前章(3)

 あぁ─────

 思えば私は良い人間ではなかったかもしれない。

 こう、なんというか他人を思いやって生きてはいなかった。

 あのお人好しの王様の頼みを断りきれずに教師をやったが、育つヤツが勝手に育ったし、出来の悪いのは最後まで面倒見ることは出来なかった。

 

 ハンスなんてその最たるもので、恵まれた才能に胡座をかいて努力せず、女のことばっかり考えてた。

 紳士ぶってるくせにスケベなことばっか考えてた。

 アイツがトイレに篭って何かしてるから、イタズラすんなと叱ってやろうとした時は……いや、あれは私が悪いな。

 恥ずかしい思いをさせてごめんねハンス。


 箱入りで思春期の少年がああも美人揃いの環境に放り込まれたらそうなるのかもしれないが。


 でもまぁ、振り替えるとあの頃が一番幸せだったのかもしれない。

 燃えるような恋、自分の知的探求心を思う存分満たせる環境、私はいい教師ではなかったが、可愛い教え子たち。

 心の底から愛しいと思った可愛い娘。


 あの娘は父親に似て、とても気丈な娘だった。

 私は頑張ったが、果たして良い母親になれただろうか?


 …ふふっ

 なんでこんな時にこんなことを思い出すんだろうか?

 これが走馬灯ってヤツ?

 じゃあ、私はここまでなのか。


 でもなんだか、今までが幸せすぎたから、 そのツケなんだろうな。

 自分自身の両親のことは覚えていないが、今になって初めて私を産んでくれてありがとうと言いたくなった。

 両親は産まれて欲しくなんか無かっただろうけど。


 もう心残りなんかないのかも。




 …本当にないのか?

 なんだか胸がざわつく。

 

 あの人──夫は悲しむだろうか?

 今まで散々迷惑をかけたから私のことなんか忘れて悠々と暮らして欲しいな。





 いや、私の愛しい愛しい娘の躯を好きにしたあの小僧は絶対に許さん。

 まだ全然若かったんだぞあの娘は。

 そんな娘を誑かしやがって。

 この手で止めを刺すまで許さん。





 娘?


 違う


 そうだ


 まだ死ねない。


 まだ死ぬわけにはいかない!


 まだ、生きなければ!


 愛しい娘が遺した、私の可愛い孫を!


 アル!

 

 アルバート!


 あの娘によく似た、利発で気丈な男の子!


 悪魔だろうがなんだろうがあんな犬ごときに私の幸せを奪われてたまるか!






「ふっ…ざ……けるなあぁぁぁアアアア!!」


 白けた視界が急速に戻る。

 世界に色が戻り、身体の感覚が戻ってくる。

 拳を強く握りしめ、まだやれると自身に言い聞かせる。


「犬っコロがぁ……!」


 折れそうな気持ちを奮い立たせるために強がりの言葉を放つ。

 そうだ、まだやれる。

 自分はなんだ?

 世界有数の魔蒸技師だ。

 最高峰のオペレーターだ。

 あんなちょっとばかしデカい犬に負けるか!


「…少し頭が冷えてきた。いいぞ。」


 そう言い周囲を確認する。

 目の前に獣──悪魔は居なくなっていた。

 だが、尋常ではない重圧は感じる。


 なぜ──?

 答えは直ぐにわかった。

 エマは結界に囲まれている。

 ゴーグルとガスマスクをずらして、周囲を見渡す。


「これは───ハンス!生きているのか!?どこにいる!アンタには聞きたい…こと…が……。」


 エマは絶句する。

 自身の背後に、その地面に倒れている者が居た。

 その者は両脚が欠損し、大量の血液を流し仰向けに倒れていた。


「ハンス!」

 

 エマはすぐさま鞄から止血帯を取り出し、ハンスの両脚を止血にかかる。


「ハンス!聞こえるか!生きているなら指でも首でもいいから動かせ!」


 脚の止血をしながら呼び掛けるエマ。


 ハンスの胸は上下しているので呼吸はしている。

 だが、意識が無いのか?

 あぁもう!君には言いたいことも聞きたいことも沢山あるんだよ!

 これ以上私を哀しませるな!


「は…か…せ…?」


「ハンス!」


「すみ…ません…。あんなモノが出てくるななんて…僕は本当に知らなかった…ごめんなさい…。結界を先生と僕に張るのが精一杯だった…。」


「アイツはどこだ!」


「詳しくはわかりません…ただ、周りに残っていた獣と野盗の死体を貪ったのちに、生き残りの野盗を追い掛けてあちらの奥へと消えました……。」


 弱々しいが意識はハッキリしている。

 すぐに治療すれば命は助かるかもしれない!

