第7話 勇者VS過去の幻影(かげ)

 再び数日後の夜。ジョルジュは再び、森を訪れていた。アンナと、此度は酒瓶も伴にしていた。くすんだ髪や風貌も変わらず、相変わらず堕落の色が濃い。しかしその据わった目には、ある意味では狂気に満ちた光があった。纏っている冒険者然とした装備の各種には、非常に不似合いな様相だった。


「……」


 ジョルジュは酒瓶をあおり、森の開けた場所に奇妙な木人形を置いた。遙か昔に散財で買った、些か怪しい術法のための供物だった。彼が今回行うのは、ある意味でそれに近い行為である。より確かさを得るために、此度使うことにしたのだ。


「やるわよ」


 アンナが、木人形の周りに陣を描く。古来より西方のごく一部で使われていた、魔法のための陣だ。当世では術式に取って代わられたが、かつては魔王軍相手にも威力を発揮したという。


「分かった」


 ジョルジュはもう一度酒瓶をあおり、土の上に置いた。いい具合に酔いが回り、目にする景色は揺らぎつつある。しかし頭は逆に、冴え切っていた。


「丁度いい」


 ジョルジュはつぶやく。彼が今回目論むのは、妄想による鍛錬イメージトレーニングの延長線上だ。仮想の敵を浮かべて対峙する手法に、酩酊による幻視と、怪しげな術まで混ぜ込んでいく。その原因は、此度思い浮かべる敵手にあった。


「ユージ……あの日のユージ……!」


 ジョルジュはあの日――ユージオを追放しようとして戦となった日――のことを多くは語らない。否、語れない。パーティーメンバーの一人さえも御せなかった日のことなど、思い出したくもない。

 だが、今度こそ越えねばならなかった。彼の中で、それは決定事項だった。あの日の記憶を越えずして、己の時を動かせるだろうか。いや、動かせぬ。だからこそ、実感の伴ったあの日の幻影かげが必要だった。


 アンナは、そんなジョルジュを少し遠くから見ていた。アンナには、ジョルジュを察することしかできない。彼が、あの日の思いを言わないからだ。だが、彼がその囚われから脱しようとしていることだけは分かった。故に同行したし、今も酒瓶を引き取っている。彼女には、ただただ彼のやろうとすることを見届ける他になかった。


 そんな彼女の前で、にわかに不可思議なことが起きた。陣の中央に置いた木人形に、黒い靄が集まり始めたのだ。


「ええ……!?」


 動揺を見せる彼女に、出来事は次々と襲い掛かる。靄がやがて人の形を取り始め、ジョルジュを襲ったのだ。ジョルジュは飛び退き、直後に氷結術式。アンナはさらに距離を取る。しかし目はそらさない。ジョルジュは跳び、跳ね、時に刀を振るう。一見、狂気に堕ちたかと惑うような絵面。しかしアンナは徐々に、信じ難いものを見出していた。


「ユー……ジ?」


 それは、ユージオ・バールの姿。無論、現在のそれではない。アンナが一目で分かった通り、過去の幻影、彼がパーティーを去る前の姿である。今こそ彼女には、ジョルジュの目的が理解できた。


「ジョル……!」


 アンナは手を組み、ジョルジュの大願成就を神に請うた。


 ***


 おぼろげに姿を現した幻影かげを見つめて。ジョルジュはつぶやき、剣を抜いた。


「ユージ。私は今でもあの日を後悔しているよ」


 返って来たのは、唸るような拳。そうだった。尊大さを表すような体躯をしているにもかかわらず、彼は速かった。踏み込みは鋭く、大抵の生物は遅れを取っていた。後方に跳ねた直後、氷結術式を発動する。狙いは幻影の足。だが彼は、身軽に跳ねてかわした。


「スキあり」


 既に着地していたジョルジュは、その跳んだ幻影に向けて剣を突き出した。足への攻撃に対し、跳ねるというのは最も簡単な回避行動だ。しかし踏ん張りは効かなくなり、次の一手への対処が遅れやすくもなる。その大きな間隙を突いた、巧みな一撃――のはずだった。


「っ!」


 まず事実として、ジョルジュは顔をしかめた。その光景は想像通りだ。想像通りだというのに、思う結果を出せなかった悔いがそうさせた。ユージオの幻影かげは、空中で巧みに身をよじり、裂帛の突きを回避してのけたのだ。さらに。


 タンッ。


 土を跳ねる音さえも、聞こえてきそうだった。それほどまでに、着地から軽やかに突っ込んで来た。ジョルジュは十分に引き付けてから、跳んでかわす。跳べば隙が生まれるが、跳ばねば風圧だけでもっていかれかねない。


「相変わらず、規格外の一撃だね」


 術式無しでの防御。それだけで腕を壊された記憶を思い出す。ユージオの一撃は、基本的に重い。誘いや搦手といったものは少なく、たとえ使ったとしても最後は相手を砕くためのもの。徹頭徹尾、相手を打ち倒すための攻撃を組み立てている。過去の記憶がポロポロと溢れ、幻影の能力を補完していった。


「そうか。私はこんなバケモノを敵に回したのか」


 ユージオの攻撃を回避に徹しながら、ジョルジュはいくつかの思い出を遡っていく。思えば、幾度も幾度も劣等感に晒され続けた日々だった。


『私はジョルジュ。キミが良ければ、私のパーティーに入って欲しい』

『いいだろう。ただし、俺は俺のやりたいようにやるぞ』

『構わないよ』


 出会いの記憶。ユージオが拳の一発で大岩を粉砕するのを見ての、一目惚れだった。ユージオからは半ば脅しのような言葉を返されたが、性格的な隙間ぐらいは、乗り越えるつもりだった。


