第20話 最強の血脈VS女魔王
何処とも知れぬ空間、ただただ平坦な白と地平が広がる空間に、戦機が満ちつつあった。睨み合うのは男女。男は外套の下に頭髪や体躯を隠し、鋭い視線のみを女へと差し向けている。一方女はといえば常人にはあり得ざる桜色の髪を引っ提げ、意気高々と男を睨みつけている。その耳は長く、明らかに人界の者ではない。だとすれば――
「始めい!」
老境と思しき声が、空気を断ち割る。それを皮切りに、両者は足繁く動き出した。
「ハアッ!」
まずは桜色の娘が男へと迫る。その決して大きくはない体躯を囲うように多数の魔法陣が現れ、彼女の速さを高めていく。これだけでも、娘が並大抵の者ではないことが見て取れるだろう。
「ッ!」
男はその姿を見るや否や、即座に後退を決断した。瞬間、捲れた外套の下から弓が覗く。なるほど。主たる得物がこれであるのなら、接近戦はとかく不利である。後退は正しい。しかし。
「無策で退くのなら、妾はどこまでも迫るぞ、ガイ!」
娘が叫ぶ。それは紛れもなき真実だ。軍略においても、ただ退くのであればそれは無為でしかない。敗勢ならばともかく、転戦を目論むのであれば、何かしらの策を打つのは道理と言えた。
「わかっているぞ、魔王」
ガイと呼ばれた男が、無機質に応じる。直後。魔王と呼ばれた娘の足元にて、にわかに火花が飛び散った。いかなる策か?
「虚仮威しの爆ぜ罠!? だがその程度で妾が止まるとでも……」
「だが止まった」
ガイの声が、魔王を貫く。瞬間。彼女の視界を三つの矢弾が占めていた。馬鹿な。足を止めたのは――
「一瞬さえあればいい。お前を討ち取るのに、それ以上の時間は要らない」
「ぐっ!」
魔王がロングスカートをなびかせ、距離を取る。矢弾はわずかにそれ、命中しない。防御術式か、それとも、風をもって身を護ったか。いずれにしても、初手の攻防はガイが取ったと言えた。
「……」
しかしガイは、手を緩めない。動じもしない。虎視眈々と、次の手を打つ。移動先を狙っては矢弾を放ち、魔王に接近を許さない。そこによぎるのは、未だ根強く残る、失策の記憶だ。否。あれを失策と思うのは、彼自身とその相手――実父、ユージオ・バールぐらいであろう。彼はけして、正しくない手を打ったわけではない。彼の殺意。その機微を穿ち抜いたユージオ・バールこそが、げに恐るべき生物なのだ。
「……っ!」
だからこそ、ガイは曲げるわけにはいかなかった。ここで殺意に意識の天秤を傾けてしまえば、女魔王はなんらかの手をもって間合いを詰めて来るだろう。まずは遠間に彼女を抑え込み、疲弊させる。決着はそれからだ。ガイは己に言い聞かせ、矢弾を次々と装填していた。かの者はたしかに人界の敵である。弑すべき対象である。だがこの勝負は――
「そうそう魔王をナメてくれるなっ!」
突如として、五十歩は先の遠間から火が噴き上がった。ガイにはわかる。火炎魔法の、瞬間的な爆発だ。女魔王が下手人であることには相違ない。矢弾を撃ち込まれた彼女がどの手を使うかにはいくつかの腹案があったが、その範疇からは飛び出していない。
「なら、ばっ!?」
ガイが己の立つ地に熱を感じたのは、決定的瞬間のほんのわずかに前だった。彼が恐るべき反応で大きく距離を取った次の瞬間、地を蹴破り駆け昇ったのは炎の竜。その舌が男を舐めることはなかったが、わずかに心臓を昂らせたのはまた事実だった。
「地の下に火炎を這わせる、だと……」
「千の魔法をナメてはならぬぞ、人間」
想定を超えた一撃に、呼吸を整えんとするガイ。だがそれさえも許さず、女魔王が瞬く間に間合いを詰めて来る。周囲に浮かぶ幾重もの魔法陣が、彼女の身体能力を増幅させていた。
「ぬっぐ!」
「そぉら!」
女魔王が身軽を活かし、ガイの顔面へ横からかかとを叩き込む。ロングスカートを靡かせた、大きな軌道の逆回し蹴り。実に鮮やかな、人界の民でも見惚れかねない一撃だった。
「グアアアッ!」
ガイの身体が、大きく吹っ飛ぶ。能動的な跳躍ではない。かかとをもって、蹴り飛ばされたのだ。魔王は残心の構えを取り、ガイを挑発する。
「そおら。妾はここにおる。人界の敵、討って見せい」
「ちぃ……」
ガイは魔王を睨み付ける。彼は今まさに、己の内にある殺意と葛藤していた。ここで迂闊に殺意へと身を浸せば、それは魔王に隙を与えるのと同意である。あくまで己は、魔王の掌に乗ってはならぬ。ガイは必死に、言い聞かせていた。ともあれ二手目の攻防は、女魔王の勝利である。そして――
