第12話 最強VS雷の竜(回想)

「それじゃあ、どうあってもやらないと言うのかい」

『当たり前だ。我らが至高竜をその身に宿した男と喧嘩なぞしたら、七竜の名折れになる』

「その至高竜が構わないって言ってるんだけどなぁ」

『嘘ではないのだろうが、我は飲まぬ。くと去れ』

「嫌だね」


 王国の南国境から、さらに南へ徒歩で幾日。南方と呼ばれる地域との境目にその山脈はあった。人呼んで雷霆山脈。一年の四分の三は天から雷が降り続ける、人跡未踏と言っても過言ではない領域だ。

 そんな場所に今、一人の男が立っていた。安穏とした空気をまとう団子っ鼻。どちらかと言えばずんぐりむっくりとした体躯を、旅人然とした装いに包んでいる。誰あろう、『職業ジョブ・地上最強生物』。至高竜こと虹霓竜ほか、数々の最強を身に宿した男、カバキ・オーカクであった。


『なんたる強情。あの男を思い出す』


 そして、カバキと対峙する生物もまた一匹、そこにいた。鋭く直線的なフォルムを持ち、四肢と翼の周りに雷をまとう竜。古の七竜が一つ、雷雲竜である。彼が、彼こそがこの場所の主にして、山脈が雷で覆われる原因そのものだった。


「あの男……ユージオ・バールかい?」

『存じておったか。その通りよ。我に会い、我を打ちのめせし数少ない男だ』

「ふうん。じゃあ良いじゃないか。俺ともやろうぜ」

『至高竜とは争えぬ』


 ユージオ・バール――身体に無数の傷を刻んだ、地上最強と謳われる男――の名が出たのをきっかけに、カバキはなんとか手合わせにこぎつけようと試みる。しかし雷雲竜は、頑なにその望みを切り捨てた。すべては彼がその身に宿せし最強が一つ、至高竜こと虹霓竜のためであった。


「……じゃあ仕方ないや」


 カバキはようやく説得を諦め、近くの岩場へと座り込んだ。両者の間合いは大きく二十歩。雷雲竜はカバキに比しておおよそ数倍ではきかぬ雄大さを誇っている。その威光を目にしてなお、この悠然さを保てるのが彼の彼たる所以だった。一呼吸を置いた後、彼はおもむろに口を開いた。


「ユージオとの勝負について、教えてくれよ」

『なっ……!』


 雷雲竜の身体が、大きく半歩後ずさった。並の人間にはわかり得ぬわずかな動きを、カバキは確かな眼力で捉えていた。ここが勝負どころだと、彼は言葉を強くする。


「俺はね。ユージオに追い付きたいんじゃない。勝ちたいんだ。いや、勝つんだ。何度負けても良い。それでも最後に、アイツを沈めたいんだ」

『ほう』


 カバキの言葉に、雷雲竜は首を巡らせた。そして、言葉を続ける。


『故に、我に勝とうと思うたか』

「それはあるね。七竜の打倒は、一つの基準になるからね。でもアンタは、やりたくないと言う。だったら」


 瞬間、カバキの姿がかき消える。だがほぼ同時に、雷雲竜の姿もかき消えた。次の瞬きには、両者の姿が現れる。しかしその位置は、互いに互いが入れ替わっていた。なんたる高速移動か。そしてカバキは見切る。刹那、いや、後少し遅れていれば雷霆に叩かれていただろうと思うほどに、己は遅れを取っていたと。


『力ずく、か?』

「いんや。アンタのはやさを測った。やっぱり疾い。雷の名に狂いなし、だ」

『当然だ』


 雷雲竜は、誇り高く天を仰いだ。古の七竜に座する己が、そうそう簡単にヒトに遅れを取ることはない。その矜持が、はっきりと示された。しかし、カバキの表情に揺らぎはない。内面はともかくとして、その悠然さを保ち続けていた。そうして彼は、口を開く。


「だからこそ、気になるのさ。そんだけの疾さを持つアンタが、なぜユージオ・バールに膝を屈したのか。高速移動を見取られたのか。ソイツが知れれば、少しでも糧になるんじゃないかってね」

『っ……』


 雷雲竜は、言葉に詰まった。考えるためである。眼の前に立つ人間に、己が恥を晒して良いものかと、わずかな時間を、彼は欲した。だがそれこそが、この小さな戦における、彼の敗北を指し示していた。


「詰まったね。アンタは、考えている。俺に気を許しつつある。もしも七竜の矜持が邪魔をするってんなら、アンタの崇める至高竜からの命令って形にしてやっても良い。それでもダメかい?」

『戯言を抜かすな。そんな命令を受けるくらいならば、己で己の口を割る。それを決断できぬほど、我は戯けてはいない』

「決まったね。じゃあ、話してもらおうか」


 カバキは、再び岩場に座り込む。そしてどこか楽しげに、己の幾倍も巨大な図体を眺めるのだった。


 ***


「やっとこさ見つけたぜ、古の七竜」

『人か。去るが良い』


 現在より数えること幾年前。七竜が一つと『地上最強を目指す者』の出会いは、あまりにも横柄な対応から始まった。

 さもありなん。竜とは、この世において最強たる種族の一つである。魔界大陸の王や、冒険者の頂点である勇者などと同様に世界の頂、その一つとして君臨する者どもである。その彼らが、なに一つ持たぬ者に首を傾ける道理は皆無だった。しかしユージオは、それ故に闘志を滾らせる。彼我の幅に躊躇するほど、彼の信念は弱くない。


