前章(2)

 その獣は飢えていた。

 何しろ気付けば捕獲されており、知らない森へ連れて来られていた。


 目の前のヤツになぜか逆らえない。

 こいつはボスなのか?

 …よく見てみれば周りにも同じように従っている同族が居る。

 あの禍々しい黒い毛並みの、赤目の狼とは全く異なるのに、アイツと同じ臭いがする。

 やっぱり群れのボスなのか?

 それならボスから許可が出ないと飯も喰えない。

 はらへった。


 でも、目の前に弱そうなヤツが2匹居る。

 なんか固そうな殻がところどころにあるから喰うのが面倒そうだが、片方は小さいからガキのようだ。


 ガキは肉が柔らかくてうまい。

 今思い出してもよだれが出る。

 やわらかくてとろとろ。

 とくに頭の中がとろとろしててうまい。


 ただ、あの種族のやつは喰ってる間ぎゃあぎゃあ喚くから五月蝿いのが困る。

 それに群れで居るときはすごく遠いところから攻撃してくる。


 でも幸運なことに俺の目の前だ。

 あー、まだボスからお許しが出ない。

 こんなのすぐに喰えるのに…お?

 なにやってるのかよくわからんが合図みたいなのが出たぞ?


 よし!もう飛びかかっていいんだな?

 一斉に飛びかかるんだろ?

 だって俺たちいつもそうしてる。

 あ、なにか吠えた。

 よし!

 喰うぞ!

 はらへった!


 ……やった!お許しが出た!走るぞ!

 見てろよ!俺が一番早く喰うんだ!

 あ!

 ガキがこっちに向かってきた!

 やった!


 あれ?なんか煙が出たぞ?

 あ、ガキが見えなくなった。

 ちくしょう、面倒だけど鼻で探せばいいや。

 おら!はやく喰わせろ!


 …あれ?この煙なんか臭いに覚えがある。

 あれは確か俺がガキの頃に……


 …ヤバい!思い出した!

 あの花だ!

 近寄っただけで気持ち悪くなるあの花の臭いと同じだ!

 ヤバい!ちょっと近寄っただけで喰ったもの全部吐き出しちまったヤツだ!

 早く離れなければ!

 早く!

 ダメだ!

 あの煙どんどん広がる!

 倒れちまった!

 苦しい!

 ちくしょう!

 あと少しで────


 ガシャンという音がするとほぼ同時に、獣の意識は途絶えた。


──────


 エマ・ライトはアルが走って行くのを見届けた後に、服の首元にあるスイッチを押した。

 すると、ハットの内側に取り付けられていたゴーグルが目を保護し、服の襟に仕込まれていたマスクが上にスライドし、口に張り付く。

 そのマスクには吸入缶がついているためどうやらガスマスクのようだ。

 と、同時にライフルをハンスの声のした方向に向け、引き金を引く。

 ガシュン!と音を立て、弾丸が発射され、腰の魔蒸エンジンから蒸気が吹き出る。

 ガン!と大きな音がしたが、エマには聞き覚えのある音だった。


「ちっ、やっぱこの威力じゃハンスの結界は撃ち抜けないか。」


 悔しいがあの小僧の結界は堅いし広い。

 生半可な物理攻撃じゃ分が悪いか…

 まぁいい、可愛い可愛いアルが逃げる時間さえ稼げりゃ充分だよね。

 とりあえずはアルの逃げた方向の犬を片付けよう。

 アイツらの苦手な花の成分を使った煙幕を張ったとはいえ、確実に仕留められているかはわからん。

 自然由来の毒ってのはそりゃあもう強力なものもあるが、特定の種族にしか効かないやつは個体差が激しい。

 よし、一旦退がって片付けよう。


 エマはライフルの弾倉を取り替え、もう一度コッキングレバーを引く。

 ライフルのグリップ付近にあるスイッチを切り替え、連射モードに切り替えた。


 エンジンから蒸気が吹き出し、一緒に備え付けられている圧力タンクに高圧の蒸気が蓄積される。


 このエンジンは我々が知る世界のものとは比べ物にならないほど小型で高出力、圧力タンクの方も、それほどの高出力の蒸気が瞬間的に溜まったとしても、爆発の様子など微塵もないほど超高圧に耐える仕様である。

 この超硬度かつ、柔軟性のある貴金属素材技術を用いれば、人類未踏の深海への挑戦も可能となるであろう代物だ。


 それを可能とするのは魔術と蒸気機関を併用し、不可思議な力と機械の力を組み合わせる魔蒸機関の技術である。

 魔術を併用することにより、液体と個体、更には気体も問わず、普通であれば結合しない元素は結合し、合金として成り立つ組成の範囲は消え去り、そうして多種多様のものが混合され新たな物質となる。


