第10話 最強VS大将軍

「囲め! 逃がすな!」

「矢を射掛けろ! 押し包め!」


 王都郊外、王国軍の練兵場。おおよそ平原で構成されている兵の調練基地に、時ならぬ叫び声がこだましていた。


「術式兵! 結界はまだか?」

「敵が速く、術式の練りが間に合いません!」

「術札攻撃は?」

「簡易術式、既に跳ね返されております!」


 兵の指揮官は、ぐぬうと唸り声を上げた。せっかく大将軍から一隊を授かったというのに、己はになにをしているのか。いや、大将軍からは事前にみっちりと言い含められている。今こうして気分が笹くれだっているのは、己の常識を覆されているからだ。彼は理解していた。


 ――地上最強の生物。


 ユージオ・バールという生き物が、かつて王国軍に対して行った狼藉の数々。暴力、暴虐。連ねた屍。あまりの惨状にその記録のほとんどは隠蔽され、王国軍の暗部では彼を打ち倒すべく幾重もの対策が練られてきたという。技術部が研究を尽くして魔導甲冑を作っているのも、より深い側面から言えばかの生き物への対抗策だった。

 だが言い含められていてなお、ユージオ・バールは想像を超えてきた。囲むことを許さず、少しでも突っ掛ければそこを起点に突破を模索し、動きを封じようとすれば速さを軸にして照準を揺さぶってきた。あたかも、ましら一匹を追い掛けるような振り回され方だった。しかも相手は、猿以上に強力ごうりきである。


「手品手管は、そろそろ終わりか!?」


 ユージオ・バールの大音声が響く。五百歩以上の距離だというのに、実に朗々とした声だった。遠くに見ゆる男は、低く身構えていた。

 故に、指揮官は困惑した。まさか、突っ込んで来るのか? 王国大将軍直属・ゴルニーゼ金剛軍団に? 一混成部隊とはいえ、千人は下らぬにもかかわらず? しかし、奴ならば有り得なくもない。なら――!


「盾隊、前へっ! 騎兵隊は背後を取れっ! あの猛獣を、包んで止めろ!」


 部隊長は吠えた。ありったけの希望を詰め込んだ、最後の指揮だった。これが破られるのであれば、もはや次の防壁はない。


「おおおっ!」


 重装備の歩兵が、装甲に身を包んだ騎士たちが。草原を蹴立てて、あるいは踏み締めて前線へと出る。いずれも、戦場における重要な兵種だ。おいそれと欠く訳にはいかず、従来のことわりを蹴ってまで温存してきた。だがもはや猶予はならない。あの怪物が、気を練り上げる前に――


「遅い」


 標的の声が、ハッキリと聞こえた気がした。信じられぬ心地だった。彼我の距離は、未だ四百歩以上はあるはずだった。なのに、なぜ。

 だが、答えの出る前に怪物は動いた。歩兵の第一列へと、異様な加速で突っ込んでいく。


「押し潰せ!」


 脳裏に浮かんだ予感を振り払うように、部隊長は吠えた。己が虚勢を張っていることに、彼は気付いていた。気付いてはいたが、兵より先に逃げ出す訳にはいかなかった。


「おおうっ!」


 彼の指揮に応えて、盾隊――重装歩兵が隊列を組む。盾で身体を隠し、槍をもって敵を刺突する。およそ守勢においては鉄壁と言っても過言ではない陣形だ。鋼鉄三層の城壁がユージオを出迎え、身構え。たった一人の突撃を押し潰さんとした。しかし。


「調子、こかせてもらうぜ」


 ほんのわずか、ユージオは四肢の稲光を駆使した。体内電気による、瞬間的な加速である。歩兵の隊列に対し、衝突点を予想からずらす。これにより、己が優位となる体勢で、衝突の時を迎えた。


「なっ!?」

 ぐんっ!


 ユージオが強く大地を踏み締め、歩兵の一点を押す。容貌魁偉の筋肉にくがさらに膨らみ、彼の背に傷跡連なる奇っ怪な絵が描かれていく! 肩から肘にかけての筋肉が膨張し、一息に鋼鉄三層の城壁へと襲い掛かった!


「ぐあああっ!?」


 真正面の衝突からわずか数秒で、重装歩兵の隊列は分断された。縦の列が吹き飛ぶだけでは済まず、斜めにも衝撃が波及したからだ。中央を突破された重装歩兵どもは、ポカンとユージオの立つ地を見つめていた。現実離れした光景に、我を失ったのだ。

 だが事態を引き起こした男は、平然としていた。否、心底退屈そうにあくびをしていた。


「ちょっと調子をこいただけでこれかい」


 一応の包囲の中心で、ユージオは呆れ返っていた。彼の友人は、『十分に鍛え上げた』とのたまっていた。にもかかわらず、この体たらく。彼は不完全燃焼を起こしていた。このまま、思うがままに食い荒らそうか。再び筋肉が膨張し、体表の周囲に陽炎が生まれる。そうして、全周すべてへの威圧行為を完遂せんとしたところで。


「勝負ありっ! 状況停止! 繰り返す、状況停止だっ!」


 拡声術式を使った彼方よりの大音声が、彼の思惑を遮った。


 ***


「……」

「済まぬユージオ。虚言を吐いたつもりではなかったのだ」


 練兵場の基地、その奥深く。特殊な防音・防諜処理をなされた一室で、王国大将軍ゴルニーゼ・ベルンディーはユージオに平身低頭を晒していた。上座の椅子に腰掛けながらも、深々と頭を下げている。こんな有様を部下に見られれば、即座に反逆の狼煙を上げられかねない代物だった。


