前章(4)

 元・ランカスター王国騎士団教導隊 聖教会所属騎士爵エマ・ライト

 通称「蒸気の魔女」

 生まれはスラムだが、聖教会が行う選別によって、当時8歳という若さで選ばれた聖人である。


 彼女は類い稀なる魔力の強さと、身体能力の持ち主だった。


 しかし、劣悪な環境の中で育った故に怪我の化膿が原因で左腕を欠損していた。

 当時でも最先端技術であった魔蒸義肢によってもう一度左腕を手に入れた彼女は、自らがそうだったように人類の生活を豊かにする魔蒸機関の研究に没頭する。


 王国軍内部では、人間関係をほとんど持たない、研究に没頭する変人でありながらも、その生まれ持つ美貌から男性からの人気があり、兵士の間では「義手の聖女」「魔蒸の女神」「1000年に1人の美少女」「ゲロマブ」などの愛称で呼ばれていた。


 ノースグランデ帝国との小規模な武力衝突の際には、16歳の若さで帝国軍を圧倒。

 その際には、彼女が設計開発を行っていた魔蒸兵器が試験運用された。


 その後、帝国軍将校と禁断の恋に落ちる。


 最終的には王国、帝国の歴史上類を見ない特例により交際が認められるようになる。

 それまでの道程には超スペクタクルな物語があるのだが、それはまた別のお話。


 そんな彼女が、年老いてきているとはいえ10歳以上は若く見える、他人よりも恵まれた身体とパワードスーツの補助により森を疾走する。


「ヤツの派手な足跡からして方向は間違いないハズ。流石にこのレベルの障気を撒き散らされると感覚がおかしくなるな。」


 エマは尋常でないスピードで走り抜けながらも、地面に残る特徴的な足跡を辿っていた。


「しかし走るだけで地面が灼けるのか…。ハンスの結界でも耐えられるのか保証が無いな…。」


 エマにかけられている結界は、先程までの広域の結界ではなく、最低限の大きさになっている。

 術者であるハンスによる魔力の供給が出来ないため、エネルギー効率の方を優先した結果である。


 結界魔術自体は遥か昔から存在し、その技術体系はほとんど完成している。

 繰り返される研究の中で、魔術戦闘に特化したものから白兵戦に特化したものまで様々である。


 しかし、今回選択された銃撃戦特化で、更に通常よりも小さな結界では、結界と体の距離が近いためあまりにも強い衝撃は伝わる可能性がある。


 そのためにも確実に遠距離から仕留める必要があった。


「……ん…近くなってきたな…。」


 そう言い、エマは木の上へと飛び上がる。

 周囲を見渡し、一際背が高く大きい木を探し、そちらの方へと跳び移っていった。


「ここからなら………………見付けた。」


 西の方向に小さいがとてつもなく大きな障気が見える。

 何よりも特徴的だったのは、周辺の木々が薙ぎ倒されており、その一部分だけが露出していることだった。


 距離にして約800メートル。


「この距離ではっきりと目に見える程の障気だと…?本当に規格外だな…。あれで本体じゃなくて遺伝子を埋め込まれただけ…?冗談じゃない……。」


 呟きながらゴーグルのネジを捻り片目のレンズを解放し、ライフルに取り付けられているスコープを覗きながらピントを合わせていく。 


「っ……………!」


 スコープのピントが合った時、エマが観た光景は惨憺たるものだった。


 狼は集団で逃走した野盗を、捕食していた。


 周辺には少なくとも4人の死体。

 頭は噛み砕かれ脳漿がバラ撒かれている。

 腹は裂かれ臓物が溢れだしている。

 四肢は欠損しており、大量の血溜まりが出来ている。


 狼はそれらを味わうように喰っていた。


「戦場経験者と言えど流石にキツい………。しかも私達の村と逆方向だけど、国境が近い。あの小国にこんなモノが入り込んでしまっては誰も助からない……。確実に仕留める。」


