序章

第1話 その青年

 ─A.H.1929年 フリーデン共和国 首都エスペランサ

 

 室内に、一人の青年が居た。

 外は陽が昇り、明るいというのに、部屋の中はカーテンを閉めきっていて暗い。

 青年は額に汗を滴し、息を潜めてカウンターの下に隠れていた。



 悪夢だ。


 なんという悪夢だ。


 僕か?

 僕が悪いのか?

 

 この状況はなんだ?


 孤立無援、四面楚歌、万事休す。


 先ほどからドアノッカーの音が止まない。


 この様子では、恐らく裏口も追手によって抑えられているだろう。


 なぜなら買い出しに出た父親が、かれこれ2時間以上帰ってこない。

 目的の店は4軒先なのに。


 …もしや追手に捕らえられたのか…?


 だとすればマズい。


 早く助け出さなければ大変なことになる。



「観念して開けてもらえませんか?これ以上抵抗しても時間の無駄です。」


 ガンガンとドアを叩き付ける音と、男の声が響く。


 くそっ!


 相手は一体何人だ?!


 騒がしさからしてかなりの人数が居ることは間違いない。


 青年は考えを巡らせるが、状況は動かず、無慈悲に男の声が響き続ける。

 

「居るんでしょ?わかってるんですよ。何せお父上に聞かせて頂きましたから。」


 もし顔が見えているならば、醜悪な笑顔が浮かんでいるのであろうと思える声色で、そう告げられる。


 やはり!


 何てことだ!


 父さんはやはり捕まっていた!


 あぁ、なんて可哀想な……。

 きっと僕には口にできないような、そんなを受けて、僕の居場所を教えてしまったんだ……。


「と、父さんは無事なのか!」


 青年は我慢できずに声を発する。


「えぇ…今頃は私共の手の者によって、天にも昇りそうなを受けていることでしょう…。」


 青年の血の気が引いていく。


「な、なんてことを……!貴方達には人の心が無いんですか!」


 悲痛に満ちた声で青年は叫ぶ。


 あぁ、僕のせいで父さんが……!


「望みは何ですか?!僕の命ですか?!それならば家族を巻き込む必要は無いでしょう!」


 涙を浮かべて青年は叫ぶ。

 顔は真っ青で、カタカタと震えている。


「いいえ、博士。おわかりでしょう?彼は決して無関係ではない。…もう良いでしょう?開けてもらえませんか?扉を壊すような手荒なことはしたくない。」


「断る!」




 そうした押し問答を続けていると、外から聞き覚えのある、飄々とした声が聞こえてきた。


「んん?皆さん一体何をしておいでで?」


 師匠!

 そうだ!

 師匠なら…師匠ならきっと何とかしてくれる……!


「あぁ、これはこれはエルヴィスさん。貴方のお弟子さんが引き込もってしまってね…。私達も困っているんですよ。」


 ダメだ師匠!

 その人達の言葉を信じてはダメだ!


「はーん…それは…なるほどぉ……。それならば、私が扉を開けてしんぜよう。」


 師匠ー?!

 そんな?!

 師匠が騙された!


「おお!お願いします!」


「うんうん。それじゃあちょっと扉の前を空けてくださいねー。」


 マズい!

 師匠の手にかかれば扉なんかすぐ開いてしまう!

 そうなってしまったら僕は…僕は……!




