第14話 最強VS権能(回想・完結)

「墜ちよやあああッッッ!」


 ユージオ・バールは、裂帛の声を振り上げた。おそらく、これを振るえるのはただ一度のみ。己の全精力、全神経を駆使してたった一回、ようやく竜の速度を上回った。これを外せば、後は。口に出すつもりはない。それは彼にとって、『有り得ぬこと』、『起こり得ぬこと』だからだ。


「ッッッ!」


 心中にて歯を食い縛りながら、常人からは丸太にしか見えぬであろう右足を振り下ろす。雷雲竜の判断速度を、越えられたか否か。その一点のみが、この戦の趨勢を決める。ただし、ユージオにそんな思考回路はさらさらない。ただただこの一撃にすべてを注ぎ、力を、思いを込めていた。その一心が、足に不随意の炎をもたらして――


「セヤアアアッッッ!」


 ゴッ!


 雷雲竜の脳天に、鈍い音を響かせる。ユージオの身体は勢いで宙を返り、そのまま力なく降下する。文字通りに、全力を出し切ったのだ。一方で雷雲竜は、その鳥にも似た身体から、わずかに制御が失われた。脳天を打ち抜かれ、炎に舐められた結果、刹那ながらも意識を喪失したのだ。その身体はぐらつき、直後、黒く焦げついた岩肌に着陸した。羽を休めるように、その身を軽く横たえる。疲弊、負傷の色が、そこにはあった。結果、両者の間に沈黙が生まれる。


『……』


 雷雲竜は揺さぶられた脳を癒やし、身を休める。そして、大の字に横たわる男を見た。未だ雷の熱を残した岩々に肌を焦がされ、その生命は尽き果てようとしている。だが、男は起きぬ。先の一撃で、すべての力を使い尽くしたのだ。


『このまま放っておけば、我の勝ちか』


 雷雲竜は、ひとりごちた。しかしその目に、満足の色はない。勝利は、最強種族としての使命である。宿痾しゅくあである。だというのに。


『納得いかんな』


 竜がまた、言葉を吐いた。無論それは、誰にも聞こえぬ言葉である。いや、ユージオの脳には響いているやもしれぬ。しかし今の彼は、それに応じる言葉を持たぬ。


『ただ一度。ただ一度ではあるものの、この男は我が権能を超えた。その一点において、我は負けておる』


 竜は、己に言い聞かせるように言葉を続けた。それは、七竜の筆頭、至高の竜たる虹霓こうげい竜への、自己弁護の言上でもあった。こうでも言わなければ、古の竜として、最悪の名折れとなってしまう恐れがあった。


『至高の竜よ、許し給え』


 竜が、ゆっくりと羽ばたく。ユージオへと近付いていく。そして竜は――


『我、雷雲竜は、人の子を救いたもう』


 鳥のそれに似たくちばしで、器用にその容貌魁偉たる肉体を持ち上げる。そしてそのまま、麓の者どもに対する謁見の地――雷霆山脈の頂――から飛び去っていった。後に残されたのは、龍の機嫌の悪さを示すが如き、余人の接近を許さぬほどの雷鳴だった。


 ***


『……以上が、我と奴の戦い、その顛末だ』

「なるほどね」


 時と場は再び、現在、そして謁見の地へと戻る。旅人然とした男、カバキ・オーカクは、うなずきながら竜の語りに膝を打った。しかし。


「でも解せないね」

『ほう……?』


 団子のように丸い鼻をひくつかせながら、彼は言う。


「『負けた』と言うわりには、アンタのほうが終始圧倒してたじゃないか」

『ふむ』


 カバキの物言いは、あまりにも的確なものである。故に、竜はその首を大きく折り曲げた。人間で言う、頷きに近い動きだった。


『たしかに。汝の言う通り、戦そのものは我の勝利と言っても問題はなかろう』

「だろう?」


 カバキは、口角を上げて竜に応じた。最後の最後に権能を上回ったのが事実であろうと、総合的な観点からすれば十人が十人、雷雲竜を勝者とみなすだろう。それほどまでの差が、両者にはあった。しかしながら、竜は首を横に振った。


『しかしそれは、人と人による戦の見方でしかない。竜とは、寄せ付けぬ者であらねばならぬ。崇められる者であらねばならぬ。にもかかわらず、ただの人間にに一撃を喰らい、あまつさえ生命を救った。この時点で』

