第13話 最強VS雷霆(回想)
「ここまで来た以上、俺にとってこの戦は死ぬか生きるかのどちらかだ。帰るなんて甘い選択肢は、とっくに捨てた」
己に仇なす奇妙な人間、ユージオ・バールが放った言葉。不遜極まりないその言葉に、雷雲竜は思わずして目を剥いた。麓の者どもにその鋭さを謳われる眼が、初めて鈍角を示したと言ってもいい。その感情は、ヒトの言葉で言うのであれば『驚き』なのだろう。だが竜は、『驚き』という言葉を知らない。強いが故に、心の揺らぎというものを知らない。知らぬが故に、即座に強い言葉を放つ。
『生きて帰る択を捨てたか。ならば、もはや死ぬる他なし』
雷霆一閃。竜は鋭き翼を羽ばたかせた。しかも両翼だ。たちまち二条の雷が鞭となり、ユージオへと襲い掛かる。
「死ねるかっ!」
ユージオは、瞬時に後ろへと跳躍した。引けば攻め掛かれぬは戦の定め。されど、ユージオは蛮勇ではない。無謀ではない。無闇に攻め掛かって死ぬほど、彼は愚鈍ではなかった。数回の跳躍を経て、彼は鞭をかわし切る。しかし。ああ、しかし。
『下がりに芸が無い。我を舐めるな』
ユージオの、背後から声。そう。雷雲竜は、ユージオの打ち手を読み切っていたのだ。雷の射程距離、その外まで。竜は瞬時に移動してのけたのだ。
「ぬかせ。俺が誘ったのだ」
ユージオは、滴る汗を無視して抗う。背後に向けて、苦し紛れの後ろ蹴り。だがその程度の攻撃が、空を征する竜に当たるはずもなく。
『堕ちろ』
あくまで遠間からの攻撃に徹する竜の雷が、またもユージオの身体へと突き刺さった。雷霆が
「ぬ……か……せ……!」
ユージオは倒れない。一歩も引かない。たたらの一つさえも、踏もうとしない。やせ我慢めいて、雷雲竜の方へと身体を向ける。いや、やせ我慢以外の何物でもない。げに恐るべきは、狂気じみた精神力か。
「カアッ!」
ユージオが跳ねる。どこか雷にも似た、それまでよりも素早い踏み込みだった。消えるように地面から飛び立ち、瞬く間に竜へと迫った。今度こそ当てるという、気迫に満ちた踏み込み。しかし。
『まだ遅い』
竜の身体が、瞬時に消える。雷雲竜は、己の特性を十全に活用していた。稲妻の如く消え、稲妻の如く現れる。結果、またしてもユージオは背後を取られた。だがその時、狂気の男はニヤリと嗤った。
「型が読めれば、当てられるんだよ」
おお、見よ。ユージオの背後を取った雷雲竜が、その鳥にも似た身体を仰け反らせているではないか。原因はその鼻先にあった。ユージオの後ろ蹴りが、先刻よりも確実な形で撃ち出されている。苦し紛れではない。背後を取りに来ることを、ユージオは読み切っていたのだ。
『危ういところだったか。まさか罠を張るとは』
「罠だぁ? そんなチャチなものを俺が使うか。貴様のヌルさを利用したまでだ」
感嘆を見せる雷雲竜にしかし、ユージオは口角を上げる。その容貌魁偉の肉体は、すでに多くの傷に蝕まれている。今立っていることが不思議なくらいに、その身体は小刻みに震えている。だが、彼は倒れない。それどころか、竜を超える野心を、今も滾らせている。
『ほざけ! 今度こそ逝くが良い!』
「まだ死ねねえよ!」
『声』を荒らげた雷雲竜が、今度こそユージオを
「墜ちろやぁ!」
『なんの!』
疾風めいた速さで、ユージオの足が竜へと飛ぶ。しかし竜は、雷速でもってそれをかわす。だが、わずかながらも変化はあった。この戦で初めて、ユージオが先手を取ったのだ。しかしながら。
「チイッ!」
『どこに目をつけている? まだまだ遅い』
追撃を狙った二発目の攻勢は、雷雲竜とは明後日の方向に炸裂した。おお、悲しきかな。未だなお、竜の移動先を見切るには至っていないのだ。さしものユージオも、これには歯噛みする。目で追い切れぬものを、いかにして捉えるか? 賢人の問答にも似た、難題である。
『そぉら。次はこちらから攻めてやろう』
未だ余裕を隠さぬ雷雲竜が、またしてもその姿をかき消した。ユージオは一度目でもってこれを追わんとし、次の瞬間には諦めた。代わりに目を閉じ、鼻をひくつかせる。雷纏いし竜の臭いは、すでにあらかた記憶していた。
『嗅覚か。悪くはないな』
竜の声が、ユージオの聴覚を穿つ。だが、彼は動かなかった。そちらへ跳んだところで、かわされるのがオチである。彼の狙いは――
『動かぬか。ならば、今度こそ逝け』
「っ!」
背後。ユージオを中心に据えた刻時機で言えば、「六」を指す辺り。上空、彼の背丈よりわずかに上。ユージオの嗅覚と聴覚が、正確に竜を捉えた。雷が飛ぶ刹那、ユージオは岩を蹴った。火を噴くような後ろ回し蹴りが、竜に向かって襲い掛かる。否、比喩でなく、真に火を噴いていた。魔界大陸における魔素の吸入がユージオにもたらした、不随意の炎だ。
『なっ!?』
「おおおっ!」
感情に呼応しているかの如く、ユージオの炎が雷雲竜へと襲い掛かる。想定を上回った一撃に、竜はかすかに対処が遅れた。結果、ユージオの炎が雷雲竜の肌を舐める。その黄とも金ともつかぬ色の身体に、わずかながらの傷が刻み込まれた。