「ひらけー、ゴマ!」


 男の声と同時に扉の鍵とかんぬきが外れる。

 表にいる男達から、おぉっ!という歓声が沸く。


 それを見た青年の心は絶望に沈んでいくのだった……。



─────


「やぁやぁ!大体想像は付くけど、この騒ぎは何事かな?アル。」


 その男は灰色のローブを着込み、手には可憐な花と蕾が咲いた木の杖を携えていた。

 フードの下からのぞく顔は絹のように白く、片眼鏡をかけ、その瞳は金色であった。

 端正な顔立ち、それでいて男らしさのある、所謂だれもが振り向くイケメンである。

 年頃は30代頃か。

 端正な顔に張り付けたような笑みを浮かべて青年に話しかける。


「い、いえ!僕にもわかりません!突然追われ始めたんです!僕は何もしていない!」


「んー…そんなことは無いと思うんだけど……。まぁとにかく、隠れていないで出てきなさいよアル。私もできる限り君を助けると約束しよう。」


 青年──アルバート・ライトは観念したのか身を潜めていたカウンターから出て、姿を見せる。


 扉が開いたことにより、彼の姿を明かりが照らす。


 背丈は170センチほど

 少し長めの、祖母譲りの茶色い髪。

 右目の色はエメラルドグリーンで、左目はルビーのような深紅の瞳。

 左前腕部にはガントレットを装着していて、額にはメカメカしいゴーグルを当てている。

 服装はシンプルながら機能的。

 細部に使われている革細工からそれなりの高級品を身に付けていることがわかる。


「師匠!本当にお願いしますよ!本当に!」


「あーわかったわかった。私に任せなさい。悪いことにはしない。」


 師弟で会話を交わしていると、ドアの外で待っていたであろう男から声がかかる。


「あー…良いですか?エルヴィスさん。ライト博士。」


「やぁこれは大変申し訳ない。構いませんよオースティンさん。」


 オースティンはその言葉を聞き、失礼します。と部屋に入ってくる。

 その風貌は、職人のようなエプロンを着けたスキンヘッドの大柄な男だった。

 その威圧感のある男が、アルを見つめこう言った。


「博士。わかっているでしょう?」


 アルは震えた。

 それも当然で目の前の男はとても威圧感がある。

 その男からこんな台詞を言われてしまっては、マフィアから何かとても危険なものを依頼されてしまい、そこから逃げて追い込みをかけられてしまったかのような気分に陥る。


「わ、わかりません!身に覚えがない!」


 アルはそう叫ぶが、正直なところ身に覚えしか無かった。


「博士…本当に困るんです……。お願いですから……。」


 オースティンは哀しそうな顔でそう告げる。


 いや、ダメだ!

 騙されるなアルバート!

 こうやって同情を誘うのはマフィアの常套手段だ!

 大男になんか、絶対に負けない!


「そ、そんな顔してもダメです!マフィアの言うことなんか聞きません!」


「マ……?いえ、そうではなくて。あぁもう、本当に言わなければ解らないんですか?」


 そう言い、近付いてくるオースティン。

 歩きながら懐に手を入れ、何かを取り出そうとしている。


「だ、ダメですよ!オースティンさん!そんなものを出してしまっては僕は…僕は……!」


 狼狽えるアルをよそに、オースティンはズンズンと近寄っていく。


 そして、カウンターを挟んで目の前に来た瞬間に懐から出したものをアルへ突き付ける。


 あぁ──終わった───
















「納期が過ぎてるんですよ!お願いですから早く仕事を終わらせて下さい!でないと商工会の皆さん困りますよ!」


 アルの目の前に突き付けられたのは発注書。


 その書類には、魔蒸機修理、魔蒸機改良、魔蒸機新規開発プロジェクト等の文字が並んでいた。


 その下部にある代表責任者の欄にサインが書かれている。


 アルバート・ライトと。


「たはー…そうだろうとは思っていたけどやっぱり仕事を溜めてたんだね可愛い弟子よ……。」


 エルヴィスは苦笑し、やれやれといったように頭をかいた。


「とにかく、他の職人さん達は先にやれる部分を終わらせて準備だけはしていただいています。陳情のためにこんなに来て下さっているんですよ?10日以内に終わらせて下さい。公共事業を優先で。それ以外の間に合わない個人的な仕事は、私も一緒に謝りにいきますから……。」