 

 エマは鞄から注射器を数本取り出す。


「ハンス、これは麻酔薬、体力増強剤、止血剤だ。こんなものは孫との散歩に必要ないと思っていたが、どうも従軍の癖が抜けなくてね。今は興奮状態だから大丈夫だろうが、そのうち激痛が走り、ショック死の危険性もある。打たせてもらうよ。」


 返事は待たず注射していく。

 これらの薬は効き目が良いが、有効時間もそれなりだ。

 早めに医者に見せて外科手術をしないと死んでしまう。

 だが、「アレ」は早急に殲滅しなければならない。

 あの化け物が予想通りのものであれば、あの人やアルが危ない。


「ハンス、気を失う前に聞かせて欲しい。「アレ」はなんだ?いや、想像はついているが解せないことが多い。教えてくれ。」


 エマはハンスの顔を真っ直ぐに見つめ、答えを促す。


「相変わらずお美しい……やっぱり私だけの女性にしたかった……」


「ふざけている時間は無い!こんなババアのことより情報をよこしなさい!」


 ハンスは目を閉じ、少しずつ語り始める。


「ふざけているわけでは無いのですが……。「アレ」が何なのか私は知りませんでしたが、噂を聞いたことがあります…。王国聖教会のとある派閥が魔獣に手を加え、強力な兵器として他国へ侵入させる企みがあると…。」


「魔獣?あの禍々しいモノが魔獣?そんなバカな。あれは間違いなく…」


「悪魔、ですか?………えぇ、誰もがそう思うでしょう。しかし、狼の悪魔、『マルコシアス』は遥か昔に討滅されています…それに伝承と見た目が違いすぎる…羽も生えていないし、尾は蛇ではありませんでした……」


 悪魔──古来より人類に襲い掛かる災害とも言えるモノ。


 その存在は未だに不明点しかなく、現れる悪魔には統一性が無い。

 そのため、討滅されたモノの記録は残っているが、同じものが現れたことは一度たりとも無い。

 その都度それがどういったモノなのか調査し、対策を立てる必要がある。


 ただ、唯一の共通点があった。


 ほぼ100年のサイクルで顕現する。

 この法則だけは絶対で、数年前後することはあっても必ず現れる。


 人類は、この驚異に備えて行動しなければならなくなり、小競り合いはあれど人間同士の大規模な戦争は、少なくとも1900年近く発生していない。


「アレは悪魔と確信出来る程の障気を纏っていた。それに、まだ100年経っていないとはいえイレギュラーは起こりうる。悪魔は王国聖教会が産み出していたのか?」


「まさか……。でも、私には予測がついています。アレは人工的に産み出された魔獣だ…。」


「根拠は?」


「先程申し上げた噂は、とある事件の後に流れ始めたのです。研究対象として封印されていた悪魔の体毛がなくなったという事件が。」


「は…はぁ?何言ってんだ。だってどう見てもアレは悪魔だったぞ?世界を滅ぼす災害だぞ?そこらへんのチンケな魔獣とは違う。制御出来るかどうかもわからない、あんなの万が一にも暴れたら自身もタダでは済まないだろう?」


 エマは困惑する。

 コンセプトは考え付くかもしれないが、リスクが高過ぎる。

 生み出してみなければ結果はわからない。

 なのに少しでも失敗すれば暴走して王国がとんでもないことになったろう。

 成功したとしてもあの様子では閉じ込めることすら難しい。

 事実だとしたら何を考えているんだそいつは。


「えぇ、まぁ。普通はそうですよね。でも、私にはわかります。あのお方ならやる。よく見てますからすぐ近くで。」


「……まさか…。」


「はい。私の上司にあたるお方です。あの魔獣の攻撃は、私の結界で何とか防げたぐらいですが、彼の結界であれば、押し込めることも可能だったかもしれません…。とはいえ、真実味はあってもそんな素振りは一切無かったので、他の派閥への牽制に騒ぎを利用して、とんでもない噂を流したんだろう、ぐらいにしか私は考えていませんでしたが……。」


 馬鹿野郎が。

 腸が煮え繰り返る。

 話が繋がってきてしまった。

 この借りは100倍にして返すぞクソ司教。


「ハンス。君はアレを知らないと言ったな。だが、なぜ君がアレを召喚した?おかしいだろう。アレは君に紐付けられていたんだぞ?おかしいと思わなかったのか。」


 そうだ。

 召喚魔術はかなり高度な魔術であり、なんでもかんでも呼べるわけでは無い。

 普通は低俗な魔獣程度しか呼べない上に、呼び出すモノと術者との紐付けが事前に必要なのだ。

 それは絆であったり、主従であったり様々だが、自分より高位のものはまず不可能だ。


「えぇ、実際私はブラックドッグと紐付けられていたはずなのです。他の獣を制御するには的確だったもので。あれも充分に危険な魔獣ではありますが…まぁ、その、私も一応は聖人なので…。」


「あぁ、そうだね。あのバカ堅い結界は聖人じゃなきゃ張れない。ブラックドッグだってその魔力見せ付けられりゃ言うことも聞くだろう。所詮はそこらへんに居る犬コロのボスなだけだ。」


