一章
「奥さん」
「ポケベル使えなくなったら、奥さんってどうなンだろーな」
昼休み。パック豆乳のストローを歯でガシガシと噛んで机に突っ伏していた金髪から、唐突にその話題が挙がった。提供者の彼は脱いだ学ランで背中を覆い、目元は今、長い金糸に隠れて見えない。くぐもった声は低く、まるで地の底から這い上がるかのようだ。
「
そう返したのは、彼と机を合わせている人間のひとり。生え際が黒い茶髪を襟足の短いウルフカットにした少年――
「いーんだよ……クソほどどーでもいーわ」
「ねえ、なんで機嫌悪いの? アタシ何かした? ダメなとこ全部直すからゆってよぉ」
「何キャラだよお前……揚げパン鼻に詰めて牛乳口に流し込むぞ」
「キレ方えげつな」
「今飲んでるソレのせいだろ。そっとしとけよ」
灰色ベリーショートのソフトモヒカンをツーブロックにしている
金髪を刺激しないようにと口を開いた彼に、椋伍ははたと思い立ったように金髪が握っているパックを覗く。
「……フツー嫌いなもん間違えて買う? めっちゃデッカく書いてんじゃん」
「チッ」
「だからそっとしとけって」
齋藤は机に広がる金髪を指ですすすと整え、直弥が元々隣の席に押しやっていた食器をさらに遠ざけつつ、訝しげに目を細めて尋ねた。
「それよりも、
「俺ポケベル持ってねーし。……親父がメールで言ってきただけ。頼んでもねーのに毎日朝五時頃に時事ネタメール飛ばしてくンだよ、マジで意味わかんねーしウザすぎて歯磨き粉と洗顔の中身入れ替えてェ気分」
「それめんどいからマジックで書き換えたら?」
「おい」
「明日やるわ」
「絶対やめとけ」
「やったら教えて。あと奥さん? ってやつも何か教えて貰えると嬉しい」
「は?」
二人分の声が重なった。直弥に至っては頭を上げ、髪の隙間から目を見開き椋伍を凝視している。
「……知らねーの?」
「ウン」
「はァァァア?」
「えっなに、顔こわ急に怒るのやめて欲しい」
「時任は、あー……ちょっと前にこっちに越してきたって言ってたから、知らないのも無理は」
「あンだろ無理がよォ! 三年前だろ? 三年前だよ。俺よか早めに来ててなんでオメーが知らねーんだよ!!」
「えぇ……わかんねーよ……ポケベル持ってないから?」
「じーちゃんばーちゃんがポケベル持ってたらお前今頃死んでンだよ知っとけ」
ア゛ー、と声を濁らせて前髪を掻きむしると、直弥は「今何時」、齋藤はそれに「あと15分」と返せば、肩甲骨まで伸びた髪を高い位置に一括りにしながらこう話した。
ポケベル全盛期の頃のこと。
とある主婦が自宅で金目のものを盗られ、その際に激しく抵抗したために酷い殺され方をした。
後にその犯人達は主犯以外は捕まったが、その全員が口々に同じことを言う。
「ポケベルが鳴ってる」
「奥さんが呼んでる」
「何度も謝ったけど許してもらえない」
更には「アイツが来てくれないともうずっとこのままついてくる」と取り乱す始末で、結局その「アイツ」が見つかるまでに全員気が狂って死んだ。
アイツとは「奥さん」の旦那のことで、旦那は事件直後周囲には「妻を殺された悲劇の夫」として振舞っていたが、すぐに失踪。
数年後、事件現場の自宅を取り壊すために業者が訪れた際に遺体となって発見された。
「奥さん」が一番大事にしていた物を男は持ち去っていたそうだが、とうとうそれが何かも分からないまま事件は終わった。
「――で。キレたまんまの奥さんがヒスりながら手当たり次第にポケベル持ってるヤツに呪いのメッセージ送り付けてくるっつーのが、この
