魔蒸技師アルバート・ライト

根古千尋

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 失敗した。

 この私としたことが失敗してしまった。

 まだ成すべき事があったはずだ。

 いや、今はとにかくこの子を────


 


 そこは鬱蒼とした森の中。

 時折小鳥がさえずる、一見すると長閑な情景。

 その穏やかな風景には似つかわしくない、慌てた様子で辺りを見回す茶髪の、年配の女性が居た。


 風来坊のような、しかして優雅にも見えるウェスタン風の服装の女性が。


 目を引くのは腰に着けた何かの装置と左腕のガントレットで、その装置から伸びているケーブルは彼女が右手に持つライフルに繋がっている。


 その女性は、辺りを男達と灰色の犬のような獣に囲まれていた。


「どうしようか…考えろ、私にはまだやれることがあるはずだ…私はこの子を、何をしてでも護らなければいけない。どうする、エマ。」


 周りの獣をよく観察しながら独り言を呟く。

 「あれは確か…それなら…」とぶつぶつと。


 そんな年配の女性の傍らに居る幼い少年が、震えながら彼女のスカートの裾にしがみついている。


「そろそろ諦めてはいただけませんか?ライト博士。我々としてもこれ以上手荒な真似はしたくないのですが?」


 そう言いながら女性と少年を取り囲んでいるならず者らしき男達と、犬のような姿をした獰猛な獣の群れの中から出てきたのは、下卑た笑みを浮かべた金髪の、騎士服のようにも見える革のロングコートを着た壮年の優男であった。


「はん?アンタにお似合いの安い台詞だねハンス。小便垂れの小僧がやけに偉くなったもんだよね?お父上にねだって地位をプレゼントしてもらったのかい?」


 彼女はハンスと呼んだ優男のコートに付けられたバッジを見ながら悪態をつく。


「おや、これは手厳しい。ですが無駄ですよ。私も成長しましたから。そのような挑発に乗るほど愚かではありません。」


 男はそう言い、やれやれといった様子で肩をすくめる。


 ちっ、と女性はあからさまに苛つきを表に出しながらも言葉を続ける。


「今さら何の用かな?私はもう隠居した、ただのババアだ。孫の面倒を見て余生を幸せに過ごす女だよ。それに、アンタらにはことさら用がない。なんでこんなとこに居るのさ?入国許可だって出ていないだろう?そんな物騒なもん引き連れてさ。」


 女性──エマ・ライトはそう言いながら手に持った銃を構える。

 その銃は女性が持つには少し大きく見えるが、いとも簡単に取り回しているように見える。

 エマが構えたままライフルに取り付けられているコッキングレバーを引くと、腰に下げている装置が熱を発し始める。


「おや?その銃は見たことがありませんね。しかもその大きさで貴女のような女性が扱えるということは新素材ですか?やはり貴女は貴重な人材ですね…。でもいけませんよ?そんなものを構えてしまっては我々としても武力行使に出ざるを得ません、怖いので。」


 ハンスが手で合図をすると、一斉にならず者達が回転式弾倉の拳銃を構える。

 獣も威嚇行動なのか前傾姿勢をとり低い声で唸る。

 今にも銃弾が飛び交い、獣が飛びかかりそうな状況だが、エマは落ち着き払った様子で、視線はそのまま外さず、数メートル離れたハンスに聞こえないように隣に居る少年に話しかけた。


「いいかい?アル。よく聞きなさい。あいつらはアルを捕らえて私に言うことを聞かせるつもりだ。つまり結論から先に言うと今のアルは私にとって足手まといだ。いや、厳しい言葉になってしまったけれど、私は君を心の底から愛している。だからこそ全力でこの場から逃げて欲しい。アルは強い子だ。なにせこのエマおばあちゃまの孫なのだから。」


 エマが優しい声色で話しかけるが、アルと呼ばれた少年はスカートの裾を掴んだまま離さない。

 少年は見た目6,7歳ぐらいの年頃であるので無理もないが、勇気を振り絞った様子で、震える声で返答する。


「イヤ…イヤだよおばあちゃん。だって僕じゃあの怖い魔獣から逃げきれないし、おばあちゃんがあの悪いお兄さん達に酷いことされる…だったら僕だっておばあちゃんのように魔蒸機で悪いお兄さん達をやっつけるんだ…」


