第3話 最強VS退屈

 男の前には、男が立っていた。髭面。頬に刀傷。毛皮をなめした上下を身にまとい、太い腕と脚を剥き出しにしていた。髪もボサボサで肩まで伸びており、その目には野性味が溢れていた。一般的に言われる『強さ』を具現化したような姿が、そこにはあった。

 ではもう一人の男はどうか。まず肉体。髭面の男よりも、雄々しいものであった。容貌魁偉という言葉が相応しい筋肉にくが、彼にはあった。しかし今。この男は髭面を憤激寸前にまで苛立たせていた。なぜか。


「くぁあ~あああ……」


 男は、対面から三度目の大あくびをぶっ放した。その表情は、眠たげである。普段は凶相と称されるような獣じみた顔も、こうなっては間抜け面となんら変わりはしない。腑抜けたと言われても反論できない有様だ。


「ぐぬうぅ~~~!」


 髭面が、低く唸った。牛の唸り声に、近いだろうか。既に額には血管が浮き上がり、頭から蒸気が噴き上がりそうなほどに顔を真っ赤にしている。さもありなん。彼が期待したのは、【地上最強の生物】と謳われる男の、雄々しき姿だったからだ。


「ユージオ・バールぅ……その腑抜けっ面を今すぐどうにかしろぉ……!」


 髭面が、ついに言葉を発した。しかし男――ユージオ・バールは、構わずに四度目の大あくびをした。腑抜け面も、変わることはない。髭面に広がる失望。抑え切れぬ怒り。もはや火山は、噴火一歩手前である。

 そして火山に、さらなる火種が投下された。ユージオの背を追い掛けて、小さな足音が響いたのだ。野っ原を切り開いただけの道を、確かな足取りで向かって来る男児。歳は六つか七つ頃。ユージオから遅れつつも、少年はなお背を追い掛けていたのだ。


「子連れか! 戦の場に幼子を連れて来たのか、ユージオ・バールッッッ!!!」

「追っ払っても、歩みを早めても付いて来るんだ。文句つけんじゃねえよ」

「ぬうう!」


 ユージオは口元に手を当てつつ、少年に離れているよう指示を下した。少年は従い、三十歩ほど後ろに距離を取る。それでも、髭面の憤激は止まらなかった。


「俺はァ……俺は最強目指して闘ってきたァ……! ギルドじゃ『一撃必倒』の二つ名を貰ってェ……それでようやくアンタに挑む決心がついた……! なのに、なぜ……」

「なぜ、か。オメェ、それすら分からねぇんじゃ、そこ止まりだぞ。帰って寝ろ」


 髭面の訴えに、ユージオは耳をかっぽじる。とことんまで、ナメ切っていた。見下すというよりも、哀れむような目つきさえ見せていた。


「ち、ちくしょう……!」


 髭面が、拳を固める。筋肉にくをわななかせ、大振りの構えを取った。彼にとて、矜持というものがある。近隣の賊など、この拳一本で屠ってきた。今のユージオ相手に届かぬならば、冒険者を廃業しても構わない。


「ウオオオッッッ!!!」


 咆哮。右、左。太い両腕を、ユージオめがけて強引に振るう。しかしかわされた。上半身の動きだけ、いとも容易くかわされた。口元に手を当て、眠たげな表情のままでだ。髭面は怒りを、声に込めた。


「ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」


 右の蹴り上げ。反動の踵落とし。これもまた、ユージオには上半身の動きだけで回避された。髭面は怒り任せに、右の回し蹴りを振るった。大振りだ。しかし捉えたかと思っても捉え切れない。わずかな平行移動で、回避されてしまった。


「分かんねえなら特別だ」


 凄まじき柔軟さと機敏さを披露したユージオが、トントンと数歩だけ下がる。下がったと見た髭面が、再び剛腕を振るう。しかしこれもまた、ユージオは上半身の動きだけでさばいてしまった。髭面の腕が、虚しく空を穿つ。


