第15話 刀VS刀を捨てた者

 東方と西方の間には、大いなる距離の隔たりがある。遥か古から交易路の開拓を試み、多くの人間がその踏破を目指した。しかし、実際に踏破し得た者は少なく、交易路が実際に構築されたのはほんの数百年前。ハーンの国が、両文化圏を席巻した前後のことであった。

 そして、東方とは更に海で隔たれている東之連島ひがしのつらしま秋津国では、そもそも西方を目指す文化自体が、長年形成されていなかった。そのような中、広大な西方で秋津国の民が出会うというのは、幾千万分の一の率ですら叶わぬ出来事である。だというのに――


「まさか……斯様な場所で秋津言葉が通じる者に出会えるとは……!」

「おお……お主、まさか……」


 西方の強国、その一廉とされる、王国の片隅。小さな村。小さな家。東方風に言えば『庵』とでも言うべきその家で、坂田刀十郎さかたとうじゅうろうは恐るべき邂逅を遂げた。その男の名は――


「いかにも。拙者、東之連島は秋津国の出。坂田刀十郎と申す者」

「ああ……かくも広大なる西方の地で、初めて秋津の者に出会おうたわ。我が名は一刀斎。勝浦一刀斎かつうらいっとうさいじゃ」

「なんと……」


 語られたその名に、刀十郎は言葉を失った。彼は噂に聞いたことがあった。かつて天下第一之侍てんかだいいちのさむらいを志し、夢半ばにして敗れた男が、一人全てをなげうって西方を目指したことがあると。天下第四位の地位にまで上り詰めながら、それらをすべて捨て去った男がいると。その男の名が。


「いかにも。かつて天下第四位にまでたどり着いた男……であった」

「おお……噂はまことだったのか……。しかし、なぜに斯様に西方まで」


 片方の目に五弁花の焼印を刻まれた男が、白髭も長く、仙道を行く者にも似た空気を醸し出す男に問う。なぜに、己が産まれた土地を捨てたのかと。天下第一ならずとも、名誉ある地位にまで上り詰めたその栄誉をなげうったのかと。


「ひとえに強者との出会い。それに尽き申す」


 今は仙道にあると告げた男は、きっぱりと応じた。自身がすべてを捨てたは、強者との戦いが目的だったと。それによって己を高め、いつかは再び天下第一を目指さんとしていたと。そう刀十郎に打ち明けた。


「おお。しからば、我もまた」

「否」


 刀十郎は大いに相好を崩しかけた。しかし一刀斎は待ったをかけた。右手を広げて突き出し、制止をかけたのだ。その仕草を受けて、刀十郎は気付く。一刀斎には、腰の物がなかった。


「……ご貴殿。刀は。侍の魂は」

「暫く前に、捨てて候」

「なっ!?」


 刀十郎は、思わずして驚きの顔を見せた。仰天したと言ってもいい。この寄る辺もなき西方において、己を預ける刀を捨てたというのだ。それは、刀十郎にとっては死を選ぶよりも有り得ぬことだった。狂気を発したと言い換えてもいい。それほどのことだった。


「……一刀斎殿。貴殿に、一体、なにが」


 それでも刀十郎は問う。なじるような振る舞いには陥らない。他人の判断、その正否を己が定めるなど、おこがましきことだと知っていた。


「ゆうじお・ばあるなる者と出会いましてな」

「……」


 一刀斎から繰り出された名には、覚えがあった。元勇者を名乗った男、ジョルジュ・マクスウェル。彼が堕落するきっかけを生んだ者。刀十郎が目下、強者とみなしている者の一人だ。


「雷の竜を打破し、徒手空拳にて己が道を征く者。噂を耳にして興味を抱き、幸いにして知己を得ることができた」

「ふむ」


 刀十郎は、続きを促す。その結末は、半ばわかっていた。わかってはいたが、一刀斎の口からそれを聞かねばならなかった。自身の行く道を、定めるために。


「それがしは戦を挑んだ。刀と拳。得物は違えど、強きを目指す者として。一太刀限りの勝負を、かの者に望んだ」

「して、その結末は」

「それがしは敗れ、そして、

「……!」


 とつとつと語られた結末に、刀十郎は拳を握った。天下第一には至らずとも、第四ともなれば相応の強者である。侍絶技も、それなりに駆使し得るはずである。それが、『生かされた』とは。


「それがしは、かの者に一太刀をかわされた。かわされた以上、死ぬる他になかった」

「それほどまでの、大勝負でしたか。一太刀に、すべてを託すほどの」


 刀十郎の問いに、一刀斎は首を縦に振った。そして言葉を続ける。


ましらの如くに吠え、裂帛の絶技一太刀を馳走せんとした。だが、かわされたわ」

「なんと」


 刀十郎は、口をあんぐりと開けた。侍がその一太刀に全てをなげうった時。その咆哮は大岩をも断つ。それこそが、侍絶技の真髄だったはずだ。なのに。ゆうじおなる男は、それをかわしてのけたという。恐ろしさの、垣間見える話だった。


