第6話 刀VS最悪の勇者

 襲撃と撃退、宴の夜から、二日が過ぎた朝。刀十郎はアンナに森へと呼び出された。素直に向かうとそこには、ジョルジュもともに立っていた。相変わらずくすんだ茶髪は手入れされておらず、目の下のクマが、不健康さを想起させた。刀十郎から見れば、無精さの極みであった。


「何用か」


 簡潔な王国語で、刀十郎はアンナに尋ねた。翻訳術式の効き目は、せいぜいもって半日程度。ましてやアンナは、高位の使い手ではない。人の認識を操作する術式を、そうそう数多くは使えなかった。


「悪いね。もう一度、術を使うよ」


 しかし彼女は、その翻訳術式をためらいなく使った。刀十郎も、黙って受け入れる。再び、両者の言葉が明瞭になった。


「このような場所に呼び出しなど、いかなる用か」

「用があるのは、私です。先日は大変な失礼をば」


 アンナに声を掛けたつもりの刀十郎。しかし答えはジョルジュから返ってきた。出し抜けに詫びを入れられる。しかも、打って変わって丁寧な口調だった。酒が抜けると、こうなるのだろうか。刀十郎は、軽く戸惑ったものの。


「首争いなど、戦場ではよくあること。襲い掛かられれば容赦しませぬが、未遂故」


 真顔のままで、詫びを受け入れた。事実彼にとってはよくあることだったし、実際に争った訳ではなかった。いわば、常識の違いとでも言うべき部分だった。


「ありがとうございます。ですが、本題は少々違いまして」


 改めて一礼をしたジョルジュ。だが刀十郎は気付いてしまった。その右手に、不審な物が握られている。ハッキリと言えば、西方刀を模した木剣だった。両刃で鍔も付いている。実戦で使われる刀に、忠実に作られていた。刀十郎は、腰を落とす。


「これは」

「ユージ……ユージオ・バールの話を、アンナから聞いたそうですね」


 刀十郎は、静かにうなずいた。自身はかの者を、好敵手の候補と見なしている。それについて情報を得ることの、なにが問題なのか。だが、かつて勇者だった者のまとう気迫が、にわかに変わった。あの夜の、首争いの時に似た空気を、醸し出していた。


「彼に迫らんとするなら、私を打ち倒してからにして頂きたい。とはいえ、真剣で殺し合う訳には、参りませぬので」


 そう言うと、ジョルジュは刀十郎に木剣を渡した。刀十郎は、静かに正眼の構えを取る。剣先が丸められている上、形状そのものが己のものと異なっている。空太刀からたち飛太刀とびたちは使えぬ。彼はそう断じた。


「西方では、東方向けの木剣は稀ですから。お許しください」

「致し方なし」


 ジョルジュも構えを取り、互いに一足一刀の間合いとなった。ジョルジュが、軽く口を開く。


「アンナ。離れてくれないか。キミを巻き込みたくはない」

「お断りだよ。アタシは今度こそ、見届けるんだ」


 アンナは取り付く島なく、ジョルジュの望みを跳ね除けた。思い出すのは、『あの時』のことか。刀十郎は、聞かされた話を思い出す。彼女は、彼がユージオに倒される姿を、見ていないのだ。


「負けたからといって幻滅はしない。怪我したからといって補償は求めない。せめて、この場にいることだけ。許しておくれよ」

「……わかった。刀十郎さんも」

「よかろう」


 刀十郎の言葉が、皮切りだった。アンナが十歩の距離を取る。両者がジリジリと、間合いを窺い合う。剣先を交わして機を図り、森の中を器用に立ち回る。


「ハッ!」


 そんな中で先手を取ったのは、やはり木剣にも慣れているジョルジュだった。軽く刀十郎の剣先を押しのけると、そのまま流れるように突いて出た。無論ただの突きではない。加速術式かと見まごうような、一瞬消えたかと思わせる速度での突きだった。


「なんの」


 しかし刀十郎とてかつては天下第一之侍てんかだいいちのさむらいだった男である。突きを見極め、確実に回避する程度の力量は有していた。跳ぶでもなく、引くでもなく。左に足をさばいてかわす。その上で。


「とうっ!」


 首筋、わずかにジョルジュの進行方向へと片手突きを放つ。ジョルジュの動きを読んでの、鋭い剣閃だ。勝負あったか。


「ぐうっ!」


 間一髪。ジョルジュは身体を反らして首を引き、慣性に逆らって突きを避ける。そのままの勢いで後方に宙返りして間合いを取り、難を逃れた。酒に溺れていたというのに、なんたる身体能力。


「やるね」

「西方刀は使い慣れぬ故、見様見真似だが」


 刀十郎は身体を正対に戻すと、すぐさま次の一撃に取り掛かる。突きではなく、下段からの踏み込み、切り上げだった。一見遮二無二に見えるが、その実鋭い踏み込みと膂力に裏打ちされた、無視しがたい勢いの剣撃だった。しかしジョルジュは、上段からこれを迎え撃った。刃の部分ではなく、平たい部分を当てに行く。面で受け止める算段だ。簡単には引かないという、攻めの防御だ。


 ガギイッ!


