第2話 その親子
無心で機械を弄る。
僕はこの時間がこの世で一番幸せな時間だと思っている。
その次に武術の鍛練。
何せ、他の事を何も考えなくて良いから。
こうしてネジを回し、鉄を打ち、芸術とも言える構造を見ているだけで満足だ。
煩わしいことに目を向けなくて良くなる。
自分で言うのもなんだけど、僕は結構社交的だ。
そういう風に出来るように努力をしたから。
でも、本当は、こうして機械に向き合って一生を過ごせたらどんなに素晴らしいかと思っている。
ひたすら拳を打ち込み続けて生きていければどんなに楽なのだろうかと思っている。
でも、それだけでは生きていけない。
人として生を授かり、人として生きていくには、人と関わらなければならない。
別に人が嫌いという訳ではない。
ただ、目の前のこの人も、いつかは居なくなるのだと思うと耐えられないから。
怖いのだ。
深く関わり、それを失った時のことを思うと怖くなる。
わかってる。
そんなの、他の人からすれば関係のないことだし、我儘なんだと。
でも、大切なものを失うことを怖がるのはいけないことなのだろうか。
僕のこの、両手の広さには限りがある。
皆を助けることなんて出来ない。
なら───
最初からそんなもの無い方が良いに決まってるじゃないか────
──────
アルはひたすらに機械を弄り続ける。
外観を確認し、分解し、ダメな部分を直し、時には足りないものを造りながら。
蒸気機関を利用した工房にはそういった作業に必要なものはほとんど揃っている。
金属を打ち直すための炉、削り出すための旋盤、鋳込むための反射炉、例を挙げればキリがないが、それらを駆使してどんどん機械を組み上げていく。
この工房は、アルバート・ライトがたとえ1人で作業しても、材料さえあれば全てを造りあげられるよう設計されている。
そのため、店舗兼自宅としてのスペースよりも、別棟として横に存在する作業場の方が遥かに大きい。
職人街の中にあるとはいえ、ここまでの大掛かりな設備を設置出来る土地は限られており、通りの突き当たり、職人街の外れを全て占有する形で工房を開いている。
随一の技師とはいえ、この若い青年がここまで巨大な工房を持てているのにも理由はある。
彼の祖母、エマ・ライトの存在だ。
魔蒸機関が特に盛んである、ランカスター王国、ノースグランデ帝国、フリーデン共和国の三大国家では、その名を知らぬ者は存在しないとまで言える英雄である。
その孫であるアルバートに、祖母並みの素質があるとなれば、共和国上層部は便宣を図る。
そうして手に入れた土地であるということは、アルにとっては皮肉以外の何物でも無かった。
それでも、彼にはこれしか無かった。
祖母の悲劇を、自分に起きた悲劇を、忘れ去るためには機械が必要であった。
これが無ければ、自分は壊れてしまっていたのだから。
そうして必死に、無心に仕事をこなしていると、少し疲労が出たのか、左目と左手に痛みが走った。
「ん………。あぁ、こんな痛みがするほどの時間やってたのか……。」
時計を見ると、オースティンさん達が来訪してから4時間ほど経っている。
「あっ…と…。父さん迎えに行かないと。」
アルが小さく呟くと、近くで作業していたエルヴィスが反応した。
「うん、そうだね。しかし、君、相変わらず作業中は他の事見えないんだね?私が居ることすら忘れてたでしょう?」
「いや、その、すみません……。」
アルが申し訳無さそうに言うが、エルヴィスは「いいの、いいの。」と、軽く流す。
「さて、休憩としては良い時間だし、お父様をお迎えに行った方がいいんじゃない?多分、あのお父様のことだから馬鹿正直に君を待ってるよ」
と、エルヴィスは笑った。
「え?えぇ、そうです…ね?」
アルはいまいち理解していないような返答をする。
父が正直なことと、自分をひたすら待つことに何か関係あるのか?と首を捻りつつも、一応同意する。
「………うーん……重症だなぁ………。」
エルヴィスは苦笑しながらも、手に持つ機械の螺子を締めていく。
「じゃあ……、行きましょうか?」
「いや、私は遠慮しましょう。任せなさいと言った以上はそれなりに仕上げてから止めますよ。なに、心配いりません、疲れたら勝手に寛がせて頂きます。」
「そうですか………。うん、解りました。では、行ってきます。」
「うんうん、行ってらっしゃい。お父様によろしくね。」
エルヴィスに見送られ、アルは店を後にした。
──────
ここは大通り──から、一本裏手にある通り。