「一太刀を飛び退かれたそれがしは、ただ殴られて死なんとした。したが、それは許されなんだ。喝を入れられ、刀を構えた。今一度すべてを振り絞り、そして敗れた」

「……」


 明かされる顛末に、刀十郎は開いた口を塞げなかった。侍としてはあるまじき表情だが、それほどまでに動揺を隠せなかったのだ。


「敗れたそれがしを、ゆうじおどのは許してくれなんだ。自身の技を磨けた礼として、我が生命を奪わなんだ」

「おお、それは……」


 刀十郎はその言葉を口にしかけ、だが飲み込んだ。生死を賭けた勝負の果てに生かされることが、いかに辱めであるか。それは目の前に座る男が一番にわかっている。だからこそ、一刀斎は。


「それがしは、それがしを許せなんだ。故に魂、寄る辺を捨てたのだ」

「……」


 刀十郎は、二の句を告げられなかった。彼が自害――自身の生命をもって敗北を贖う決断――を選ばなかった理由は、既に察しがついていた。


「ご貴殿は……」

「いや、迷い申したわ。だが腹を割れば、それはゆうじおどのの意志に叛きますからの」


 一刀斎が、カラカラと笑う。刀を捨てたことに対して、一切の悔いはないという振る舞いだった。刀十郎は、そのあっけらかんさに疑問を抱いた。どうして眼前の男は、そこまで言い切れるのだろうか。葛藤が、皆無だというのか。


「皆無では、ありませんぞ」

「っ!」


 そんな思いを読んだかのように、一刀斎が言う。そして彼は立ち上がり、近くにあった西方風の扉を開けた。そこから取り出されたのは――


「この通り。捨てること、封じることはできても、手放すことはできておりませんからの」

「……」


 一本の刀に、刀十郎の視線は釘付けとなった。東方由来の方法で封じられたそれは、一刀斎の覚悟を示すもの。しかし手放すことはできぬと彼は言う。己を嘲る。だが。


「ご決断、見事でございます」


 刀十郎は、責めようとも思わなかった。むしろ刀を手放さなかったことに、感慨さえ覚えた。むやみに刀を手放せば、それは精魂込めて刀を仕上げた鍛冶師たちへの無礼となる。ましてや、西方に彼らの技を伝えてしまう原因にもなりかねなかった。

 刀十郎は、東方刀がいかなる努力をもって鍛えられたかを知っている。知っているが故に、責めることなどできなかった。


「そうか……」


 一刀斎は、再び刀を扉の向こうへと置いた。おそらく今後も、彼は刀をそう扱うのだろう。しかしその物腰には、柔らかさが生まれていた。自身の覚悟が認められた安堵のような、そんな気配が漂っていた。


「竜を、斬りなされ」


 暫しの後。座り直した一刀斎は、そう呟いた。


「竜、ですか」


 刀十郎は、そう返した。かつて天子が愛した麒麟を裂いた男は、小さく首を傾げていた。


「うむ。お主。その五弁花ごべんかの焼印、よほどの大罪人であろう」


 一刀斎が、小さく笑う。刀十郎は、軽くうなずいた。己の罪に、恥も後悔もない。そういう態度だった。


「天子の証にして、子飼いたる麒麟。あるいは東方聖獣の一角たる獅子王。その辺りでも斬らねば、なかなか貰えぬ。千人でも殺したならば、別だがの」

「麒麟をば」

「見事」


 一刀斎は、ことさらにうなずいた。


「なれば、竜を斬るにもためらいはなかろう。此処より幾里も北に、北嶺と呼ばれる山脈やまなみがある。その内の一つの最奥に、渦水竜かすいりゅうなる古竜が佇む。と、噂を聞いた」

「む」


 刀十郎は、小さくうなずく。それを見て、一刀斎は言葉を続けた。


「噂による限り、ゆうじおどのは雷の竜、氷雪の竜、蛮王たる竜の三竜に土を付けたと聞く。お主が竜を斬ったとて、届くかはわからぬ。だが、一つの道標には」

「なりますな」


 刀十郎は、軽く笑った。己が足を向ける地を、見定めた。そういう顔だった。


「麒麟を斬り、竜をも断つ。焼印が足りなくなりますな」

「その意気や良し。されど、今日はすでに遅い。一晩、休んでいかれよ。秋津の話も聞きたいしの」

「はっ!」


 刀十郎は、頭を下げた。遠き西方の地での、数奇なる出会いを想い、東方の神々に祈りを捧げた。

 その晩。二人の侍は、心ゆくまで言葉を交わした。

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