来訪者

 閑静な住宅街にあるブラウンの外壁のマンション。

 年季は多少感じさせるものの、手入れの行き届いたその建物の一室では一人の中学生男子が慌ただしくキッチンを動き回っていた。


「うぉおおおおおおおおおおお!!」


 三口コンロの上で踊るのはフライパン。その中には大量の塩。

 満遍なく熱を行き渡らせるのに必死な彼は、顔を真っ赤にして雄叫びを上げながらガランガランッ! と騒音を立ててフライパンを振るっている。

 やがてもち手を握っていた内の片方でアルミボウルを引き寄せ、ザラザラザラと焼けた塩をひっくり返し、


「……ふう、出来た! 姉ちゃん直伝ッ!! 『やっつけ塩』!! これで大抵のヤバいのはジュッてなる!!」


 力強く拳を突き上げ叫んだ。

 時計の針は七時丁度。

 家の明かりはほとんど消してあり、ダイニングキッチンのみが青白い光で満たされている。

 テーブルにはラップがかけられたハンバーグ、サラダ、味噌汁、白米がありグラスは伏せられている。箸も揃っている為いつでも食事が始められるだろう。

 ……その料理の前に置かれたキーホルダーと神隠市ノートさえなければ。

 椋伍は塩入りボウルを抱えたままテーブルを振り返り、まじまじとソレを見た。


「ホントは要らないって言いたかったけど、一回手ぇ出してきた奴って次も来るからなー。せっかく助けたのに死んじゃったらヤだし、あとオレにはこれがあるからまあ大体はなんとかなると思うのよ」


 言いながら叩かれたボウルがベイン、ベインと鈍く鳴る。


「姉ちゃんのご飯も準備オッケー! あとはコレ片付けたら今日はぐっすり寝れる……ッシャア!! 明日からの連休の為にも!! ちゃちゃっと終わらせ――」


 リーン……ローーン……


 そこで、独り言をドアチャイムが遮った。


「は?」


 リーン……ローーン……


 硬直した椋伍を急かすように、もう一度鳴る。

 暫し迷って、椋伍はぎゅっとボウルを抱き抱えたまま、道中電気を着けながら玄関へと向かった。


「……っ」


 ドアスコープの向こうに、昼間椋伍のクラスを訪れた赤い目の少女が居た。

 彼女は黒いセーラー服姿のままで、元々白い肌はマンションの廊下の蛍光灯によって一層白く染まっている。そのあまりの不気味さに椋伍の呼吸が止まった。


 怖い。


 そう思っても椋伍は、何処か別の方向を見つめる彼女を身動ぎもせずにドアスコープ越しに見るばかりで、なにも出来ずにいた。それに焦れたのだろう。再度少女はドアチャイムに手を……


「あっ」


 手を伸ばした彼女と椋伍の目が合った。

 少女の手が止まる。

 思わず零した声がドアの向こうに届いたのだ。

 みるみる内に彼女はムスッとした表情に変わり、真正面からドアスコープを睨みつけ始めた。


 や、やっちゃったぁああ……。


 目を固くつむって椋伍は心の中で叫ぶがもう遅い。

 なんせその間にドアがコツコツとノックされている。紛れもない、圧だ。観念した彼はそっと鍵に手をかけ、


「……な、なんでしょう、かッ!? ンィイ!?」


 ドアチェーンを掛けたまま開くと、ガン!! とドアが引っ張られ、左足がねじ込まれた。

 ドアの隙間から、冷ややかに少女が椋伍を睨み上げた。


「なんでしょうか、じゃない。お前……ここで何をしようとした?」

「何も!? ってかなんでウチに来んの!? ちょっと、え、待って待って引っ張んのやめてギリギリ言ってる!! チェーンギリギリ言ってるから!!」

「敬語」

「ここ開けるんでヤメテ欲しいですゥ!!」

「……」

「え、なになんの沈黙――アッ壊れる壊れる壊れる!!」

「お願いの仕方がなっていない。やり直し」

「すぐさま開けますので離していただけますでしょうかァ!! お願いしますッ!!」

「……まあ、さっきよりはマシか」


 言葉と共にするりと足が引っ込んだ。

 椋伍は半泣きになりながらドアを閉めるとぽつり、


「鍵かけたい……」


 と呟く。ささやかな願いだ。しかしそれも忽ち「ガン!!」とドアが殴られた為、叶うことはなかった。

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