 エマはゆっくりと照準を合わせる。


 しかし、少しブレてしまった。

 安定性に欠ける足場のせいかと思ったが、エマはすぐに気が付く。


 自分が震えているのだ。


「クソっ!蒸気の魔女ともあろう者が犬ごときにビビるな…!アレは凶悪だが所詮デカいだけの犬だ…落ち着け……。」


 エマはそう自分に言い聞かせ落ち着くよう努める。


 呼吸を落ち着けるように深呼吸をしながらブレが止まるまで待つ。


 数分もない時間だが、永遠にも感じられた。


 そうだ、落ち着け、この距離ならこいつで仕留められる。

 いくら堅かろうがこの角度から目を撃ち抜けばヤツの頭は内側から吹き飛ぶハズだ。

 この銃を作ったのは誰だ。

 世界随一の魔蒸技師だ。

 そうだ、一撃だけ。

 たった一撃で良い。

 それで終わりだ。

 そうしたら愛する家族の元へと戻り、あのバカな教え子を教育し直す。

 そう、勝てる。

 私は天才なんだ。


 エマが徐々に呼吸を整え、意識がスコープの先へと集中し始めた時
















 標的と目が合った



「クソっ!!」


 血の気が引くと同時にライフルのトリガーを引く。

 銃弾は激しい音と共に発射され、マズルブレーキと魔蒸エンジンから大量の蒸気が吹き出す。

 弾丸が摩擦熱で発光し、射線が見える程の速さで狼に到達する────直前に姿が消えた。


「こ…の……!」


 エマが退避すると同時に、打ち出した弾丸の着弾の衝撃が走る。

 地面は抉られ、爆音が轟く。


 しかしそこに狼は存在しなかった。


 そして、先程までエマが居た場所へ赤い刃のような衝撃波が走る。

 途中にあった木々を焼き切りながら大木の上部を切り落とす。


「この……!」


 木々の枝にぶつかりながらも地面に着地する。

 体勢を立て直したところに、先程大木を切り倒した熱波が飛んでくる。


「化物がぁぁぁああああ!!」


 通常の人間ならば避けられなかったであろうその刃を、エマは身をよじるようにして跳び避ける。


 跳べる高さの頂点に達し、そこからの自由落下の間に熱波が飛んできた方向へ銃弾を撃ち込み続ける。

 射線が何本も描かれ、着弾し土埃を上げる。


 背後にあった木は広範囲で薙ぎ倒され、焦げた臭いを周辺に漂わせていた。


「ふざけんな!他人のことは言えないけど理不尽過ぎるだろう!」


 着地し、間髪入れずに銃弾を連続で撃ち込む。

 魔蒸エンジンからはけたたましい駆動音が鳴り続ける。

 ガチン!と音が鳴り、ライフル後部に取り付けられた排気口から蒸気が吹き出したと同時に素早く弾倉を入れ換えコッキングする。


 だが、沈黙することなく熱波が襲い掛かる。

 連続で2つの刃が飛来し、避けるも2つ目を掠めてしまう。


「がっ…!痛っ…たい!!」


 結界を張った身体に掠めてこの威力…!

 直撃すればただでは済まない。

 来てるな、間違いなく来ている。

 重圧がどんどん近付いてくる。

 あの野郎、あの距離から殺気を気取りやがった。

 しかも人間の味を覚えてしまっている。

 一直線に私を喰いに来るだろう。

 絶世の美女の私があんな殺され方をされるわけにはいかない。

 殺る。


 高倍率スコープを取り外し、ライフルを腰だめにして走り抜けながら水平射撃する。  

 弾が切れると同時にまた素早くリロードする。


 足を止めると熱波に切り裂かれてしまうだろう。

 そうして何度目かの応酬を経て、狼を肉眼で捉えた。


「くっ……!直視すると威圧感に呑まれそうになる……!」


 狼が吠えた。

 まるで仇敵を見付けたかのように吠える。

 空気が震動し、狼の体からは障気が吹き出し、身がすくむ。

 また走馬灯を見るのではないかと思うほどの恐怖感が沸き上がる。


 なんなんだこいつは!