色々な商業施設が建ち並び、活気のあるメインストリートを観光、おでかけ向けだとすれば、ここは地元の人が利用するお店が並ぶ商店街だ。
「えーと、オースティンさんから聞いたお店は……と……。」
僕はオースティンさんから聞いたお店を探している。
彼が言うには少しわかりにくいところにあるらしい。
なんでも、父さんの知り合いがやってるお店なんだって。
…考えてみれば、父さんの交遊関係なんてほとんど知らないな……。
キョロキョロと辺り見回す。
そうすると、ひとつの看板が目に入る。
一見すると、住居にしか見えない建物の入口、そこに書いてある文字に気付いた。
「クライテリオン…ここだ。」
オースティンさんから聞いた名前と一致する。
なんでこんなわかりにくいところに…。
ここが酒場だなんて誰も気付かないよ。
アルは訝しげに思いながらも、ドアに手をかけた。
──────
「おや?来たようだね。」
「ん?アルバートにしては早いな。」
アルが店内に入ると、そこには2人の人物が居た。
1人は自分がよく知る人物、父親。
もう1人は背が高く、黒く長い髪と切れ長の目が特徴の、不思議な雰囲気を持つ女性だった。
彼女はバーテンダーのような服装をしているので、恐らく店の者なのだろうと予想出来る。
「やぁどうも、初めましてだね。私はアイリス・エスコット。この店の店主をしている。さ、こちらへ掛けたまえ。」
女性から自己紹介をされる。
何とも言えない妖艶な雰囲気に呑まれそうになりつつも、アルも自己紹介を続ける。
「ど、どうも、初めまして。アルバート・ライトと申します。」
そう言うと、アイリスは艶やかな笑顔でふっ、と笑いながらアルの父親に語り掛ける。
「おい、エドワード。君の息子とは思えないほど行儀が良いな。彼女の血かな?君なんかには勿体ないじゃないか。」
「うるせぇ、ほっとけ。どうせ俺は粗忽者だよ!」
「おやおや、褒めているのに。君が所帯を持つことにすら驚いたというのに、こうしてちゃんとした子が育っているというのは喜ばしいことだよ?」
……。
なんだろう。
この、何とも言えない気持ち。
父さんが知らない綺麗な女性と仲良くしてると思うとなんかモヤモヤする。
アルが複雑な気分ながらもカウンターの席に腰かけると、アイリスが言う。
「おや?浮かない顔だね?あぁ、何も心配しなくても大丈夫だよ。君ならまだしも、知性を感じないエドワードにはひと欠片も興味がない。」
「こいつ……。まぁ、俺の頭が悪いのは否定しないけどさ、もっと言い方あんじゃないのか……?可愛い息子の前でぐらい格好つけたいもんだろ。」
「おや?それはすまない。私は嘘が吐けないものでね。」
「よく言うよ………。」
うわぁ、すごく居心地悪い。
もう、そのやり取りだけで気安い仲だというのは誰にでも解る。
そりゃあ、僕も独り立ちしているし、父さんが独り身で一生過ごすのは寂しいとわかるけど、やっぱり複雑なものは複雑だ。
「よ、宜しくお願いします…。その、アイリスさんは父さんとはどういう関係で…。」
あぁ、聞いてしまった。
でも仕方ないじゃない。
気になるものは気になる。
僕にだって覚悟をする時間は必要なんだ。
「先程も言ったが、何も心配しなくて良いよ。さっきの言葉は真実だ。君にならまだしも知性を感じない男に魅力は感じない。おや?これでは裏を返すと私は君を口説いているね?どうかな?私はやぶさかでは無いけど。」
ずいっと顔を近付けるアイリス。
お洒落なバーテンダーの服からちらりと覗く谷間がアルをさらに困惑させる。
う……、こ、この人色香が凄すぎる。
田舎育ちで耐性があまりない僕には刺激が強い。
思春期は過ぎているとはいえ、僕だって男だ。
こう…大人の女性に言い寄られるとコロッといってしまいそうで怖い。
「おい、目の前でアルに迫るな。歳を考えろ歳を。アル、目の前の姿に騙されるなよ。こういう女は危ねぇぞ。あんまりモノを教えてやれない俺だが、そういうことは解る。悪いことは言わねぇから止めとけ。」
エドワードは真剣な表情でアルへ語り掛ける。
「う、うん。あ、その、僕も何かいただいても良いですか?朝から何も食べていなくて。仕事があるのでお酒は飲めません。」
話をそらすようになってしまったが注文をする。
現在時刻は15時。
お腹が空いているのも事実だ。
「おや?そうなのかい?父親と違って仕事熱心なんだね?いいよ。嫌いなものが特にないなら今出せる最高の料理をご馳走しよう。男は胃袋を掴めと言うしね。」
パチッとウインクをしながらアイリスは応える。
