歴史解説 諸葛孔明前史 前編(父母編)
これは別に連載している『学園戦記三国志』をより楽しむために、歴史上の三国時代の解説及び考察を行ったものです。本編では省略されてしまった部分やカットされてしまった部分をより詳しく紹介されています。
なお、この解説には独自の考察も含みます。ご了承ください。
作中に“本編”として紹介されているのは、別に連載している小説『学園戦記三国志』のことです。また、これが書かれたのは本編の106話時点なので、紹介されている情報も106話時点までの内容に基づいています。(この解説で本編未登場と紹介された人物がそれ以降の話数で登場することがあります)
↓学園戦記三国志リンク
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890213389
◎まえがき
学園戦記三国志(以下、本編)の五章77話にて、ついにコウメイが、
コウメイの元になった人物は、
今回の解説では、この
しかし、
◎孔明の家
↓近況ノートリンク漢末州地図
https://kakuyomu.jp/users/ITSUKI-TOBE/news/16816927860487241154
兄・
その後、
おそらく、全国区ではないが、郡や県の役人を多数輩出した地元では知られた一族だったのではないだろうか。
また
そして、その3年後の184年に
兄・
しかし190年、
だが、
あるいは母の死で帰郷することになったのかもしれない。当時、両親が死ぬと三年
ということは、
またその後、継母、つまり
◎父・諸葛珪の死
さて、ここでこの頃の情勢を解説しよう。
189年、
そして、
一方、その頃、最初こそ意気盛んだった
連合の
また、
この時、
さらにこの頃、
これに加えて
かなりややこしくなってきたが、ざっくりまとめると
さて、ここで一度、
これより未来の記述となるが、
また、この時
つまり、
↓近況ノートリンク 徐州周辺地図
https://kakuyomu.jp/users/ITSUKI-TOBE/news/16816927860487369725
189年より
この時の
これを受け
また先の話になるが、193年には
これはあくまでも可能性の話で、事実は
そして、190年~193年頃に相次いで両親を失った
◎孔明、故郷を去る
では、次は
話は少し
だが、彼は当時を代表する将軍の一人であった。
そんな
先の
だが、
192年、
新たに
この提案に
この内、
↓近況ノートリンク漢末州地図(再掲)
https://kakuyomu.jp/users/ITSUKI-TOBE/news/16816927860487241154
この頃の情勢を整理すると、
他に
この他に
なお、我らが主人公・
そんな時、
それは
なお、余談だが、
おそらく、
盟主になるはずであった
一方、
となる。[
一方、
北は
おそらく、この
↓近況ノートリンク 徐州周辺地図(再掲)
https://kakuyomu.jp/users/ITSUKI-TOBE/news/16816927860487369725
この時の
一方、
一方、
さて、話がだいぶ長くなってしまったが、ここで話を
これらの戦いは、包囲網の形成から
この戦いの頃、
理由として上げられるのは3つ。
まず、①
このうち
この時の
次に、②食糧不足である。
翌194年7月、
最後に、③
また、
この頃、
ここで
これより以前、
しかし、
あるいは
また、かつて
いずれにせよ、
また、この頃、
また、
こういった
おそらくこれは193年頃の出来事であろう。
話を
こういった理由により、
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