第17話 侍VS古竜

 注意:今回の作中には、竜の権限表現として洪水、津波の表現が含まれております。ご留意ください。


 ***


『まずは小手調べと行こうか』


 古竜――七種の最上級竜種の内、最も始祖に近い身体を持つとされる渦水竜かすいりゅうは、一手目として、その棲家たる湖を激しく沸き立たせた。すると次には湖にはありえぬはずの波濤が巻き起こり、そのまま豪水となりて不遜なる人間――東方にしかいないはずの侍が一人、坂田刀十郎さかたとうじゅうろうへと襲い掛かった。


「くっ!」


 刀十郎はやや慌てて、しかしその気配は微塵も出さずに、跳び下がった。この荒波に巻き込まれれば、己は湖に引き込まれ、あえなく藻屑となるだろう。第一手で、すべての抵抗手段を失ってしまう。そんな惨敗は、決して許されぬことだった。


『ふむ』


 竜の、値踏みの声が侍を叩く。刀十郎は、腰を落とした。次はいかなる手が来るか。今は攻めよりも、己の己たるを見せる方が肝要だった。


『ならば、これはどうだ』


 竜が言葉を紡ぐと、再び水面が泡立つ。すると今度は湖から水が引き始めた。刀十郎から見て彼方の側へと、湖中の水が寄せ集っていく。西方の者からすれば、不条理極まりない現象。されど秋津国生まれの刀十郎には、その先が見えた。その事象の、意味が見えた。地裂竜――同じく古竜である――の、権能に晒される地の生まれが故に。


海嘯つなみの、前触れか」


 刀十郎は、すぐさまに脱兎を決意した。彼には、刻み込まれた教えがあった。

 一。大いなる地の震え――大地震――があった際、まずは身を守り、震えを凌ぐこと。

 二。震えを凌いだ後は一目散に海辺より離れ、山を目指すこと。震えの後、大波襲い来る恐れあり。

 海辺に生まれた刀十郎が、父祖より学んだ生きるための心得。その実践が、まさに今行われたのだ。


「くっ……」


 彼はひた走る。しかしすでにこの地は高山の頂上である。他の山脈やまなみへと逃げるにせよ、波が襲い来るまでには間に合わぬ。


『我が狙いを即座に察したは見事。されど』


 水竜からの、勝ち誇った『声』。刀十郎は、臍を噛む。


『人の子よ、我には届かぬと知れ。竜にはひれ伏すのみと知れ』


 水竜が、さらなる『声』を放つ。だがその時。刀十郎は。


「そうだな」


 走るをやめ、竜と正対に対峙した。刀を納め、腰だめに構える。それは、まるで――


『観念したか! ね!』


 おお。引き波で勢いを得た水が、恐るべき高さと厚さで、刀十郎へと襲い来る。これに飲み込まれれば、ひとたまりもない。押し流されれば、ただ死あるのみ。立ち止まった男は、いかに決断するのか? 彼は海嘯の一点を見据え、刀を抜く!


「去ねるかっ!」


 白刃、煌めく。見よ。今こそ天下第一之侍てんかだいいちのさむらいはその本領を発揮した。げに恐るべき速さ。光かと見まごうほどの速さで抜かれた刃が、その勢いで空を断つ。直後。常であれば、決して起こり得ぬ事象が起きた。大波が分かたれ、刀十郎を避けるようにして流れていったのである。その様を見た竜は――


『なんと……!』


 想像だにせぬ事態に、驚きの『声』を漏らす。しかし竜もさしたる者。直後には精神を平衡に戻し、己が権能でもって波を引き戻した。己の戦で麓に不条理をもたらすのは、竜の矜持が許さなかったのだ。


「……侍絶技、空太刀からたち


 刀十郎は、ボソリと呟く。そして波が戻り来るを待って、彼は地を蹴った。完全防備であろうと、彼の跳躍は変わらない。背丈の半分くらいは、容易に跳ねた。


「行くぞ」


 抜いたままにしていた刀を、今度は横薙ぎに払う。当然ではあるが、水竜のその身に至ったわけではない。しかし、竜はその身をよじった。『なにか』を感じ取ったのだ。


『……剣でもって空を薙ぎ、太刀と変える、か。見事』

「届かぬ、か」


 竜を見据えたまま、刀十郎は着地する。彼が放ったのはもう一つの侍絶技、飛太刀とびたちだった。凄まじい速さで空を斬り、剣閃を飛ばす。侍の中でも、上位者にしか成し得ぬ大技である。だが、竜には見切られてしまった。


『ふむ。ここまでは見事、と告げておこう』

「ありがたき幸せ」


 両者は再度、湖の畔にて正対する。しかし相変わらず、竜は高みより刀十郎を見下ろしていた。故に、刀十郎は気付く。未だ竜は、己を真に認めてはいない。あくまでも、己の前に立つ資格を認めただけ。『敵』としては、認められていない。


「ぬんっっっ!」


 故に、刀十郎は地を蹴った。白い呼気がたなびき、まるで煙のようである。彼の跳躍は、高い。先ほどは背丈の半分程度だったが、今度はゆうに背丈一個分に届いていた。なんたる脚力あしぢからか。そして跳躍のさなか。彼は刀を抜き放つ。これより放つは、侍絶技の合せ技。これで竜に届かなければ、己は無様に死ぬるのみ。