「去らねえよ」


 瞬間、ユージオが裂帛の踏み込みを見せた。人の目には、消えたようにしか見えないほどの勢いである。しかし、雷の名を掲げる竜にとっては――


『遅い』

「っ!?」


 雷雲竜の身体が目前に迫ったかに見えたところで、彼はその巨体を見失った。辺りをキョロキョロと見回すほど愚かではない。だが彼の持つ気配察知では、雷雲竜の姿を捉えられなかった。


ね』


 直後、雷霆がユージオを襲った。気候によるものではない。雷雲竜が、その意志で振り下ろした鞭だった。故に、ユージオの回避は追い付かない。岩場を走る雷霆が、彼の身体を激しく叩き付けた。


「お゛……!」


 激しい痺れ、皮膚が焼かれる感覚。脳までもが滅ぼされそうなほどの痛み。ユージオは、間違いなく一撃で死の淵に立たされた。否、ただの人間であれば即死するほどの一撃だった。しかし。ああ、しかし。


「目が覚めたぜぇ……!」


 ユージオは立っていた。やせ我慢。頂を目指す意地。魔王の炎に焼かれてなお立てたという自負。すべてを撚り合わせ、彼は痙攣しながらも立つ道を選んだのだ。


『……見たところ術式ではないようだが』


 雷雲竜は軽く目を剥いた。術式に長ける者や特殊な装備に身を包む戦士ならともかく、徒手空拳の者が己の雷を耐え切る。それは、この龍にとって初めての光景だった。


「……教える義理はねえな」


 ユージオは、ペッと唾を吐き捨てた。そこには、薄く血が混じっていた。髪は焦げ、肌からもブスブスと煙が立ち上っている。火傷痕は多数に上り、口角からは血。およそ立ち上がれるほうが不可思議の状態だ。


『……ならば今一度穿つまで』


 雷雲竜は、再びユージオの前から消える決断をした。この竜の権能――雷となり、遠近問わず目的地に転移する能力――をもってすれば、ただの人間など翻弄するに容易い……はずだった。


『むっ!?』


 その殺意は、竜の脳天へと向けられていた。寸前、竜は現れる位置を変え、殺意の元の背後へと立つ。竜の眼前には、間違いなくユージオ・バールが立っていた。寸分狂いなく、竜が現れようとしていた位置にだ。


『――!』


 竜はおそれた。畏れてしまった。いかなる仕掛けかはわからぬが、己の移動先を見破られてしまった。過去に皆無、絶無だった経験が、古の七竜にあるまじき混乱を呼び起こしてしまった。


『おおお……』


 雷雲竜は唸り、直線的かつ、稲妻の形を思わせる羽を振るった。雷霆ではなく、己が身体で決着を付けんとした。しかしその判断は、雷雲竜にとって失策に近いものだった。


「そぉら」


 羽が不埒な男を叩くかに見えた寸前、男は軽く跳ねた。だが跳ねたと言うには、高すぎる跳躍だった。男は、己の背丈分をゆうに上回る程に飛び上がったのだ。そして。


「ふんっ!」


 なんたる身のこなしか、最高到達点で彼は容易く宙返りをした。右足を突き出し、槍に変える。その矛先は、雷雲竜の身体。しかし。


『当てられる訳がなかろう』


 あまりにも。あまりにもあっさりとその槍はかわされてしまう。雷雲竜はまたも雷となり、己の姿をかき消したのだ。直後、ユージオの蹴りは岩を穿つ。硬い岩盤に、陥没穴を作り出す。だが、どのような威力があろうとも。当てられなければただの空振りでしかなかった。


「チィッ!」


 ユージオは舌を打ち、目を閉じた。そして鼻をひくつかせる。聴覚、嗅覚でもって、敵手を追う腹積もりか。しかし。


『判断は悪くない。だがぬるいぞ、人間。我はもう過ちを犯さんぞ』

「っ……!」


 再び雷がユージオを襲う。しかも今度は直上、脳天めがけての雷霆だった。脳を焼き、一撃にて滅ぼす。そういう意志のこもった一撃だった。


「……がああっ!」


 声があったことを救いに、ユージオは身を捩る。脳天、致命傷だけはギリギリでかわす。しかし雷は右肩へと突き刺さる。半身不随さえも、免れ得ぬ一撃。たまらずユージオは肩を押さえ、ゴロゴロと転がった。


『さあどうだ。帰る気になったか』


 勝ち誇るかのように、雷雲竜はユージオの前へと姿を見せた。竜はもはや、勝利を確信していた。敵手は右肩を穿たれ、おそらくは半身をやられている。これで立ち上がってくるのであれば、それはもはや人間の領域では――


「うるせえよ」


 殺気に首をもたげた竜の鼻先を、左の拳がかすめていった。しかも信じ難いことに、その拳には熱さが伴っていた。次の瞬間、雷雲竜はその鋭いまなこを見開く。竜の眼前に立つユージオは。


「ここまで来た以上、俺にとってこの戦は死ぬか生きるかのどちらかだ。帰るなんて甘い選択肢は、とっくに捨てた」


 火傷だらけの身体に陽炎をまとい、右肩をだらりと下げた構え。満身創痍を、隠せてはいない。だがその目に宿る闘志と、立ち上る陽炎こそが、彼の決意を雷雲竜に告げていた。

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