「……この手のことにおいては、最初ハナからキサマの言葉は信用しちゃいねえ」


 憮然とした顔のユージオは、不機嫌を隠さぬままに飲料をあおった。大将軍が特別に用意させた、酒精アルコールの強い酒である。己の不手際を謝罪するのなら、このくらいの散財は惜しまない。それ自体は、大将軍の美徳であった。


「そう言うてくれるな。事実かもしれないが、我々としては涙が出る」

「ふん。その程度にしか育てられないキサマが悪い」


 ぐぬう。大将軍の唸り声が部屋に響いた。幾度となくユージオとの戦を繰り返してきて、しかし未だに足元にも及んでいないこの現実。大将軍にとっては、直視し難い現実であった。だが直視せねばいずれ王国軍は瓦解し、連合帝国軍に食い荒らされるであろう。事実今でも、かの敵軍は各地で攻勢を強めているのだ。


「……餓鬼はどうした」


 沈黙を嫌ったのか、ユージオが心底面倒くさそうに話題を変えた。否、事実面倒だった。ここ暫くの間は面倒を見ていた。生きる術を教えていた。だが、いついつまでも付いて来られては商売上がったりだ。牙が折れたかと、舐め腐ってくる喧嘩売りも少なからずいた。はっきり言えば、足手まといだった。


「ニエラが面倒を見ている、が……」


 大将軍の懊悩を打ち破るように、足音が響いた。軍靴ぐんかの足音に交じるのは、童子の、軽やかなそれだった。ガチャガチャと騒がしく装備がざわめいている。大将軍は、彼らへの減点、そして再度の訓練を脳裏で決断した。


「このありさまだ。貴様を探しているに相違ない。悪いことは言わん。彼の気が済むまで……っ!」

「そうできるのなら苦労せん」


 可能な限り穏やかに説得を試みた大将軍を、ユージオの気迫がいた。己が焼かれる錯覚を得て、大将軍は言葉を止める。ユージオの目が、剣呑さを帯びていた。


「大賢者……ああ、昔やり合った輩が、だ。新たな強者つわものの情報を持って来やがった。今は幸いにして平穏だが、目の前で死なれても寝覚めが悪い。キサマなら、然るべき教育を」

「……丸くなったものだな、ユージオ・バール」


 剣呑さの後、彼にしてはあるまじき真剣さで大将軍に挑むユージオ。しかし大将軍は、鋭く言葉を発した。無論内心は穏やかではない。だがここで踏み込まずして、何がユージオの朋友たるか。

 王国大将軍ゴルニーゼ・ベルンディーは今こそ、努めて己の心を強いた。友の頼みを聞くのはやぶさかではない。だが今の友は、己が手を組んでいる男の姿ではなかった。そのような友とは、死んでも手を組みたくはない。


「……」

「かつての貴様なら、『死ぬのは勝手だ』とでも嘯きつつ、付いて来るままにさせておいただろうよ。それさえもままならぬ戦が待ち受けているのは理解するが、だからといって当人の意志は無視できまい」


 チッ。ユージオが、舌を打つ音が響いた。続けて、ゴルニーゼに手の動きだけで葉巻を要求した。彼は指先で器用に先端を千切り、ゴルニーゼに火を付けさせた。一つ吸って、軽く吐く。その動きだけでたちまち、紫煙が部屋中に広がっていった。


「……キサマに説教されるとはな」

「ヌルくなった貴様など見たくはないからな。それがたとえ、王国軍の頭痛の種であったとしてもだ」

「言うじゃねえか」


 ユージオの吐き出す紫煙に耐えて、ゴルニーゼは言葉を絞り出した。無論、内心では目一杯に警報が鳴り響いている。いつ右腕が飛んでくるかと、身体の各所を警戒で強張らせている。しかし表情だけは、努めて毅然たるものを見せていた。そうせねば、地上最強の生物は即座に彼の虚勢を見抜くだろう。確信に近い憶測を、ゴルニーゼは抱いていた。


「いいだろう」


 ユージオの声は、唐突に響いた。押し殺したところも、苦渋の色も、なに一つない。淡々と、ユージオは口を開いた。


「キサマの挑発に乗ってやる。俺は、あの餓鬼を置いて行かん。そうすれば、アレは勝手に付いて来る。俺はいつも通りに振る舞う。次に帰って来た時、餓鬼が生きているか否か」

「貴様なら、生きて帰すだろうよ。そのくらいの、信頼はある」

「言っておれ」


 ユージオは、一息に酒をあおった。次に、灰皿に置いていた葉巻を捻り潰した。そうして彼は、仕立てのいい椅子から立ち上がった。


「征くのか」

「征く。弱敵と戯れるのはここまでだ」

「そうか」


 大将軍は、敢然と去りゆく男を見送った。重い足音が響いた後にやはり、軽妙な足音が従っていた。


「……いかなる因果かは知れぬが。難儀なものよ」


 大将軍は椅子に身を預けると、ユージオの残した瓶から酒を舐める。直後、彼は舌を焼かれて仰け反った。

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