第11話 刀VS賊徒

「おやめください。わたしたちは、そういうものなのです。他国から流れ、王国の慈悲にすがっていたのですから」


 やりたい放題に荒らされた、家とすら言えるか怪しい天幕テントの群れ。希望を失った人々の先頭に立つ、みすぼらしい身なりの少女が言った。


「そなた方には、恩がある。東方では、一宿一飯という」


 男が、瞳に決然の光を浮かべて応じた。男は、西方ではあまりにもけったいな身なりだった。ぼうぼうの髪に頭頂部の髷、髭面があまりにも目立つ。瞳の片方には、五弁の花を象った焼印を刻まれていた。未だ慣れ切らぬ王国語を駆使し、東方語と混ぜつつ。それでも思いを伝えようとしていた。


「イシュク、イパン?」

「食事と宿。頂いたものは、返さねばならない」


 男は、自らの得物を握った。少女が身を隠しつつ守ってくれた、己の相棒だ。せいぜい己の、両腕の幅ぐらいのもの。だがそれこそが、男――坂田刀十郎さかたとうじゅうろうにとっては最高の武器だった。


「……わたしたちに構えば、あなたは」

「構わぬ」


 刀十郎は、短く切って捨てた。言いたきことは数あったが、王国の言葉に言い換えるほどの語彙を持ち合わせてはいなかった。そしてなにより、彼には時間が惜しかった。


「我は行く」


 サムライの命、東方刀を腰に差しながら、彼は言った。そして少女に背を向け、歩み始めた。風が砂塵を巻き上げ、黒の上下を揺さぶった。少女に、そしてその後ろの民にできることは、彼を見送ることのみだった。


 ***


 坂田刀十郎が少女たちのもとに身を寄せることになったのは、袖が擦り合う程度の縁によるものである。早い話が、行き倒れだった。道中でふとした隙に食料と有り金をさらわれ、取り返すことさえもままならなかったのだ。


「……天下第一之侍がこのザマか。麒麟を斬ったバチとしちゃぁ……、妥当なモンかねぇ……」


 足取りが鈍り、立ち木に寄り掛かる中、彼はそれさえも運命だと受け入れていた。もとより大罪を犯して国を去った身である。いかなる不遇に遭ったとて、そのすべてが彼にとっては罰だった。身を叩く雨の中、彼の身体は冷え切り、やがて意識さえもが遠のいた。しかし。


「む……それがしは」

「よかった。生きてた」


 目を覚ませば、彼は天幕の中にいた。申し訳程度の火に温められ、土の上に横たわらされていた。よくよく見れば天幕という言葉が不似合いなほど、その各所からは風が吹き込んでいた。


「服は、乾かしてる」


 最初に声を上げた、少女が言った。着の身着のまま、という言葉が似合うような、各所がほつれたような服を身に着けていた。続けて視界に認めた父母らしき者、家族と思しき者たちも皆同じだった。己もまた、似たような衣服に身を包んでいた。


「自分の国で、戦争があって。それで、王国に逃げたの」


 やがて少女たちから身の上を聞かされ、刀十郎はその身なりや暮らしぶりに得心がいった。早い話が、少女たちは難民だった。住まいを追われ、王国のわずかな慈悲で仮住まいの地を得ている。秋津国でも、聞かない話ではなかった。


「……かたじけない」


 自らの事情さえもなげうち、野垂れ死ぬ身を助けてくれた。尽きることなき感謝の意を、彼は王国語に変えて伝える。すると少女は、屈託なく笑った。


「『旅人を見たら助け合え』。父さんから聞いたの。さらにずっと前から、そうしてきたんだって」

「なるほど……」


 ともあれ刀十郎は、暫くの間少女たちのもとに身を寄せることにした。体力のこともあったが、彼には路銀が必要だった。彼女たちがその日を過ごすために赴くわずかな働きに同行し、鍛え上げた心身を駆使して少しずつでも足しを作ったのだ。しかし――


「焼いて追われた隣国の民が、俺たちの富を貪ってやがる……!」


 彼女たちの集落は、理不尽な論法を振りかざす無法の者どもに付け狙われていた。闇に満ち満ちた夜。その牙は突如として集落を襲った。天幕に火をつけ、なけなしの財産や家財道具を持ち去っていく。中には乱暴される者もいた。悲鳴がこだまし、獣の嘲笑が響き渡る。まさに地獄絵図。


「いやだ……たすけて……」


 少女は耳と口をふさぎ、天に祈りながら必死の思いで隠れ続けた。男どもの哄笑こうしょうが聞こえるたびに、密かに逃げた。そんな中、彼女は一本の剣を見つけた。鞘に収まっていた細身のそれは、父の持っているものとは異なる形状だった。だが、覚えはあった。


「トッジューロ……」


 折悪しく出向いた労働先に乞われ、この惨劇を見ずに済んだ男の顔を思い出す。


『あれ、持って行かないの?』

『力勤めであれば、不要かと思うてな』


 本来ならば肌身離さず持ち歩くのであろう。男は名残惜しげに刀を見やっていた。おそらくは彼なりに、労働先からの不審を極力減らそうとしていたのだ。だから彼女も、うなずいていた。


「だめ」


 彼女は直感した。この剣を、あんな無法者どもに奪われてはならない。その一心で、彼女は剣を抱えた。他の荷物には目もくれず、それだけを抱えて天幕を飛び出した。


「女だ!」

「やっちまえ!」


 声が飛び交う。聞き慣れたはずの王国語が、今宵ばかりは悪魔のそれにしか聞こえなかった。悪魔から逃れるべく、彼女は足を回転させた。


「あああああ!」


 周囲に目もくれず、弾丸となって彼女は逃げた。裸足の足は擦り切れ、血を生み出していく。しかし必死の思いは、痛覚さえも拒絶していた。近くの森に飛び込み、今度は決死の思いで息を殺す。たとえ死んでも、彼の剣だけは。その一念が、彼女を救った。