『ぬう……!』
「……チッ」
二匹の獣の間に、沈黙が生まれる。
傷を負った方は、その傷に再び心を揺らした。
傷を負わせた方は、むしろ不満げな表情を浮かべていた。
「オマケが捉えたところで、面白くともなんにもねえ」
ザリッ。
ユージオが、無防備に間合いを詰めた。その口角は、狂気じみて吊り上がっている。思い上がりめいた言葉を、本気で思っているのだろう。
『ぬかしよる。未だに我を識らぬと見た』
竜が、姿をかき消した。古の七竜と呼ばれ、雷を司る竜。尊大な言葉には、その強大さが裏付けとなっている。怒りに己を灼き尽くすこともなく、ただただユージオを追い詰めんとしていた。
だが、敢えて言おう。この雷雲竜もまた、ユージオ・バールという男を識らないのだと。狂気じみた精神を持ちながら、その淵で冷静ささえも保っている。勇者と認定された者を殴り倒し、魔界大陸の王と相争った、上を目指し続ける異常者を。
そして、互いが互いを識り得ぬ故に、戦いは加速した。
「ハッ!」
『ぬうっ!?』
読み切ったのか? あるいは何らかの形で、その姿を捉えたのか? ユージオがあらぬ方向に突き出したかに見えた左腕が、雷雲竜の身体をわずかにかすめた。無論、それだけでユージオは止まらない。続けて右の蹴りを叩き込まんとする。だが、この一撃はかわされた。
『これ以上は、遊んでられんな』
雷雲竜から、またも声。続けて上空より雷霆。翼からの二条。しかし、竜の攻撃はそれだけで終わらなかった。天がにわかに曇り、続けて山並みに雷霆が乱れ落ちる。岩場を電撃が駆けていく。常人ならば、必然で死に至る連続攻撃。ユージオを油断ならぬと判断し、竜がその権能を示したのだ。天象さえも動かし得る、最強種族の名に相応しい権能をだ。
「ガアアアッッッ!!!」
ユージオは跳ねた。彼には空を飛ぶ能力はない。人並み外れた跳躍力を、連続で使役する。それ以外に、この雷霆から逃れる術はなかった。しかし、ああ、しかし。
「グウウウッ!」
二度、三度とユージオの身体を雷が叩く。容貌魁偉の身体が地面に打ち付けられ、転がり、のたうち回る。雷電による攻勢が、ユージオの心身を痛め付ける。折りにかかる。
『認めよう。たしかに汝は、恐るべき敵だ。だが、故に我は容赦をせぬ。この場で滅び、天に還るが良い』
声と同時に、地響きめいた天の唸り声が山並みに響く。雷鳴、未だ止むことなし。ユージオを確実に打ち殺すべく、雷雲竜はその翼を緩めるつもりはなかった。
「こん、のぉ……!」
だが、ユージオ・バールという人間には、『諦め』の二文字は存在しなかった。数多の雷鳴に叩かれながらも、彼はその身体を立ち上がらせた。総髪の頭部、吊り上がった口角、筋骨隆々の身体の各所から血をこぼし、全身が焼け爛れつつあるというのにだ。彼は未だ、生命の灯火を消してはいなかった。
「オオオオオッッッ!!!!!!」
雷鳴の間を縫って、蛮声が轟く。ユージオの背中が膨れ上がる。
『叫びで怯むと思うたか!』
されど。ああ、されど。古の七竜に揺らぎはない。さもありなん。竜は常人にあらず。常なる種族にあらず。かつてこの世を思うままにした、最強の種族だ。ヒトのわずかばかりの抵抗など、目を向けることなく踏み潰していく。そういう種族なのだ。
「思っちゃいねえよ」
故に。そのつぶやきを、竜は拾えなかった。か細い抵抗の一声など、竜にとっては耳に入れるまでもないものだった。しかしその一拍が、雷雲竜の運命を変えた。
『ぬうっ!?』
次の瞬間、竜は再び目を剥いた。眼下に捉えていたはずの男の姿が。雷鳴下でもしっかと捉えていたはずの男の姿が。忽然とかき消えたのだ。己がそれを行うのならばともかく、同朋たる七竜が権能を振るってそうするのならばともかく。ただのヒトがかき消える。
『有り得ぬ』
竜は、思わずして『声』に出した。出してしまった。己に起こった心の動きを、遂に自己にて把握した。『驚き』。『動揺』。ついぞ知らなかったはずのその感情を、竜はとうとう知覚してしまったのだ。
『否。この男は』
感情の知覚が、瞬時にして記憶を呼び起こさせた。そうだ。今目の前にいない男は、常に己の想定を上回ってきた。
幾度雷を振るおうと
出没自在たる己を、人の身ながらに捉えんとし。
火を噴く一撃を己に浴びせ掛けた。
『今、この瞬間。我を上回らんとしている――!』
竜が心の流れを自覚する。それは、時間にすればほんのわずかの間に起きた出来事だった。刻時機の針が、微動するか否か。その程度の時間だった。だが、そのわずかの時間が、ユージオと古竜の間に、決定的な差をもたらした。
「墜ちよやあああッッッ!」
上から、声。しかし竜の聴覚がそれを拾った時には、遅きに失するありさまだった。自らが振るう雷霆の如く。同朋たる炎帝竜が振るう火炎の如く。只人が振るう踵落とし――それは炎を纏っていた――が、護る間もなく、雷雲竜の脳天をつんざいた。
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