第18話 侍VS逆鱗
始祖たる
『始祖よ。わたくしが能なき故でございますが、始祖と渦水は、あまりにもお姿が似通い過ぎております。これでは我々下々の竜は、渦水を始祖と見間違える愚を犯しかねません』
これに対して、虹霓竜はこう返したという。
『なるほど。汝の言にも一理ある。我はまず手始めに、我に似せた竜を生んだ。それ故、あまりにも似すぎたのやもしれぬ。ならば』
虹霓竜は、渦水竜の身体、その一部へと目を向けた。そして、一言告げる。
『捻じれよ』
次の瞬間、渦水竜の蛇に似た身体。それを覆う鱗の一枚が、ひっくり返った。他の鱗と異なり、逆を向いたのだ。渦水竜はこれを賜り物とし、とぐろを巻いた。恭順の意である。
『この逆向きの鱗。これをもって、我と渦水を
『はっ!』
声を上げた古竜も、これにはひざまずく他なかった。己の上げた無粋な抗議に、ここまでの対応をされてしまったのである。これ以上の抗議を試みるのなら、始祖の言う通り竜たるを返上してしまう方が早かった。
かくて。虹霓竜と渦水竜は、その輝きと鱗の向きをもって、姿を見分けることとなった。そして――
『よくも、よくも始祖からの賜り物たる逆さ鱗に……!』
その逆さ鱗――逆鱗に傷を走らせた渦水竜は、怒りに身を任せていた。とぐろを巻き、身をうねらせ、
『
そのまますべての力を賭して、竜は人間をその歯牙に掛ける。肉を喰らい、骨を砕き、至高の竜への捧げ物に――否、そんな名誉など与えてはならぬ。ただただその身を噛み砕き、骨は吐き捨て大地に返すのだ。
「ぬおおおお!」
人間の声が聞こえる。己の牙に、足を突き立てていた。人間は、そのまま足の力で遠ざかる。喰い逃したと、渦水竜は思った。己が思う以上に、あの人間は強いらしい。やはり、喰らわねば。これ以上の不遜を、許してはならぬ。
「はっ!」
だが、人間の動きは一手早かった。跳んだ勢いをさらなる跳躍力に変え、再び己に向けて跳び立ったのだ。それは高く、己の顎にまで迫り来たっていた。喰わねば。今度こそ、喰って、思い知らせねば。跳躍の最高点。ここだと見切り、顎をかっ開く。しかし。
「虎の子を欲するならば、虎の巣穴に入る必要がある。竜に勝たんとするならば、竜の眼前に迫らねばならない。同じ話だ」
開いた顎をめがけて、人間の武器――反りのある、片刃の刃だ――が伸びて来る。アレは空気を裂き、不可視の刀へと変えてくる。危険だ。だが。しかし。
「それがしの方が、一手速かった。それだけだ」
開けていた大口の端を、剣線がなぞる。竜は、激しい痛みを感じた。人に、ここまでの跳梁を許す。これまで幾千年以上も永らえてきた生涯の中で、初めてのことだった。再び思考が沸騰する。殺さねば。食い千切らねば。己の権能を忘れ、竜はその身をうねらせた。侍に背を向け、己の長い身体を振るう。なんとしても、この不遜な人間を。
「ぐあがっ!?」
竜は幸運だった。幸いだった。竜の振るった尾が、着地してゆく侍を捉えたのだ。侍は落とされ、地に叩きつけられる。人間の脆さを、竜は知っている。後は締め上げ、滅ぼすのみ。そう考えた。
『今度こそ、
竜は一気に、侍へと迫った。その距離は瞬く間に詰まる。侍は動かない。竜は、好機だと思った。締め上げるのではなく、舌で取り上げ、喰らうべきか。考えを巡らせる。いかにすれば、この不遜な人間に己の罪を思い知らせることができるか。怒れる竜は、考えた。しかし寸前。
「こんなだまくらかしは使いたくなかったんだが……ようやっと、こっちに来てくれたなぁ」
口を縫い付けるような、一撃が降り注いだ。否、実際に刀で封じられてしまった。声の主は跳び上がり、己に目線を合わせていた。馬鹿な。わずか前まで。大地に、叩きつけられたというのに。
「痛えなあ。ああ、実際痛いさ。だけどな」
男は刀から手を離し、巧みな体捌きで着地する。よくよく見れば、左の腕が垂れ下がっていた。叩きつけられた際に、痛めていたか。
「勝ち筋を見つけたってんなら、賭ける価値はあるんだよ」
男が、口角を上げる。竜はそれを、まじまじと見た。上がっていた血の気が、引いていくのを感じる。互いに勝機を見出すべく、奮闘するのが戦いの常。いかに圧倒的優位であったとはいえ、己はなにに拘泥していた? 賜り物を傷付けられたことに怒り、荒れ狂い、あまつさえ、今こうして口を開けぬ憂き目に遭わされている。なんたる失態。なんたる屈辱。しかし、これは。
『……見事』
逡巡の後、竜は『声』をもって意志を伝えた。続けて、刀を抜くように侍へ伝える。すると侍は、惑うことなく跳び上がった。ややあって、己の口から刀が引き抜かれる感触がした。傷は酷く痛むが、竜の治癒力ならば、どうとでもなる。
『感謝する』
竜は、素直な言葉を侍へ告げた。しかし侍は剣を肩に担いだまま、なにも言わなかった。それはこちらを、窺っているようで。竜はその姿に気付くと、すぐさま『声』を告げた。
『安心するがよい。我にもはや、戦いの意志はない。此度は、うぬに勝ちを授けるとしよう。心を乱した、我の負けぞ』
「良いのか」
『構わぬ。我は、我の弱さを晒してしまった。その時点で、竜たるにあらず、だ』
「……」
人間が、侍が己の麓で低くかしずく。その姿に、竜は見惚れた。己が勝利を猛るわけでもなく、むしろ竜種への崇敬を新たにするその姿。渦水竜は改めて、己がしでかした事実の重みを痛感させられた。それ故、竜は人の子に『声』を発した。
『人の子よ。腕の傷、いかばかりか』
「我が動きを、止めるほどにはあらず。麓にて、少々休めば」
『ふむ』
竜は、わずかに考えた。このいと強き、いと珍しき人の子。その根幹は、いずこにあるのか。問いたい。己に挑みかかるという、いわば狂気じみた心の根元を、暴き立てたい。そんな欲求に襲われたのだ。幾千年もの間を生きる、古竜ならではの知的好奇心。そう言い換えるのが、妥当なのだろうか。
『人の子よ。傷が癒やされるまでの間、我の住処に
「なんと」
はたして侍からは、驚きの声が返って来た。しかしながら侍は、さらにかしずき、言葉を発した。
「なんたる栄誉。なんたる光栄。なれば、仰る通りに」
『うむ。竜の住処ゆえ、満足にはもてなせぬやもしれん。だが、麓からの供物などはある。不自由はせぬはずだ』
「ありがたき幸せ」
『ならば我に乗れ。我の住まう地へと、連れて行こうぞ』
かくて古竜は、侍を己が権能で水より護った。そして侍が竜にまたがると、そのまま湖底へと連れ去った。
しばらくの後、麓の民は仰天することとなる。なぜなら自身たちの神に挑み、滅び去ったはずの愚かな男が、五体満足、意気軒高をもって帰って来たからだ。だがそれについては、少し別の話となる。
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