 その一方で、問題もあった。


 エネルギーとしては化石燃料の方が燃焼効率は良いはずなのだが、遅々として研究が進んでいない。

 これには色々な要因があるのだが、やはり1番の問題は魔蒸機関の存在だ。

 何せエマの持つサイズのエンジンぐらいであれば、燃料を必要としない。

 触媒となる宝石のような結晶に、通した魔力をどのように扱うか、どれぐらいのエネルギーを発生させるのかを制御する魔術刻印を刻み込むことで、後は術者──オペレーターが魔力を注ぎ込むだけで良い。

 エンジンで言えば、水を蒸気にするための熱を発するために火の魔術刻印の触媒をボイラー室に設置すれば良いだけだし、水だって、水の魔術刻印の触媒を水用タンクに仕込めばいい。

 しかもこれらがかなりの高出力ともなると当然の話である。


 だが、まだまだ大規模な設備を動かすためには燃料が必要で、現在は石炭でまかなっているのだが、いずれは化石燃料を!との声も少なからず上がってきているようだ。


 また、さらに致命的な問題があった。


 ある物質、またはあるエネルギーが、こうだろうと予測されている物理法則には全く当てはまらず、どんな実験を繰り返しても安定しない。

 そう、に結果が変わってしまうのだ。


 そのため、人類は蒸気機関というアナクロな原動力から未だ脱出が出来ないでいた。


 しかしながら魔蒸機関の技術進化は凄まじく、オリハルコン、アダマンタイト、ミスリルといった伝説上の貴金属もこの技術の発展で生み出せるのではないかという研究もある。

 古来の錬金術にはその技術が利用され、それこそ石を金に変えることも不可能ではなかったのかもしれないとも言われている。


「しかし、ふーん…威力の高い火薬の精製と、薬莢へのパッケージングが面倒だからとエンジンに直接繋げてみたが…なかなかどうして…やはり私は天才だね?」


 と独り言を呟く。

 しかし、獲物は見逃さないよう周囲を探す。

 すぐに倒れている獣を数匹見つけ、止めを刺すために照準をつける。


「アンタら自体に特段恨みはないが…孫のために確実に死んでもらえると助かる。」


 的確に照準を付け、次々に引き金を引いていく。

 その度にガシュンガシュンと音を立て蒸気が吹き出る。

 そうしていると、銃弾を打ち込んだ獣達の体が発火する。


「発火魔術刻印付の弾丸だ。手間はかかるがアンタらの死体から障気が発生すると都合が悪い。革やらが勿体ないがそんな暇もないからね。」


 と、獣に哀れな視線を向けていると背後から叫び声が聞こえた。


「何をやっている!煙で前が見えないからなんだ!音を聞け!向こうは好き放題に撃っているんだぞ!」


「でも旦那!こんな中で適当に撃っちまったら味方にも当たっちまう!」


「お前らは馬鹿か!それこそ相手の思うツボだろう!ここで逃げられてみろ!相手は共和国…いや、世界の要人だ!我々は出国して逃げることもできずに全員殺されるぞ!それに比べたら流れ弾で少々の数が死ぬのはなんてことないだろうが!」


 あーあー…自分は銃弾効かないからってそんなこと言っちゃダメだろ…どうせ金で釣っただけの、国境付近に居る野盗なんだから…この後の事が簡単に想像できる…だからアンタはダメなんだよハンス… 


 敵方の揉める声に内心、同情をするエマ。


「じ、冗談じゃねぇや!ガキと婆さん拐うだけで良いって話しだったのになんでそんなことになんだよ!そんなもんに付き合ってられるか!」


「貴様!ふざけるな!いくら払ったと思っている!」


「死んじまったら金の意味もねぇだろうが!」


 と、銃撃の音がひっきりなしに鳴り始める。

 仲間割れの瞬間であった。

 煙幕の中で、エマはハンスを哀れに思う。


 そりゃあそうだろう…お互いに自分勝手で、そこに友情や忠誠心なんてもんは存在しないんだから…。

 人間を突き動かすのは物か金か人情だ。

 でも、命を投げ捨てる覚悟が持てるのは人情だけなんだよ。

 他人の命なんか関係ないと思ってるお貴族様にはわかんないだろうけど…


 そんなことを思いながらも銃撃の鳴り響く中で姿勢を低くし、牽制のために銃弾を次々とハンスの方へ向けて発射する。

 見えては居ないが水平に薙ぎ払うように銃撃すればそのうち何かしらに当たる。

 木々が砕ける音に混じり、また聞き覚えのある音がした。


「クソっ!誰だ今のは!」


 ハンスの叫び声が聞こえる。


「アンタこの状況でなんで自分の場所教えるような真似すんのさ…情けない…あんなのが元教え子だと思うと教育した者として自分が恥ずかしくなる…。」


 エマはそう呟きながらハンスの声がする方向へ容赦なく銃弾を撃ち込みながら移動する。

 するとちょうど大きな木を見つけた為、その木へ背中を預ける。

 ちょうどその頃、銃撃音が止んだ。

 ならず者達は死んだか逃げたか…?