 ………だが、嫌な予感がする。

 あの悪魔、黒い体毛で目が赤かった。


「……先生の想像通りなんでしょうね。……。無くなったのはマルコシアスの体毛なのです……恐らくは………。」



 あぁ─────

 やっぱりか───



 あの悪魔もどきは──



「マルコシアスの体毛を、眷属であるブラックドッグに埋め込んだ人造悪魔……か……。」


「えぇ………。私は本当にバカですね……先生の言う通り……。アレは、私に縁だけ結ばせた後に改造されたブラックドッグ…。召喚に応じたのは、恐らく私の魔力が目当てだったのでしょう…。しかし、今は捕食出来ないとわかるや否や、とりあえずエネルギーを取り込める生物を喰いに向かったんだと思われます…。」


 やってくれたな司教……。

 バカとは言え私の可愛い教え子にあんな危険なモノを押し付けた上に、私の愛する夫と孫の命まで……!


「大体わかった。アレは必ず殺す。司教も殺す。この私に舐めた真似をしたツケを払わせる。ハンス、お前もちゃんと匿って、その脚、魔蒸機関の義足をプレゼントしてやるよ。感謝しな。アンタが尊敬するエマ先生が助けてやる。……だが、なんだってあんなことしたんだ。国際問題にもなりかねないことを。」


「そんなの決まってます…。貴女を愛しているから…。」


「だーかーらー、こんなババア拐って何すんだ。アンタも歳取ったとはいえまだまだ若いし相手も探せばいる。私はもっと歳を取ってて、もうアンタを愉しませるような躯でもない。」


「まぁ、その……司教との約束があったのです。「国の発展のために博士を拐え。だが女としての博士はお前にやる。知っているか?聖教会の秘奥に若返りの外法がある事を」……と。」


「………………ハンス……。」


 またとんでもないカミングアウトがあったもんだ。

 若返りの外法?

 そんなのあるの?

 つまり、なんだ。

 私を若返らせて……。


 ここまで躯を求められているとは思わなかった。

 あの時結婚してなけりゃ良かったのか。

 それとも一度ぐらい愉しませてやった方が良かったのかしら……。


「いえ……すみません……。」


「はー……情けない声で謝るな。帰ったら説教だ。それまで死ぬなよ。脚の断面にピンポイントで結界張れば多少は時間稼ぎにもなるだろう。しんどいと思うが頑張りなさい。」


「先生……いや、博士……。」


「まぁ、私も効かないと知ってるとはいえ、思い切り銃弾をしこたま撃ち込んじゃったからな…。正直なところ、あれくらいの小競り合いは日常茶飯事だったから私達の感覚がおかしいのかもしれないけれど…。」


 今気付いたけど学校はとんでもない環境だったんだな、うん。

 アルバートは絶対に学校にやらずに私が育てる。

 あの小僧には任せられん。


「すみません……。」


「だから、謝るな。……アルにあんな獣をけしかけたことは絶対に許さない。どうせアルにはしっかり結界かけてたんだろうけどやりすぎだ。……じゃ、これ以上ゆっくりも出来ないしとっととあの趣味の悪い畜生を殺しに行く。」


「……わかりました……。だけど、手伝いはさせて下さい…。結界を闘いやすい形にかけ直します。その程度なら今の私でも出来る。魔力を供給し続けられないので時間制限は付きますが…。」


「充分だ。そもそもあのレベルの障気を放つ相手では長く戦えない。それに…。」


 再度、ゴーグルとマスクを着用し、着ている服や防具の各所に設置されている装置を起動していく。

 魔蒸エンジンがフル回転し、大量の蒸気を生み出す。

 エマが着用している服は所謂パワードスーツのような役割を持っている。

 魔蒸エンジンから発生する高出力のエネルギーを巡らせ、非力な女性でも驚異的な身体能力を発揮できるように補助をする。

 しかし、服に仕込めるほどのサイズでは外骨格としても、筋力補助をするためのアクチュエーターとしても強度に不安がある。


「あの化物相手だと装備にも限界がくる。最終手段が無いでもないが…。今は使いたくない。不安要素の方が多すぎる。」


 ライフルのストックを捻り、さらに引出す。

 そうすると連動して銃身が伸び、銃口が一回り大きく展開する。

 伸びた銃身と銃口を覆うようにカバーがスライドし、対物ライフルのような見た目になる。

 弾倉を差し替え、コッキングレバーを引く。

 ひときわ大きな音を立てて蒸気が吹き出る。


「さぁ、最終ラウンドだ。」


 エマの目付きが獲物を狙う狩人のように鋭く代わり、殺気とも取れるような魔力が放出する。

 それはうっすらと目視出来るほどの密度で、空気が震える。


 その瞬間、彼女は森の奥深くへ向けて走り始めた。

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