「オオオッ!」


 咆哮を一つ上げ、刀十郎は愛刀を抜き打った。同時に、凄まじい速さで空を斬る。これを竜が見切るかは、五分。初見でこの割合の見立てとなるは、彼にとっては屈辱極まりないことであった。だが、勝負には冷徹なる目が必要である。彼は、彼自身を、決して高く見積もったりはしなかった。


『隙あり』


 しかし渦水竜とて、刀十郎をそのまま見逃すほどに甘くはなかった。大きく開いたあぎとより襲い来たるは、水の咆哮。童の扱う水鉄砲の、ゆうに数倍もの厚さと水量が凝縮されたものだった。


「ぬうっ!」


 降下中に飛んで来た一撃を、最小限の痛手に留める。刀十郎は、とっさの判断で身を翻した。しかし凝縮された水の圧力は凄まじい。わずかにかすった箇所から重装備が切り裂かれ、黄色みがかった肌がまろび出た。

 幸いだったのは、傷がその肌にまで至らなかったこと。仮に肌が傷付いていれば、低温下での戦いでは致命傷に繋がる可能性さえもあったからだ。


『ちいっ!』


 だが直後、竜からも唸るような『声』が響いた。刀十郎はその声に、急ぎ振り向く。見れば、中空に浮かぶ竜が、忌まわしげに身をよじっていた。かすかな傷が、その肌に刻まれている。刀十郎の、一撃によるものだった。


「攻めに出た分だけ、か」


 刀十郎は、冷静に断じる。竜の、竜たるが故の奢りによるものかもしれないが、渦水竜が水を放った分だけ、回避に遅れがあった。そうみなすのが、最善だった。しかし。


「侍絶技、そうそう多くは放てるものではない」


 彼は、口の中でつぶやいた。そもそも侍絶技とは、その名の通り隔絶した技。侍が刀を振り続け、音をも置き去りにせんほどの剣速を得て、初めて放てる技である。それを何回も打てるのはもはや超人の領域。いかな天下第一之侍てんかだいいちのさむらいといえども、その領域にまでは到達していなかった。ましてや、合わせ技など。


「あと二回。放てて三度」


 刀十郎は、見切りを付ける。己の能力を、過信はしない。秋津国でも、己の力を過信した者から敗れていった。天下第一之侍とは、圧倒的な力と、それに対する適切な見積もりこそがもたらす地位なのだ。もしも己が少しでも自力を過信していたならば、天下第二で道は終わっていただろう。力を振るえばそれで終わり、というものでは決してないのだ。


『来ぬなら行くぞ!』


 そんな述懐を知ってか知らずか、水竜が『声』をぶつけてくる。刀十郎は思う。『声』で予告をするあたり、渦水竜は未だ本気には至っていないのだと。で、あるならば。次の一撃は竜を本気に至らしめるものでなくてはならぬ。


「来いっ!」


 刀十郎は、今度は前に向けて地を蹴った。一歩、二歩と加速し、湖へと迫る。否、その足は確実に水面へと向かっていた。


『小癪な!』


 竜が『声』とともに水の砲撃を浴びせに掛かる。しかし刀十郎は、その度に左右に跳ねた。一撃でもまともに受ければ死に至る威力、そんな水流を掻い潜り、水面に至る。そして。


「キエエエーーーエエエイッッッ!!!」


 秋津国の一部に伝わる奇怪なる音声とともに、蹴った。身体が沈む寸前、類稀なる脚力あしぢからが、水面を押したのだ。空に舞い上がった刀十郎は、再び身をよじり、抜刀の構え。


『く!』


 竜から『声』。先刻自身が技を食らったことを鑑み、回避を試みるか。だが。


「オオオッッッ!!!」


 刀十郎の気勢は止まらない。大きく身体を捻り、歯を食い縛り。


「斬ッッッ!!!」


 精一杯の気勢で、刀を振るう。無論、その剣速は先よりも速い! 防御など考えぬ。着地など考えぬ。命さえもなげうった一撃が、竜へと跳んで行く!


『なっ……!』


 果たして、竜からは驚きの『声』が聞こえた。その全力を回避に振ってなお、刀十郎の飛太刀とびたちが竜の身体を捉えたのだ。彼の身体が、水面に落ちる。それと同時に、竜のうめきが耳を叩いた。


「ハッ……ハッ……」


 荒い呼吸を重ねつつ、刀十郎は身を起こす。幸いにして、墜落した箇所はまだ浅かった。冷気と水の冷たさが身を苛むが、刀十郎は己に戦いを強いた。あと半刻、あるいはその半分。身体が凍り付く前に、ケリを付ける。彼は呼吸を整え、身体の熱を沸き立たせた。しかし。


『よくも……!』


 その眼前に浮かぶ渦水竜の、まとう空気が変わっていた。先刻までの、泰然自若ぶりがかき消えていた。その蛇に近い身体には、大きな刀傷。竜が怒っていることは、あまりにも明白だった。


『至高の竜より賜った、御身に最も近い身体。それに傷を付けるなど……!』


 竜からの『声』が、怒気さえも含んで脳裏を苛む。感情ごと揺さぶってくるような『声』が、刀十郎の心をへし折らんとしてくる。刀十郎はへそに力を入れ、大地を踏み締めた。ここからが、真の戦いだ。


『おのれえええっっっ!!!』


 竜が、凄まじい速さでとぐろを巻く。身体をうねらせ、刀十郎へと襲い掛かる。彼が脚力あしぢからで跳ぶ寸前、渦水竜の顎門あぎとが、大きくその身を捉えた!

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