そうして、カウンターの奥にある厨房へ向かって行った。
「アル、アルバート。顔が赤いぞ。本当に止めとけ。あ、おい、アイリス。俺にも何か軽いものを頼む。」
エドワードがそう伝えると奥からは「承った」と返事が聞こえる。
「アル、仕事はどうだ?進んでるか?」
「あ、そうだ。酷いじゃないか、仕事が遅れてるのもわかってたんでしょ?教えてくれても良かったのに」
「仕方ないだろ?俺が何を言っても聞こえてる様子が無かったんだから。で、騒ぎになるだろうと思って先に逃げてたんだよ俺も。そしたらオースティンが本当に哀しそうな顔をするから、家にいるって教えたんだ。これに懲りたらあの研究もほどほどにすんだぞ。」
「う…ごめん……。」
「いいんだよ、解れば。それに、なんつーか、あの研究が行くとこまで行っちまったらお前どっかに消えちまいそうでな。…頼りない父親だってのは自覚してるけど、俺にとってこの世で一番大事なのはお前なんだ。それだけは解ってくれ。」
「うん……。」
な、なんだか自分で思っていた以上に大事にされてるのかなこの感じ。
なんかこんなに皆に大事にされてると思ったら申し訳ない。
僕の方はあまり人に興味がないのに。
「ふふっ、父親みたいなことを言うんだねエドワード。」
「みたいじゃなくて父親だ!」
料理をしながらアイリスさんが厨房から声をかける。
……もし、母さんが居たらこういう会話を家でしたんだろうか。
「アルバート君、そろそろ出来上がるからね。もう少し待ってくれ。」
あ、いい匂いしてきた。
うーん、あんまり食に興味ない方かもと思ってたけどやっぱり身体を動かしてるしちゃんと食べないと。
「で?仕事は?かなりあるんだろ?ほとんど肉体労働しか出来ないけど後で俺も手伝うぞ。」
「あ、うん。師匠も手伝ってくれてるし、オースティンさんは10日以内って言ってたけど3日もあれば終わると思う。」
「……職人の目算で10日のものをどうすれば3日に出来るんだ…。」
「まぁ、そこはほら、僕だし。師匠も居るし。」
「お前とエルヴィスは一体なんなんだ…。あと、なんかその自信満々な感じ腹立つな。誰に似たんだ全く。」
「父さんでしょ。」
そんなことを話していると、アイリスさんが料理を持ってきてくれた。
「はい、お待ちどおさま。何やら楽しそうだね?家族団欒ってやつかな?私も是非ともそこに入りたい。」
「だから、お断りだ。」
「おや、つれない。」
………やはり複雑だ。
アイリスさんが出してくれた料理は思っていた以上にご馳走だった。
スープにパンにサラダ。
目を引くのは大きなステーキ。
美味しそうだ。
「武術を習っていると聞いていたからね。やはり肉は外せないだろう。良い仔牛の肉だから柔らかくて美味しいよ?」
「ありがとうございます。いただきます。」
ナイフを入れる。
うわ、すごい簡単に切れた。
それじゃあ、いただきます。
「……美味しい。美味しいですアイリスさん。」
「ふふふ、それは良かった。ごゆっくり。」
アイリスさんはそう言いながら父さんの前にサンドイッチとコーヒーを出した。
あ、あのサンドイッチも美味しそうだな。
ハムとレタスと卵と……。
なんか、酒場と言うよりカフェみたいだ。
「お、ありがとう。うん、今日は酒をほとんど呑んでないが、こういうものもたまには良いな。」
「あれ?そうなの?」
「お前があまり呑むなって言ったんだろ?普段からも健康に良くないから止めとけってお前に言われてんだから、俺だって少しは考えるさ。」
「ふふっ、アルバート君。エドワードはこう見えて身体の心配をしてくれていることにとても喜んでいるんだよ。今日だって酒を呑まない代わりに君の自慢話や惚気を沢山聞かされたのだから。」
なんか、意外だな。
父さん普段は放任主義というか…
まぁ、僕が勝手にやりたいことやってるだけなんだけど…
それについて何かを言ってくるわけでもないし。
お酒を注意しても「じゃあお前はもうちょい周りを見るようにしろ」って言ってきてたぐらいだし。
いや、僕が見てなかっただけなのかもしれない……。
なんか反省。
最近忙しくて父さんの言う通り周りのことが見えていなかったのかも。
うん、気をつけよう。
とりあえず今は、この美味しい料理を冷めないうちに食べてしまおう。
そんなアルの表情をエドワードが横目で見ながら安堵の様子でコーヒーを啜る。
アイリスもまた、それを眺めながら目を細めるのであった。
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