ない。ミルフィには血で染まっているヴァルダスのブーツの先だけが見えた。その両手には顔まわりの草が握りしめられたままだ。
ヴァルダスはそれに気付き、静かに言う。
「全て見ていたのだな」
ミルフィはびく、と肩を動かした。
「お前はもう少し遠くにいると思っていた」
「いや、此処にいろ、と言ったのは俺であったか」
ヴァルダスは続けたが、尚もミルフィは顔を上げない。何と声をかけたら良いのか、分からなかった。
返り血で濡れた防具の部位をグローブでぬぐいながらヴァルダスは言う。
「ミルフィ」
「これが俺の旅だ」
「俺の世界なのだよ」
ミルフィは握っていた草から手を離すと、ゆっくり立ち上がった。革のポーチに視線を落としたまま。
「お前は元来た道を戻れ」
「今ならどこにだってゆける」
「俺の前から離れることが出来る」
「…」
ミルフィは口を開かない。
ヴァルダスは自分の鞄に乗せていたミルフィの荷物を下ろした。
「荷物はアメネコに頼むと良い」
「此処まで引き留めてすまなかったな」
「茶、旨かったぞ」
ヴァルダスはミルフィの顔を見ないまま、声を待たないまま、背を向けた。
ざくざく、周りの草が未だ血で濡れているグローブやブーツに張り付き、足元からはその草を踏んでいるぎゅうぎゅうとした嫌な感触がする。
なに、いつもの事だ。斬ったあとはいつだってこうして濡れるのだ。せっかくブーツを乾かしたことも、無駄であったな。
いや、乾かす必要など元からなかったのだ。いままで気にしていなかったのはまた濡れることが分かっていたからだ。
雨水などではない、あの赤く流れるものに。雨が降るのと同じように。
「ゆこう」
独りごちた。
倒れている兵士たちの方に一度戻るか。今までのようにこれから必要なものがあるかも知れない。硬貨も。あの苦い薬も。
期待はしていないが、もしかしたら、特別な何かも。
そして思う。自分は盗賊と同じだ。自分を襲う者と戦うことが出来るだけの只の盗っ人だ。
一体俺は何をしているのだろう。普段と同じことをしただけなのに、ヴァルダスは分からなくなった。
目の前に続く道があったから、相手と剣を交えることが出来ていた。自分が強くなってゆくことも嬉しかった。
だが結局は何も持っていないのだな。このマントと剣の他には何も。
ヴァルダスが先ほどの戦場に着いて顔を上げると、そこに赤い鼻をしたミルフィが腰に手を当てて立っていた。
「本当に置いてゆくなんてあんまりでしょう」
ヴァルダスはミルフィが此処に立っていることも、その言葉の意味も、理解出来かねた。
「行き倒れたかと思いましたよ」
「どこか変なところを刺されて」
ミルフィは近付いて来て、小さいハンカチを差し出した。
「ほら、怪我をしていますよ」
ヴァルダスはそのハンカチを黙って受け取ると、グローブを外し、気付かないうちに出来ていた手首周りの切り傷に当てた。そのハンカチはどこか花のようなにおいがする。
「わたしが既に使ったのでくしゃくしゃですけど」
「何もないよりましでしょう」
「ヴァルダスさんのあの布が足りるか分かりませんでしたし」
ヴァルダスが言葉を失っていると、小さなガラス瓶を差し出された。
「先ほどの威勢はどこに行ったのですか」
「言ったでしょう、わたしを使ってくださいと」
「取り急ぎ、作った薬です」
「ポーチに集めていた素材で、運良く作ることが出来ました」
ヴァルダスはミルフィが渡してくれたハンカチでまだ腕を押さえている。
「まだ出血していますか」
「見た目より痛みが酷いのですか」
ミルフィは眉を下げ、瓶を自分の鞄の上にそっと置くと、ヴァルダスの腕を覗き込んだ。
どうしましょうね、と言いながらハンカチの端に手を添えた。
そこに、ヴァルダスはもう片方の自分の手を重ねた。その瞬間ぴくんと動きが止まったミルフィだったが、温もりを感じながら、静かに言った。
「引き留められたのではありません」
「わたしがヴァルダスさんに付いて来たのです」
ヴァルダスが重ねた手のひらを、ミルフィも自分の手のひらでそっと包み込んだ。
「ヴァルダスさんの旅の先に」
「あるものを見たかったから」
そして重なった手にふと気付くと、慌てて離した。
「ほ、ほら、お薬飲んでください」
ヴァルダスは重なっていた手のひらをゆっくり離し、鞄の上に置かれたガラス瓶の蓋を取ると一気に飲んだ。
おお、ヴァルダスは思わず言う。
「ほんとうに甘いぞ」
ミルフィは微笑んだ。
「特製ですもの」
硬貨も何も要らなかった。特別なものはもう見つけた気がする。
ヴァルダスは空になったガラス瓶を見つめた。
「今度こそ果実を採りに——」
言いかけると、ミルフィがそれを止めた。倒れた兵士たちを覗き込んでいる。意外に血には恐れをなしていないようで、ヴァルダスは驚いた。ミルフィが先ほど草陰で動揺したのは、あくまでヴァルダスが剣を振ったのをはじめて見たからだったのだ。
「待ってください、使えるものが何かあるかも知れませんよ」
「何か特別なものとかも」
ヴァルダスは思わず吹き出しかけて、咳で誤魔化した。
「もう探す必要はなくなった」
「ゆこう」
ミルフィはその言葉に不思議そうな顔をしたが、分かりました、と明るく答えた。
ヴァルダスは再度ミルフィの荷物を自分の鞄に乗せた。ミルフィはまたしても照れて、感謝した。
そしてふたりは、その場をあとにした。
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