『囲まれたね』

『黙れ。敵を見据えろ。後ろは預ける』

『……分かったよ』


 とある冒険。ひょんなことからドジを踏み、パーティーが囲まれた一幕。ユージオは背中を預けて敵陣へと突っ込んで行った。苦労した他のメンバーは文句を垂れたが、自分には背中を預けられた喜びがあった。


『ユージ。この後領主様からお礼の宴が』

『要らん。ジョルたちで上手く済ませろ』

『……』


 そんなだから、蜜月は長続きしなかった。いかなる敵にも向かっていき、打ち倒すユージオに、己は力不足を感じるようになった。ユージオは自儘な振る舞いに徹し、パーティーメンバーとの軋轢も増えていった。そしてなにより。


『自分は、ユージオに追いつけていない……このままじゃ……』


 ユージオと張り合えていない。そんな劣等感が、己を埋め尽くしていった。暇を見ては己を追い詰め、力を磨く。時には、寝る時間さえ切り詰めてでも。そこまでしても、全くユージオに届いている気はしなかった。進んで己を磨き上げる男には、届く気がしなかった。


『ユージオ・バールを勇者パーティーの一員とするのは、我々としては認め難し』


 だからわずかに遠回しな言葉でユージオの排除を命ぜられた時、それは救いの声にさえも聞こえた。パーティーとの軋轢……己の力量不足……そんなパーティー内の懸案を、一挙に解決する方法が見つかったのだ。そう。ユージオを追放してしまえばいい。全てはそれで、片がつく。通り一遍の抗議を重ねた後、ジョルジュはあっさりとその命令を受け取った。受け取ってしまった。


 しかし。


『じゃあな、ジョル。追放は甘んじて受けるが、キサマは俺に負けた。よく覚えとけ』


 ユージオに放った追放の言葉は、手痛いという言葉では済まないほどの傷を伴い、己に返って来た。ユージオとのあまりの力量差に、彼は誰にもその戦の中身を打ち明けられなかった。蹴りの一発で腕を砕かれ、なす術なくぶっ飛ばされたなどと、言えるはずもなかった。結果――


「私は酒に逃げ、博打を覚え、堕落した」


 幻影かげの暴力を縦横に回避しながら、彼は身構える。かつて鍛えた残滓は、未だに彼の中に生きていた。否、年数を経た分だけ、彼は身体の使い方を理解していた。力の使い方を理解していた。全体では弱ったとしても、一部では上回ることも可能だった。


「勇者を奪われそうになって悶え狂い、聖剣を叩き折った」


 呼吸を整える。口にしたのは、思い出したくもないもう一つの記憶。冒険者引退を迫られて混乱し、狂乱の末に聖剣を叩き折った最悪の所業。我に返った時には既に遅く、冒険者ギルドからの追放処分を受けた。

 最初は一緒くたに罪を受けたパーティーも、やがて一人減り、二人減り。一年も経たずに二人だけとなった。幾度となく堕落し、酒に狂い、邪険にもしたのに。アンナだけは離れなかった。


「付いて来てくれるたった一人へのねぎらいを、幾度となく怠ってしまった。あるべきものだと思ってしまった」


 ジョルジュに、アンナの意志は分からない。彼女は多くを語らず、自らに武装までも施してさえ付いて来た。やがて逞しささえも身につけ、己が狂乱する度に鉄槌を下された。それらへの感謝も、まだできていない。


「……だけどそれも、今日までだよ」


 ジョルジュは、剣を構えた。火炎術式を通し、炎剣に変える。幻影が、じりじりと下がる。彼は一気に、打って出た。左袈裟。右薙ぎ。上からの唐竹。すべてを吐き出すように、切れ目のない攻撃をユージオに浴びせ掛かる。


「ハアアアアッッッ!!!」


 速度は、さらに上がった。右から、左から。上も、下も。幻影を八つ裂きにせんと、ジョルジュは襲い掛かる。過去の己を振り払うように。過去の己を捨て去るように。そうすることで未来が開けるのだと、一心不乱に幻影かげを斬り裂いていく。否、もはや幻影は形を成していなかった。木人形も、四分五裂していた。ただただ虚空に刀を向け、狂乱の如く振り回す男がいた。


「ジョル……」


 見かねたアンナが、止めに入りかける。しかしその時、彼女の視界には完全に想定外の男を入っていた。男は無言で彼女を制し、ジョルジュの前に立つ。そして恐るべき速度で振られた剣を、防御に構えた拳一つで叩き折った。


 バキイッッッ!!!


 たちまち上る、鈍い破断音。それは、ジョルジュの目を覚ますには十分なものだった。だが直後。彼はさらなる混乱に襲われることになる。なぜなら、彼のまなこが捉えたのは。


「懐かしい顔が見えたんで近付いてみりゃあ……。ジョルよぉ、オメェが斬りたいのは、本当に『それ』か?」


 身体はジョルジュよりも大きく、容貌魁偉。その凶相は年を経てもなお変わらず。あの日よりも伸びた総髪は、今にも逆立ちそうな覇気を備えている。何より、ジョルジュがその顔を見間違えるはずがなかった。幾年経ても、その面影だけは残されているのだから。


「ユージ……っ!」


 ジョルジュの視界を占めたのは、『地上最強の生物』ユージオ・バール。そして後ろ数歩に従えられた、幼子の姿だった。

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