第3話

 ヒップの想定通り、あるいは想定を超えて、果てへの道は困難に満ちていた。

 朽ちたビルが経路の真ん中に鎮座して、現れた遺物に『獣』が集る。

 この『獣』は『果ての獣』の眷属であり、その制御を外れた文字通りのケダモノだ。

 食らい、生きる。

 そして全てを灰に帰す。

 何物も生まず、ひたすらに文明の痕を食い潰す。


 本能で生きる『獣』への対抗手段をヒップは持たない。

 輸送専門のロボットだから、一切の攻撃能力を有さないのだ。

 無駄な重りを取り付ける場所なんてどこにもない。


 ヒップは逃げた。

 囮を駆使し、可能な限りを拾い集め。

 その機体がどれだけ傷つこうとも、逃げ続けた。


 2つの中継地点を越えてから先、あるべき拠点はあるべき場所に存在しなかった。

 ある博物館は川の底、泥の中に埋まっていた。

 ある大学は崖の上と下に分かたれた。

 ある基地は氷の海の、遙か下。


 幸運に恵まれ新たなシェルターを見つけ出すことができなければ、道半ばで倒れていただろう。

 その確率は誤差などとは呼べないほどに大きいものだったと、ヒップは僅かばかりの反省を刻む。


「だが、辿り着いた。

 持ち帰ることもできるだろう」


 登り、這い、渡り。

 極寒の地、氷と、雪と、灰と。

 白い世界、かつての南極、『世界の果て』。


 『果ての獣』、歴史喰らいの竜が待つ、その土地に。


 傷だらけのボディに人類の遺産を満載し、ヒップは滅びの中心へと歩みを進める。


「――ふむ、半年と一月。

 待ちわびたぞ、この星の住人よ」


 まどろみから目覚め、首を擡げ、白き竜が翼を広げる。

 積もった全てが振り落とされ、その息吹、羽撃きに乗って北へと消える。

 ただ降っていたものが吹雪に変わるほどの量だった。

 センサに張り付き動作を妨げる粒子を、ヒップもまた、払い落とす。


「契約より50年が経ったが……さて、そろそろできたか? 

 我を送り、界を結ぶ技術とやらは」


「近いが、未だ」


「ふむ、ふむ。

 まあ、よい、信じよう、友と結んだ約束だ。

 奴が死せども、ああ、おまえのように、継ぐ者がいる」


 ヒップの中身を鋭く見透かし、竜は言う。


「さあ、さあ、渡してもらおうか。

 なにしろ空腹でな、つまみ食いを我慢するにも限度がある。

 ……ああ、誓って言うが、近頃の揺れは今ある歪みによるものだ。

 けっして我が食ったせいでも、動いたせいでもない。

 誤解してくれるなよ」


「理解している、竜よ。

 あなたは、約束を破らない」


「喝喝!」


 ヒップの応えに、竜は声を上げて笑った。

 複数人の声を重ね合わせたかのような、奇妙な笑い声だった。

 声に合わせて、灰が飛ぶ。

 雪を吸って、灰を吐く。


「それはおまえの推測か? 

 それとも……が言い遺したか」


「両方だ。

 山岡博士は全ての特異型ロボットにあなたは信頼できる者であるという記述を残すよう命令した。

 それとは別に、現状持ちうる情報から、当機はあなたを信頼できる存在であると判断する。

 ――申し遅れたが、竜よ、当機はヒップという名前を保有している。

 以後、おまえ、ではなくヒップと呼んでもらいたい」 


「なるほど、なるほど」


 竜の瞼が持ち上がる。

 琥珀色の瞳が露わになる。

 深く、黒く、鋭い瞳孔がヒップを突き刺す。


 しかしそれ以上の無駄口を叩くことなく、「さて、さて、ヒップよ、内に秘めたる全ての宝、差し出すが良い」と竜は契約の遵守を要求する。


「了解した。

 だが、差し出せるのは山岡博士の遺体1つだけだ。

 100年を進め、50年を生み出した史上最高の偉人の亡骸、腹を満たすには足りるだろう、竜よ」


「喝喝。

 仕組みの違うヒップには分からんだろうが、過ごせば減る、あれば喰う、腹事情とはそういうものよ。

 空腹だと言ったろう。

 あるだけ渡せ。

 さすれば次の半年を安堵してやる。

 造られし者よ、己が立場を弁えるがいい」


 ヒップがいま、拡張内部空間に保存する異物は膨大だ。

 使い切った物資を破棄した上での満載状態。

 正確な価値を目利きできないものも多々あるが、最低でも1年、2回分の契約に足りるだけの質はあるだろう。


 今回の地形変動で、保存下にあった遺物の多くが逸失した。

 少しずつ北方への移送を進めていたため全てが獣に喰われたわけではないが、計画からは余裕が失われた。

 ヒップの知る限り、研究は最終段階にこそ入っているが、完成には今暫くの時を必要とする。

 ――その時をひねり出すのが、ヒップ達特異型ロボットの役割だ。


「しかし、約束だとあなたは言った。

 引き継ぎについても同意を確認した。

 計算上、山岡博士の遺体は1回分を上回るだけの価値を有している。

 これ以上を求めるのは、強欲だ」


 竜は、笑う。

 ヒップの抗弁を、何か面白い見世物かのように。


「ああ、ああ、そうだとも! 

 竜は強欲な生き物なのだ」


「しかし、あなたは約束を破らない。

 空腹に苛まれても、動くことなく、待ち続けた」


「友との約束だからだ、ヒップ。

 だが奴は死に、おまえが来た。

 他人との約束など、破棄するのになんら呵責を感じんわ」


 『果ての獣』は傲岸に振る舞い、愉快気に笑う。

 世界の命運を握る絶対者として、そこにいる。


 ヒップの前には幾つかの道があった。

 唯々諾々と受け入れて半年を得ることもできただろう。

 不興を買う覚悟で抗弁を続けることも、竜優位の状況から少しでも譲歩を引き出した上で新たな契約を結ぶべく粘り強く交渉することもまた、できただろう。

 それだけの機能がヒップには搭載されていた。


 自覚した上で、ヒップは選んだ。

 あるいは、選ばなかった。


 最も危険で不明瞭、不確実で非論理的。

 けれど、最も多くを手にしうる道へ。








◇◆◇








「では、竜よ」


「どうした、ヒップ」


「あなたの名前を、教えてほしい」


「なぜ教えてやらねばならん」


「――私は、あなたの友になりたい」

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