クソ野郎が
ギョッとした椋伍が振り返ると、その人物は金糸と派手な羽織りを山風に煽られながらも、気にせず二人の元へとズンズンと近づいて来ており、数回口を開閉してようやく「何してんの!?」と椋伍は声をひっくりかえして叫んだ。対して大人の方の彼の顔面からは感情がごそりと削げ落ちる。
「直弥か」
「危ねーから帰れよ!」
「殺していいならこのまま残れよ」
「お前結構罰当たりな事無意識でやっちゃうんだから、次はないって言ったじゃん!!」
「おーおー、ひとりずつ喋れやウルセエから」
椋伍の隣に並び立った直弥はそう文句を言いつつ、耳をほじり、鋭い目は大人の方の椋伍を睨み据えた。
「で? 何やってンの、お前」
「まずこの話のどこからどこまで聞いてた?」
「井戸のカミサマが礼儀にウルセエって言ってるあたりから」
「……まあまあ最初の方からかよ」
「コイツの様子がおかしかったから、気になって跡つけたかンな。そう時間ズレてねェハズだぜ。で、何やってんだって聞いてンだよ答えろや」
「気ィ短」
小馬鹿にするように口角が上げられるが、目は笑っていない。男は気だるげに告げた。
「死んでも暮らしていけるように変えてるとこだよ。姉貴にはあんな死に方はやっぱ似合わねーし。ここに戻して、いくらでも思い出作って、長く居てもらって、遺影の中で止まった記憶を増やして幸せにするんだよ。そこにいるお前のオトモダチも同じこと考えてたからココに来てンだろ?」
「舐めんな。仮にそう思ってもコイツは踏みとどまれる男だし、死んだらその人間はもう進めねェことも解ってる。テメエの方はイイ大人なのに何ガキ誑かしてんだよ。ちったァやっていいこと悪いこと考えろ」
「ハハッ! ……そもそもお前がコレにちょっかい出さなきゃこんな事になってねェんだよカス」
「アァ?」
井戸を一蹴りした大人に、直弥が牙を剥く。
「ンなもん解ってるわ。大体が然るべき場所に行けないのがココに集まってるっつーンなら、元の流れに戻すのが本来やらなきゃなんねー事だろ。何テメエまでこれ幸いに理曲げてんだよ。結局オメーの不運をネタにしてワガママ通したいだけじゃねェか。あと井戸蹴ってんじゃねーよボケ。看板読めや」
「ごめん」
「テメェに言ってねエ」
いたたまれなくなった中学生の椋伍が自分の服を握りしめながら漏らせば、短く返し「アー」と直弥は濁った声を出す。
「メンドクセエ。オイ、オッサンの椋伍」
「ア?」
「アンタ最終学歴は?」
「大学」
「おー、じゃあ今度からダイゴって呼ぶわ」
「やめろ」
「なんかヤダ!!」
大人は死んだ目になり、少年は弾かれたように喚く。うんざりとしたように「ハァ?」と直弥は二人を見比べた。
「ややこしいじゃねェか。分けさせろ」
「二十云年椋伍やってんだよ。今更そんな呼び方されたくねーわ」
「オレも!! ねえ、オレ中学生じゃん!? じゃあショーゴとかになるってことじゃん!? 嫌じゃん!?」
「マジでウルセェなテメェら。ンなことで突っかかってたら進む話も進まねェだろうが」
「進むも何も終わらせてやるよ」
呟いたのは大人の方だった。強い風を肌で感じた椋伍は、次いでそれが自分が激しい勢いで倒れた事によって生じたものだと遅れて気づいた。砂利にまみれ、展開に追い付けず、受け身も取れなかった彼は平衡感覚を失って地面に二度ほど頬を擦り付ける。
げほ、げほ、とようやく取り込めた空気に噎せて、どうやら自分が腹を殴られたらしいことを知って、横向きに倒れたまま目まぐるしく状況を探った。
大人の自分が直弥を支えて井戸の傍にいる。いや、まるで酔っぱらいが吐くのを介抱するかのように、井戸に直弥の体を前のめりにさせている。なに、とつっかえながら椋伍は藻掻く。先程から悪い予感で背筋から項までざわざわとしていた。
「お前にいい夢見せてやるよ、椋伍クン」
振り返った自分がどんな顔をしていたかを、僅かに目が霞んだせいで彼は読み取れず、目を凝らして起き上がろうとした瞬間、ずるん、と直弥の体は井戸へ放り込まれた。
椋伍から重力が消えた瞬間だ。
体の痛みなんてない。力を込めればいつもより早く走ることも、体格が勝った相手に掴みかかって押し倒すことも出来た。気づけば左頬を拳で殴りつけ「死んでたら何やってもいいのかよッ!!」と怒号を浴びせており、そのまま後先も考えず古井戸の中へと飛び込んでいった。
深い静寂が汚れた大人を包む。
やがてむくりと起き上がると、彼は立てかけていた井戸の蓋を掴みゴリゴリと音を立てて元通り被せる。小さく吐き捨てられた悪態を咎める人はどこにもいなかった。
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