 そう思い数秒ほど静かにしていたが物音はしなくなった。

 そこでエマは新しい弾倉を装填しながら叫ぶ。


「ハンス!もういいだろう!アンタの負けだ!アンタじゃ私に勝つのは無理だ!煙幕を魔術で吹き飛ばさないってことは、アンタ相変わらずその無駄に堅い結界以外はからきしなんだろう?!先生、今ならまだ許してあげますよ!」


「この…!舐めないでもらえますか博士!私だって結界以外にも出来ることぐらい増えているんですよ!」


「じゃあその出来ることってのをやらないのは何故だ!アンタまだその力をちゃんと制御して扱えないんだろう!なんせ物覚えが悪いからね!」


「……っ!……五月蝿い!五月蝿い!五月蝿い!これ以上侮辱するな!」


「事実を指摘することを侮辱というなら私は何と言えばいいのさ!「よく頑張りましたね♪」「えらいえらい♡」「先生は誇らしいですよ♪」「そんな君が大好きですよ、ハンス♡」とでも言って欲しいのか?!」


「このっ………!!ふざけるなぁああああ!」


「っ……!!この光は…?」


 ハンスが叫ぶと同時に稲妻のような閃光が走る。

 それと同時に周囲に異常な程重たい空気が流れた。

 全身の毛が逆立つ。

 まるでその空間が、一瞬で地獄へ落ちたかのような、自分の輪郭がブレるような感覚が襲い掛かる。 


「っ…!なんだこの魔力密度は…!ハンス!君は一体何をしたんだ!これは…この密度はもはや…!」


 エマは胸の谷間に手を入れると懐中時計のようなものを取り出した。

 しかし、それは時計ではなく何か計器のようなもので、針が左右に激しくブレていた。


「やっぱりこれは障気…!だけどこの尋常でない空気の重さは…!ハンス!言いなさい!何を呼んだ?!こんな数値は実際には見たことがない!古い書物にあった記録だけだ!まさか、こんな…!」


 しかしハンスからの返事はなく異常に重い空気が流れるだけ。


 くそっ!こんな濃度の障気に触れていては意識が保てなくなる!

 はやくここから離れなければいけないが、正体も位置も掴めないままでは逃げられない!

 障気を一時的に払うためにもここは煙幕ごと吹き飛ばすしかない!

 あぁもう!

 触媒に刻印もしてないのにもったいない!

 制御できなくて触媒は崩壊するだろうけど命には代えられない!


 エマはすぐに風力を発生するために、触媒となるエメラルドグリーンの宝石を鞄から取り出して魔力を込める。

 そうして風の流れをイメージし、発動させた。


「風よ払え!」


 台風のような突風が巻き起こり、木々の枝が激しく揺れる。

 エマは木に掴まりながら耐える。

 その手の中にある宝石はどんどん黒ずみ、燃え尽きて灰になったかのようにサラサラと風に流れて飛んでゆく。

 そうしているとすぐに風は止み、森は静かになった。



 静寂の中、エマは掴まっていた木から手を離し、ハンスが居た筈の方向を見る。


 



 そこに居たのは───


















「………はは…数値を見てまさかとは思ったが……」






















 そこに居たのは牛ほどのサイズの巨大な黒い狼。























 その目は血のように赤く、その視線だけで生物の生命活動を止めてしまうのではと錯覚するほどの威圧感を発している


 
















 牙は鋭く、この世の全てを切り裂いてしまうのだろうと思えるほどの存在感を持っている






















 爪は赤熱しており、その狼の周辺の草木は全て燃え尽き、立っている地面には死の荒野が広がっている




















 その容貌を見るだけで震えが止まらない。

 グルグルと低い唸り声が地面を揺らし、エマは今すぐにでも逃げ出したい焦燥感に駆駆られる。

























 これは──この世に居てはいけない存在だ───





















 本能がそう告げ全身から冷や汗が吹き出す。

 蛇に睨まれた蛙という言葉が極東の国にはあるらしいが、まさにこういう状況かとエマは現実逃避のように考える。

 彼女は呆然と狼を眺めて呟く。


















「これが…悪魔か……。」
























直後、森に死の気配が立ち込めた。

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