 オースティンは懇願する。

 流石のアルもこの様子には折れてしまい、謝罪の言葉を口にするしかなかった。


「ごめんなさい……すぐやります………。」


 オースティンはほっとした様子で、優しく言う。


「わかって貰えれば良いんです……。博士の腕が良いのは、この街に住んでいる者ならば皆知っています。どうかその才能を腐らせないようお願いします……。」


「ご、ごめんなさい……。あと、その、やっぱり、博士って言われるのは気が引けるというか……止めて欲しいというか……。」


「何をおっしゃる。まだお若いとはいえ、その腕は世界の宝です。職人の世界では実力第一。博士の造った魔蒸機を見れば誰もが認めます。……とにかく、宜しくお願い致します。」


 オースティンはその強面からは想像出来ないほどの良い人オーラを醸し出し、頭を下げる。


「はっはっはっ、オースティンさんのような人格者にここまで言って貰えるんだから素直に受け取っておきなさいよ。それに、仕事なら私も手伝おう。私だってこの子の師匠だからね。多少のことならやれますとも。」


「おぉっ、エルヴィスさんも協力して貰えるならば百人力です!是非ともお願い致します!」


 絵に描いたような強面と、絵に描いたようなイケメンが2人ではっはっはっ!と笑いあう。

 その光景にげんなりしながらアルはため息をつく。


「わかりました……。解りましたから、皆さんにもすぐに取り掛かる旨をお伝えして下さい……。僕はすぐに師匠と作業に取り掛かります。出来れば父さんにも手伝っていただきたいのですが……。」


 アルは次に出る言葉が想像出来ていながらも、僅かな希望にかけてそう言う。




「博士、解っているとは思いますが、お父上はおもてなし受けてお酒が入っているので、すぐに仕事は無理でしょう。」




 やっぱりな!

 そうだろうね!

 知ってた!

 僕、わかってたよ!


「解りました……。どこの酒場ですか?仕事が一段落したら休憩ついでに迎えに行きます。あ、でも飲み過ぎないようにだけ伝えておいて下さい。」


「おや?そうですか?私共でお連れしようと思っていましたが。」


「いえ、僕のせいでそうなったわけですし、たまには父さんと外食というのも悪くないかな、と。」


 その言葉を聞いたオースティンはにっこりと笑い、「そういうことならば」と店を後にした。

 正直、笑顔が怖い。

 いい人なのは身に沁みて知ってるけど怖いものは怖い。


 表から声が聞こえる。


「博士はもう大丈夫です!約束していただけましたし、エルヴィスさんも手伝ってもらえるそうなので、皆さんは安心して作業を続けて下さい!」


 オースティンのその声で職人達から安堵の声が上がる。


「あー、良かった。」「よし、俺達も頑張ろう!」「あの設計図は書き上がってるか?」「勿論問題なく。」「博士が動けば後はすぐだな!」「飯行こうか?」


 そんなことを言いながら職人達の声が遠ざかった。


─────


 先程までとはうってかわって、店内は静かになった。

 カーテンを開け、明かりを入れる。


「良かったですね。相変わらず皆良い人で。君は愛されているようで安心しました。」


 エルヴィスはそう言いながら作業場の準備をしている。

 炉に火を入れ、工具箱を運んでいる。


「えぇ、まぁ……。確かに、ありがたいことですね。」


 アルはそう言いながらエプロンを着ける。


「あんなに良い人達を困らせてはいけませんよ?…まぁ、君のことです。自分の研究に没頭してしまって忘れてたんでしょう?」


「う…………。」


 図星である。

 

 そう、昨日まで仕事のことを完全に忘れていた。

 気付いた頃には後の祭り。


 いや、これ間に合わないよね?

 またオースティンさんに謝るの?

 申し訳ない……。

 よし、知らなかったことにしよう。

 

 アルがとった行動は現実逃避だった。


「まぁ、私が来たのです。間に合うでしょう。師匠に任せてもらえれば万事解決!方舟に乗ったつもりで!」


 エルヴィスが胸を張り、鼻息荒く言う。


「随分大きく出ましたね!では、そのまま世界を救済しましょう!」


 アルも白々しく、やけっぱちになりながらそう言った。


 そんな軽口を叩きながら師弟は作業に取り掛かるのだった。

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