「盛り上がってるようじゃが、次の攻防で締めじゃ! これは……」
「わかっている」
「わかっておる」
再び老境の声が場に響くが、次の瞬間には両者に切って捨てられる。そう。これはできうる限りの実戦要素を用いた、研鑽が為の模擬戦。生命のギリギリまでを懸けつつ、あくまでトドメは刺さない。そういう約定のもとでの戦だった。
「……ふんっ!」
最後と決められた攻防で、先に動いたのはガイだった。人の極限とも思しき速さで距離を取ったかと思えば、次の瞬間には空間から姿が消える。しかし女魔王は、その意図を見切っていた。
「隠形術式。まさか使えるとはな」
「殺しに使えるものは、すべて学び得ている。これまで使わなかった。それだけだ」
「のたまってくれる。だがこの戦、妾を殺すことは叶わぬぞ?」
「わかっている。故に、貴様に死の恐れを刻み付ける」
「言ってくれる!」
女魔王が、動く。彼女から放たれしは、放射状の雷。四方八方へと伸び、ガイの行く先を探らんとする。緻密に編み上げられた雷霆の糸。只人の射手を捉えるは必然。そう見えたが。
「舐めるなよ、魔王」
その一矢は、想定外の位置から訪れた。上空。上。さしもの彼女をもってしても、三次元の移動は予測していなかったのか。さりとて、告げられた上での一矢である。魔王は容易く、サラリと避けた。
「何故に告げた。事故を装い、殺すことも適ったであろうに」
「油断している貴様を殺したとて、なにが面白いものか。全力を持って渡り合い、その先に勝ち負けがあるからこそ面白いのだ。故に、ただでは倒さん」
「ククッ! カカカカカッ!」
変わらず、隠形に身を隠したままのガイの言。しかし女魔王は、高らかに笑った。無論、ガイは訝しむ。
「なにがおかしい」
「いや。笑ったのは済まぬ。だがな。まさしくあの男の息子だ。ユージオ・バールの血脈だ。そう思ったのよ。あの男とて、妾にそう言い放つであろうとな」
「……」
ガイは、答えなかった。雷霆は一時消え、彼は再び身を隠し、移動している。三手目の攻防、果たして、勝利はいずれに。
「こちらから征こうか」
女魔王が、一つ呟く。次の瞬間。四方八方、否。彼女の全周を炎が覆い尽くした。そしてその範囲は、徐々に広がっていく。なんたる火力。なんたる無詠唱魔法。これでは、さしものガイも。
「くっ!」
低い声が、空間に響く。男が姿を現し、苦し紛れの矢を放つ。無論女魔王に、そんなものが通じるはずもなかった。彼女は炎を消し、瞬時にガイの元へと向かう。勝負が、決しようとしていた。
「観念せよ」
魔王が、一声を放つ。しかしガイは、首を振った。
「断る」
「近接戦で、汝に勝機など」
「やってみなければ」
「無謀と勇気を、履き違えるな」
女魔王が、男を説得にかかる。彼女自身、すでに三手目の勝負は決している腹積もりであった。故に、この判断は責められぬ。。しかし、ああ。しかし!
「……」
その襲撃は、音もなく行われた。ガイは己の拳に、矢からもぎりとった
「っ!?」
魔王がその矢に気付いたのは、痛覚を得た瞬間だった。腹を括ったガイの、まっさらな一撃。それはたしかに、彼女の意識からすり抜けたのだ! されど。
「その程度で、我が死ぬるとでも?」
魔王が踏み込む。魔王を討つべく踏み込んでいたガイ、その頭に手を添える。鏃、それもわずかに覗いた切っ先からの痛みなど、彼女にとっては些少でしかなかった。
「っぐ……!」
「さあ、跪け。それでこれまでの無礼は許そう。我とて、汝の勇敢ぶりは認めておる。これにて仕舞いじゃ」
「っ……」
頭に添えられた手に、力が篭もる。ガイの頭が、万力に締め付けられたかの如く悲鳴を上げる。しかしガイは、歯を食い縛る。耐えんとする。このままでは、生命が。
「どうした、跪け。これは……」
「生死を決する場じゃない。知っている。だが。心は曲げられん」
女魔王の慈悲に対し、ガイは言ってのけた。口の端から血を流しつつ、己の信条をぶち撒けた。そう。己を形作った人々は、皆。魔界の軍勢に、膝など屈しはしなかった。
「そうか」
魔王から聞こえたのは、心底口惜しそうな声だった。次の瞬間、ガイの頭部に痛みが走る。苦痛が、本格的なものとなる。耐え難い痛みに、本能が膝を付かせんとする。だが、ガイはそれにさえも抗おうとして――
「そこまでぇ! ならぬ! 殺しだけはならぬ!」
審判たる大賢者の、絶叫にも似た声が割って入った。
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