 本当に理不尽だ!

 先人たちには尊敬の意を示さずにいられない!

 こんなのと闘い続けてたのか!

 もう諦めてしまいたいほど怖い!

 

 それでもエマは立ち止まらない。

 生存本能がそれを許さない。


 狼は右足を上げ、振り下ろす。

 赤熱した爪から熱波が発生し、襲い掛かる。

 即座に今度は左足を振り下ろす。

 そうして森を破壊しながらエマを追い詰めていった。


「ぐ……!ぅ……!まだまだぁぁぁぁぁあ!この距離ならぁぁぁぁああ!」


 エマも応戦し、射撃を続ける。

 木々に阻まれながらも狼に着弾した。


「グ………グァァァァァァアアアア!」


 狼が叫び声を上げる。

 右足の爪先へ着弾したようで、その爪先が弾け跳ぶ。


「もう一本!」


 狼の動きが少し止まるのを確認してすぐ、左足を狙う。

 が、狼はすぐに飛び退き吠える。


「ガァァァアアアアア!」


「どうだ!痛いか!私の怒りを思い知れ!」


 この距離なら当たる!

 外側からでもダメージが入るのは確認できた!

 無敵の堅さで銃弾が通らないだとか、そういったモノではない!

 当て続ければ消し飛ばせる!


 そう思いながらトリガーを引き絞る。

 その時、エマは見た。


 見てしまった。


「おい……なんてことだ………。そんなものどうすれば………。」


 狼の、弾け跳んだハズの爪先が──


 再生…?

 じゃあ、何…?

 一撃で再生出来ないぐらい消し飛ばせる火力がないとダメなの…?

 最低でも僅かな体毛が焼け残ってしまうって程度には…?


 エマの心に絶望が訪れる。


 ここでは対抗出来ないのか?

 さらに強力な、それこそ対結界攻城兵器クラスの…?

 そんなもの今から間に合うわけがない。

 こんな辺鄙なところにそんなものはない。


 ここで死ぬのか…?

 このまま何も出来ずに逃してしまい、家族も皆殺されるのか…?


