カミカクリムラ
「半分、足りない⋯⋯」
独白の下に続く、時系列毎に箇条書された姉の手記を読み終えると、椋伍は口元を抑えて考え込んだ。
直弥が井戸に引き込まれた時、必死になってひたすらに謝ったことを椋伍は覚えていたのだが、実の所どう許して貰えたのか、何故無事だったのか、どのようにして帰れたのか今まで思い出せずにいたのだ。
姉も「忘れた方がいい」といって詳しく教えはしなかったし、母はこう言ったことに関しては門外漢だ。父ならば少しは話が分かるかもしれないが、やはり椋伍を案じて姉のように口を閉ざしてしまうだろうことは、彼には分かりきっていた。
「魂のこと?」
結局、幼い頃に姉が話していた豆知識をうんうん唸りながら引っ張り出すしか無かった。
「確か姉ちゃん、魂のことすっげー独特な表現してたっけ。一人につきいっぱい詰まってるとか、納豆みたいになってるとか」
――おねえちゃん、魂ってバレンタインの本命チョコみたいな形してる?
――してないよ。納豆みたいにいっぱいあるの。
蘇った記憶に「あれ、ホントにこんなこと言ってたっけ?」と一瞬首を傾げたくなった椋伍だが、姉のセンスはぬいぐるみとバッグの飾りが物語っている。ひとまずそれで受け入れることにして、彼はパラパラと日記のページを遡った。
「半分取られたのを、姉ちゃんが肩代わりした。⋯⋯姉ちゃんが急に霊が見えなくなったり、儀式に行く日が減ったのも大体この辺り、だよな。魂ってそーいう力もセットになってるってこと?」
もっとヒントねーかな。そう呟いている間に最初のページに戻ってしまい、もう一度後ろへと進むが白紙のページが続く。もう閉じてしまおうか、と捲り方が雑になってきた頃、椋伍の息が止まる。一番最後から数えて二ページ目に一文走り書きがあった。
この世界の姉を救え
「何これ」
乱れた文字だ。性別も、大人か子どもが書いたかも判別できない。ただ姉の字ではないことは確かだった。呆然とした椋伍の脳裏に久塚の最期が過ぎる。
おれには最高の世界だった。こことは違う遠いところで暮らしていた。
先程は訳の分からない事ばかり言う、と椋伍は混乱していたが今は違う。「魂がいくつもあって分かれて過ごせるなら」と口にし、ゴクリと唾を呑む。
「井戸に行けば、姉ちゃんを取り返せるかもしれない」
なかったことには出来なくても、まだ生かしてあげられるかもしれない。あまりに若い遺影を、ほんの少しだけでも大人に近づけられるかもしれない。
椋伍は日記を閉じると、バッグの中へ戻すことなく蓋を閉じ、期待と疚しい思いとで早く鼓動を鳴らす心臓に手を添えつつ、姉の部屋を後にした。
一方、同時刻某所。
そこは三人部屋の病室で、窓際のみ空いており、真ん中はカーテンを閉め切って様子が窺えない。入口側のベッドはカーテンを引かないままである為、横になった患者とベッドに椅子を寄せて座る少女がいるのが、すぐにわかる状態だ。
少女は赤い瞳に、黒く真っ直ぐに伸ばされた長髪、黒いセーラー服に白いスカーフを通した格好をしており、胸ポケットには「天龍」と名前の刺繍が施されている。
椋伍に「ユリカ」と呼ばれている彼女はイラついた感情も何も浮べていない、ただ儚いだけの顔で患者を見つめ続けていた。
患者は、見ただけでは性別は分からない。
頭部は首まで包帯でぐるぐる巻きにされてほとんど肌は見えず、全身をすっぽりと布団に覆われている。
酸素マスクなどは装着されていないようだが、重たそうな輸液が点滴台に吊り下げられ、ベッドに寄り添っている。テレビ台の上には患者に宛てられた手紙が安っぽい紙製の箱に何通もまとめられており、その横にはふたカートンの煙草が未開封で積まれていた。この人物は、もう長い間目覚めていないのだろう。
静かな時間は唐突に終わった。
からりと軽く音を立てて病室のドアが横に滑らされ、少女は振り返る。
「あら、どちら様かしら?」
中年の優しげな女性だった。黒髪を後ろでひとつにまとめ、事務員のような制服の上からピンクのカーディガンを羽織り、手には出勤カバンと一緒に、缶ジュースとゼリーが入ったコンビニ袋を下げている。
「以前仕事で助けて頂きました」
立ち上がりもせず答えた彼女に、女性は「はて」といった表情で首を傾げて、聞き返す。
「この子が、ですか?」
「このような小娘が仕事など、と思っておいででしょうか」
「えっいえ、あの、そんな」
「焦る様子も似ていますね。私が知っている彼は今よりずうっと……幼いですけれど」
ガサリと女性が持っている袋が音を立てた。両手を胸の前で握りしめ、僅かに息が早まる彼女の後ろでドアがゆっくりと閉まっていく。
「……あなた、お仕事ってなんなのかしら。この子はそんなに目立つ仕事はしていないはずです。あなたを、助けるだなんて。人助けなんて」
「神々隠村をご存知でしょう」
「あなた、どうして……っ」
「それは天龍が何故ここへ来たのかという問いで間違いありませんね。家が燃えたので横面を叩きに来ただけですよ」
「連れていかないで!!」
悲鳴をあげて女性は少女の肩に縋った。
「……」
「お願いします、もうこの子しかいないんです。連れていかないで」
抵抗も応答もせず、つい、とベッドの上のネームプレートへ少女の視線が動く。
「彼の行動次第ですよ。何事も」
ずるずると膝を着いて嗚咽を漏らし始めた女性にようやく降らされた答えは、いつになく冷えきっていた。
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