「一つ。最強ってのは目指すもんじゃねえ。腕を振るって、相手を喰らって。繰り返す内に、『なってる』もんだ」


 伸び切った髭面の腕。それが戻るよりも早く、ユージオは肘をめがけて一撃を叩き込んだ。関節を叩かれ、痺れが走る。髭面は顔をしかめ、肘を庇いたい衝動を抑え込んだ。


「っぐぅ……!」

「二つ。たしかにテメエは強いんだろう。鍛えてきたんだろう。だが所詮は井戸ん中だ。世界を知らねえ」


 歯を食い縛る髭面を尻目に、ユージオは無造作に左足を振るう。命中。左の足を粉砕し、地面に転ばせた。避けられないのか。否。避けることさえ考えられぬほど、ユージオの暴力が早いのだ。

 驚くべきことに、ユージオはここまで雷速も、魔素による不随意の炎も使ってはいない。ただただ、素の暴力で圧倒していた。


「くわぁ……」


 ユージオは五度目の大あくびをした。軽装はおろか、外套すら脱ぐ気配もない。髪を逆立てる気配もない。足を砕かれながらも立ち上がらんとする髭面。その顔に向けて、右足の狙いを定めた。


「そして三つ。オメエはなんにも気付いちゃいねえ。ハッキリ言って勘が悪い」

「!」


 髭面の両目が、飛び出んばかりにひん剥かれる。それは、驚きを意味する形相だった。ユージオは退屈そうな顔のまま、右の足を大きく振り上げた。


「俺にはテメエの強さが響いてこない。響いてねえからあくびする。服も脱がねえ。腑抜けた面だって平気で見せる。そしてなにより」


 ユージオが、ある方向を指差す。髭面はそこに目を向けた。見えるのは少年。表情のない目、感情を閉ざしたかのような目が、彼を見ていた。


「あのガキ一人ビビらせられない強さなんざに、この俺が全てを晒すはずがねえ」

「……っ!」


 髭面の視界をユージオの足が満たす。主観時間が鈍り、後悔の時が始まった。己はユージオに、なにも残せなかった。己に足りなかったものはなんなのか。記憶が脳を駆け巡る。防御の選択肢が一瞬だけ浮かび、すぐに消えた。彼の心は、とうに折れていた。破壊的な一撃を、受け入れてしまっていた。


 ごしゃあっ。


 骨を砕き、歯を壊す音が、野っ原に響き渡った。顔面粉砕。意識途絶。大振りとはいえ、無造作な蹴り一つで、戦いはあっさりと終幕を迎えた。圧倒。完勝。そんな言葉さえも似合わぬと言いたげに、ユージオ・バールは六度目の大あくびを見せた。


「……晴れねえな」


 退屈という言葉を押し殺して、ユージオは野の道を去っていく。その背中を追い掛けて、少年がまた駆け出した。後には無様な、喰らう価値さえもなかった有象無象が転がっていた。


 ***


 夜更け。森の一角にユージオは焚き火を構えていた。傍らには少年。ユージオの外套にくるまり、眠っていた。ユージオにも、寒くないようにしてやるくらいの情けはある。今のところ、少年が目を覚ましそうな気配は皆無だった。


「……」


 苛立ちを押し込めるように、ユージオは枯れ木を火に向かって投げ付けた。火は一瞬だけぱあっと広がり、やがて元の形に収束した。その代わり映えのなさがまた、苛立ちを誘う。


「トジューロ、だったか」


 過日大賢者から伝えられた名を、もう一度諳んじた。空を斬って敵を斬り裂くという腕の持ち主。己よりも大きな生物に挑み、傷を許すことなく帰還するという豪胆さ。今のユージオにとっては、未だ想像の中に置く他ない敵。しかし。


「会えば、晴れるか」


 奇妙な確信があった。邂逅を果たし、拳を向けたその時。己の持つ、この眠たさが、退屈が、晴れる。そんな予感が、ひしひしとしていた。だが。


「そんな決戦の場、ひいては慣らしの戦には……」


 少年を見る。ユージオは彼を足手まといとは見ていない。というよりそもそも、同行者としての認識もない。付いて来るから面倒を見ている、せめて死なないようにしてやっているというのが、その程度の認識だった。とはいえ、どこまでも付いて来られれば。


「今回は有象無象だったが、次はどうなるかわからん。その時」


 ユージオは木を投げ込む。火花が軽く散り、焚き火が大きく形を変えた。ユージオは軽く目をつむり、そして開いた。


「やはり、王都へ行くか」


 ひとりごちて、行く先を決める。ユージオは大木に背を預け、視線を火に向ける。今はこの火を絶やさぬことが、彼の喫緊の課題だった。

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