第9話 男女VS砂漠の怪物

 人界大陸。一般的に東方と西方と呼ばれる両文化圏の中間には、高山、もしくは広大な平原と砂漠の地帯が広がっている。

 かつて東方の北部から興った遊牧の民、ハーンの国は、千里をも駆け抜ける馬をもってこれを踏破し、西方へと雪崩込んだ。ハーンの死によって完全征服こそ成らなかったものの、その文化の残滓は今も西方に息づいている。


 そんな歴史を受け継いだ砂漠に、頭巾を身に着けた一組の男女がいた。砂の侵入を防ぐために口元を隠しているが、その瞳からは強い意志が覗いている。しかも、二人ともにだ。

 意志は、歩み方からも窺えた。腰を落として背を曲げ、砂漠地帯を吹き渡る風に対して抗っている。それでいて、歩幅は一定を保っている。二人は彷徨うのではなく、明確な意思を持ってこの砂漠に挑んでいた。その視界に、人をすっぽり隠せるほどの岩が入った。


「あの岩陰で、一息つこうか」

「わらわに指図するな」


 男が口を開き、女が応じた。男も女も、背嚢を備えている。背丈は男のほうがやや高く、歩みは女の方がわずかに先を進んでいた。


「指図ではない。提案だ」

「ならば却下だ。すでにわらわたちは、あの爺が言っていた領域に到達しつつある。敵陣で怠惰を貪るなど、餌になるようなものじゃ」

「これだから魔界の者は。敵陣に侵入したからこそ、英気を養うのだ。ならば代わる代わる休むか。さすれば、無為に食われることはない」

「……良かろう。惰弱な人間に、慈悲をくれてやる」


 わずかな言い争いの後、女が譲る形で二人は休息を選んだ。まずは男が見張りに立ち、女が休息を取る。口元の覆いと、長い頭巾。むしり取るように外した女からまろび出たのは、美しい造形の顔立ちと長い耳、纏め上げられた桜色のロングヘアだ。かつて女ながらに魔王と呼ばれていた者。二十年後の世界では、人界大陸すらも制した者。その艶姿は、今も変わらない。


「……こちらに残ると決めた時は、まさか冒険者どもの真似事をさせられるとは思わなかったぞ」

「それについては同意する」


 男は岩の前に立ち、弓を準備していた。先の戦で一度は失ったが、『神々の大地』で作り直したものだった。短く切り揃えられた黒髪、人のそれよりもわずかに長い耳、そして虚無と殺意にのみ満たされた黒い瞳。彼の名は、ガイという。


「わらわはともかく、そちが残るのも予想の外じゃったがな」

「元の世に帰ったところで、逢える可能性があるのは年を経たユージオだ。それよりも、あのユージオを討ち果たしたかった」


 くくっ。ガイの答えに返って来たのは、小さな笑い声だった。なにがおかしいと、ガイは弓を握った。


「怒りの気を見せるでない。悪かった。同じだと、思うての」

「同じとのたまうか」

「のたまう。あの息吹に触れていながら、先の世に帰るだと? 老いたユージオになど、逢いたくもないわ」


 ガイは言葉を返さなかった。何から何まで同じだという事実が、ただでさえさほど良くない彼の機嫌を、さらに悪化させていた。彼にとって、女魔王は宿敵である。かつての世界では、いつかは殺し得て、世界を取り戻す旗印とすべき相手だった。だというのに。


「ガイや、敵は来ておるのか?」

「来ていない。まみえてもおらん。今の内にせいぜい休んでおけ。眠ったら、寝首を掻くまでだが」

「それならわらわも、同じように振る舞うまでだ」


 言っていろ。ガイは言葉を返し、砂漠を見つめた。あの戦の傷を癒やし、いざ元の世に帰るという段になって、彼は大賢者に意志を発露した。己はこの時代に残りたい。方策はないかと。


『似姿……複製体を送るという手段はある』


 意外にもあっさりと、大賢者は対案を示した。しかし同時に、リスクも示された。あくまでも複製であるが故に、現地での発覚は免れ得ぬと。そこで彼は、事実上の二親を脳裏に浮かべた。だが彼はかぶりを振った。己が殺すべきユージオは、間違いなくここにいる。


『それでかま』

『そのような手があっただと? ならばわらわも残るぞ。人界の征服など、似姿でもできる。だが若きあ奴と戦うのは、わらわにしかできん』


 しかし交渉がまとまる寸前、話に割って入る者がいた。女魔王だった。ガイは彼女を睨み付ける。己の交渉を、横取りするのかと。


『失敬。だが大賢者よ。うぬとうぬが奉ずる神とやらであれば、二人分の複製など程度問題であろう。わらわたちを、過去へ連れて来るぐらいだからの』

『無論。だがその分精巧さには欠ける。それに、あくまで汝らに外を歩き回る自由は与えられぬ。過去と未来が安易に接触すれば』

『新たなる不穏のもとになる、と』


 その通りよと、大賢者は丸い頭をつるりと撫でた。特に女魔王については、さらに説明を続けた。下手に似姿を帰して見破られれば、それは人魔ともに混乱の切っ掛けとなり得ると。しかし彼女は、からからと笑った。