彼女の脳裏に浮かぶのは、先程見た野盗の死体。


 村の者たちが皆、切り裂かれ、頭を砕かれ、黒い悪魔に蹂躙される。


 その積み重なる、目も当てられない死体の山にある、彼女の愛する家族の姿が───






「ダメだぁぁああああ!!」


 激情のままに撃ち続ける。

 狼は避ける素振りも見せずに数発の弾丸を受け止める。

 その度に当たった箇所が弾け跳ぶが、すぐさま再生する。


そのうち、ガチガチと引き金を引く音だけが響き、銃からは大量の蒸気が吹き出すが、弾丸は発射されなくなった。


 その時、エマは見た。


 黒い狼の口元が、笑うように歪んだ瞬間を。






 あぁ───

 これが絶望なんだな──







 狼は勝ち誇った態度で悠々と近付いてくる。

お前の武器はわかった。

 それでは俺を殺せない。

 そう言わんばかりの無防備な態度で。





ふざけるな───





 少しずつ、少しずつ近寄る。

 目の前の女はいつでも殺せる。

 逃げるようなら真っ二つにしてしまえばいい。

 狼の考えていることが手に取るようにわかる。





 こんな畜生に───






 呆然とするエマの目の前に到達すると、値踏みをするかのように眺める。


 エマの放つ強大な魔力。

 悪魔にとっては最上級のエネルギー源に違いない。

 これを喰えばどれだけ強くなれるのか。





 アル────






 そして、満足したかのように目を歪めるとその牙を突き立てようとした──。






「………もう、諦めるしかない…。」






 エマは涙を流しながらそう呟き、左腕の義手に魔力を込めた。


 そして、エマを噛み殺そうと開いた狼の口へ左腕を突っ込む。




















「もう、諦めるしかない!!」


 叫ぶと同時に左腕から杭が撃ち込まれる。

 左腕の義手に搭載されていたものは杭打ち機、パイルバンカー。

 杭は獣の喉を貫通し、ちょうど首の辺りをぶち破る。

 おびただしい量の血を吐き、エマは大量の返り地を浴びる。


 だが、それを気にも留めない様子で、さらに魔力を込めると射出された杭の先端が展開し、返しが付く。


 突然の痛みに驚愕した狼は、杭を抜こうともがくが、返しのついた杭は外れる気配が無い。

 自身の再生能力によってエマの左腕を完全に取り込んでしまった。


「魔蒸リアクター起動。魔力制御開始。」


 エマが腰に下げている魔蒸エンジンから

高音の風切り音、タービンが高速回転する音が発生する。


「バイパス変換開始。粒子加速開始。レディ。」


 狼は異変を察知し、左腕を噛み千切ろうともがく。

 しかし、結界で守られている上に、魔蒸技術で生み出されたその未知の金属を、変形はさせることが出来ても砕くことが出来ない。


「反応開始。実証試験第2フェーズへ移行。」



 急速にタービンの音が高音になる。

 狼は杭が外れないと見ると、爪でエマを切り裂こうと振りかぶる。


 だがその瞬間、眩い光に包まれた。



















「これより、臨界実験を開始する。」


 エマは決意の表情でそう告げた。


─────


 アル…私は約束を守れない悪いおばあちゃまだった…。

 ごめんね…。


 私の愛しい愛しい娘の息子。

 私達家族の愛の結晶。


 あの人と出逢い、初めて愛を知った。


 躯を重ね合わせる気持ち良さを知った


 …ふふっ

 初めての時を思い出すと今でも幸せに包まれてニヤけてしまう。


 愛しています…あなた…。



 あ…しまった、この距離だとハンスも巻き込むかも…。

 ごめんね、ハンス。


 私は君の愛には答えられないし、今から君を巻き込んで殺してしまう…。


 ダメな先生でごめんね。


 こんな形で君が死ぬのなら、最後に一度だけでも抱かせてあげればよかった。

 こんなおばさん…いや、おばあちゃんの躯じゃきっと気持ちよくさせてあげられ無いと思うけど。


 そういえばマーサ達は元気かな…。


 王国を飛び出したきり会えてないや。


 君達との学校生活は、はちゃめちゃだったけど楽しかったよ。

 人に教えることの楽しさ、嬉しさを教えてくれてありがとう。



 








 あぁ────でもやっぱり……まだ死にたくないなぁ………。


───────


 森に閃光が走る。


 その凄まじいエネルギーは火の球となり、超極小規模の太陽を生み出す。


 その光は包まれたものを全て焼き尽くす死の光。


 地面を抉り、周辺の木々を焼き尽くし、衝撃波を発生させる。


 綺麗な球状の火炎は、広がるにつれて全てを呑み込む。


 巻き上げた土埃や、森と地面を焼いた灰が雲となって立ち昇る。


 もし、エマの携行していた機材が大きければ、その太陽は村をも巻き込んで全てをその熱波で破壊しただろう。


 そうして何分もそこに残った太陽は、雲のように空に昇った煙だけを残して消えた。


 爆心地には何も残らず、狼の姿も、エマの姿もそこには無かった───




───────


「………なんだあのエネルギー量の爆発は。まさかとは思うけどこの辺境であんなものが創られた?」


 フードを目深に被った男が爆心地からかなり離れた場所で空を見上げていた。


 旅人だろうか?

 灰色のローブのようなものを羽織り、杖を持って佇んでいる。


「……確認しなければいけない。」


 男はそこへ惹かれるように、爆心地の方へと歩いて行った。


               前章 完

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