 祖母譲りの茶色の髪に、宝石のように綺麗な緑色の瞳がエマを見つめる。

 不安そうな、だがそれでいて力強い瞳で。


「なぁに、さっきも言ったけどアルが今は足手まといになってしまうんだよ。なにせほら…知っているだろ?おばあちゃまの魔蒸機がなんというかその…凄いのを。」


 アルはその言葉を聞き、何かを思い出したかのような顔で身震いした。


 「そ、それは知っているけど!でもやっぱりおばあちゃんを一人になんか出来ないよ!」


 アルがまごついているところにハンスの声が森へ響く。


「あー…もう良いですか?お別れのご挨拶は。こちらも暇ではありません。速やかにアル君を拐わせて頂いてよろしいか?それとも黙って付いて来て下さる?」


「アンタはちょっと黙っていなよ小垂れハンス!あーやだやだ!これだからアンタみたいな男はモテないんだよ!」


 ハンスは肩をすくめると「ごゆっくり…」と呟きそのまま何も言わなくなった。

 その様子を見ながら、小馬鹿にするようにエマが告げる。


 「アル、どうしてアイツがあんなに余裕ぶっているかわかるかい?アイツはもう既に勝っている気でいるんだ。油断しているんだよ。馬鹿だろう?まだ何も終わっていないのに。そういうヤツなんだ。だからアルなら逃げきれる。なぁに、犬コロなんておばあちゃまが仕留めてみせるさ。知っているだろう?おばあちゃまはそれはもう凄い魔蒸機の開発者だが、同時に凄いオペレーターだってね!」


 そう言うエマは照準を外さないように銃を片手に持ち変え、ガントレットを着けた左腕を腰に軽く当て、胸を張った。

 彼女の豊満な胸が跳ねる。

 まだ50代とはいえ年齢に比べると、とても若く見える彼女は自信満々にそう言い放った。


「…わかったよおばあちゃん…。でも、約束してよ。あの悪いお兄さんから逃げて、また絶対に戻ってきて僕に色んな事教えてくれるって。」


「ああ、勿論だともさ!なんたってアルはあそこに居る馬鹿なんかとは比べ物にならないくらい賢いのだから!もっともっとアルに教えたいことがわんさかある!」


 決心したアルの顔をちらりと横目で見ると、エマはささやき声で、よく言い聞かせるようにアルに語った。


「いいかい?私が合図をしたらこのスカートに隠している煙幕装置を起動させる。」


 アルはぎょっとした顔でスカートの裾から手を離す。

 その様子を視界の端に捉えながらクスリとエマは笑う。


「暴発なんかしないから安心しなさい。それよりも、合図を出したらすぐにいつも渡しているそのゴーグルを付けて、服の首元にあるスイッチを押しなさい。そうしたらあとは後ろの方向へ全力で走る。そう、。あの犬もどきが走ってきていても、だ。そして、村に居るおじいちゃまと隣の家のおじさんに助けてもらうんだ。そうすればおばあちゃまとアルの完全勝利さ。」


 その自信に満ちた表情にアルは少し安心したようで、決意の表情を見せて深呼吸をした。


「わかった。絶対に逃げる。」


「よし、じゃあおばあちゃまはアイツと少しばかりお話するとしますかね。」


 と、銃を両手でしっかりと構え直すと同時に、腰の装置からガシャガシャと機械の動作音が発生し、蒸気が吹き出す。

 ならず者達がざわつき、臨戦態勢に入る。


「やれやれ、結局はそうなるのですね?ここまで人を待たせておいて随分と失礼では?」


「はぁん?何を言っているのやら?私がお客でアンタがエスコートしに来たんだろ?レディのお出掛けの準備を待つのは当たり前だ!それとも王国の準貴族様は礼節を習わないのかい?まぁアンタが小便垂れで世間知らずでモテないからだろうけどね!そういえばなんで私が小垂れだのモテないだの言い続けてるのか、そいつらは知ってるのかな?知らないなら教えてやるさ!あれはそいつが騎士見習いの学校に居たときに──」


「いつまで昔の事を仰るのか!いくら貴女とて私をそれ以上侮辱することは許しません!」


 小馬鹿にした表情でハンスを挑発するエマ。

 流石にハンスも苛ついたようで声を荒げる。


「あぁん?じゃあアンタが私に言い寄った時のことでも話そうか?若いって怖いよねぇ?あの時の私はそれはもう若くて美人だったとはいえ、歳の差も考えないでねぇ?なんだっけ?「貴女のような大人の女性を私は求めていた」だっけ?あーやだやだ!顔と乳しか見てないマセガキがさぁ!私じゃなくてアンタのあの不細工なお母上に吸わせてもらいなよ!」


「いい加減にっっっっ…!ではお望み通りにしましょう!!手足の一本ぐらいは無くても構わんが、必ず生け捕れ!!」


「始めるよアル!……さぁ行け!」


 獣達が肉薄せんと突進するその瞬間、エマのスカートから黄色い煙が発生する。

 ならず者達は煙幕に驚き、思わず照準を外してしまった。

 それに気付いて銃を構え直す頃にはもう遅く、エマの周辺は煙で何も見えなかった。

 それと同時にアルは回りを気にしないように、必死の形相で恐怖に耐え、後ろに向かって走り出す。

 しかし眼前には既に獣が迫っている。


「こわい…!こわい…!こわい…!でも約束したから…!」


 だが、それでもアルは足を止めずに獣に向かって走っていった。

 エマはその煙の中へ消えていく背中を満足そうに眺めながら「それでこそあの娘の息子だ」と呟く。


「さぁ!かかってきなよハアァァァンス!アンタのお望み通りたぁっぷりと可愛がってあげるよ!」



 一人の女と、獣達の闘いが始まった──

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