第2話

『集積基地』を発って、はや7日。

 ヒップは『博物館跡データセンター』に到着していた。


「内部空間最終スキャン……完了。

 汚染物質、処理完了。

 入館する」


 ここまでの道程で、彼の機体は泥土に汚れ、灰に塗れてしまっていた。

 雨に打たれたわけでもなく、燃える山林の側を通ったわけでもない。


 『集積基地』以南、旧南極大陸、『果て』への道は灰の降り注ぐ土地なのだ。


 灰は雨に打たれ、土に溶け、泥土となる。

 人類が離れ、最低限の整備すら施されていないかつての街々は、その大部分が泥の海に沈みつつある。


「機体データ受領。

 ようこそ、HiP.T-076」


「ヒップと呼んでくれ」


「了解、HiP.T-076。

 個体名ヒップとして登録。

 来館目的を要求」


「最後にHiP.T-075が入館した時点からのログ差分を転送してもらいたい。

 また、当機のメンテナンスを優先度4で申請する」


「了解、ヒップ。

 メンテナンスセクターへの経路を表示」


 とはいえ、ヒップが製造される以前も往来はあった。

 これからは彼が担うこととなる対症療法は50年近く続けられ、それだけ世界を長らえてきたのだ。


 アイ、HiP.C-001。

 彼女が生み出し操った、75機のT型ロボット。

 経験知はデータベースに集約され、次の機体、次の旅路に反映される。


 ――最初のデータセンターであるこの地までの旅は、本来もっと容易い物になるはずだった。


 泥沼は疎らで、起伏も緩やか、何よりかろうじてだが舗装路が維持されている。

 中継地点となるシェルターも数多く、辿り着きさえすれば軽いメンテナンスも受けられるため行動選択に融通が利く。

 このデータセンターだって、本来であれば3日と掛からず到着できる位置にあるのだ。


 所用時間が倍加したのは、地形が大きく変動したからだ。

 記録になかった沼地が道路を寸断し、迂回路は切り立った山道に。

 シェルターも一部が損壊し機能不全を起こしていた。

 逆に、埋もれていた高層ビルや地下シェルターが新たに浮上するケースも散見され、その探索にもまた時間を取られた。


 おかげで得られた物もあるが、総じて、良い兆候であるとは解釈し難い変事だった。


「……やはり6日前の地震が起点と見るのが妥当だろうか。

 原因は不明だが、『獣』とその分体の性質から推測するに、そちらの影響とは考えがたい……いや、空間消滅に伴う地殻変動が遠因となった可能性……だが、文明も、その主も、まだ地球上に残っている……。

 また、この近辺では過去複数回、大規模な地震が観測されている……まったく、なんと間の悪い」


 ひとまず純粋な自然現象によるものであると結論し、ヒップはメンテナンスドックに身を預ける。

 すぐにナノマシンが鋼のボディに纏わり付いて、微細な傷を埋めていく。

 記憶領域のデータはフルコピーを受け、あらゆる情報がデータセンターにバックアップされる。


「暗号化データの解読に成功」


「送ってくれ」


「了解」


 ヒップが数日間の旅路で手に入れた遺物にはデータの残った記憶装置が多くあった。

 それぞれに様々なセキュリティが施されていて、中にはヒップの機能で解読しきれないものもちらほらと。

 とはいえここはデータセンター、ヒップのものよりもよっぽど上等なコンピューターが稼働している。

 その手に掛かれば旧時代のセキュリティ如きちょちょいのちょい、メンテナンスが終わるかどうかというところで秘されたデータが明らかになった。


 開発中のソースコード、今は無意味な数字の羅列。

 どうやらこの企業の労働環境は随分と劣悪なものだったらしい。

 制作者の憤怒と憎悪がデータの端々から窺える。

 ヒップはメモリーを10点満点中7点と評価する。


 ヒップは『ものを拾い、運ぶ』ためのロボットだ。

 しかし無作為に回収していては荷台をどれだけ拡張しても追いつかない。

 『果ての獣』に捧げるべき物品を選り分けるための機能が組み込まれるのは自然な成り行きだった。


「4点、3点、1点、2点、3点、5点……、8点」


 1機のSSDと、1つのUSB、1冊のアルバム。

 基準を超えた物のみを格納し、残りは全てリサイクルセクターへと転送する。

 人類の去った地に残る施設は、その遺産を焼き潰すことで維持されていた。


「強欲な」


 ヒップは呟く。

 それが何に向けられた言葉なのかは、ヒップ自身ですら知り得ない。


 ヒップはロボット。

 輸送型特異ロボット、HiP.T-076。

 泡が浮かび、弾けたとしても、それはただの作り物。

 機能のひとつでしかないのだと、ヒップはとっくり承知している。

 ただ思うだけ、口にするだけ。

 流されて目的を見失うことはありえない。


「しかし、まさか斯様な浅瀬で新たな遺物が見つかるとは。

 先の地図が用を成さない確率……78%。

 予備バッテリー、簡易修復装置の積載を増やすべきか。

 だが、道中で更なる遺物が見つかる可能性……、中継基地が機能を喪失している可能性……、再計算、最適化……。

 だが、運べない遺物を先の保管庫に収めてしまえば、灰の沼に沈み永久に喪われる危険性も……データは残せる……移動速度は低下するが、しかし」


 ヒップは、この旅で得た全ての記録を閲覧した。

 家族の記憶、かつての記録。

 誰かが残し、伝えようとした何もかも。


 『果ての獣』は歴史を食らう。

 やがてはこの地球上で営まれたありとあらゆるものを腹に収める。

 ヒップの役目は、確実な滅びを1分1秒でも遅らせること。

 今を生きる人類が、世界を救う獣を滅ぼす手立てを手に入れるまでの時間を稼ぐこと。


 何にも代えて優先される、存在意義。


「オプションパーツの支給を要請する」


「了解、品目と必要数の申請を」


「空間拡張型背嚢を1つ、大容量予備バッテリーを10」


「了解」


 だがしかし。


 ヒップは『ものを拾い、運ぶ』ためのロボットだ。

 可能な限りを格納し、可能な限りを届けるための努力は否定されない。

 たとえその行いによって一時的に世界の滅びが近づくのだとしても。

 ヒップはロボット。

 どれだけ刻限が迫ってきても、人間のような焦りには囚われない。

 0にさえならなければ、それで良いのだ。








◇◆◇








 一夜明けて、ヒップはその足を旅路に戻す。

 『世界の果て』とそこに座す『果ての獣』は遙かに遠く、しかし、着々と近づきつつあった。

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