 木剣同士がぶつかり、鈍い悲鳴が上がる。弾かれた剣は、双方の手に痺れを与え、慣性に従って戻っていく。しかし、だからといって刀を手放すような二人ではない。即座に剣を握り締め、構えと呼吸を練り直す。時には木々を挟みながらジリジリと。時には駆け足で。森の中を縦横に動き、互いの隙を探り合う。


「ハッ!」


 無限にも思えた均衡のさなか、先に業を煮やしたのはジョルジュだった。木剣を大地に突き刺し、氷結術式を放射する。たちまち森の草木が凍り付き、刀十郎の元へと走っていく。


「ぬうっ!」


 しかし刀十郎もただでは凍結されなかった。上へと跳び、木の枝に捕まる。木剣を咥えて両腕で反動をつけ、既に凍り付いた場所へと着地する。その軽やかな着地は、ひびの一つさえももたらさなかった。


「……」


 刀十郎が、ジョルジュを無言でめ付ける。いささか想定外の技を使われた、という表情だった。しかしジョルジュは、涼しげな顔で視線をかわす。これは勝負だからとでも、言い出しそうな表情だった。


「ぬん!」


 重い空気を振り払うように、刀十郎が打って出た。凍り付いた森を滑るように移動し、瞬く間にジョルジュへと接近する。技は横薙ぎ。右から左に胴を斬り裂きにかかる、普遍的な技。ジョルジュは刀の刃で受け流し、流れるように上段へ構える。そして、断罪の袈裟斬りを執行した。


「くうっ!」


 ジョルジュの流れるような剣技を受けてさえも、刀十郎は冷静だった。あえて踏み込んで膝を付き、一旦滑るに身を任せたのだ。擦り切れた袴が、氷上を滑り行く。多少濡れはすれども、勝負の前には些少なことだった。


「……。どうして彼を追うのです?」


 ジョルジュが口を開いたのは、両者が一足の間合いにまで距離を詰めた時だった。氷は徐々に泥濘へと変わり、両者から機動力を奪っていた。前後左右に窺い合う中で、その言葉は突如生まれた。


「好敵手……強い敵を探している。俺を、ぶった斬れるような奴を」


 五弁花ごべんか焼印の罪人は、即座に答えた。そのために大陸を越えたのだと、彼は言ってのけた。


「俺の土地には、俺に敵う奴はもういなかった。だから飽きて、あの土地から逃げ出した。下から讃えられても、崇められても、なに一つつまらん。強い輩との、ひりつくような戦にこそ、生がある」

「ユージオとならば、それが為せると」

「そういうことだ」


 刀十郎は腰を落とし、木剣を腰に構えた。その剣先は、ジョルジュを向いていない。刀を納め、抜き打ちを試みる際の構え方だった。


「笑止」


 ジョルジュはただ一言、そう答えた。木剣を振り上げ、打ち下ろす構えを見せる。一刀両断という言葉が、よく似合う姿だった。


「ユージオと争うならば、この私如きを一笑に付す程度でなくては。彼は勇者を倒した。噂に聞くには竜とも争い、知己を得ているという。落ちぶれた勇者如き、笑って薙ぎ倒して頂きたい」

「なるほどな」


 刀十郎は、抜き打ちの構えを深くした。この状況下でも使い得る、数少ない侍絶技が彼には残されていた。手足の力を絶妙なバランスで操り、ジョルジュの動きを追っていく。両者の気迫がぶつかり、大気さえも震わせるようだった。


 そのさなか、数十歩の距離でアンナは祈っていた。祈る相手は聖教の神。祈る願いは同胞の無事。


「せめて、せめて無事に……!」


 彼女の信ずる聖教における神は、慈悲深く、世界を見通すともいわれている。そして信ずるものは救われ、いつか訪れる滅びの時に、神の加護によって楽園へと旅立てるという。大賢者辺りが聞けば鼻で笑いそうではあるが、それこそが聖教の教義であった。


「もうあの日のような、惨めなジョルは見たくない……!」


 彼女は戦を見据え、さらに願う。思い起こすのはあの日、ジョルジュを見つけ出した際の記憶。腕を折られ、無慈悲な暴力に晒され、咽び泣いていたジョルジュ。ユージオにやられたとしか語らなかった理由は、今なら分かる。彼の矜持が、詳しく語ることを許さなかったのだ。


「……っ!」


 両者の間合いが、またも一足に迫る。アンナは目を閉じかけ、首を振ってまた見開いた。見届けるとのたまった以上、彼女にはその義務があった。


「!!!」


 蛮声じみた雄叫びは、どちらから響いたか。アンナの目には追い切れぬ速さで、刀が振られた。アンナは、それでも勝負を見据える。その目に飛び込んだのは――


「……危うかった」

「あと一歩で、服を両断してやったんだが」


 振り下ろす刀を、すんでのところで止めたジョルジュ。

 下から睨めつけ、刀を振り上げている刀十郎。

 よくよく見れば、ジョルジュの鼻先から血が滴っていた。

 両者は残心を解き、正対に戻る。傍目はためからは、勝負の可否が分かり得ぬ状況だった。


「ジョ、ジョルジュ」


 アンナが、ふらふらとジョルジュに近付いていく。刀十郎も、それを止めようとはしない。むしろ木剣をだらりと下げていた。勝負は、決着したのだ。


「避けたと思ったんだけどね。鼻先をかすめただけで斬られていた。私の負けだよ」


 アンナをなだめながら、ジョルジュが口を開く。今ならアンナの目にも、それが理解できた。すかさず治癒術式を発動する。ほとんど一瞬で、その傷は消えた。


寸毫すんごう両断」


 刀十郎が、ボソリと口を開いた。


「侍絶技、抜き打ちの大技だ。それを鼻先三寸の傷に留めた。お主はもっと、自分を誇って良い」


 それだけ言うと、刀十郎はスタスタと森の出口へ向かっていった。二人はそれを、黙って見送った。


 その晩。刀十郎は礼を尽くした上で村を去っていった。

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