「竜としては敗れた、ってことか」

『そういうことだ』


 なるほどね、と、カバキは大きくうなずいた。しかしながら、竜はどこか不満げだった。彼がその点に不審を抱いたのは、わずかばかりの時が経ってから。さらに、それを詰めるには幾分かばかりの時を要してしまった。


「……アンタ、嘘を吐いていないかい?」

『随分と、遅くなったな』

職業ジョブがなければ、ただの人間なんでね。特別勘が鋭いでもなきゃ、こんなモンだと思うよ」

『……まあ、許容範囲としよう。至高竜に嘘をのたまうのは、我が信義にももとる』

「最初から正直に言えばいいじゃないか」


 違いない。そんな竜の返しに、人と竜はカラカラと笑い合った。なんのことはない。古の七竜にも、矜持プライドというものがあるのだ。それがわかり得ただけでも、カバキにとっては大きな収穫だった。


『とはいえ。先に語った戦においては、我はなに一つ嘘を吐いておらぬ』

「つまり……再戦かな?」


 問われて竜は、からりと打ち明ける。


『いかにも。我らは互いに傷を癒やしつつ、いくばくかの会話をした。あの男がただの狂人、暴挙の類でないことは、その中でようやくわかった』

「なるほどね。たしかに、気狂いの愚行に見えなくもないからなあ、古竜に挑むなんてのは」


 カバキは、笑って言った。己もその内が一人であることを、自覚しているのだ。その身に最強どもを宿しているとはいえ、それすらも常人からすれば狂気に侵されたようにしか見えぬ。彼はその事実を、十分に知覚していた。


『いかにも。故に我らは、その時々で技を交えた。その結果』

「権能――『アクセラレーション』を模倣されたんだな」

『うむ。その時点ではまだ未完成であったが、奴ならば、そう経たぬうちに完成させたであろう』


 古竜が首を縦に振る。その過程で今一度の勝負があったことは、カバキでなくとも想像はつく。だが、敢えてカバキは詳細を問わなかった。その敗北の陰には、雷雲竜がユージオにほだされていたことも含まれている。そんな竜としての落ち度を突くほど、彼は陰湿ではなかった。


「とんでもない男だねえ。『地上最強の生物』ってのは」

『とんでもない輩だったぞ、ユージオ・バールは』


 人間と竜は、カラカラと笑った。まったく、げに恐るべきはユージオ・バールの向上心と狂気じみた強さへの渇望である。もっとも、それこそが神に『バグ』とみなされた要因であり、カバキ・オーカクという生物が生み出された原因にも連なる。ともあれ、人間は古竜より技を盗み、その力でもって竜を地に伏せさせたのだ。恐るべき所業である。


『……汝は、あやつとは拳を交えたのか?』

「一度だけね。抗えはしたけど、最後にはこっちが折れちまったよ」


 問いに対してカバキは、口角を上げた。暫く前のあの敗北は、今も彼の魂に刻まれている。ユージオが上り詰めるのを抑止し、その未来を作り出した一戦。しかしながら、結果で言えば敗北だった。最後の最後、一撃の勝負にまで追い込みながら、あと一歩が届かなかった。他の三人の闘士に、削ってもらっていたにもかかわらずである。その事実を、彼はしっかりと記憶していた。


「まだまだ届かない。あと一歩が遠い。だからこそ、ここに来た」

『そうか』


 竜は感慨もなく言ってのける。しかしながら、竜はその身を、ふわりと浮かせていた。


「どうしたんだい?」

『勝負はともかく、未熟を埋めるための稽古ぐらいは付けてやろうとな。せっかくこのような地まで来たというのに、昔話だけでは収穫が足りんだろう』

「へえ。だいぶ人間って生き物にほだされたようだねえ」

『たわけ。汝が斯様な地まで来る英傑だからこそ、付き合ってやると言っているのだ。ただの人間であれば追い返す』

「わかりましたよ……っとぉ!」


 立ち上がったカバキが、己に繰り出せる限界までの踏み込みを雷雲竜へと見せ付ける。雷霆山脈にていま再びの人と竜の勝負――否、稽古が繰り広げられようとしていた。

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