『そこに関してはうぬを信用しておる。生半可な似姿を作る気はないだろうとな。少なくとも、魔王たるに値せぬ者は作るまい』

『ほほう。それがしが、人界に有利をもたらす可能性を蹴ると?』

『蹴る。うぬは、魔王と直に向き合った者の一人だ。うぬの矜持が、半端を許さぬ』


 なるほど。大賢者が、禿げ上がった頭をピシャリと叩く。結局大賢者は、二体の似姿を精巧に作り、未来へと帰した。当然、その分時間は掛かったのだが。


「そして引き受けたのが虫叩き。可能性を飛び越え得る生物の排除ではあるが……。ッ!」


 長い回想から現実へと戻って来たガイの視界に、大賢者から指示された対象が入って来た。形としては巨大な蚯蚓みみず。三叉の首は、それぞれ前面が牙の付いた口によって満たされている。砂の中から、姿を現した。砂虫サンドワームの形態変異であろうか。


「出たぞ!」

「よし、人間よ、下がれい!」


 魔王が傲慢な指示を発して前面へ躍り出る。もはや姿は隠さない。自身の周囲数寸を、魔力の鎧で覆っていた。早速火炎魔法をぶっ放し、砂虫を焼き払わんとするが――


 キィン!


「反魔力障壁だと!?」


 己の周りに展開し、砂虫へと投擲した火炎弾。しかし砂虫に迫った瞬間、見えない壁に阻まれ、消失した。


「退け魔王! 俺が仕留める!」


 考える間もなく、背後より声。矢をつがえるのはガイ。必中術式を仕込んだ矢玉を、砂虫に向けて打ち放つ。だがこれも。


 ガァン!


 砂虫の身体が硬質なのか? やじりはたやすく跳ね返された。しかし攻撃されること自体は疎ましいのだろう。砂虫は一旦地中に潜り、二人に一時の安息が訪れた。暗殺者と女魔王は、互いの顔を見合わせる。


「どう見る」

「三つ首の口。そこを狙うほかあるまい」


 やはりか。女魔王に言われ、男は小さくうなずいた。奇縁どころではないえにしにせよ、こうして轡を並べる以上、仲間割れからの無駄死には避けたかった。


「魔法は恐らく弾かれる。うぬの矢玉がすべてを握るぞ」


 女魔王が、ガイの前面に立った。己の身軽さでもって、砂虫を引きつけようというのだ。男はうなずく。女魔王の身軽さには、【地上最強の生物】ユージオ・バールですらも手を焼いた。ましてや、砂虫程度であれば。


「ハッ!」


 なにかを感知したのか、女魔王が砂を蹴った。ほとんど同時に砂虫が、三叉の首を出す。魔力検知か? 否、気配の察知だ。


「見事。やはり使い手としてはあちらが上か」


 ガイは覆いの中で舌を巻いた。かつて一度は戦を交わした相手ゆえに分かるが、女魔王の戦闘能力は只人の男よりも遥かに高い。これを打ち倒したユージオ・バール――己の実父――が、異常者なのだ。


「しかし本分では負けん」


 ガイは岩陰から身を乗り出し、弓を引いた。万一砂虫に察知されれば、負けは必定だった。二人の立てた戦略は明瞭。女魔王が砂虫を引き付け、折を見て口内に矢玉を打ち込む。それだけだ。簡潔だが、それゆえに難度が高かった。しかしガイには、確信があった。


「あの女ならやる。ならば、俺も殺る」


 狙い澄ます。女魔王は縦横無尽に飛び回っていた。砂虫の動きも相応に早いが、やはり三つ首故か、柔軟さにやや欠けていた。

 彼女は舞い踊り、引き寄せ、後わずかというところでひらりとかわす。砂虫はムキになっているのか、徐々に動きが単調になっていく。

 ガイは矢をつがえ、必中術式と爆破術式を仕込んだ。一つを穿てば、三つとも爆ぜる。そういう図式にするのが、一番手軽だった。


「今ぞ!」


 ガイの耳を、鼻につく高音が穿った。本格的に風を測り、砂の抵抗を鑑みる。重畳。風は穏やかで、矢を押し留めるほどの抵抗はない。ならば。


「射ッッッ」


 ガイは小さく、声に発した。矢は真っ直ぐに砂虫へと向かう。無論砂虫は動いている。女魔王も飛び回っている。しかしガイは、命中を確信していた。


「あの女が十分な隙をよこした。ならば、俺は当てるまでだ。口をぶち抜かれて、爆ぜてしまえ」


 バァアン!


 その爆発音は、突如響いた。必中術式を織り込まれた矢が口内へと滑り込み、体内で爆破術式が発動した。三つ首の砂虫は緑の血、肉と臓物を撒き散らし、惨めに爆ぜた。


 ボドボドボドッッッ!


 幾つもの塊に分解された砂虫が、次々と地上へと降り注ぐ。その中には当然、彼女もいた。髪と頬を緑に汚されながらなお、気丈にもガイを睨み付けていた。その目には、隠すことなき殺意が宿っている。


「よくもわらわを巻き込んでくれたな」

「死んでくれれば、こちらとしては儲けものだったのだが」


 二つの視線が、絡み合う、互いに戦意を隠さず、睨み合っていた。呼吸を測り、視線を探り合う。血の滲むような睨み合いが、永遠にさえ続くかと思われたが。


「やめだ。先に湯浴みを寄越すことで手を打ってやろう。感謝しろ」

「俺はこのまま戦でも良かったのだがな」

「惰弱な人間如きに、我が魔力を振るうのが馬鹿らしいと言うておるのだ。頭を垂れろ」

「言っていろ。そのうち寝首を掻いてやる」


 剣呑なやり取りは、いつまでも砂漠に響いていた。

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