「あ、さ……」


 夜明けの光が、森へと差し込む。息を吐いた途端、押し殺していた痛覚が怒涛の如く雪崩込み。


「や……った……」


 極限まで張り詰めていた彼女の意識が、唐突に奪い去られる。惨劇を生き残った仲間たちが彼女を見つけ出したのは、およそ一刻ほど後のことだった。


 ***


 刀十郎の両の眼には、それまでよりも遥かに深いものが宿っていた。ことのあらましを聞いた彼が、決意を固めるには寸刻の間さえも要しなかった。彼の信義に則れば、酌量の余地もなく襲撃者のほうが非道であった。


「置いて行くという無道に晒したこの刀を、あの娘が守り抜いて下すった。あの方々は我に飯と宿を下すった。それを返さずして、なにが天下第一之侍か」


 彼は、風に己が衣服を晒した。西方まで来てなお纏うこの上下。いささか擦り切れも増えてきてしまった。だが、変える気もない。刀もそうであるが、服もまた己の魂、そのあるべき地を思い出すものだからだ。


「あの砦か」


 生き残りから知らされた方角に向かい、おおよそ半刻後。小高い山の中腹に、襲撃者どもの根城はあった。なんのことはない。連中もまた、賊だった。己らの勝手な理屈で、かの民たちを襲撃したに過ぎなかったのだ。


「……まだ娘御たちのほうが人であるわ」


 刀十郎は小さく吐き捨て、迷わず山道へと分け入った。行軍のためと思われる均された道があったが、彼はあっさりと無視した。これより行うのは戦である。姿を不用意に晒せば、討ち取られるのは自身であった。

 木々の隙間を縫い、上へ上へと歩みを進める。隠し切れぬ怒りによるものか、時折枝葉が砕け散った。握りの力が、木の耐久力を上回っているのだ。しかしだからといって姿勢を崩すことはない。足腰の強靭さで、補っていた。

 そうして四半刻も登れば、あっという間に砦は目前となった。砦の入り口には、張り番が二人。しかしその空気は、弛み切っていた。さして気配を殺してもいない刀十郎にすら気付けず、呑気にあくびさえする始末である。


「……」


 刀十郎は刀を抜かなかった。背後から一人の首を折り、気付いたもう一人を手刀にて叩き伏せた。決して慈悲ではない。天下第一之侍が振るえば、手刀であろうが命を奪う。事実その張り番は白目を剥き、舌を出して昏倒していた。運良く目覚めることができたとしても、その時にはすべてが終わっていることだろう。


「いざ」


 刀十郎は音もなく砦へと侵入した。本来であれば、忍びや野伏のような手管は好みではない。だが、こちらは一人である。戦力面の不利を補うためにも、秘密裡に事を進めるのが先決だった。大仰に叫んで名を名乗り、刀をぶつけ合うばかりが戦ではないのだ。

 しかしすべてが己の有利に進むわけがないことは、彼にもよくわかっていた。二人の男が、己の方へと向かっているのが見えたのだ。


「ん?」

「なんだぁ?」


 だが、刀十郎の目にははっきりと見えていた。男二人は、あからさまに酔っていた。事実、刀十郎を見ても反応は鈍い。おおかた、外へ小便でもしに行くつもりだったのだろう。彼は刀を抜き、サクリと一人を撫で切った。


「え……」

「死ね」


 刀十郎の動きは早い。酔った人間の反応速度など、容易く上回る。恐らくもう一人の目には、彼の身体がかき消えたように見えたことだろう。だから、その男にできたことは。


「えええええ!?」


 斬り捨てられる寸前、大仰に叫ぶことだけだった。無論その後は、先に逝った者の後を追う。


「シッ!」


 二人目を斬った勢いで、刀十郎は加速した。この叫びで、連中は覚醒するに相違ない。後は己の腕と、相棒である刀が勝負を分ける。突き進む彼の前には、めいめいに得物を提げた、野盗の群れ。口々に声を上げ、迎撃の陣構えを取る。突き進んで来る。しかし。


「ハッ!」


 刀十郎の踏み込みは、迅雷であった。瞬く間に敵勢との間合いを詰めると、一息で三人が刀の錆となる。


「ウオオオッ!」

「キエエエッ!」

「押し包め! 何者かは知らんが、敵は一人だ!」


 だが、相手の勢いもその程度では止まらない。たった一人を相手に身が竦むほど、その胆力は弱くはなかった。たちまち刀十郎を囲む構えを構築し、嬲り殺しを試みる。しかし。


「ぬんっ」

「あおおおっ!?」

「ギエエエッ!」


 刀十郎の方が、それよりもさらに早い。身体を旋回させる勢いで、さらに幾人かを斬り飛ばす。そして向かって来る相手にも容赦しない。空太刀からたちも、飛太刀とびたちも。いかなる侍絶技も使わずに、薙ぎ払っていく。それほどまでに、両者の差は絶大だった。隔絶していた。刀十郎の振るう無銘の数打が、血風を生み、賊共を蹂躙していく。

 おそらくは、四半刻さえも経たぬうちのことだろう。高揚から醒めれば血溜まりの中、刀十郎は最後の一人と相対していた。些少しか聞き取れぬ嗚咽混じりの王国語で、何事か喚いている。命乞いの類だとは、大方見当がついた。だが彼は、東方の武神に感謝していた。耳を汚されるような悲鳴の意味を、知らずに済んだのだから。


 こうしてこの日。西方の片隅で一つの不埒な集団が全滅した。

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