「うわあ、嬉しくねぇえー」
一通り聞き終えた椋伍は、椅子の上で仰け反りながら呻いた。齋藤が「なんなんだその感想」とつり眉を寄せて困惑する。
「地域限定の響きが、ちょっとムリ。引っ越してきたこと後悔してる」
「何年も前からあンだよ諦めろ」
「ムリムリムリ、あり過ぎなのよここ。馬鹿ほどあるじゃんそういうの。夕方のどこそこの小学校の北門の歩道橋の下をくぐるなとか、どっちの山には絶対行くなとか、オレの神隠市ノートもうパンパンだからこれ以上増やさないでくんねーかな」
「そんな気持ちワリィもん作ってんの?」
「これなんだけど」
「見せンなぶっ飛ばすぞ」
「理不尽過ぎん? 興味持った感じだったじゃん今……」
直弥の希望を無視して机から取り出されたそれは、チラシの裏紙を糊で貼り合わせているだけの紙の束だった。ノートと呼ぶには不格好で、それでもそれ程の厚みは十分すぎるほどにある。
椋伍は憂鬱そうに一番後ろのページを捲り「奥さん ポケベル 迷惑メール」と余白に書き足す。
「嫌なもん増えちゃったなー」
「奥さんはメールはしないぞ。ポケベルだから」
「メッセくれるんでしょ?」
齋藤は首を横に振る。
「数字の語呂合わせらしい。文字じゃない」
「794とか?」
「そうだけど、そんな優しいアレじゃない。多分」
「1564とか?」
「ヒトゴロシ、ね。いーンじゃね? メモっとけば」
「嫌だなあ……」
「その塊のが嫌だわ。捨てろよ」
「こんなに分厚いと流石に呪われそうじゃん」
「オメー大丈夫? めちゃくちゃ矛盾してンの気づいてる?」
苦笑いを浮かべる齋藤と、呆れ混じりに心配する直弥を前に「そうは言ってもさあ」と椋伍は眉間を引っ掻く。
「なーんか作っちゃうんだよなあ」
「時任ー!」
そこで三人の元に高い声が飛んできた。
教室の黒板横のドアからだ。セーラー服の集団のうちの一人が椋伍を真っ直ぐに振り返り、
「なんかお前と話したいんだってー!」
と声を張っている。
人集りが出来ているようで、どこの人の隙間からも呼び出しの人物の顔が見えない。
それもあってか返事もせず、
「え、誰?」
「知らねーけど告白じゃねーの? お前ゴリゴリの不良面のワリに優しいからな」
「うわぁ、ご自分の紹介ですか? 一年前にもう聞いたんですけど」
「頭かち割っていい?」
「揉めるな。大体こんな中途半端な時間にしないだろ、流石に。行ってこい」
なかなか動かない椋伍と、ヒソヒソする友人二人に焦れるように「聞いてるー?」と眉を寄せた彼女の横腹から、にゅっと細い腕が割って入ってきた。
「えっ、ちょっと」
「失礼」
戸惑う女子に短く言い捨てその姿を現したのは、息を飲むほど綺麗な少女だった。
富士額に真っ直ぐ眉下で切りそろえられた前髪。長い黒髪は絹のようにさらりと腰まで流れ、顎の下あたりの髪は、まるでどこぞの姫君のように短く真っ直ぐに切られている。
肌は雪のように白く、大きな瞳は血よりも深く赤い。
顔立ちと背丈に幼さが残る彼女は、それでもその場にいる全員の呼吸を止めるほどの気迫を放っていた。
なんかすごいの来た。
椋伍が怖々と呟き終える頃には、彼女は彼の目の前にまで迫り、迫られ過ぎた椋伍は椅子に座ったまま後退して、隣のグループの席にぶつかって止まった。
「な、なに……?」
猫目がギラギラとしていて椋伍の恐怖を煽る。
ややあって彼女は低く空気を震わせて問いかけた。
「お前はなんだ」
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